異世界でワーホリ~旅行ガイドブックを作りたい~

小西あまね

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2章

03 ブラが取り持つ縁

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 バックパックの中身をベッドの上に広げる。
 着替え、衛生用品、財布、腕時計、ノートと筆記用具。着替えを小分けに包んでいたのは風呂敷。バックパッカーしている時、共同シャワー室で着替えの下に敷いたり、マイバック代わりにしたり便利なのだ。

 私は文無しだ。暫くアレクのお世話になる。
 出世払いで(研究所から補償金が入る方が先ならそれで)返すにしても、今少しでも足しになるお金があるに越したことはない。
 換金出来そうなものは腕時計位だろうか。売ること決定。あいにく電池式だから数年で止まることは伝えねばならない。足元を見られず適正価格で買ってくれる店を慎重に口コミで探そう。
 お金は札は勿論、硬貨も金銀でできている訳ではないので価値は低そうだ。札の細かな印刷は、興味を持つ奇特なコレクターがいるかもしれないが、もっと都会でないと奇特で金のある人の存在確率は低いかもしれない。
 貴金属のアクセサリーを持ってくればよかったのかもしれないが、日本の自宅にも一つも存在しない以上無理だ。
 衛生用品は基本的に消耗品だし、売り物にできそうな劇的な特効薬など持っていない。

 着替えはデザインが街から浮きすぎるので大幅なリメイクが必要で、売れても端切れ布扱いで安い値になりそうだ。それよりは部屋着やインナーにした方がよさそうだ。
 こちらの世界では服は高価で庶民はそう枚数を持たない。というか昔は日本もそうだった。

 ドレスも着物も、基本的に丸洗いできずほどいて洗って元通り縫い直すものだし、素材や染料が現代の既製服より傷みやすいことが多く、頻繁に洗えないので下着を下に着て定期的に洗う。
 だから汚れやすい襟は付け襟(着物なら襦袢の半襟)があって取り外して洗えるとか、人間の考えることは東西問わず同じだなぁと親しみが湧く。
 シュミーズとペチコートは、二部式(上体と腰下で分かれた構造)の肌襦袢みたいなものだ。上下共に汗や皮脂を取り清潔に保つ。必要に応じ服の上もエプロンや外套などで汚れを防ぐ。
 私はこちらのブラウスの下に元の世界の長袖Tシャツを着て代わりにしているが、一セット位買っておくべきか。

 そしてブラが目につく。
 こちらに来た日に行った古着屋。ブラにとても興味を持っていた。あと2つある。買ってくれるかもしれない。
 布面積は小さいのに、服上下一式の半額分になった。
 いや、初めて見るものだからそんなに高く買ってくれただけで、2つ目はいらないだろうか。
 そう考えると、1つ目を相手の言い値で売ってしまったのが痛い。もっと価格交渉すべきだった。
 あの時はすぐ帰るつもりで、あんなに喜んでくれるなら只であげてもいいと思った位だったので、今考えても仕方ない。
 ダメ元で、買い取ってくれないか聞いてみよう。

 翌日、店が開き出す頃に家を出て、古着屋を目指す。
 この街は道が入りくんでいるが、ここ暫くで何度も通ったメイン通りの位置関係は把握しているので、そこをベースに頭の中に地図を描く。
 幸い、アレクの貸本屋はメイン通りから脇道一本で分かりやすい。この道を覚えておけば、この先街で迷ってもメイン通りにさえ戻れば家に帰れる安心感がある。
 古着屋は東西に伸びるメイン通りの東端の方、脇道に入って数軒目だった筈。この辺りか、と脇道をいくつか覗き込みながら歩くと3回目に覗いた道に記憶通りの古着屋があった。

「こんにちは」
 店の入口から一歩入り、中に向かって声をかけると、まだ奥で開店準備だったらしい店主の女性が出てきた。栗色の髪を結い背筋が伸びて快活な印象の、30代半ば位の女性だ。
「あら、先日の方ですね。こんにちは」
 流石客商売。何日も前の客の一人なのに覚えていてくれた。アジア系で珍しいから覚えやすかったとしても、逆に見慣れない顔だから見分けがつきにくいだろう。
 単に、アジア系の顔ならきっとあの人と、ざっくり認識されているのかもしれないが、いずれにせよ、覚えていて下さったなら話が早くて助かる。
「実は、買い取って頂けるか見て頂きたいものがあるのですが」
「はいはい」
 店主は、長年慣れた仕事と感じさせる流れるような動きでカウンターに入り、持ってきたものを広げるよう促す。
 風呂敷からブラ2つと一応持ってきた長袖Tシャツ1枚を出す。ブラは1つは自分用に残しておきたい気もしたのたが、渋ってる場合じゃないと全部出すことにした。
 彼女はブラを見るなり目を輝かせた。
「これ!まだあったの!」

 店主が形、布地、縫い目、伸縮性、汚れ、ほつれなどを一つ一つ確かめていく間、判決か入試合格発表を待つような気分でカウンター前の椅子に縮こまっていた。
 Tシャツはぼろ布のような扱いでしか買い取れないと言われ、売るのを諦めた。心置きなく自分用のインナーにしよう。売れるかもしれないのに手元に置くのは抵抗があったが、売れないなら仕方ないと思い切りがついてスッキリした。
 きちんと査定して、基準の説明までしてくれたので、良心的だとむしろこの店主への信頼度が増した。

「こちらの下着は、一つ40ペナでいかがでしょう」
 40ペナ。
 先日ここで買った服は60ペナで、ブラを1つ渡して半額にしてもらった。つまり30ペナで買って貰ったことになる。
 断られるか、少なくとも1つ目より安くなると思っていたので、驚いて目を見開く。
「…いかがですか?」
 黙り込んでいる私が、値段に不満があるように見えたのかもしれない。店主は気遣うように首を傾け、私の目を見て訊く。
 査定側は適正に価格査定すべきであり、査定に自信がないように見せるのは相手にも不誠実だ。それゆえ毅然としつつ、しかし相手の主張を聞き交渉のテーブルにつく用意がある、柔らかな姿勢も示すこのバランス感覚が絶妙だ。プロだ。
「いえ、それでお願いします」
 反射的に答えてしまった。価格交渉をと考えていたけれど、所詮中古の下着なのに罪悪感があって値をつり上げる勇気が出なかった。
 変態向けなら億までつり上げた挙げ句売らないと言ってやってもいいが、正規の用途なので。
 そして、素朴な疑問が浮かんだ。

「買って頂いた側が言うことではないのですが、これはどういう用途に使われるのでしょう?先日研究のためということで1つ買って頂きましたが、同じように研究で?」
 そして何故買取価格が上がったのだろう。
「あぁ」
 無事交渉が成立したためか、彼女は満足そうな笑顔を浮かべ、機嫌よくやや饒舌になって話した。

「先日買い取りました1つ目を調べました。
その結果、この小さなコルセットは、ほしい人は沢山いるのではと思いました。
偉い医師や男性達は、女性は弱くて内蔵を支えきれないから健康のためコルセットは重要だ、
きちんとコルセットをつけて綺麗な姿勢を保たない女は自制心を欠きふしだらだ、と言いますが、実際に着る側としては疑問に感じている女性はいるかと思います」

 そう、コルセットは現代ではウエストを細くするきつい締め付けーータイト・レイシングの話ばかり流布してしまっているが、当時の医学的社会的理由によって女性に要請されていたことが本質だ。
 腰を屈める家事が多くその大半が女性に課されていた時代、コルセットは背筋や腰に無理をかけなくても綺麗で負担の少ない真っ直ぐな姿勢を維持でき、腰を守る役割もあっただろう。
 コスプレイヤーの友人が、腰痛の時に医療用コルセットがなくてコスプレ用のコルセットで代用したら大分楽になったと言っていた。ちなみに、着物の帯も同様に背骨と腰を固定し支えてくれるので楽だとも言っていた。
 コスプレイヤー調べ凄いな。いや、それを根拠に医療用に転用すべしと言うのは危険なので、推奨の意図は全くないが。
 しかし、どちらも動きが制限される等大変不便な面がある。どちらも、女性の社会進出と時期が重なるように廃れて行った。
 更に、アレクも言っていたが女性服は紳士服より寒くてコルセットは保温としても重要だった。働く女性のため紳士服メーカーが女性服を作るようになって保温性がよくなったが、その前はコルセットの下に新聞紙仕込んで防寒するなど苦労したとか。

「この小さいコルセットは胴を締め付けず胸を支えられる画期的衣類ですよね。立体的な構造が特徴的です。型紙や縫い方の工夫だけでなく織りや金属の棒でこの曲線を作っています。
似たものが作れないか、出入りのお針子と相談しまして、織りや金属まで真似ることは私達の資本や技術では無理ですが、型紙の工夫である程度似たものが作れる可能性が出てきました。
そのためには実物をほどいたり切り込みを入れて原型の型紙を作ることが必須です。
型紙用と、完成サンプルと、予備があると進めやすくなります」

 つまり初めは海のものとも山のものともしれない分、思いきった買値を付けられなかったが、調べた結果、価値を生む可能性が上がったのでより高く買い取ることにしたと。
 買い叩くこともできたのに良心的だ。いや、将来類似品を売り出したら私にバレるし、トラブルの火種を残すより、ウィンウィンの適正誠実な商売をした方が長い目で見て賢い商売人だろう。
 すごい。研究とビジネスへの情熱と行動力が半端ない。私はこういう人を尊敬するし、見ていて清々しくて気持ちいい。

「凄いですね。完成するのを楽しみにしています。あ、私今度この街に住むことになりました。駅の方の貸本屋で働きますので、よろしくお願いします。
実は私、先日こちらで買ったこの服しか持っていないんです。今日また買わせて頂きたいのですが」
今自分が着ている服を指して言う。そう、外では一着の服をずっと着ている。こちらでは珍しくないし、下に着ているTシャツは替えているけど。

 彼女は店内を嬉々として飛び回りお薦めを持ってきてくれた。
 先日買ったドレスは庶民も普段着で着るものの、おしゃれ着位の位置付けだそうなので、もう少し安い普段着と下着を買うことにした。
 シュミーズは現代のような肩紐で体にフィットした胴着を下げたキャミソール的なものではなく、シフトドレスとも言いい綿やリネン製で膝丈のゆったりしたワンピース状の下着で、これを複数枚持って洗い替えにしてその上の洋服の清潔さを保つ。
 私は1枚だけ買ってあとは今まで通り長袖Tシャツを使おう。
 そして脇の汗取りパッド。現代にも通じていて、ナカーマ!と叫びたくなった。
 シュミーズだけで汗が取りきれずドレスをダメにしないようにこの時代にもあるのだ。
店になくて店主が自分のストックを譲ってくれた。

 ドロワーズ(下の肌着)はどうせ外から見えないから持参のショーツでいいやと今回見送り。靴下も同様。この店には靴はなかった。

 上衣はこの2種類のタイプを持っておけ、スカートは今の流行はこう、等々親身に教えてくれた。
 そして更に交渉の結果、130ペナ分の服を、90ペナで売ってくれることになった。包んできた風呂敷もプリントと布地と縫製がいいので10ペナで買ってくれるそうで、つまりブラと風呂敷を売る代金と相殺で買えることになったのだ。
 店としては、通貨で90ペナ出ていくのは痛いが、売れ筋から外れて死蔵ぎみの辺りの商品を現物支給で代金に充てられるのは得なのだと言う。

 ……死蔵ぎみと買い手に言っていいのか。いや、私は着られればいいので構わないが。気を遣わせないようそう言ってくれたのかもしれない。
 お互いいい商売ができた、と満面の笑みで言う彼女に思わず釣られて笑った。
「ハナは異国からこの街に来たばかりなら、分からないことも多いでしょう。訊きたいことや話したいことがあったら来なさい。お金のことには役に立てないけれどね」
 わざと冗談めかして言う彼女は頼もしかった。名前はリサというそうだ。

 この売買交渉で私が得た最大ものは、リサと縁かもしれない。
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