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いじめっこの末路
虐められっ子の勇気
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トンネルに個人情報をラッカーで書かれて以来、陰湿な虐めが始まった
I子とT子に便乗して、集団によるものだった
T子の家は、地元でも有名なヤクザの家だったので、同級生からも恐れられていた
「T子に逆らうと、怖い人が来る」
なんて噂もあった
だから、T子に逆らうなんて子はいなかった
T子の話の中で、わからない事があって
「それってどういう意味?」
と聞いてみたら、一緒に話をしていたG子ちゃんが
「えっとね~」
と説明し出してくれたのに、T子が
「みほこ、そんなことも知らねーの?」
と言うと、G子ちゃんも一緒になって
「知らないの~?」
と説明するのをやめたこともあったほど
まず始まったのは、プリクラだった
当時、プリクラが流行っていて、中には合成機能付きのプリクラの機械があった
好きな芸能人の切り抜きを機械に入れると、ツーショットでプリクラになるという物だった
そのプリクラで、私の小学生時代の水着の写真を入れプリクラを撮影し
「テレクラやってます!お小遣いくれる人連絡してね。みほこ」
などと書かれ、公衆電話に貼られたりした
※テレクラとは、テレフォンクラブの略で、男性専用ダイヤルと女性専用ダイヤルがあって、そこに電話をかけると近所の人とマッチングさせてくれるのだ
電話でやり取りをして、お互いの顔や姿がわからないので待ち合わせ前にどんな服装をして待っているのか相手に伝えなければいけない
実際、学校帰りに知らないおじさんに声をかけられた事もあった
「みほこちゃんだよね?下着売ってくれるんでしょ?」
などと言われ、怖くて走って逃げた
また違う人には前から声をかけられて、その人のほうを見たら着ていたコートを脱ぎ、中は裸という公然わいせつにあたるようなこともあった
プリクラ1枚と馬鹿にはできない
当時はマッチングアプリなんてなかったし、出会い系として使われていたのは一般的に”テレクラ”だった
なかにはテレクラで知り合った初対面の人に、ごはんをご馳走してもらってる子もいた
知らない人とごはん食べて、何が楽しいんだろう?と私は一切テレクラには興味がなかった
T子たちに
「今日テレクラで遊ばない?誰かに奢ってもらおうよ」
と誘われても、断固拒否した
実際、T子たちはテレクラでよく男の人を呼び出していた
決別する前、一緒に遊んでいた頃
「ちょっと電話してくるから、みほこ待ってて」
と言われ、駐車場で待っていた
「紫のジャージの人が来たら教えて」
とI子が言ったので、駐車場で紫ジャージの人を探す
「あの人じゃない?来たよ、I子のお兄さん?」
と言うと
「私にお兄ちゃんはいないよ~。さっきテレクラで呼び出した男だよ!あ~はずれだなぁ。無視しよ」
と言ってジャージのお兄さんを待たせて遠目で見てあざ笑うという事をしていたのを見た
T子やI子は中学生というのを隠して、電話していたようだった
小学生時代の虐めがかわいく思えるほど、中学生の虐めは卑劣だった
テレクラにプリクラを貼られ、知らないおじさんに声をかけられる日々…
学校では、先輩も呼んで竹刀で殴られる
制服をハサミで切られて捨てられる
私の同級生は3人ぐらい不登校の子がいたが、私は虐められても毎日学校だけは休まなかった
学校を休んで、母と一緒にいるぐらいなら学校での虐めに耐え抜いていたほうがマシだと思ったから
虐めは数か月続いた・・・が、ある時を境に虐めはなくなった
私のプリクラを見た学年主任が、生徒を体育館に集め、緊急集会を行った
「これは立派な犯罪だ!」
集められた生徒たちに、そう伝えたのだ
緊急集会が行われる前に、私は学年主任に呼ばれていた
プリクラを見せられて
「自分でやったのか?それとも誰かにやられたのか?」
と聞かれ、I子とT子の名前は出さなかったものの
「自分でやってません…やられました…下校中に変な人にも話しかけられました…」
と、話した
その日の昼休みに緊急集会は行われた
「これは立派な犯罪だから、やった人は名乗り出なさい。名乗り出なかったら警察にも相談するから。肝に銘じるように」
主任がそういうと、男子たちが
「女子の虐めってバカらしいよな~。虐めてて何が楽しいんだ?虐めるやつって醜い!」
と言い出した
結局、この後どうなったのかわからない
が、この日を境に虐めはなくなった
後から聞いた話によれば、I子が当時好きだった男の子が
「虐めをやってるやつ、大嫌い」
と言って、I子は主任に正直に話したそうだ
プリクラにもI子やT子は好きな男の子の名前を書いていたので、よっぽど好きだったのだろう
好きな男の前では女になる、という結末で虐めがなくなった
中学を卒業してから1度も会わなかったT子とI子だが、成人式の時に周りから嫌がられていて、結局2人は成人式後の同窓会には来なかった
いじめっ子の末路は悲惨だなと思いました
そして、勇気を出して学年主任に言えた事で母や担任から言われていた
「いじめられる方が悪い!」
というのは間違っているということに気づけました
それは子供を持つ親になっても気持ちは変わりません
「いじめられる側が悪いのではない、いじめる方が悪いのだ」
I子とT子に便乗して、集団によるものだった
T子の家は、地元でも有名なヤクザの家だったので、同級生からも恐れられていた
「T子に逆らうと、怖い人が来る」
なんて噂もあった
だから、T子に逆らうなんて子はいなかった
T子の話の中で、わからない事があって
「それってどういう意味?」
と聞いてみたら、一緒に話をしていたG子ちゃんが
「えっとね~」
と説明し出してくれたのに、T子が
「みほこ、そんなことも知らねーの?」
と言うと、G子ちゃんも一緒になって
「知らないの~?」
と説明するのをやめたこともあったほど
まず始まったのは、プリクラだった
当時、プリクラが流行っていて、中には合成機能付きのプリクラの機械があった
好きな芸能人の切り抜きを機械に入れると、ツーショットでプリクラになるという物だった
そのプリクラで、私の小学生時代の水着の写真を入れプリクラを撮影し
「テレクラやってます!お小遣いくれる人連絡してね。みほこ」
などと書かれ、公衆電話に貼られたりした
※テレクラとは、テレフォンクラブの略で、男性専用ダイヤルと女性専用ダイヤルがあって、そこに電話をかけると近所の人とマッチングさせてくれるのだ
電話でやり取りをして、お互いの顔や姿がわからないので待ち合わせ前にどんな服装をして待っているのか相手に伝えなければいけない
実際、学校帰りに知らないおじさんに声をかけられた事もあった
「みほこちゃんだよね?下着売ってくれるんでしょ?」
などと言われ、怖くて走って逃げた
また違う人には前から声をかけられて、その人のほうを見たら着ていたコートを脱ぎ、中は裸という公然わいせつにあたるようなこともあった
プリクラ1枚と馬鹿にはできない
当時はマッチングアプリなんてなかったし、出会い系として使われていたのは一般的に”テレクラ”だった
なかにはテレクラで知り合った初対面の人に、ごはんをご馳走してもらってる子もいた
知らない人とごはん食べて、何が楽しいんだろう?と私は一切テレクラには興味がなかった
T子たちに
「今日テレクラで遊ばない?誰かに奢ってもらおうよ」
と誘われても、断固拒否した
実際、T子たちはテレクラでよく男の人を呼び出していた
決別する前、一緒に遊んでいた頃
「ちょっと電話してくるから、みほこ待ってて」
と言われ、駐車場で待っていた
「紫のジャージの人が来たら教えて」
とI子が言ったので、駐車場で紫ジャージの人を探す
「あの人じゃない?来たよ、I子のお兄さん?」
と言うと
「私にお兄ちゃんはいないよ~。さっきテレクラで呼び出した男だよ!あ~はずれだなぁ。無視しよ」
と言ってジャージのお兄さんを待たせて遠目で見てあざ笑うという事をしていたのを見た
T子やI子は中学生というのを隠して、電話していたようだった
小学生時代の虐めがかわいく思えるほど、中学生の虐めは卑劣だった
テレクラにプリクラを貼られ、知らないおじさんに声をかけられる日々…
学校では、先輩も呼んで竹刀で殴られる
制服をハサミで切られて捨てられる
私の同級生は3人ぐらい不登校の子がいたが、私は虐められても毎日学校だけは休まなかった
学校を休んで、母と一緒にいるぐらいなら学校での虐めに耐え抜いていたほうがマシだと思ったから
虐めは数か月続いた・・・が、ある時を境に虐めはなくなった
私のプリクラを見た学年主任が、生徒を体育館に集め、緊急集会を行った
「これは立派な犯罪だ!」
集められた生徒たちに、そう伝えたのだ
緊急集会が行われる前に、私は学年主任に呼ばれていた
プリクラを見せられて
「自分でやったのか?それとも誰かにやられたのか?」
と聞かれ、I子とT子の名前は出さなかったものの
「自分でやってません…やられました…下校中に変な人にも話しかけられました…」
と、話した
その日の昼休みに緊急集会は行われた
「これは立派な犯罪だから、やった人は名乗り出なさい。名乗り出なかったら警察にも相談するから。肝に銘じるように」
主任がそういうと、男子たちが
「女子の虐めってバカらしいよな~。虐めてて何が楽しいんだ?虐めるやつって醜い!」
と言い出した
結局、この後どうなったのかわからない
が、この日を境に虐めはなくなった
後から聞いた話によれば、I子が当時好きだった男の子が
「虐めをやってるやつ、大嫌い」
と言って、I子は主任に正直に話したそうだ
プリクラにもI子やT子は好きな男の子の名前を書いていたので、よっぽど好きだったのだろう
好きな男の前では女になる、という結末で虐めがなくなった
中学を卒業してから1度も会わなかったT子とI子だが、成人式の時に周りから嫌がられていて、結局2人は成人式後の同窓会には来なかった
いじめっ子の末路は悲惨だなと思いました
そして、勇気を出して学年主任に言えた事で母や担任から言われていた
「いじめられる方が悪い!」
というのは間違っているということに気づけました
それは子供を持つ親になっても気持ちは変わりません
「いじめられる側が悪いのではない、いじめる方が悪いのだ」
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