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09 過去(2/2)【ヴェルディーン視点】

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 しかし、二人が19歳の時、王妃は亡くなった。病死だった。二人は精神的支柱を失い悲しんだ。
 彼らの父である王もまた支柱をなくし、従来のように既得権層の側近に同調し流されるようになっていった。
 時代は逆行し、王妃が進めた改革がいくつも形骸化された。

 そんな中、魔物が現れた。
 そして王とその周囲の現王派は布告を強行した。魔物を討伐した勇者に王女を与えると。

 ネルフィアとヴェルディーンは猛然と抗議した。しかし派閥で閉ざされた権力の箱庭は彼らに門を開かず、礼儀正しく無視した。
 保守的な現王派にとっては、王妃が存命の頃から次期王はヴェルディーン一択であり女王など天地がひっくり返ってもありえないものだった。
 そしてヴェルディーンには現王派の宰相の娘を娶らせ、周囲を現王派閥で固めて傀儡にするのが規定路線。
 頑張って女に教育などしてもこうして無駄になるのに、現実が見えてない王妃と王女だ、と嗤った。

 ヴェルディーンは、子供の頃の自分が肥大化した怪物を見る気がして愕然とした。この怪物に、国と人の尊厳を渡してはならない。
 妹と抱き合って泣いた、あの日の決意はずっと心に抱いている。

 二人は共によく競い合い実力は拮抗していて、王に不足はない。目指すものもよく似ていた。
 いずれどちらかが王になるとしても、それは実力や政策方針で妥当と共に認める方が王に立ち、一方はそれを支えるという未来を二人で共有していた。
 --王であれ補助者であれ、この国の中枢にネルフィアは必須だ。その高い力量のみならず象徴として。女性の教育は成果を出し、王位や中枢にすらつけるのだと。
 ネルフィアを報奨品に貶め排除すれば、女性に教育を施すことも高みを目指すことも無駄でしかない、という現王派の主張の象徴となり、国民に知らしめることになる。
 この国で母が前進させたものは無に帰し、女性の、国民の半分の人権は数十年逆行するだろう。
 --無駄にしてなるものか。

 絶望的な状況でも、ネルフィアも全く諦めていなかった。
 布告の有効性を法的に戦う準備や有力者への根回し。勿論、報奨の姫などなしで魔物を討伐し国を救う代替策の呈示も。ヴェルディーンもまた奔走した。


 --そんな中、魔物が倒されたと報告が入った。その勇者は、女性騎士だという。

 --神の意思か、と思った。
 ヴェルディーンは神を信じていなかったが、雷に打たれたような衝撃を受けた。
 思いもかけない所から、全てを打開する救いの手が差し伸べられた気がした。
 同じ部屋で一緒に打ち合わせをしていたネルフィアを見た。
 彼女もヴェルディーンと同じ結論に至ったのだ。お互いそれがわかる。それだけのものを共に積み重ねてきた。
 ネルフィアは、痛みに揺れる目でヴェルディーンを見た。
 彼女が口にするのを躊躇う言葉を先に言う。
「私が、その勇者と結婚して王族を出る」


◇◆◇◆◇◆

 ヴェルディーンは騎士団の建物の一室を訪ねた。結婚相手の勇者を見舞うためだ。

 この国では傷病は家で療養するもので、医師に診せる場合は往診になる。貧困層向けの病院もできつつあるが不十分だ。
 救国の勇者クレシュは騎士団寮住まいの平民で、大量に瘴気を浴びて重体の身を治療するには寮の自室では困難だった。
 このため騎士団の仮眠室の一つが宛がわれた。騎士団の医務室はあるが、入院設備はないからだ。
 王子の婚約者となったことで彼女が命を狙われてはいけない。ヴェルディーンの指示で24時間体制の警護が敷かれていた。
 魔物討伐から1ヶ月、クレシュは目を覚まさない。それから何度も見舞いに来ている。

 初めて面会した時は、クレシュは喘鳴混じりの荒い息が今にも止まりそうだった。顔の大半は包帯に覆われ、そこから覗く肌は紫色に腫れていた。
 その姿はあまりに衝撃的だった。
 魔物を倒し、更に王宮に巣食う怪物も薙ぎ払わんとする勇者が、今、正に命の縁で戦っている。
「……生きてくれ」
 あちらの世界に行きかけた勇者を引き戻そうとするように、その手を握った。
 
 --それから1ヶ月が経ち、今は大分落ち着いて見える。
 顔も左眉の上と左頬に大きな絆創膏があるだけになり、腫れも引いた。
 けれど頬が削げ落ち唇が渇き、顔色も悪い。意識が戻らず食物をとれないからだ。
 蜂蜜水を飲ませているが限界が近いという。むしろこれで1ヶ月ももったのはクレシュの強靭な体力故だ。早く意識が戻らないと危うい。

 王宮では、このまま死んでくれるのが一番いい、という声も聞かれる。勇者不在で布告は無効、或いは魔物討伐の次点の功労者にネルフィアを娶らせる。
 この場合「次点」は恣意的に選ばれ、現王派閥の誰かになるだろう。クレシュのいる騎士団の派遣を決断した官僚とか何とか、屁理屈は無数に作れる。
 魔物を討伐してくれる者を渇望したのに、討伐が済めばこの掌返し。ヴェルディーンは深い憤りに震えた。
 --目を覚ましてくれ。魔物を倒した貴女だ。死神をやっつけて帰ってきてくれ。一緒に怪物退治をしよう。私の勇者。
 
 ふと、クレシュの瞼が震えた。更に二度、三度。
 ヴェルディーンが食い入るように見つめるうちに、クレシュは細く目を開けて彼を見た。ぼうっとしたまま視線を辺りへ走らせる。状況が分からないようだ。
 ヴェルディーンは胸が詰まって言葉が出なかった。しかしなんとか、ここは騎士団の建物で安全であること、クレシュは魔物討伐に成功し手当てを受けていることを説明した。
 そして、できるだけ親しみやすい微笑みを作って言った。

「クレシュ殿。国を救ってくださりありがとうございます。私の名はヴェルディーン=デア=ウェルツ。ウェルツ現国王の息子です。貴方の夫となることができて光栄です」
 クレシュは驚愕したように目を見開くと、また気を失ってしまった。
 慌てて医師を呼ぶと、「患者を刺激するようなことは止めて下さい」と言われて部屋を追い出された。


◇◆◇◆◇◆

 クレシュは騎士らしく力強く威風堂々とした人で口数が少なかった。そして、清廉で誠実で人がよく、やや不器用な人柄にみえた。
 結婚して当初はあまり屋敷にいなかった。新しい役職に就いて忙しいと言っていたが、嫌われ避けられていても当然なので言及はしなかった。
 形だけの結婚で独身と実質変わらずに過ごしていいと自分が言ったのだ。
 むしろ、自分の家に帰り辛くなるなら独身時代より息苦しくさせてしまったかもしれない。申し訳なく思った。

 この結婚は王宮の事情を無理矢理押し付けたに過ぎない。
 クレシュにとっては有害無益だ。王族を得ることは光栄な筈という世間の声はさておき、王子を、ヴェルディーンを得ることに全く価値を見出ださないクレシュにとっては。
 魔物討伐という偉業をなしたせいで罰ゲームを強いられるとはあまりに悲劇だ。
 せめてもの贖罪に、できるだけクレシュが快適に過ごせるように、私達に歪められた人生が少しでもましになるようにと心掛けた。
 次期国王候補の一人としての私の道は終わった。その道はネルフィアが引き継いでくれる。
 私のこれからは、私が選んだ茶番に付き合わせて人生を狂わせてしまったクレシュへの贖罪に費やそう。嫌われているのは分かっているけれど。

 だから、クレシュの顔の傷が時々痛むことを知り、痛みが和らぎ傷を体の中からゆるやかに治す温湿布を医師に習って施術した。
 断るかなと思ったが、意外に素直に横になり目を閉じて任せてくれた。
 間近で顔を見下ろすと、死の床にいた頃と全く違い血行がよく生命力に溢れている。あぁ、生きてるんだなとしみじみした。
 自分が黒髪直毛だから、波打つ銀髪は不思議な魅力があるように感じる。睫毛まで銀色だ、と覗き込んだところで彼女が身動きした。慌てて
「クレシュの髪は綺麗だね」
と口にする。すると
「ヴェルディーンの髪の方がずっと綺麗だろう」
と突然爆弾を落とした。

 彼女には嫌われていると思っていた。少なくとも、こうして好意的な言葉を貰えるとは思わなかった。
 異性としての意図や世辞でなく、素で思ったことをただ言っただけという響きだった。
 この人に、少しでも好意的に見られていることが、自分でも戸惑う程嬉しかった。
 話してみると、クレシュはとてもユニークな人だった。
 同僚と散髪しあうと相手の髪型が酷いことになってしまいそうで怖い、というくだりでは思わず吹き出した。魔物の巣穴に飛び込む程勇敢な勇者が、そんなことが怖いのだ。
 彼女をもっと知りたいと思った。勇者だとか贖罪の対象であるだけでなく、一人の人間としてやっと彼女と向き合ったのかもしれない。


 その後も一緒に過ごすうち、彼女の誠実で真っ直ぐな人柄や思いやり深さにどんどん惹かれていった。
 報酬や名誉でなく、ただそうすべきだから命がけで魔物を倒した崇高な魂を尊敬した。過酷な環境の中で自分を鍛え道を拓いてきたその人生も。
 不器用な微笑ましさがあるかと思えば、突然直球が飛んできて心を射抜かれてしまう。
 そう、一人の女性として慕わしく思うようになってしまった。形だけの夫婦ということで受け入れて貰ったのに。
 夜会の衣装に合わせるピアスを贈る時、自分の目の藍色と彼女の銀髪をイメージした。そうしたら、同じ色彩のクラバットピンを彼女が贈ってくれて舞い上がった。
 勿論、彼女はその意図はなかったけれど、それでも何となく嬉しくなるのは当然だ。

 結婚した時には、こんな未来があるなんて思わなかった。
 勇者はいくつ奇跡をおこす気だろう。
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