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047 初めての缶詰販売
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家に着いた俺達を待っていたのは、喘ぎ声だ。
声の主は、当然ながら、リーネである。
悲しいことに、アンズは居なかった。
同様に、ゴブリンズも居ない。
俺はため息をつき、マッサージ機を停止させた。
それにより、恍惚としていたリーネの表情がハッとする。
「リーネ、アンズはどうした?」
「私が戻った時は居たのですが……」
「マッサージを始めてからは?」
「見ていませんでした」
大体の流れは想像できる。
響き渡る喘ぎ声から、逃げるように出ていったのだ。
ゴブリンズを連れていったのは、不健全だからだろう。
俺がネネイを避難させるのと、まるで同じ理由だ。
やれやれ、リーネの喘ぎ声には困ったものである。
「まぁ、すぐに戻るだろう」
そろそろ夕食の時間だ。
家を出ていても、戻ってくる。
むしろ、戻ってこないと心配になるぞ。
何かあったのではないか、と。
「ただいま戻った」
「キェェェ!」
そうこうしていると、マリカが戻ってきた。
ゴブちゃんも一緒で、二人は手を繋いでいる。
「なかなか楽しいデートになったかな?」
俺が笑って尋ねる。
対するマリカは「デートではない」と即答。
俺は苦笑いを浮かべ、言葉を訂正した。
「楽しい散歩になったか?」
「うむ、楽しかったぞ」
「どこに行っていたなの?」
「ただ街をぶらついていただけだ」
ゴブちゃんが「キェェ!」と鳴く。
その後、繋いでいない方の右腕を掲げた。
どうやら、ゴブちゃんも十分に楽しめたようだ。
「たっだいまー! 晩御飯の時間だよー!」
続いて、アンズが帰ってきた。
ドドドドド、と勢いよく階段を駆け上がってくる。
あっという間に、三階へ到着した。
その後ろに、ゴブリンズは続いていない。
どうやら、二階で待機しているようだ。
「アンズ、ご飯の前に少しいいか?」
「ほよよん!?」
アンズが首を傾げた。
何がほよよんだ、と突っ込みかける。
そんな気持ちを抑え、俺は本題に入った。
「二菱の件だけど、ちょっとアイデアを閃いたんだ」
「流石社長! 聴かせて頂こう!」
「茶化すな茶化すな。それより案だけど――」
閃いた案を話し始める。
アンズは適当な相槌を打ちながら頷いていた。
「――と、こんな感じの案だけど、どうだろう?」
俺は緊張の面持ちでアンズを見る。
アンズはしばらく考え込んだ後、表情をパッとさせた。
「いいと思うよ! でも、交渉力が問われそうだね!」
「そうなんだよ。まさにアンズの実力次第って感じ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、現実は厳しいと思うよ」
俺は「やっぱり?」と苦笑い。
「名の知れた所がやるならともかく、うちは無名だからね」
「だよなぁ。でも、やってみる価値はないかな? 無謀過ぎ?」
「無謀だけど、挑戦を放棄するレベルじゃないよ。なんたって――」
アンズはそこで一呼吸置く。
そして、満面な笑みを浮かべた。
「この私がいるから!」
ドヤ顔で、親指をグイッと立てるアンズ。
その後ろで、ゴブちゃんも同じポーズを披露する。
それを見て、なぜかネネイも真似をした。
「今度の商談は、ユート君の提案する方向でどうにかまとめてみるよ! ただ、内容から考えて、最終的に二菱の重役連中と顔を合わせることになるから覚悟しておいてね!」
「顔を合わせるって、俺がか?」
アンズが「もち!」と笑顔で頷く。
「私が社長なら私だけでもいけるけど、社長はユート君だからね」
「なるほどなぁ……」
「今、社長を私にしておけばよかったって、思ったでしょ?」
アンズが上目遣いでニヤリと笑う。
言いたくないし、恥ずかしいけれど、その通りだ。
俺は頭をポリポリと掻き、視線を逸らした。
「気持ちは分かるけど、今から緊張する必要はないよ。上手くいけばそうなるってだけで、上手くいかなかったら会うこともないまま終わるからね。現時点だと、会わないで済む可能性の方が高いよ」
「嬉しいような、嬉しくないような感じだな」
「細かいことは後から考えていくとして、今日のところはとりあえずこんなもんでどうでしょうか! 社長!」
「そうだな、晩御飯にしようか」
アンズが「やったー!」とバンザイする。
よほど空腹だったようだ。
「よーし、今日こそ、たこ焼きを五〇個食べるぞー!」
「最高記録はその半分あるかどうかだろ。まずは三〇個を目指せよ」
「株式会社ユート君の副社長は、大きな目標を掲げる女なのだー!」
「じゃあ、ネネイはイカの串焼きを五〇本食べるなの!」
「そっちは普通に食べきれそうな気がするな……」
「えへへなの♪」
こうして、俺達は酒場へ向かって歩き出した。
◇
翌日。
ついにやってきた営業日。
資金力ランキングは、ぎりぎり三九〇〇位台。
四捨五入すれば四〇〇〇位になる水準だ。
今日からいよいよ、缶詰の販売が始まる。
缶詰の個数は各二万個で、種類は三〇種類。
価格は一律二〇〇万ゴールドなので、完売で一兆二千億になる。
ちなみに、マグボトルは単価五〇〇万の計一〇万個、総額五千億だ。
このことからも、缶詰がいかに大規模な商売か分かる。
「ネネイ、無理だと思ったらすぐにマリカへ言うんだぞ」
「任せてなの、おとーさん!」
今日から、販売窓口を増設する。
新たな担当者は、ネネイとゴブちゃんだ。
代金の受け取りをネネイが、価格の計算をゴブちゃんが行う。
そして、商品の受け渡しを行うのはゴブリンズだ。
窓口の増設は、昨夜急に決まった。
「ネネイもマリカちゃんのお手伝いをしたいなの!」
提案したのは、ネネイだ。
俺は反対だったが、多数決で賛成に決まった。
内訳は反対一、賛成二、どちらでもないが二だ。
ネネイ加えて、アンズが賛成に回った。
「ネネイ、缶詰は数が多いけど頑張ってくれよな」
「任せてなの、おとーさん!」
「ゴブちゃんも頼むぜ」
「キェェェェ!」
二つの販売窓口は、それぞれ担当する商品が決まっている。
これまでの二品目がマリカで、缶詰がネネイだ。
「ゴブちゃん、営業が始まる前にもう一度確認しておこう」
「キェッ!」
ゴブちゃんは、手に『らくがき君』を持っている。
もちろん、商売目的の所持であって、お絵かき用ではない。
「缶詰を一八三個売ってほしい」
俺がゴブちゃんに言う。
ゴブちゃんはすかさずらくがき君に数字を書いた。
そして、それをサッとネネイに見せる。
「三億六六〇〇万になりますなの!」
パッと答えるネネイ。
俺は「正解だ」と微笑んだ。
「ありがとーなの、ゴブちゃん!」
「キェェェ!」
ネネイとゴブちゃんが無垢な笑顔で大はしゃぎ。
そう、ゴブちゃんの計算速度は電卓並みに速いのだ。
といっても、元からここまで速かったわけではない。
ご主人様であるアンズが、一晩でしつけてくれたのだ。
「アンズさんの調教力、凄いですね」
「本人が見ていれば、今頃ドヤ顔だったろうな」
この中に、アンズだけはいない。
彼女は今、リアルであれこれ作業をしているのだ。
主に二菱関係のことで、万事に備えて動いている。
「本日の販売分だが、剃刀セットとマグボトルはいつも通りで頼む」
「承知した、マスター」
「缶詰は各七〇〇〇個でお願い」
「はいなのー♪」
「キェェェ!」
販売分の確認が終わると同時に、ミズキが現れた。
ネネイが「いらっしゃいませなの」と頭をペコリ。
ミズキはそれに一瞥するだけで、何も答えない。
いつも通り、本日の商売がスタートした。
「マグボトルを買えるだけと、缶詰を全種類二〇〇個ずつ」
「紫のお姉ちゃん、缶詰の購入はこちらでお願いしますなの!」
すかさずネネイが言った。
ウキウキの笑顔で、右手を挙げている。
その横で、ゴブちゃんも右手を挙げてぴょんぴょん。
一方、対するミズキは「缶詰は別会計なのか」と不機嫌そう。
ミズキの反応はもっともだ。
会計の手間が二倍になり、煩わしく感じているのだろう。
この辺りは今後の調整課題だな、と思った。
「まぁいい」
ミズキは、マリカとネネイに代金を支払った。
そして、そそくさと二階へ移動する。
それから、一階へ降りてくることはなかった。
「マグボトルを二四〇!」
「剃刀五〇! マグボトル二〇!」
「マグボトル八〇頼む!」
その後は、怒涛の如く商人が雪崩れ込んできた。
彼らは缶詰に目もくれず、いつも通りの商品を買い漁る。
この時、俺は微かな不安を抱いた。
本当に缶詰は売れるのだろうか、と。
「むぅーなの、缶詰を買ってくれないなの」
「キェェェェ……」
ネネイとゴブちゃんも悲しそうだ。
俺は「大丈夫さ」と言って頭を撫でる。
実際、大丈夫かどうかは分からない。
このままではどうしよう、なんて思ったりもした。
だが、そんな不安はすぐに消し飛んだ。
「来たな」
ふっ、と安堵の笑みがこぼれる。
正面から、見るからに強そうな連中が歩いてきたのだ。
顔付きから漂うオーラまで、商売に明け暮れる男のそれではない。
屈強、強靭、猛者、そんな言葉がお似合いの連中だ。
そう、彼らは超高レベルの冒険者達である。
缶詰のメインターゲットだ。
「店の利用方法を教えて欲しい。いかんせん、不慣れなものでな」
冒険者達は、店に入るなり訊いてきた。
「缶詰が要るなら、この五歳児に必要な種類と個数を伝えてくれ」
「ここでは最低購入数に決まりがあると聞いたが、その辺は?」
「ああ、最低二〇個からで、単位は一〇個が基本だ」
「つまり、三一個……なんて端数は好ましくないわけだな」
「だな。それなら三〇か四〇にしてもらうと嬉しい」
「分かった」
冒険者達は視線をネネイに向けた。
「嬢ちゃん、缶詰を五〇〇個頼む。種類は任せる」
「こちらは一〇〇〇個で、同じく種類は任せる」
「私は二〇〇個よ。二人と同じで種類は任せるわ」
一気に注文が飛び交う。
俺は「ほう」と驚く。
種類は任せる……か。
商人にはない、変わった注文方法だ。
「味にこだわりはないのか?」
「急速補給が出来ればなんだっていい」
「俺達の戦場は、吟味を許す程暇じゃないからな」
「そういうことよ。味を求めるなら、酒場へ行くわ」
「無論、食べられるレベルは要求するがな」
冒険者達が口々に答える。
その回答から、既に熟練の気配が漂っていた。
ネトゲ廃人時代の俺みたいな、効率思考の塊だ。
なんだか、妙に懐かしい気持ちを抱いた。
「一〇億ゴールドになりますなの」
ネネイが価格を言う。
それを聴いて、注文した冒険者が驚く。
「五〇〇個で一〇億なのか?」
「は、はいなの。一つ二〇〇万なの。五〇〇個で一〇億なの」
ネネイはビクッとしながら答える。
その後、すぐさまらくがき君を確認した。
一方、俺も脳内で計算する。
金額は一〇億で合っている。
ゴブちゃんの計算に狂いはない。
「何か問題でも?」
だから、少し強気に訊き返す。
すると、冒険者は「いや」と手を横に振った。
「慣れないもので、計算を一桁誤ったようだ」
「じゃあ、五〇個に減らす方向で?」
「逆だ。五〇〇〇個くれ。一〇〇億払う」
流石は超高レベル冒険者だ。
当たり前のように、桁を増やす方向で調整してきた。
もちろん、俺はそれを承諾する。
「ごめん、俺も桁を一つ増やしてくれないか」
「私も、慣れないもので計算を誤っていたわ」
「俺もだ」「俺も俺も」
最初の冒険者を皮切りに、訂正報告が噴出する。
どうやら彼らは、計算があまり得意ではないようだ。
この辺りも、冒険者用の調整が必要だな、と思った。
「ありがとうございますなの、ありがとうございますなの」
「キェッ、キェッ、キェッ」
ネネイとゴブちゃんが、頭をペコリ、ペコリ、ペコリ。
その後ろで、ゴブリンズはセコセコと缶詰の運搬をしていた。
「大量に買うのはいいけど、持ち運びはどうするのだ?」
俺が尋ねる。
それに対し、冒険者達はきょとんとした。
その後、一人がすまし顔で答える。
「運搬担当に頼むだけだ」
「運搬担当なんてのがいるのか?」
「そりゃあ、居ないと狩場に篭れないからな」
曰く、荷物の運搬を専門とする仲間がいるらしい。
それは、超高レベル冒険者の中では一般的なことのようだ。
「お、これが俺の五〇〇〇個か」
「はいなの、ありがとうございましたなの」
ゴブリンズが最初の客に商品を渡し終える。
もちろん、五〇〇〇個の缶詰なんて、一人で持てる量ではない。
「少しスキルを使わせてもらっていいか?」
「ああ、いいぜ。店に被害さえなければな」
「その点は問題ない」
その客が固有スキルを発動する。
すると、壁に半径一メートル程の黒い穴が現れた。
そこから、フードを被ったガリガリの男が出てくる。
「俺の荷物はこれだ、よろしく」
「承知した」
フードの男がスキルを発動させる。
すると、五〇〇〇個の缶詰が浮かび出した。
それらの缶詰が、黒い穴の中に飛んでいく。
瞬く間に、全ての缶詰が消えた。
「今回は良い取引をありがとう」
「お、おう、またよろしく頼む」
フードの男と冒険者の二人も、黒い穴へ消えていく。
二人が消えると、スッと穴が閉じた。
あまりのスマートぶりに、少し見惚れてしまう。
「「「キェェェェ!」」」
少しして、次の客が缶詰が整う。
今度の客は、強面だが小柄な男だ。
革のメッセンジャーバッグを携えている。
「次は俺だな」
「そうだ。お前も運搬係を呼ぶのか?」
「いんや、俺は俺自身が運搬担当だからな」
「なるほど、仕入れも請け負っているわけか」
「ま、そんなもんだ」
男は自分の商品に近づく。
目の前に着くと、バッグを開き、中に缶詰を放り込み始めた。
一つ、また一つと、軽快に放り込んでいく。
異変に気付いたのは、男が二〇個目の缶詰を放り込んだ時だ。
バッグの中が、一切膨らんでいない。
本来なら、既にパンパンになって入らないはずだ。
ところが、そんな気配はまるでない。
結局、一〇〇〇個の缶詰を、全てバッグの中に放り込んだ。
「これで全部だな。今後もよろしく、ユートさん」
「おう。それより、そのバッグどうなっているんだ?」
「面白いだろ? このバッグは俺の固有スキルで――」
そこまで言った時、男の眉がピクピクッと動いた。
発していた最中の言葉を遮断し、違う言葉を口にする。
「仲間に呼ばれたからもう行かねぇと。じゃあな」
男は移動スキルを発動した。
一瞬にして、その場から姿が消える。
その後の客も、同じような奴ばかりだった。
缶詰をスマートに移した後、自身も移動スキルで消える。
そして――。
「来たぜぇ! ランキングの駆け上がり!」
缶詰プッシュにより、資金力ランキングが動いた。
長らく停滞していた三七〇〇位台を、ついに突破したのだ。
更に、そのままグイグイと、次の次元へ駆け上がっていく。
久しぶりに、脳内物質がドバドバと溢れだした。
人目を気にすることなく、冒険者カードを見てにやける。
果てしない絶頂感が緩やかに落ち着きだした頃――。
「缶詰は完売なの! ありがとうございましたなの!」
「キェェェェ!」
缶詰が売り切れた。
見事、販売予定分を捌ききれたのだ。
時間も、開店から二時間と申し分ない内容。
慣れない取引で、買い手と売り手の両方がぎこちなかった。
その点が改善されれば、取引時間は半分に短縮できそうだ。
「ふぅ」
「お疲れ様でした、皆さん」
「お疲れ様なのー♪」
しばらくして、剃刀セットも完売。
こうして、本日の営業は終了した。
【本日の販売内容】
剃刀セット:3400個
マグボトル:3万4000個
缶詰:21万0000個
【売上】
剃刀セット:34億ゴールド
マグボトル:1700億ゴールド
缶詰:4200億ゴールド
合計:5934億ゴールド
【出費】
マリカの人件費:1000万ゴールド
【利益】
5933億9000万ゴールド
資金力ランキングは、一気に三五〇〇位台まで上昇した。
この調子なら、三〇〇〇位台の壁を破ることも出来そうだ。
ただ、現時点ではぬか喜びになる可能性がある。
なぜなら、缶詰の主な購入層が商人ではないからだ。
建前は商人でも、実際には超高レベルの冒険者である。
露店や店舗取引を生業にしている人間ではない。
だから、商人のように継続して購入するか分からないのだ。
もしかしたら、今日の購入分で一生を過ごすかもしれない。
仮にそうだとしたら、明日以降は閑古鳥が鳴くことになる。
一応、商人も缶詰を買ってはくれた。
ミズキもそうだし、他の商人もちらほらと。
ただ、マグボトルには到底及ばない売れ足だ。
まぁ、物が物だから仕方ない。
缶詰に数百万を出す人種は限られている。
対して、マグボトルは万人に受ける商品だ。
店に並べて売る場合、どちらが売りやすいかは一目瞭然。
誰だって、売れにくい缶詰を大量に仕入れようとはしない。
今日の販売だけでいえば大成功だ。
しかし、真価が問われるのは明日以降である。
これから数日をかけて、見極めていかなくてはならない。
かくして、新たな資金力ブーストが幕を開けた。
声の主は、当然ながら、リーネである。
悲しいことに、アンズは居なかった。
同様に、ゴブリンズも居ない。
俺はため息をつき、マッサージ機を停止させた。
それにより、恍惚としていたリーネの表情がハッとする。
「リーネ、アンズはどうした?」
「私が戻った時は居たのですが……」
「マッサージを始めてからは?」
「見ていませんでした」
大体の流れは想像できる。
響き渡る喘ぎ声から、逃げるように出ていったのだ。
ゴブリンズを連れていったのは、不健全だからだろう。
俺がネネイを避難させるのと、まるで同じ理由だ。
やれやれ、リーネの喘ぎ声には困ったものである。
「まぁ、すぐに戻るだろう」
そろそろ夕食の時間だ。
家を出ていても、戻ってくる。
むしろ、戻ってこないと心配になるぞ。
何かあったのではないか、と。
「ただいま戻った」
「キェェェ!」
そうこうしていると、マリカが戻ってきた。
ゴブちゃんも一緒で、二人は手を繋いでいる。
「なかなか楽しいデートになったかな?」
俺が笑って尋ねる。
対するマリカは「デートではない」と即答。
俺は苦笑いを浮かべ、言葉を訂正した。
「楽しい散歩になったか?」
「うむ、楽しかったぞ」
「どこに行っていたなの?」
「ただ街をぶらついていただけだ」
ゴブちゃんが「キェェ!」と鳴く。
その後、繋いでいない方の右腕を掲げた。
どうやら、ゴブちゃんも十分に楽しめたようだ。
「たっだいまー! 晩御飯の時間だよー!」
続いて、アンズが帰ってきた。
ドドドドド、と勢いよく階段を駆け上がってくる。
あっという間に、三階へ到着した。
その後ろに、ゴブリンズは続いていない。
どうやら、二階で待機しているようだ。
「アンズ、ご飯の前に少しいいか?」
「ほよよん!?」
アンズが首を傾げた。
何がほよよんだ、と突っ込みかける。
そんな気持ちを抑え、俺は本題に入った。
「二菱の件だけど、ちょっとアイデアを閃いたんだ」
「流石社長! 聴かせて頂こう!」
「茶化すな茶化すな。それより案だけど――」
閃いた案を話し始める。
アンズは適当な相槌を打ちながら頷いていた。
「――と、こんな感じの案だけど、どうだろう?」
俺は緊張の面持ちでアンズを見る。
アンズはしばらく考え込んだ後、表情をパッとさせた。
「いいと思うよ! でも、交渉力が問われそうだね!」
「そうなんだよ。まさにアンズの実力次第って感じ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、現実は厳しいと思うよ」
俺は「やっぱり?」と苦笑い。
「名の知れた所がやるならともかく、うちは無名だからね」
「だよなぁ。でも、やってみる価値はないかな? 無謀過ぎ?」
「無謀だけど、挑戦を放棄するレベルじゃないよ。なんたって――」
アンズはそこで一呼吸置く。
そして、満面な笑みを浮かべた。
「この私がいるから!」
ドヤ顔で、親指をグイッと立てるアンズ。
その後ろで、ゴブちゃんも同じポーズを披露する。
それを見て、なぜかネネイも真似をした。
「今度の商談は、ユート君の提案する方向でどうにかまとめてみるよ! ただ、内容から考えて、最終的に二菱の重役連中と顔を合わせることになるから覚悟しておいてね!」
「顔を合わせるって、俺がか?」
アンズが「もち!」と笑顔で頷く。
「私が社長なら私だけでもいけるけど、社長はユート君だからね」
「なるほどなぁ……」
「今、社長を私にしておけばよかったって、思ったでしょ?」
アンズが上目遣いでニヤリと笑う。
言いたくないし、恥ずかしいけれど、その通りだ。
俺は頭をポリポリと掻き、視線を逸らした。
「気持ちは分かるけど、今から緊張する必要はないよ。上手くいけばそうなるってだけで、上手くいかなかったら会うこともないまま終わるからね。現時点だと、会わないで済む可能性の方が高いよ」
「嬉しいような、嬉しくないような感じだな」
「細かいことは後から考えていくとして、今日のところはとりあえずこんなもんでどうでしょうか! 社長!」
「そうだな、晩御飯にしようか」
アンズが「やったー!」とバンザイする。
よほど空腹だったようだ。
「よーし、今日こそ、たこ焼きを五〇個食べるぞー!」
「最高記録はその半分あるかどうかだろ。まずは三〇個を目指せよ」
「株式会社ユート君の副社長は、大きな目標を掲げる女なのだー!」
「じゃあ、ネネイはイカの串焼きを五〇本食べるなの!」
「そっちは普通に食べきれそうな気がするな……」
「えへへなの♪」
こうして、俺達は酒場へ向かって歩き出した。
◇
翌日。
ついにやってきた営業日。
資金力ランキングは、ぎりぎり三九〇〇位台。
四捨五入すれば四〇〇〇位になる水準だ。
今日からいよいよ、缶詰の販売が始まる。
缶詰の個数は各二万個で、種類は三〇種類。
価格は一律二〇〇万ゴールドなので、完売で一兆二千億になる。
ちなみに、マグボトルは単価五〇〇万の計一〇万個、総額五千億だ。
このことからも、缶詰がいかに大規模な商売か分かる。
「ネネイ、無理だと思ったらすぐにマリカへ言うんだぞ」
「任せてなの、おとーさん!」
今日から、販売窓口を増設する。
新たな担当者は、ネネイとゴブちゃんだ。
代金の受け取りをネネイが、価格の計算をゴブちゃんが行う。
そして、商品の受け渡しを行うのはゴブリンズだ。
窓口の増設は、昨夜急に決まった。
「ネネイもマリカちゃんのお手伝いをしたいなの!」
提案したのは、ネネイだ。
俺は反対だったが、多数決で賛成に決まった。
内訳は反対一、賛成二、どちらでもないが二だ。
ネネイ加えて、アンズが賛成に回った。
「ネネイ、缶詰は数が多いけど頑張ってくれよな」
「任せてなの、おとーさん!」
「ゴブちゃんも頼むぜ」
「キェェェェ!」
二つの販売窓口は、それぞれ担当する商品が決まっている。
これまでの二品目がマリカで、缶詰がネネイだ。
「ゴブちゃん、営業が始まる前にもう一度確認しておこう」
「キェッ!」
ゴブちゃんは、手に『らくがき君』を持っている。
もちろん、商売目的の所持であって、お絵かき用ではない。
「缶詰を一八三個売ってほしい」
俺がゴブちゃんに言う。
ゴブちゃんはすかさずらくがき君に数字を書いた。
そして、それをサッとネネイに見せる。
「三億六六〇〇万になりますなの!」
パッと答えるネネイ。
俺は「正解だ」と微笑んだ。
「ありがとーなの、ゴブちゃん!」
「キェェェ!」
ネネイとゴブちゃんが無垢な笑顔で大はしゃぎ。
そう、ゴブちゃんの計算速度は電卓並みに速いのだ。
といっても、元からここまで速かったわけではない。
ご主人様であるアンズが、一晩でしつけてくれたのだ。
「アンズさんの調教力、凄いですね」
「本人が見ていれば、今頃ドヤ顔だったろうな」
この中に、アンズだけはいない。
彼女は今、リアルであれこれ作業をしているのだ。
主に二菱関係のことで、万事に備えて動いている。
「本日の販売分だが、剃刀セットとマグボトルはいつも通りで頼む」
「承知した、マスター」
「缶詰は各七〇〇〇個でお願い」
「はいなのー♪」
「キェェェ!」
販売分の確認が終わると同時に、ミズキが現れた。
ネネイが「いらっしゃいませなの」と頭をペコリ。
ミズキはそれに一瞥するだけで、何も答えない。
いつも通り、本日の商売がスタートした。
「マグボトルを買えるだけと、缶詰を全種類二〇〇個ずつ」
「紫のお姉ちゃん、缶詰の購入はこちらでお願いしますなの!」
すかさずネネイが言った。
ウキウキの笑顔で、右手を挙げている。
その横で、ゴブちゃんも右手を挙げてぴょんぴょん。
一方、対するミズキは「缶詰は別会計なのか」と不機嫌そう。
ミズキの反応はもっともだ。
会計の手間が二倍になり、煩わしく感じているのだろう。
この辺りは今後の調整課題だな、と思った。
「まぁいい」
ミズキは、マリカとネネイに代金を支払った。
そして、そそくさと二階へ移動する。
それから、一階へ降りてくることはなかった。
「マグボトルを二四〇!」
「剃刀五〇! マグボトル二〇!」
「マグボトル八〇頼む!」
その後は、怒涛の如く商人が雪崩れ込んできた。
彼らは缶詰に目もくれず、いつも通りの商品を買い漁る。
この時、俺は微かな不安を抱いた。
本当に缶詰は売れるのだろうか、と。
「むぅーなの、缶詰を買ってくれないなの」
「キェェェェ……」
ネネイとゴブちゃんも悲しそうだ。
俺は「大丈夫さ」と言って頭を撫でる。
実際、大丈夫かどうかは分からない。
このままではどうしよう、なんて思ったりもした。
だが、そんな不安はすぐに消し飛んだ。
「来たな」
ふっ、と安堵の笑みがこぼれる。
正面から、見るからに強そうな連中が歩いてきたのだ。
顔付きから漂うオーラまで、商売に明け暮れる男のそれではない。
屈強、強靭、猛者、そんな言葉がお似合いの連中だ。
そう、彼らは超高レベルの冒険者達である。
缶詰のメインターゲットだ。
「店の利用方法を教えて欲しい。いかんせん、不慣れなものでな」
冒険者達は、店に入るなり訊いてきた。
「缶詰が要るなら、この五歳児に必要な種類と個数を伝えてくれ」
「ここでは最低購入数に決まりがあると聞いたが、その辺は?」
「ああ、最低二〇個からで、単位は一〇個が基本だ」
「つまり、三一個……なんて端数は好ましくないわけだな」
「だな。それなら三〇か四〇にしてもらうと嬉しい」
「分かった」
冒険者達は視線をネネイに向けた。
「嬢ちゃん、缶詰を五〇〇個頼む。種類は任せる」
「こちらは一〇〇〇個で、同じく種類は任せる」
「私は二〇〇個よ。二人と同じで種類は任せるわ」
一気に注文が飛び交う。
俺は「ほう」と驚く。
種類は任せる……か。
商人にはない、変わった注文方法だ。
「味にこだわりはないのか?」
「急速補給が出来ればなんだっていい」
「俺達の戦場は、吟味を許す程暇じゃないからな」
「そういうことよ。味を求めるなら、酒場へ行くわ」
「無論、食べられるレベルは要求するがな」
冒険者達が口々に答える。
その回答から、既に熟練の気配が漂っていた。
ネトゲ廃人時代の俺みたいな、効率思考の塊だ。
なんだか、妙に懐かしい気持ちを抱いた。
「一〇億ゴールドになりますなの」
ネネイが価格を言う。
それを聴いて、注文した冒険者が驚く。
「五〇〇個で一〇億なのか?」
「は、はいなの。一つ二〇〇万なの。五〇〇個で一〇億なの」
ネネイはビクッとしながら答える。
その後、すぐさまらくがき君を確認した。
一方、俺も脳内で計算する。
金額は一〇億で合っている。
ゴブちゃんの計算に狂いはない。
「何か問題でも?」
だから、少し強気に訊き返す。
すると、冒険者は「いや」と手を横に振った。
「慣れないもので、計算を一桁誤ったようだ」
「じゃあ、五〇個に減らす方向で?」
「逆だ。五〇〇〇個くれ。一〇〇億払う」
流石は超高レベル冒険者だ。
当たり前のように、桁を増やす方向で調整してきた。
もちろん、俺はそれを承諾する。
「ごめん、俺も桁を一つ増やしてくれないか」
「私も、慣れないもので計算を誤っていたわ」
「俺もだ」「俺も俺も」
最初の冒険者を皮切りに、訂正報告が噴出する。
どうやら彼らは、計算があまり得意ではないようだ。
この辺りも、冒険者用の調整が必要だな、と思った。
「ありがとうございますなの、ありがとうございますなの」
「キェッ、キェッ、キェッ」
ネネイとゴブちゃんが、頭をペコリ、ペコリ、ペコリ。
その後ろで、ゴブリンズはセコセコと缶詰の運搬をしていた。
「大量に買うのはいいけど、持ち運びはどうするのだ?」
俺が尋ねる。
それに対し、冒険者達はきょとんとした。
その後、一人がすまし顔で答える。
「運搬担当に頼むだけだ」
「運搬担当なんてのがいるのか?」
「そりゃあ、居ないと狩場に篭れないからな」
曰く、荷物の運搬を専門とする仲間がいるらしい。
それは、超高レベル冒険者の中では一般的なことのようだ。
「お、これが俺の五〇〇〇個か」
「はいなの、ありがとうございましたなの」
ゴブリンズが最初の客に商品を渡し終える。
もちろん、五〇〇〇個の缶詰なんて、一人で持てる量ではない。
「少しスキルを使わせてもらっていいか?」
「ああ、いいぜ。店に被害さえなければな」
「その点は問題ない」
その客が固有スキルを発動する。
すると、壁に半径一メートル程の黒い穴が現れた。
そこから、フードを被ったガリガリの男が出てくる。
「俺の荷物はこれだ、よろしく」
「承知した」
フードの男がスキルを発動させる。
すると、五〇〇〇個の缶詰が浮かび出した。
それらの缶詰が、黒い穴の中に飛んでいく。
瞬く間に、全ての缶詰が消えた。
「今回は良い取引をありがとう」
「お、おう、またよろしく頼む」
フードの男と冒険者の二人も、黒い穴へ消えていく。
二人が消えると、スッと穴が閉じた。
あまりのスマートぶりに、少し見惚れてしまう。
「「「キェェェェ!」」」
少しして、次の客が缶詰が整う。
今度の客は、強面だが小柄な男だ。
革のメッセンジャーバッグを携えている。
「次は俺だな」
「そうだ。お前も運搬係を呼ぶのか?」
「いんや、俺は俺自身が運搬担当だからな」
「なるほど、仕入れも請け負っているわけか」
「ま、そんなもんだ」
男は自分の商品に近づく。
目の前に着くと、バッグを開き、中に缶詰を放り込み始めた。
一つ、また一つと、軽快に放り込んでいく。
異変に気付いたのは、男が二〇個目の缶詰を放り込んだ時だ。
バッグの中が、一切膨らんでいない。
本来なら、既にパンパンになって入らないはずだ。
ところが、そんな気配はまるでない。
結局、一〇〇〇個の缶詰を、全てバッグの中に放り込んだ。
「これで全部だな。今後もよろしく、ユートさん」
「おう。それより、そのバッグどうなっているんだ?」
「面白いだろ? このバッグは俺の固有スキルで――」
そこまで言った時、男の眉がピクピクッと動いた。
発していた最中の言葉を遮断し、違う言葉を口にする。
「仲間に呼ばれたからもう行かねぇと。じゃあな」
男は移動スキルを発動した。
一瞬にして、その場から姿が消える。
その後の客も、同じような奴ばかりだった。
缶詰をスマートに移した後、自身も移動スキルで消える。
そして――。
「来たぜぇ! ランキングの駆け上がり!」
缶詰プッシュにより、資金力ランキングが動いた。
長らく停滞していた三七〇〇位台を、ついに突破したのだ。
更に、そのままグイグイと、次の次元へ駆け上がっていく。
久しぶりに、脳内物質がドバドバと溢れだした。
人目を気にすることなく、冒険者カードを見てにやける。
果てしない絶頂感が緩やかに落ち着きだした頃――。
「缶詰は完売なの! ありがとうございましたなの!」
「キェェェェ!」
缶詰が売り切れた。
見事、販売予定分を捌ききれたのだ。
時間も、開店から二時間と申し分ない内容。
慣れない取引で、買い手と売り手の両方がぎこちなかった。
その点が改善されれば、取引時間は半分に短縮できそうだ。
「ふぅ」
「お疲れ様でした、皆さん」
「お疲れ様なのー♪」
しばらくして、剃刀セットも完売。
こうして、本日の営業は終了した。
【本日の販売内容】
剃刀セット:3400個
マグボトル:3万4000個
缶詰:21万0000個
【売上】
剃刀セット:34億ゴールド
マグボトル:1700億ゴールド
缶詰:4200億ゴールド
合計:5934億ゴールド
【出費】
マリカの人件費:1000万ゴールド
【利益】
5933億9000万ゴールド
資金力ランキングは、一気に三五〇〇位台まで上昇した。
この調子なら、三〇〇〇位台の壁を破ることも出来そうだ。
ただ、現時点ではぬか喜びになる可能性がある。
なぜなら、缶詰の主な購入層が商人ではないからだ。
建前は商人でも、実際には超高レベルの冒険者である。
露店や店舗取引を生業にしている人間ではない。
だから、商人のように継続して購入するか分からないのだ。
もしかしたら、今日の購入分で一生を過ごすかもしれない。
仮にそうだとしたら、明日以降は閑古鳥が鳴くことになる。
一応、商人も缶詰を買ってはくれた。
ミズキもそうだし、他の商人もちらほらと。
ただ、マグボトルには到底及ばない売れ足だ。
まぁ、物が物だから仕方ない。
缶詰に数百万を出す人種は限られている。
対して、マグボトルは万人に受ける商品だ。
店に並べて売る場合、どちらが売りやすいかは一目瞭然。
誰だって、売れにくい缶詰を大量に仕入れようとはしない。
今日の販売だけでいえば大成功だ。
しかし、真価が問われるのは明日以降である。
これから数日をかけて、見極めていかなくてはならない。
かくして、新たな資金力ブーストが幕を開けた。
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