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022 もしもネネイと出会わなかったら(後編)
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家を出て、冒険者ギルドにやってきた。
相変わらず賑わっている。
「でさ、ガーゴイルが反撃してきて――」
「あいつの回復がすげぇいいタイミングで――」
「あの洞窟行ったことある? 蜘蛛の――」
ガヤガヤ、ガヤガヤ。
そこら中から、冒険者の会話が聞こえてくる。
自慢げに死闘の模様を語っている奴。
ダンジョンで拾った物が高く売れたと喜ぶ奴。
これから挑むクエストの作戦を詰めている奴。
話の内容は色々だが、どれも聞いていて楽しい。
冒険者の年齢は様々だ。
俺より若い奴らもそれなりにいる。
かと思えば、ベテランの風格が漂う老練も。
ウキウキしながら、俺は受付カウンターに向かった。
受付嬢のエルフは、例外なくスラッとしていて美人だ。
ピンッと尖がったエルフ特有の耳は、どこか神秘的である。
「お久しぶりです、ユートさん」
カウンターに着くと、受付嬢が話しかけてくる。
久しぶりらしいが、俺はこの女を覚えていなかった。
だから、リーネに「誰か覚えているか?」と耳打ちする。
それが聞こえていたみたいで、受付嬢は小さく笑った。
「お二人が冒険者登録をする際に担当させていただいた者です」
「そうだったんだ?」
説明を受けてもなお、思い出せなかった。
数千人の冒険者を相手にする受付嬢が覚えていて、俺が覚えていない。
その事実に、俺は衝撃を受けると同時に、記憶力のなさを呪った。
しかし三秒後には、端正な顔立ちをしている相手が悪いと開き直る。
右を見ても美人、左を見ても美人。エルフは美人しかいない。
その上、髪の色は金で統一されている。
「覚えていないのは無理もありません」
受付嬢が自身の髪を触る。
肩にかかる程の長さをした金色の髪だ。
毛先をつまむと、顎の前まで持ってきてから離した。
サラサラと元の位置に戻っていく。
「前にお会いした時は、もう少し髪が伸びていました」
受付嬢が、水平に傾けた手を胸元まで下ろす。
どうやら、以前は胸元程の長さだったらしい。
そう言われて、徐々に思い出してきた。
「よかったら名前を教えてくれませんか?」
「はい、ティアと申します」
「分かりました。俺の名前はユートです」
「あはは、知っております」
軽くボケて、適当に話をまとめた。
名前を訊いておけば、今度からは忘れないだろう。
「それで、本日のご用件は、個人クエストの発注でしょうか?」
俺が商売に明け暮れていることは、ティアも知っているようだ。
そうでなければ、「クエストの受注か?」と質問するのが普通である。
「いえ、今日は討伐クエストを受注したくて来ました」
「え、討伐クエストの受注ですか?」
聞き間違いを疑うレベルで驚くティア。
その反応は無理もない。
討伐クエストの報酬が金だからだ。
俺のレベルなら、報酬はよくて一万ゴールド。
一方、俺の所持金は二〇〇〇億オーバー。
資産残高を知らなくても、億万長者であることは知っているだろう。
そんな人間が、下手すれば命を落としかねない討伐クエストに申し込む。
普通ではありえないことだ。
「レベル五でも余裕なやつをお願いします」
「わ、わかりました」
ティアは三枚の用紙を取り出した。
クエスト表と呼ばれる紙だ。
名前の通り、クエストの情報が書かれている。
「ご要望に該当するクエストはこちらになります」
「手に取って眺めても?」
「はい、問題ございません」
俺は三枚の用紙を手に取り、一枚ずつ見ていく。
==========
【クエスト名】
ゴブリンの討伐
【内容】
始まりの森に棲息しているゴブリンの討伐
(最大二〇体迄)
【報酬】
一体目:五〇〇〇ゴールド
二体目以降:一体につき二〇〇〇ゴールド
【備考】
特になし
==========
一枚目はゴブリンの討伐だ。
これは何度かこなしたことがある。
ゴブリンとの戦闘はやや飽き気味だ。
どうせなら違うやつを受けたい。
「これは結構です」
一枚目をティアに返し、二枚目に移る。
==========
【クエスト名】
ジュニアゾンビの討伐
【内容】
ゾンビの巣の最奥部に棲息しているジュアゾンビの討伐
(最大三〇〇体迄)
【報酬】
一体につき三五〇〇ゴールド
【備考】
特になし
==========
二枚目はゾンビの討伐か。
ゴブリンに比べて、一体目の報酬が少なく、二体目以降は多い。
また、報酬が発生する討伐数の上限が一桁多い。
数を狩るタイプなのだろう。
ということは、個々の戦闘能力は低いに違いない。
戦闘経験のない俺にもってこいのクエストだ。
「一応、三枚目も確認しておくか」
二つ返事で決める前に、三枚目にも目を通すことにした。
==========
【クエスト名】
トークキングの討伐
【内容】
八百万の大空洞に棲息しているトークキングの討伐
【報酬】
一〇万ゴールド
【備考】
必須:ガイドスキル
推奨:エスケープスキル
推奨:氷属性の攻撃スキル
推奨:攻撃力又は魔法攻撃力一〇以上
推奨:魔法防御力一五以上
==========
一目見て悟った。
「あ、これ無理なやつだ」
スキルはまだしも、ステータス条件が論外。
攻撃力と魔法攻撃力は共に一〇以下だ。
さらに魔法防御力も足りていない。
そしてこの報酬額。一体一〇万。
間違いなく単体の戦闘力が高い。
上限の設定がないあたり、数も少ないだろう。
一体から、多くても三体程度。
ネトゲにおける『ボスモンスター』だ。
そんな奴に俺が挑めばどうなるか。
結果は想像に容易い。
瀕死の重傷を負うか、それとも死ぬかだ。
おそらくは後者だろう。
「よし、ゾンビの討伐にしよう!」
「ジュニアゾンビの討伐でよろしいですか?」
「はい、それでお願いします」
「かしこまりました」
かくして、俺のクエストは『ジュニアゾンビの討伐』に決まった。
◇
クエストが決まるなり、目的地に出発だ!
……となるのは、よほどのベテランか愚か者だろう。
俺みたいな初心者は、手堅く戦闘準備を整える。
そんなわけで、スキル屋にやってきた。
汎用スキルを習得する為の場所だ。
「リーネ、久々だから改めて確認させてくれ」
「はい、なんなりとどうぞ」
「君はたしか、戦闘には参加しないんだよな?」
「そうです。戦闘後に負傷していれば回復します」
「オーケー」
リーネはあくまで傍観者だ。
同行するが、戦闘はしない。
唯一の仕事は回復のみ。
それも、戦闘後の話だ。
戦闘中に負傷しても、助けてはくれない。
「そうすると、回復スキルを覚えるべきか」
スキルの書かれた本をパラパラとめくっていく。
スキル屋には、タイプ別に三色の本がある。
それを参考に、覚えたいスキルを選ぶ仕組みだ。
今開いているのは赤色の本。
この本には、攻撃系のスキルが掲載されている。
「ユートさん、攻撃系のスキルを習得するのですか?」
「もちろん習得しないよ。試しに開いただけさ」
攻撃スキルの性能は『魔法攻撃力』に依存する。
しかし、俺の魔法攻撃力は最低の一だ。
攻撃系のスキルを覚えたところで、まともな火力にならない。
それならば、まだ支援系のスキルを覚える方がマシだろう。
そう思い、支援系を掲載している青色の本を開いた。
「たしか支援系も魔法攻撃力に依存されるんだよな?」
「そうです」
「なら回復スキルもあてにならないよなぁ」
「現状ですと、擦り傷を治せる程度かと」
「うん、論外だ」
残っているのは緑色の本のみ。
これには移動系スキルが掲載されている。
唯一、魔法攻撃力の影響を受けないタイプだ。
「よし、ここを出よう」
「え、移動系の本は見ないのですか?」
「必要がないからな」
移動系スキルとは、一言で表すと瞬間移動だ。
移動先は、過去に訪れたことのある場所に限られている。
しかし、俺はラングローザ以外には行ったことがない。
だから、『エスケープタウン』以外の移動スキルは不要なのだ。
エスケープタウンさえあれば、どこからでも街に戻れる。
結局、何のスキルも習得しなかった。
◇
酒場でミルクを調達した後、俺達は街を出た。
ミルクは、五本のマグボトルに満タンまで入れてある。
持つのはリーネだ。
戦闘をしない代わりに、荷物持ちを担当する。
本当はリュックに入れるつもりだった。
しかし、俺はリュックを家に忘れてきたのだ。
取りに帰るのも面倒なので、リーネのフロントポケットに入れた。
ジュニアゾンビが棲息するダンジョン『ゾンビの巣』。
ラングローザから東に進むとある……らしい。
巣という名前だが、見た目は洞窟だとティアから聞いた。
「あれだな、ゾンビの巣」
「そのようですね」
街の東にある草原を進むことしばらく。
前方に洞窟が見えてきた。
入口は、カバの口みたいに大きく開いている。
天井は高く、幅も広い。
「ゾンビ狩りの時間だ!」
「頑張って下さい、ユートさん」
「おうよ!」
俺は武器を取り出した。
穂以外の全てが真紅に染まった直槍だ。
その名は『プリン』。俺が命名した。
槍を両手で構え、恐る恐ると洞窟に侵入する。
いつもと違い、今回はサポートが居ない。
緊張と恐怖で、体がそわそわとする。
ただ、それ以上に興奮していた。
こんな経験、リアルでは絶対に出来ない。
「待て、リーネ!」
歩き出してすぐ、俺は足を止めた。
リーネが「どうかしましたか?」と訊いてくる。
「暗くて前が見えない」
「たしかに、真っ暗ですね」
洞窟内に光源がない。
唯一の光源は太陽の光だ。
その光が、届かなくなってきた。
「照明スキルを習得しておくべきだったぜ」
洞窟で明かりを確保する方法は二つある。
松明などの道具を使うか、スキルに頼るかだ。
俺の場合、そのどちらもなかった。
照明スキルは支援系に分類される。
その為、効果は魔法攻撃力に依存されるのだ。
だから、覚えても役にたたないだろうとスルーした。
現場にきて、それは失敗だったと痛感する。
どれだけ光力が弱くても、ないよりはマシだ。
「なんでしたら、私が照明スキルを使いましょうか?」
「え、いいのか?」
「はい、問題ございません」
流石は神の使い。
渡りに船とはこのことだ。
「頼む、リーネ」
「任せてください――ライト」
リーネの頭上に、光の玉が浮かぶ。
大きさは野球ボールくらい。
これが照明スキル『ライト』だ。
「最高だぜ、リーネ」
「いえいえ」
非常に明るい。
にもかかわらず、眩しくはなかった。
光の玉を直視しても、目が痛くならない。
ライトにより、視界が十分に確保される。
問題がなくなったので、俺達は進行を再開した。
「深いな」
「ですね」
ゾンビの巣は、思ったよりも遥かに深かった。
かれこれ三〇メートルは歩いたが、最奥部には着いていない。
進めば進むほど、湿度が上がっていく。
今では、じめじめして不愉快だ。
それに、硫黄のような臭いも鼻につく。
「ここが最奥部だな」
五〇メートル程進んだところで、最奥部に到着した。
それに合わせて、緩やかな勾配だった道が平坦となる。
道中とは違い、開けた場所だ。
ライトの効果により、二〇メートル先の壁まで見える。
そこに至るまでの間には何もない。
せめて宝箱の一つくらいは欲しかった。
「ところで、モンスターはどこだ」
「さぁ……?」
最奥部に着くまでの間、モンスターとの戦闘はなかった。
手汗を湧かせながら槍を握っていたというのに!
だが、それはいい。
問題なのは、今もモンスターの姿が見当たらないことだ。
ホラー物にありがちな、頭上に大量のモンスターが……ということもない。
右、左、前、上、下、どこを見ても、ジュニアゾンビはいない。
「もしかしたら、先客がいて殲滅していったのかな」
「わかりません」
「とりあえず、奥の壁にタッチして何もなかったら帰るか」
「わかりました」
ないとは思うが、もしかしたら隠し扉があるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、奥まで移動した。
左手の掌をペタッと当てる。
水滴を浮かべる程の湿った壁だ。
気持ち悪いだけで、他には何もない。
「仕方ない、帰ろう」
せっかくのクエストがこれか。
落胆しながら振り返ったその時――。
「ヴォオオ!」
どこからともなく大量のモンスターが現れた。
すごい数だ。数百は確実として、四桁もあり得るぞ。
ジュニアの名に相応しい、一三〇センチ程の小さなゾンビだ。
見た目はゲームや映画でお馴染みの姿をしている。
ぐちゃぐちゃにただれた全身と、妙に鋭い牙。
「ここに来るとスポーンする仕組みになっていやがったか」
ついついネトゲ用語が飛び出す。
スポーンとは、突如として現れることを指す言葉だ。
「ユートさん、スポーンをご存じでしたか」
「む? エストラでもこの現象はスポーンと呼ぶのか?」
「はい。その言い方ですと、ネトゲでも?」
「そうだよ。まぁ、話は後だ」
俺は槍を両手で握った。
「いざとなればエスケープ……いざとなればエスケープ……」
自分に言い聞かせる。
危険だと思ったら『エスケープタウン』だ。
エスケープタウンを発動すれば、即座に街へ戻れる。
落ち着いていけば、問題はない。
そうは思っていても、足がすくむ。
目の前にウジャウジャとゾンビが居るのだから当然だ。
「ヴォオオオ」
ゾンビ達がゆっくりと押し寄せてくる。
その動きは、ゴブリンよりも遥かに遅い。
「もしも俺が死んだら、ネネイに謝っておいてくれ」
「お断りします」
「はぁ……。なら無茶はできないな」
俺は苦笑いを浮かべ、ゾンビに突っ込んだ。
とりあえず、正面のゾンビに向かって突きを繰り出す。
「ヴォオオオ……」
あっさりと死滅した。
案の定、クソ雑魚だ。
これならいけるぞ!
「オラァ! オラオラァ!」
俺はでたらめに槍を振り回す。
カス当たりだろうと、ゾンビは死んでいく。
ゴブリンよりも遥かに脆い。
その上、動きもノロノロときた。
おかげで、反撃される恐れがまるでない。
「ドリャア!」
「ナイスです、ユートさん」
「アチョー!」
「これで二〇体目です、ユートさん」
「フンガー!」
「いよいよ五〇体目です、ユートさん」
「セイドリュー!」
「流石です、ユートさん」
あるアクションゲームを思い出した。
三国志や戦国時代を舞台にした作品だ。
ボタンの連打で、ワラワラと集まる兵士を蹴散らす。
まさにそのゲームのキャラクターになった気分だ。
ドバドバと溢れだす脳内物質。
ドーパミン、エンドルフィン、セロトニン!
迸る無双感に酔いしれる。
「たまらねぇぜぇ!」
「残り五三〇体です、ユートさん」
「はぁ!? まだそんなに残っているのかよ!」
かれこれ数百体は倒した。
なのに、まだまだ数は尽きない。
「たしか最弱モンスターってゴブリンだよな?」
「そうです」
「明らかにこいつの方が弱いと思うぞ」
「強さの評価に数が含まれているのかもしれませんね」
「なるほど、尋常じゃない数だもんな」
「はい」
「おかげで俺は疲れたよ。槍を振るう腕が痛い」
「頑張ってください、ユートさん」
緊張や恐怖から、極度の興奮状態に変わってしばらく。
敵が弱すぎて、次第に心が落ち着き始める。
脳内物質の分泌速度が、急速に低下していく。
それにより、途端に疲労感が身体を支配しはじめた。
「はぁ……はぁ……」
「残り二八〇体です、ユートさん」
「も、もう……ダメだ……」
俺は殲滅することを諦めた。
槍を振り回しながら『エスケープタウン』を発動する。
ゾンビの巣に居た俺達の身体が、一瞬で街の外に移動した。
「え、戦うのを止めたのですか?」
「も、もう限界だ……」
俺は槍をしまい、その場に倒れ込んだ。
二万ゴールドで買ったスーツは、汗でビショビショだ。
何かと汚れているし、これは新しい物に買い替えだな。
「お疲れ様です、ユートさん」
リーネはフロントポケットに手を突っ込んだ。
マグボトルを一本取り出し、こちらに向けてくる。
「ミルクはいかがですか?」
「はぁ……はぁ……飲もう……」
俺はマグボトルを受け取った。
城壁にもたれるようにして座り込み、蓋を開ける。
そして、迷うことなく一気飲みした。
「くぅー! 蘇る!」
ミルクはキンキンに冷えていた。
酒場で買った時の冷たさをしている。
流石は真空断熱マグボトルだ。
「私も頂いてよろしいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
俺に続き、リーネもミルクを飲んだ。
ポケットからマグボトルを取り出し、蓋を開ける。
左手を腰に当て、グビグビと豪快に飲んでいく。
「冷たくて美味しいですね」
「これを流行らせたのは正解だったな」
「流石です、ユートさん」
「いやいや、元を辿ればネネイが――あっ」
話していて思い出す。
マグボトルが流行るきっかけを作ったのはネネイだ。
大好きなイカの串焼きを食べ過ぎて、喉がカラカラになった。
それを見て、俺はマグボトルを閃いたのだ。
ネネイと出会っていなければ、ここにマグボトルはなかった。
「ネネイの存在は偉大だな」
目を瞑り、ネネイの笑顔を想像する。
それだけで、疲れが吹っ飛び、元気になった。
帰ったら、たくさん撫で撫でしてやろう。
「さて、ギルドで報告して家に戻るか」
「そうですね」
ゆっくりと立ち上がる。
夕日に身体を照らしながら、街に足を踏み入れた。
「本日のクエストはいかがでしたか?」
「楽しかったよ。またな、ティア」
「はい、またのお越しをお待ちしております」
急ぎ足でクエストの報告を済ませる。
その時、レベルが上がっていることに気づいた。
今のレベルは八だ。三も上がっていた。
しかし、ステータスポイントを振るのは後回しだ。
急いで戻らないと。
そそくさと冒険者ギルドを後にした。
家に到着したのは、それから二〇分後のことだ。
扉を開けるなり、怒声が飛んできた。
「どこへ行っていたなの!」
声の主はネネイだ。
頬をぷくぷくに膨らませている。
両手にはイカの串焼きを持っていた。
「そ、それは……」
「おとーさんとリーネお姉ちゃんの分なの」
「買ってきてくれたのか」
「もう冷たくなっちゃったなの」
ネネイが近づいてくる。
まずはリーネに、「どうぞなの」と串焼きを渡した。
その時の表情は笑顔だ。
リーネも笑顔で「ありがとうございます」と受け取る。
続いて、俺に向かって「むぅーなの」と串焼きを向けた。
見るからに不機嫌そうな表情で、睨みつけてくる。
一言謝った後、礼を言って受け取った。
木の串からしてひんやりしている。
「マスター達が戻るまで、ネネイはここで待ち続けていた」
「そうだったのか、悪いことをしてしまったな」
「本当なの! おとーさんなんか、ぶぅーなの!」
ネネイの不機嫌度は一〇〇パーセントだ。
俺は全身全霊を込めて平謝りに徹した。
このままでは、撫で撫でどころではない。
「もういいなの! イカさんを食べてなの!」
「本当にごめんよ」
俺とリーネは、その場で串焼きを食べた。
ぴたぴたに冷めているけど美味い。
出来立てはもっと美味かったのだろうな。
ますます申し訳ない気持ちになった。
「美味しいよ。ありがとうな」
「ぶぅーなの!」
ネネイが身体を逸らし、こちらに背中を向ける。
しかし、数秒後に再びこちらを向いた。
「帰ってきてよかったなの!」
ネネイは駆け寄ってくると、勢いよく俺に抱き着いた。
顔を俺のお腹に押し当て「心配したなの」と連呼している。
ネネイの頭を優しく撫でながら、俺はもう一度謝った。
「おかえりなさいなの、おとーさん!」
「ただいま、ネネイ」
ギューッと抱き着いた後、ネネイは顔を上げる。
俺に向けて白い歯を見せ、「えへへなの♪」と微笑んだ。
一切の邪な気持ちを浄化する女神のような笑顔である。
ネネイがいなければ、この笑顔を見ることもできない。
ネネイと出会えて、本当に良かった。
「さて、ご飯を食べに行くか」
「はいなのー♪」
ネネイと手を繋いで、家を出ようとする。
その時だった――。
「ユートさん」
「どうした? リーネ」
「忘れる前にステータスポイントを振られては?」
この言葉により、ネネイが繋いでいた手を離す。
ニコニコの笑みが消え、再び険しくなっていく。
やばいぞ、やばいぞ。
「おとーさん、どういうことなの?」
「実は今日、ゾンビを狩っていて……」
「それでレベルを上げたなの?」
「そう。五から八に……」
「抜け駆けなの! ネネイより高いなの!」
ネネイの頬が膨らんでいく。
今、俺がするべきことは何か。
そんなの、決まっている。
俺はしゃがみ、頭を差し出した。
「どうぞ」
「おとーさんなんか、ぶぅーなの!」
盛大にチョップされた。
【最新ステータス】
名前:ユート
レベル:8
攻撃力:9
防御力:15
魔法攻撃力:1
魔法防御力:15
スキルポイント:5
相変わらず賑わっている。
「でさ、ガーゴイルが反撃してきて――」
「あいつの回復がすげぇいいタイミングで――」
「あの洞窟行ったことある? 蜘蛛の――」
ガヤガヤ、ガヤガヤ。
そこら中から、冒険者の会話が聞こえてくる。
自慢げに死闘の模様を語っている奴。
ダンジョンで拾った物が高く売れたと喜ぶ奴。
これから挑むクエストの作戦を詰めている奴。
話の内容は色々だが、どれも聞いていて楽しい。
冒険者の年齢は様々だ。
俺より若い奴らもそれなりにいる。
かと思えば、ベテランの風格が漂う老練も。
ウキウキしながら、俺は受付カウンターに向かった。
受付嬢のエルフは、例外なくスラッとしていて美人だ。
ピンッと尖がったエルフ特有の耳は、どこか神秘的である。
「お久しぶりです、ユートさん」
カウンターに着くと、受付嬢が話しかけてくる。
久しぶりらしいが、俺はこの女を覚えていなかった。
だから、リーネに「誰か覚えているか?」と耳打ちする。
それが聞こえていたみたいで、受付嬢は小さく笑った。
「お二人が冒険者登録をする際に担当させていただいた者です」
「そうだったんだ?」
説明を受けてもなお、思い出せなかった。
数千人の冒険者を相手にする受付嬢が覚えていて、俺が覚えていない。
その事実に、俺は衝撃を受けると同時に、記憶力のなさを呪った。
しかし三秒後には、端正な顔立ちをしている相手が悪いと開き直る。
右を見ても美人、左を見ても美人。エルフは美人しかいない。
その上、髪の色は金で統一されている。
「覚えていないのは無理もありません」
受付嬢が自身の髪を触る。
肩にかかる程の長さをした金色の髪だ。
毛先をつまむと、顎の前まで持ってきてから離した。
サラサラと元の位置に戻っていく。
「前にお会いした時は、もう少し髪が伸びていました」
受付嬢が、水平に傾けた手を胸元まで下ろす。
どうやら、以前は胸元程の長さだったらしい。
そう言われて、徐々に思い出してきた。
「よかったら名前を教えてくれませんか?」
「はい、ティアと申します」
「分かりました。俺の名前はユートです」
「あはは、知っております」
軽くボケて、適当に話をまとめた。
名前を訊いておけば、今度からは忘れないだろう。
「それで、本日のご用件は、個人クエストの発注でしょうか?」
俺が商売に明け暮れていることは、ティアも知っているようだ。
そうでなければ、「クエストの受注か?」と質問するのが普通である。
「いえ、今日は討伐クエストを受注したくて来ました」
「え、討伐クエストの受注ですか?」
聞き間違いを疑うレベルで驚くティア。
その反応は無理もない。
討伐クエストの報酬が金だからだ。
俺のレベルなら、報酬はよくて一万ゴールド。
一方、俺の所持金は二〇〇〇億オーバー。
資産残高を知らなくても、億万長者であることは知っているだろう。
そんな人間が、下手すれば命を落としかねない討伐クエストに申し込む。
普通ではありえないことだ。
「レベル五でも余裕なやつをお願いします」
「わ、わかりました」
ティアは三枚の用紙を取り出した。
クエスト表と呼ばれる紙だ。
名前の通り、クエストの情報が書かれている。
「ご要望に該当するクエストはこちらになります」
「手に取って眺めても?」
「はい、問題ございません」
俺は三枚の用紙を手に取り、一枚ずつ見ていく。
==========
【クエスト名】
ゴブリンの討伐
【内容】
始まりの森に棲息しているゴブリンの討伐
(最大二〇体迄)
【報酬】
一体目:五〇〇〇ゴールド
二体目以降:一体につき二〇〇〇ゴールド
【備考】
特になし
==========
一枚目はゴブリンの討伐だ。
これは何度かこなしたことがある。
ゴブリンとの戦闘はやや飽き気味だ。
どうせなら違うやつを受けたい。
「これは結構です」
一枚目をティアに返し、二枚目に移る。
==========
【クエスト名】
ジュニアゾンビの討伐
【内容】
ゾンビの巣の最奥部に棲息しているジュアゾンビの討伐
(最大三〇〇体迄)
【報酬】
一体につき三五〇〇ゴールド
【備考】
特になし
==========
二枚目はゾンビの討伐か。
ゴブリンに比べて、一体目の報酬が少なく、二体目以降は多い。
また、報酬が発生する討伐数の上限が一桁多い。
数を狩るタイプなのだろう。
ということは、個々の戦闘能力は低いに違いない。
戦闘経験のない俺にもってこいのクエストだ。
「一応、三枚目も確認しておくか」
二つ返事で決める前に、三枚目にも目を通すことにした。
==========
【クエスト名】
トークキングの討伐
【内容】
八百万の大空洞に棲息しているトークキングの討伐
【報酬】
一〇万ゴールド
【備考】
必須:ガイドスキル
推奨:エスケープスキル
推奨:氷属性の攻撃スキル
推奨:攻撃力又は魔法攻撃力一〇以上
推奨:魔法防御力一五以上
==========
一目見て悟った。
「あ、これ無理なやつだ」
スキルはまだしも、ステータス条件が論外。
攻撃力と魔法攻撃力は共に一〇以下だ。
さらに魔法防御力も足りていない。
そしてこの報酬額。一体一〇万。
間違いなく単体の戦闘力が高い。
上限の設定がないあたり、数も少ないだろう。
一体から、多くても三体程度。
ネトゲにおける『ボスモンスター』だ。
そんな奴に俺が挑めばどうなるか。
結果は想像に容易い。
瀕死の重傷を負うか、それとも死ぬかだ。
おそらくは後者だろう。
「よし、ゾンビの討伐にしよう!」
「ジュニアゾンビの討伐でよろしいですか?」
「はい、それでお願いします」
「かしこまりました」
かくして、俺のクエストは『ジュニアゾンビの討伐』に決まった。
◇
クエストが決まるなり、目的地に出発だ!
……となるのは、よほどのベテランか愚か者だろう。
俺みたいな初心者は、手堅く戦闘準備を整える。
そんなわけで、スキル屋にやってきた。
汎用スキルを習得する為の場所だ。
「リーネ、久々だから改めて確認させてくれ」
「はい、なんなりとどうぞ」
「君はたしか、戦闘には参加しないんだよな?」
「そうです。戦闘後に負傷していれば回復します」
「オーケー」
リーネはあくまで傍観者だ。
同行するが、戦闘はしない。
唯一の仕事は回復のみ。
それも、戦闘後の話だ。
戦闘中に負傷しても、助けてはくれない。
「そうすると、回復スキルを覚えるべきか」
スキルの書かれた本をパラパラとめくっていく。
スキル屋には、タイプ別に三色の本がある。
それを参考に、覚えたいスキルを選ぶ仕組みだ。
今開いているのは赤色の本。
この本には、攻撃系のスキルが掲載されている。
「ユートさん、攻撃系のスキルを習得するのですか?」
「もちろん習得しないよ。試しに開いただけさ」
攻撃スキルの性能は『魔法攻撃力』に依存する。
しかし、俺の魔法攻撃力は最低の一だ。
攻撃系のスキルを覚えたところで、まともな火力にならない。
それならば、まだ支援系のスキルを覚える方がマシだろう。
そう思い、支援系を掲載している青色の本を開いた。
「たしか支援系も魔法攻撃力に依存されるんだよな?」
「そうです」
「なら回復スキルもあてにならないよなぁ」
「現状ですと、擦り傷を治せる程度かと」
「うん、論外だ」
残っているのは緑色の本のみ。
これには移動系スキルが掲載されている。
唯一、魔法攻撃力の影響を受けないタイプだ。
「よし、ここを出よう」
「え、移動系の本は見ないのですか?」
「必要がないからな」
移動系スキルとは、一言で表すと瞬間移動だ。
移動先は、過去に訪れたことのある場所に限られている。
しかし、俺はラングローザ以外には行ったことがない。
だから、『エスケープタウン』以外の移動スキルは不要なのだ。
エスケープタウンさえあれば、どこからでも街に戻れる。
結局、何のスキルも習得しなかった。
◇
酒場でミルクを調達した後、俺達は街を出た。
ミルクは、五本のマグボトルに満タンまで入れてある。
持つのはリーネだ。
戦闘をしない代わりに、荷物持ちを担当する。
本当はリュックに入れるつもりだった。
しかし、俺はリュックを家に忘れてきたのだ。
取りに帰るのも面倒なので、リーネのフロントポケットに入れた。
ジュニアゾンビが棲息するダンジョン『ゾンビの巣』。
ラングローザから東に進むとある……らしい。
巣という名前だが、見た目は洞窟だとティアから聞いた。
「あれだな、ゾンビの巣」
「そのようですね」
街の東にある草原を進むことしばらく。
前方に洞窟が見えてきた。
入口は、カバの口みたいに大きく開いている。
天井は高く、幅も広い。
「ゾンビ狩りの時間だ!」
「頑張って下さい、ユートさん」
「おうよ!」
俺は武器を取り出した。
穂以外の全てが真紅に染まった直槍だ。
その名は『プリン』。俺が命名した。
槍を両手で構え、恐る恐ると洞窟に侵入する。
いつもと違い、今回はサポートが居ない。
緊張と恐怖で、体がそわそわとする。
ただ、それ以上に興奮していた。
こんな経験、リアルでは絶対に出来ない。
「待て、リーネ!」
歩き出してすぐ、俺は足を止めた。
リーネが「どうかしましたか?」と訊いてくる。
「暗くて前が見えない」
「たしかに、真っ暗ですね」
洞窟内に光源がない。
唯一の光源は太陽の光だ。
その光が、届かなくなってきた。
「照明スキルを習得しておくべきだったぜ」
洞窟で明かりを確保する方法は二つある。
松明などの道具を使うか、スキルに頼るかだ。
俺の場合、そのどちらもなかった。
照明スキルは支援系に分類される。
その為、効果は魔法攻撃力に依存されるのだ。
だから、覚えても役にたたないだろうとスルーした。
現場にきて、それは失敗だったと痛感する。
どれだけ光力が弱くても、ないよりはマシだ。
「なんでしたら、私が照明スキルを使いましょうか?」
「え、いいのか?」
「はい、問題ございません」
流石は神の使い。
渡りに船とはこのことだ。
「頼む、リーネ」
「任せてください――ライト」
リーネの頭上に、光の玉が浮かぶ。
大きさは野球ボールくらい。
これが照明スキル『ライト』だ。
「最高だぜ、リーネ」
「いえいえ」
非常に明るい。
にもかかわらず、眩しくはなかった。
光の玉を直視しても、目が痛くならない。
ライトにより、視界が十分に確保される。
問題がなくなったので、俺達は進行を再開した。
「深いな」
「ですね」
ゾンビの巣は、思ったよりも遥かに深かった。
かれこれ三〇メートルは歩いたが、最奥部には着いていない。
進めば進むほど、湿度が上がっていく。
今では、じめじめして不愉快だ。
それに、硫黄のような臭いも鼻につく。
「ここが最奥部だな」
五〇メートル程進んだところで、最奥部に到着した。
それに合わせて、緩やかな勾配だった道が平坦となる。
道中とは違い、開けた場所だ。
ライトの効果により、二〇メートル先の壁まで見える。
そこに至るまでの間には何もない。
せめて宝箱の一つくらいは欲しかった。
「ところで、モンスターはどこだ」
「さぁ……?」
最奥部に着くまでの間、モンスターとの戦闘はなかった。
手汗を湧かせながら槍を握っていたというのに!
だが、それはいい。
問題なのは、今もモンスターの姿が見当たらないことだ。
ホラー物にありがちな、頭上に大量のモンスターが……ということもない。
右、左、前、上、下、どこを見ても、ジュニアゾンビはいない。
「もしかしたら、先客がいて殲滅していったのかな」
「わかりません」
「とりあえず、奥の壁にタッチして何もなかったら帰るか」
「わかりました」
ないとは思うが、もしかしたら隠し扉があるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、奥まで移動した。
左手の掌をペタッと当てる。
水滴を浮かべる程の湿った壁だ。
気持ち悪いだけで、他には何もない。
「仕方ない、帰ろう」
せっかくのクエストがこれか。
落胆しながら振り返ったその時――。
「ヴォオオ!」
どこからともなく大量のモンスターが現れた。
すごい数だ。数百は確実として、四桁もあり得るぞ。
ジュニアの名に相応しい、一三〇センチ程の小さなゾンビだ。
見た目はゲームや映画でお馴染みの姿をしている。
ぐちゃぐちゃにただれた全身と、妙に鋭い牙。
「ここに来るとスポーンする仕組みになっていやがったか」
ついついネトゲ用語が飛び出す。
スポーンとは、突如として現れることを指す言葉だ。
「ユートさん、スポーンをご存じでしたか」
「む? エストラでもこの現象はスポーンと呼ぶのか?」
「はい。その言い方ですと、ネトゲでも?」
「そうだよ。まぁ、話は後だ」
俺は槍を両手で握った。
「いざとなればエスケープ……いざとなればエスケープ……」
自分に言い聞かせる。
危険だと思ったら『エスケープタウン』だ。
エスケープタウンを発動すれば、即座に街へ戻れる。
落ち着いていけば、問題はない。
そうは思っていても、足がすくむ。
目の前にウジャウジャとゾンビが居るのだから当然だ。
「ヴォオオオ」
ゾンビ達がゆっくりと押し寄せてくる。
その動きは、ゴブリンよりも遥かに遅い。
「もしも俺が死んだら、ネネイに謝っておいてくれ」
「お断りします」
「はぁ……。なら無茶はできないな」
俺は苦笑いを浮かべ、ゾンビに突っ込んだ。
とりあえず、正面のゾンビに向かって突きを繰り出す。
「ヴォオオオ……」
あっさりと死滅した。
案の定、クソ雑魚だ。
これならいけるぞ!
「オラァ! オラオラァ!」
俺はでたらめに槍を振り回す。
カス当たりだろうと、ゾンビは死んでいく。
ゴブリンよりも遥かに脆い。
その上、動きもノロノロときた。
おかげで、反撃される恐れがまるでない。
「ドリャア!」
「ナイスです、ユートさん」
「アチョー!」
「これで二〇体目です、ユートさん」
「フンガー!」
「いよいよ五〇体目です、ユートさん」
「セイドリュー!」
「流石です、ユートさん」
あるアクションゲームを思い出した。
三国志や戦国時代を舞台にした作品だ。
ボタンの連打で、ワラワラと集まる兵士を蹴散らす。
まさにそのゲームのキャラクターになった気分だ。
ドバドバと溢れだす脳内物質。
ドーパミン、エンドルフィン、セロトニン!
迸る無双感に酔いしれる。
「たまらねぇぜぇ!」
「残り五三〇体です、ユートさん」
「はぁ!? まだそんなに残っているのかよ!」
かれこれ数百体は倒した。
なのに、まだまだ数は尽きない。
「たしか最弱モンスターってゴブリンだよな?」
「そうです」
「明らかにこいつの方が弱いと思うぞ」
「強さの評価に数が含まれているのかもしれませんね」
「なるほど、尋常じゃない数だもんな」
「はい」
「おかげで俺は疲れたよ。槍を振るう腕が痛い」
「頑張ってください、ユートさん」
緊張や恐怖から、極度の興奮状態に変わってしばらく。
敵が弱すぎて、次第に心が落ち着き始める。
脳内物質の分泌速度が、急速に低下していく。
それにより、途端に疲労感が身体を支配しはじめた。
「はぁ……はぁ……」
「残り二八〇体です、ユートさん」
「も、もう……ダメだ……」
俺は殲滅することを諦めた。
槍を振り回しながら『エスケープタウン』を発動する。
ゾンビの巣に居た俺達の身体が、一瞬で街の外に移動した。
「え、戦うのを止めたのですか?」
「も、もう限界だ……」
俺は槍をしまい、その場に倒れ込んだ。
二万ゴールドで買ったスーツは、汗でビショビショだ。
何かと汚れているし、これは新しい物に買い替えだな。
「お疲れ様です、ユートさん」
リーネはフロントポケットに手を突っ込んだ。
マグボトルを一本取り出し、こちらに向けてくる。
「ミルクはいかがですか?」
「はぁ……はぁ……飲もう……」
俺はマグボトルを受け取った。
城壁にもたれるようにして座り込み、蓋を開ける。
そして、迷うことなく一気飲みした。
「くぅー! 蘇る!」
ミルクはキンキンに冷えていた。
酒場で買った時の冷たさをしている。
流石は真空断熱マグボトルだ。
「私も頂いてよろしいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
俺に続き、リーネもミルクを飲んだ。
ポケットからマグボトルを取り出し、蓋を開ける。
左手を腰に当て、グビグビと豪快に飲んでいく。
「冷たくて美味しいですね」
「これを流行らせたのは正解だったな」
「流石です、ユートさん」
「いやいや、元を辿ればネネイが――あっ」
話していて思い出す。
マグボトルが流行るきっかけを作ったのはネネイだ。
大好きなイカの串焼きを食べ過ぎて、喉がカラカラになった。
それを見て、俺はマグボトルを閃いたのだ。
ネネイと出会っていなければ、ここにマグボトルはなかった。
「ネネイの存在は偉大だな」
目を瞑り、ネネイの笑顔を想像する。
それだけで、疲れが吹っ飛び、元気になった。
帰ったら、たくさん撫で撫でしてやろう。
「さて、ギルドで報告して家に戻るか」
「そうですね」
ゆっくりと立ち上がる。
夕日に身体を照らしながら、街に足を踏み入れた。
「本日のクエストはいかがでしたか?」
「楽しかったよ。またな、ティア」
「はい、またのお越しをお待ちしております」
急ぎ足でクエストの報告を済ませる。
その時、レベルが上がっていることに気づいた。
今のレベルは八だ。三も上がっていた。
しかし、ステータスポイントを振るのは後回しだ。
急いで戻らないと。
そそくさと冒険者ギルドを後にした。
家に到着したのは、それから二〇分後のことだ。
扉を開けるなり、怒声が飛んできた。
「どこへ行っていたなの!」
声の主はネネイだ。
頬をぷくぷくに膨らませている。
両手にはイカの串焼きを持っていた。
「そ、それは……」
「おとーさんとリーネお姉ちゃんの分なの」
「買ってきてくれたのか」
「もう冷たくなっちゃったなの」
ネネイが近づいてくる。
まずはリーネに、「どうぞなの」と串焼きを渡した。
その時の表情は笑顔だ。
リーネも笑顔で「ありがとうございます」と受け取る。
続いて、俺に向かって「むぅーなの」と串焼きを向けた。
見るからに不機嫌そうな表情で、睨みつけてくる。
一言謝った後、礼を言って受け取った。
木の串からしてひんやりしている。
「マスター達が戻るまで、ネネイはここで待ち続けていた」
「そうだったのか、悪いことをしてしまったな」
「本当なの! おとーさんなんか、ぶぅーなの!」
ネネイの不機嫌度は一〇〇パーセントだ。
俺は全身全霊を込めて平謝りに徹した。
このままでは、撫で撫でどころではない。
「もういいなの! イカさんを食べてなの!」
「本当にごめんよ」
俺とリーネは、その場で串焼きを食べた。
ぴたぴたに冷めているけど美味い。
出来立てはもっと美味かったのだろうな。
ますます申し訳ない気持ちになった。
「美味しいよ。ありがとうな」
「ぶぅーなの!」
ネネイが身体を逸らし、こちらに背中を向ける。
しかし、数秒後に再びこちらを向いた。
「帰ってきてよかったなの!」
ネネイは駆け寄ってくると、勢いよく俺に抱き着いた。
顔を俺のお腹に押し当て「心配したなの」と連呼している。
ネネイの頭を優しく撫でながら、俺はもう一度謝った。
「おかえりなさいなの、おとーさん!」
「ただいま、ネネイ」
ギューッと抱き着いた後、ネネイは顔を上げる。
俺に向けて白い歯を見せ、「えへへなの♪」と微笑んだ。
一切の邪な気持ちを浄化する女神のような笑顔である。
ネネイがいなければ、この笑顔を見ることもできない。
ネネイと出会えて、本当に良かった。
「さて、ご飯を食べに行くか」
「はいなのー♪」
ネネイと手を繋いで、家を出ようとする。
その時だった――。
「ユートさん」
「どうした? リーネ」
「忘れる前にステータスポイントを振られては?」
この言葉により、ネネイが繋いでいた手を離す。
ニコニコの笑みが消え、再び険しくなっていく。
やばいぞ、やばいぞ。
「おとーさん、どういうことなの?」
「実は今日、ゾンビを狩っていて……」
「それでレベルを上げたなの?」
「そう。五から八に……」
「抜け駆けなの! ネネイより高いなの!」
ネネイの頬が膨らんでいく。
今、俺がするべきことは何か。
そんなの、決まっている。
俺はしゃがみ、頭を差し出した。
「どうぞ」
「おとーさんなんか、ぶぅーなの!」
盛大にチョップされた。
【最新ステータス】
名前:ユート
レベル:8
攻撃力:9
防御力:15
魔法攻撃力:1
魔法防御力:15
スキルポイント:5
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