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"ねこ"との暮らし

にゃー太の特技

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にゃー太は賢い猫だった

・トイレの時は自分でドアの前に行き、「にゃー」と鳴いてドアを開けるとトイレを草むらで済ませる

・外に出ても、夜、店を閉める時間になると必ず戻ってくる

・雨が降っていても必ずトイレの時は外で済ませる

・車で一緒にドライブをし、公園で放し飼いにするときは口笛を吹けば私たちのところへ戻ってくる

私の運動会の時に、車を停める場所が遠かった
学校から3キロぐらいの道を歩かなくてはいけない距離

父は店に、にゃー太だけを置いておくのは不安だからと車で連れてきた

今思うと、駐車場で、にゃー太を放し飼いにしたほうが危険だなと思うが、にゃー太は車が近づくと
自分で避け、車の来ないところへ移動することができた
学校帰りに何度も横断歩道を渡っているにゃー太を見かけたことがある

小学校最後の運動会
父、Aばあちゃん、Aじいちゃんの3人が来てくれた

母はAばあちゃんたちに誘われたのにも関わらず、来なかった・・・
実のお母さんに言われてもテコでも動かなくなっていた

相変わらず、朝から晩までお酒を飲み
学生時代の友人に電話をかけて愚痴を言いまくる

それがキッカケで母の友人たちは疎遠になった
自分で自分の首を絞めたのに、母は

「あんたを産んだせいで私は全然遊べなかった!」
「あんたがいるから、私は友達を失ったんだ!!!」

と、私のせいにした

私が友達の家に行くことも、家に呼ぶこともダメだと言われたのは、これが原因である

「私が友達いないのに、あんたばっかり!!!!!」
「私は遊べないのに、あんたばっかり!!!!!」

これが母の口癖だった

このころには、私はクラスメイトに虐められなくなっていたので学校が楽しくて仕方なかった
スイミングスクールにも他校の友達ができて、楽しく通えていたし
学校の水泳部の最後の大会では、まさかの生理になってしまい棄権をした
合唱部も最上学年になり、最後の大会で全国までいけた

6年になってEちゃんとは相変わらず仲良しだった
Eちゃんが仲良くしてたバスケ部のC子は、駄菓子屋でのことと仮入部の時のことを謝ってくれて和解した
母の事を誰も言わなくなっていた
そもそも学校行事に母が来なくなって何年も経っていたので、もしかしたら離婚したと思われていたかもしれない


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