異世界でワーホリ~旅行ガイドブックを作りたい~

小西あまね

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1章

18 相談

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 アレクはやっと自分の分のお茶を飲んだ。朝から火事現場を歩き、走って喉が乾いていたことにやっと気付いたかのようだ。
 火事現場で会った研究所職員には火事やジョンの消息で新しいことが分かったらこの貸本屋に連絡するよう頼んであるそうで、連絡が来たら店番の少年が呼んでくれるそうだ。

「まず仕事ですがーーハナは職種の希望はありますか?」
「選り好みできないかとは思いますがーー可能なら前の世界でもやっていた書類仕事です」
 肉体労働が多い時代、高望みかとは思うが希望だけは言ってみる。

「なら職業訓練ということで、初めはうちの貸本屋の仕事をして頂くのはどうでしょう。長く勤める必要はありません」
 貸本屋。前に概要は聞いたけれど、自分の仕事としてはイメージしてなかった。
「どんな仕事でしょう?」
「直接的なものでは店番して客の希望の本を貸し出す仕事があります。これは会話や字を覚える訓練になるかと思います」
 私の英語能力はネイティブ並みには程遠く、今も聞き返したりしながら会話している。更に英語とこちらの言葉は少し違いがある。発音も綴りも。それを身につけるには訓練あるのみだ。
「言葉が拙いですが、店にとってマイナスになりませんか」
「新入りはそんなものです。俺も弟子入りしたばかりの頃は先代に手助けして貰って仕事はやりながら覚えました」
 すべての新人教育はそういうものか。できるだけ早く成長できるよう頑張ろう。

「あと、うちの新聞や本で貸出ししていないものは好きに読んで貰っていいので、字やこちらの世界のことを勉強するのに便利かと」
 それは確かに心強い。
「それから帳簿の整理や経理、仕入れと在庫の管理、取引先とのやり取り、経営方針の考え方とか…自営業をする上での基本的な内容が網羅された仕事があります。
俺は先代から何年もかけて全体を学びましたが、一部でも身に付けておくと就職に有利かと思います」
「ぜひお願いします。前にやっていた仕事は、恐らくそれに近いです。とは言え私は経営の意思決定に関われるような役職ではなくもっと末端でしたが。違う所は沢山あるでしょうが、基礎的なことは重なっていると思います」
 慣れた仕事に近い方が、仕事を覚えて自立する早道になるだろう。
 アレクは目を見開いた。
「そこまで既に経験あるんですか。ならうちでは勿体無いかも…」
 過大に伝わってしまったようで慌てて否定する。
「とんでもない。何より私はこちらのことも何も知りません。まずこの店で使って貰えるなら本当にありがたいです」
 レベル1で魔王決戦はしたくない。いのちだいじに。

「元々一人で済む仕事なのに、私の分仕事を割いてくれるんですよね?」
 申し訳なく思い尋ねる。労働単価1人分の仕事を2人で分けるようなものだ。店にとってかなりのボランティアだ。
「いえ、先代と俺の2人でやってた時代も長いんです。一人になってから縮小していた分野に手を出すいい機会かもしれません」
 気遣いが身に沁みる。
 早めに巣立って他所で稼いで借りを返そう。

「住居ですが…工場勤めや使用人なら住み込みがありますが、ハナの場合アパートでいかがでしょう。俺が賃料を持ちますから」
 説明を聞くと、住み込みでない場合、庶民はアパート(長屋)住まいが多いらしい。ワンルームでキッチンや水回りやリビングは共同。 ユースホステルでそんな宿に泊まったことあるな、と思い出す。
 専用のリビングと水回りが付く物件もあるようだが、家賃もそれなりだ。
 アパートの賃料を聞いたものの数字だけでは物価の感覚分からなかったので、一般庶民の賃金を聞いて比べたところ、賃料は相当高いことが分かった。
 この時代の欧州の肉体労働者の報酬の殆どは食費とアパート代で消えたと本で読んだっけ。

 貸本屋の正確な収支は生々しすぎて聞くのを遠慮したが、これまでのやりとりや店から推測するに、庶民としては余裕があるものの裕福な訳ではないと思う。私が無駄飯食いの間、相当な負担だ。
 探りを入れてみたら、眼を泳がせ、言葉を濁した感じから相当無理をするつもりらしいことが察せられた。
 多分彼は本気で何としても負担してくれるだろう。しかしーー私も可能な限り無理させたくないのだ。未成年なら兎も角私は成人だし。
 息を吐く。頼みの綱の財布である研究所がすぐ滞在費の請求に応じてくれればいいが、それを期待して散財するのは楽観的過ぎる。
 悩んで上を見上げると天井が目に入り、ついでに部屋の中をぐるりと見渡す。

「あのですね……店の作業室とか、空けられる部屋があったら間借りさせて貰うことはできませんか?」
「はぁ?」
 アレクは間の抜けた声を上げた。いや、変なことを言ってる自覚はあるけど、イケメンが崩れるほど口開けて驚かなくても。しかし崩れてもイケメンだった。羨ましい。
「安全で、健康とある程度プライベートを確保して住めるならどこでも」
「いやちょっとそれは…」
 アレクはテーブルに肘をついて頭を抱えた。
 いや、私もサバイバル生活をする気はないので、マットレスとかは出世払いで買う気だ。自立は体が資本なので健康を保てる設備は必要だ。

 アレクは顔を上げて言った。
「それ位なら先代が使っていた部屋をお貸しします。丁度この真上です」
 指を差した先をつられて見たが、当然天井しか見えなかった。しかし配置的にその部屋も日当たりが良さそうだ。
「実は俺もまずそこをお貸しすることを考えました。でもこの家は俺だけ住んでる男所帯なので。勿論妙な真似は決してしませんが、女性が住むのは嫌ではないかと」
 ここは店舗兼住宅でアレクも弟子時代は住み込みで先代と住んでいた。先代も女性だが半世紀年上の方とは少々違うので、とアレクは言いにくそうに言った。

 確かに行間で言いたいことは分かる。分かるが…とにかく金がない。無い袖は振れないのだ。
「アレクの都合としてはまずいですか?お付き合いしている方と住む予定があるとか、醜聞になってご迷惑とか?」
「いえ、そういう相手はいません。俺はいいのですがハナが気にするかと」
「私への気遣いでしたら、一文無しなのでお借りできればありがたいです。
それに、アパート住まいと先代の部屋をお借りするのと、何がどの位違うでしょう?先代の部屋に鍵があればーーなければ付ければ、キッチン水回りは共同だし余り変わりありません。あくまでシェアハウスと考えて頂ければ」
 アレクは考え込んだ後、頷いた。
「……すみません。俺に無理させないようにここに住むことを提案してくれてるんですよね。実際、俺もそれがベストかと思います。先代の部屋をお貸しします」

 よかった。
 正直、万一アレクが、危機感がないとか無神経とか寝言言う男なら私は蹴りを入れて見限ったろう。
 野宿か性搾取の究極の二択を女性に強いるのでなく、第三の選択肢、安全や尊厳を確保して泊まるという人間として当たりまえの前提の世界観を持てる人だ。

「そして、神と先代に誓って決して妙な真似はしませんので、ご安心下さい」
 アレクは片手を胸に当て片手を顔の横辺りに掲げて言った。そういう文化があるのだろうか。
「私も決して妙な真似はしないのでご安心下さい」
「何でハナが言うんですか」
「いや、重要ですよ?男女どちらが加害者でも、同意がなかったり立場を笠に着た関係の強要は犯罪です」
 わざと真面目たらしく言い、私はすっかり温くなったお茶を啜った。『空気読まない力』を全力で発揮して。言い辛いことだけど大事なことなので。でも、こういう精神削る会話はお互いこれで最後にしたい。しんどい。

 頭を一つ振り、今日これからすることをアレクと話し始めた。
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