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005

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 東京ドーム100個分に相当する広さの大森林、ラリーフォレスト。
 その中心部にひっそりとあるルシア率いるエルフ族の村から、クロトは単独で北に抜け、広大な草原に立っていた。

「新幹線よりも速いな。流石は100人のエルフを総動員した移動魔法だ」

 クロトの前をウサギが駆け抜ける。
 地面からはシマリスが顔を出しており、雑草の隙間よりクロトを眺める。
 それらを見て微笑ましい気持ちになった後、クロトは正面に目をやった。

「すげぇ数だな……」

 前方からやってくるのは1万の帝国軍。
 例外なく馬に騎乗しており、威風堂々としている。
 クロトのイメージ通り、鉄の鎧に身を包んだ者が大半だ。
 ただ、中にはローブを着ている者も目に付いた。

「ローブを着ているのが魔導師部隊だな」

 クロトは屈み、地面に置いていた物を拾う。
 ルシアより渡された、何も書かれていない白い旗である。
 この白旗が、対話の意志を示す為の物なのだ。

「おっ、ルシアさんの言っていた通りだな」

 クロトが白旗を掲げると、帝国軍の動きがピタリと止まった。
 先頭の指揮官が、手を横に広げて進軍停止の合図を出したのだ。
 それを確認すると、クロトはゆっくりと帝国軍に向けて歩き出した。

「やっべぇ、心臓がバクバクしてきたぞ……」

 クロトの脚が震える。
 無理もない。単騎で1万の軍勢に向けて進むのだから。
 エルフ族の防御魔法に守られているといっても、恐怖は拭えない。
 クロトには、防御魔法の効果がどれほどなのか分からないからだ。

「そこで止まれ」

 帝国軍の指揮官が言った。
 クロトと帝国軍は50メートル程しかない。

『俺より少し年上って感じだけど、そうは見えない威圧感があるな、こいつ……』

 クロトは敵の指揮官を見てそう思った。
 他と違って真紅の鎧に身を包むその男は、名をバーゼルと云う。鎧のみならず、髪から瞳の色まで燃える炎を彷彿とさせる色をしている。帝国軍屈指の勇将であり、クロトの抱いた威圧感は伊達ではない。

 クロトが足を止めると、バーゼルは騎乗したまま尋ねた。

「君は一体、何者だ?」
「俺の名はクロト。エルフ族の者だ」

 バーゼルが何かを言う前に、彼の背後に居る兵士達が怒声を上げた。

「貴様! 紅蓮のバーゼル様になんという態度だ!」
「紅蓮のバーゼル将軍は国家の英雄だぞ! 弁えろ!」
「分かっているのか! 貴様の話している相手は紅蓮のバーゼル様だぞ!」
「紅蓮のバーゼル様なんだぞ!」

 クロトの頭には「紅蓮のバーゼル」というワードしか残らなかった。
 だから、クロトはぼんやりと「紅蓮って二つ名がある人なんだぁ」などと思う。

「静まれ」

 バーゼルが右手を軽く挙げると、兵士達は静まった。
 場が静寂に包まれると、バーゼルはクロトに向けて言った。

「クロト、失礼だが君はエルフではないだろう。どこからどう見ても人間だし、それに君は男だ。男のエルフは存在しないのだから、君がエルフということはありえない。そうだろう?」

 クロトは苦笑いで、「えっと」と頭を掻く。
 彼は、自分の状況をどう説明すればいいのか悩んでいた。「僕、異世界人なんです」などと言って信じてもらえるのか分からなかったからだ。相手が日本人であれば、イカレた変人だと思われるに違いない。

『ここは日本じゃないし……まぁ、なるようになるか』

 悩んだ結果、クロトは正直に話した。

「エルフ族の表現を引用すると、俺は“異世界人”って奴なんだ。だから、あんた達帝国軍のことも、ましてやあんたが高名な紅蓮のバーゼルさんだと言われてもさっぱり分からない。俺の態度が極めて不遜なのも、そういうことだと思って今は隅においといてもらいたい」

 多くの兵士はざわついたものの、何かを言ったりはしない。
 バーゼルは数秒間の沈黙をした末に、「分かった」と答えた。
 そして、無表情のまま、クロトに質問を投げかける。

「エルフ族には人間の知らない魔法が多々存在するから、異世界から人間を呼び寄せることもありえるだろう。だが、エルフ族に召喚されたということであれば、君は我々の敵であろう。その旗を見るに対話を望んでいるようだが、何について話をしたいのだ?」

 クロトの全身を、バーゼルの鋭い眼光が貫く。

「俺はエルフ達の言い分しか知らない。エルフ達によると、あんた達帝国軍は、エルフを捕らえて強引に奴隷化しているという。聞いた限り、あんた達の行いはとてもではないが愉快なものとはいえず、俺にとっての人道に反している」

 バーゼルが「それで?」と続きを促す。

「だが、喧嘩ってのは双方に言い分があるものだろう。誰だって理由を訊かれたら相手の悪い部分ばかりを取り上げ、自分の非については言わなかったり、過小に表現したりするものだ。だから、あんた達に反論があるならば訊きたい。両者の言い分を考慮した上で、俺は自分が正しいと思った行動をとるつもりだ」

 バーゼルの返事は「なるほど」だった。
 彼は笑みを浮かべて、「たしかに君は異世界人だ」と言い放つ。
 クロトがぽかんとしていると、バーゼルは更に続けた。

「エルフの言い分は正しいものであり、一切の誇張も誤りもない」

 バーゼルが断言すると、兵士達がざわついた。

「バーゼル様、それは……」
「皇帝陛下に対する不敬でありますぞ」
「いかに紅蓮のバーゼル様といえども……」

 バーゼルはそれらに対して何も言わず、静かに右手を挙げる。
 それだけの所作で、兵士達は再び静まった。

「エルフの言い分が完全に正しいとしたら、あんた達のやっていることは非道だろう。あんた……バーゼルさんは、それでいいのか」

 バーゼルが声を上げて笑う。
 意味が分からず、クロトは眉をひそめた。

「私の個人的な見解で言えば、帝国のやっていることは、君の言う通り非道だ。とても人道的ではない。エルフを強引に捕まえて奴隷にしようだなんてことには反吐がでる」

 そこで一息ついてから、バーゼルは言った。

「それになにより、私は奴隷制度に反対している」

 クロトが「じゃあ、こんなことは」と即座に口を開くも、バーゼルが遮った。

「こんなことはやめろ、そう言いたいのだろう。しかしそれは無理な話だ。我々は軍人だからな。君の世界では知らないが、この世界における軍人は、上の命令に絶対服従なのだ。皇帝陛下の性癖からくるエルフ捕獲作戦は、正直言って馬鹿げている。馬鹿げてはいるが、それが命令ならば遂行せねばならない。それが軍人というものなのだから」

 クロトは、バーゼルのことを「おそらく良い奴だろう」と思った。
 しかし、それと同時に、「これは避けられそうにないな」と覚悟した。

「よく分かったよ、バーゼルさん」
「それはなによりだ。で、両者の言い分を聞いた君はどう動く?」

 バーゼルにはクロトの返事が分かっていた。
 だから、バーゼルの表情には笑みが浮かんでいる。
 クロトもそれを理解しており、ニヤリと笑った。

「答えは……決まっているだろう?」

 クロトは右手を掲げて言った。

「徹底抗戦だ」

 一瞬にして、数百体の兵卒君が召喚される。
 兵士達が驚く間も与えず、兵卒君は攻撃を開始した。
 バーゼルは馬から飛んで、その攻撃を回避する。
 他の兵士は回避しきれず、攻撃を受けて気絶した。

「な、なんだこの鉄の塊は!」
「魔導師だろうと一撃だと!?」
「下がれ! 下がるんだ!」
「ひぃぃぃぃ!」

 倒れた兵士をそのままに、帝国軍が大慌てで交代する。
 しかし、バーゼルだけは逃げることなく、むしろ前に進んだ。

「武技・神速斬り!」

 バーゼルは腰に差していた剣を抜き、目に見えぬ速さでクロトに斬りかかる。
 だが、剣はクロトの首に当たると、盛大にパキンと折れてしまった。
 そこへ直ちに反撃を開始する大量の兵卒君。
 しかし、バーゼルはその攻撃も巧みに回避する。

「ぬぅ、エルフによる防御魔法か」

 バーゼルは折れた剣を捨て、失神した兵士の馬を奪う。

「力の差は歴然だな、バーゼルさん」

 そう言いながらも、クロトの内心は全く違っていた。

『やべぇ。なんださっきの攻撃。なんも見えなかったぞ。あとエルフの防御魔法の半端ねぇな。剣を防いだぞ。てか俺、エルフの防御魔法なかったら即死してた感じ? いや、感じっていうか、確実に死んでた。あれだけ偉そうにして速攻で死んでた。力を発揮する前に死んでた。クソダサな展開になってたぞ。うはぁー、異世界舐めてた。やべぇ!』

 そう、クロトの心はかつてない程に冷え冷えだったのだ。

「まだ戦争は始まったばかりだ。いかにエルフの防御魔法が厚いといえど、何度も叩き込めば問題あるまい。見たところ、君は戦闘経験がまるでないようだ。先ほどの斬撃も、あえて当たったのではなく避けられなかったといった様子」

 バーゼルは完全に見抜いていた。
 だから、クロトの内心に「やべぇ」の嵐が巻き起こる。

『虚勢を張っても意味がないな、これ』

 そう悟ったクロトは、別の手段で行くことにした。

「たしかに戦争は始まったばかりだし、エルフの防御魔法にも限度があるだろう。だが、それでもやっぱり、ここは退くのが得策だと思うよ。なぜなら俺は、まだまだこいつらを召喚出来るのだから」

 クロトは兵卒君の数を数百から2万に増やした。
 一瞬にして空を埋め尽くす兵卒君の数に、兵士達が恐怖する。

「これで数もこちらが上だ。それでも戦うというなら受けて立つぜ」

 バーゼルは苦笑いで「たまげたな」と呟いた。

「おいおい、さっきのが限界じゃなかったのか。一体全体、君はどういう魔力をしているんだ。魔導師でさえも一撃で倒せる威力の化け物を容易くこれほど召喚するだなんて。これでは流石に分が悪い……というか、無理だな」

 エルフの技術は、多くが人間にとって謎に包まれている。
 その為、バーゼルをはじめとする帝国軍は、スキルのことを知らなかった。

「仕方ない、退却だ!」

 バーゼルが撤退命令を出す。
 兵士達が安堵の表情を浮かべ、帰っていく。
 バーゼルも、クロトに背を向けて進み出した。
 しかし、しばらくした所で、バーゼルは振り返った。
 戦いが終わったと安堵していたクロトは、突然のことにビクッとする。

「今回は撤退するが、帝国軍の攻撃は終わらない。皇帝陛下は一度決めたことは必ず成し遂げる方だ。今回の戦闘を機に、今後はより苛烈な攻撃を企てることになるだろう。そして、既に捕らえて奴隷にしているエルフから、お前という謎の存在について聞き出し、対策を練るはずだ。だからこの勝利に慢心することなく、むしろ警戒をより強めるのだな」

 これはバーゼルからの助言であった。
 エルフの捕獲作戦には反対だが、立場上逆らえない彼なりの協力だ。

「俺への対策か……」

 帝国軍が去った後、クロトはその場に寝転んだ。
 空に向かって「ふぅ」と息を吐き、兵卒君の召喚を終える。
 大の字になり、空を仰ぎながら、ぼんやりと考えるクロト。

『今回の戦闘で、こちらの攻撃能力が十二分であることはよく分かった。それに、エルフの防御魔法を念入りにかけられていれば、敵の不意打ちを受けても無傷でいられるということも』

 攻撃はスキルで、防御はエルフの魔法で。
 それにより、クロトは攻防共に比類無き最強である。
 だが、それでも、クロトは安心できなかった。

「俺の弱点が知られるのも時間の問題だし、どうにかしないとな……」

 そう、クロトには、決定的な弱点があるのだ。
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