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第006話 アリサ・リーンベルトを買収
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「投資対象が割安かどうかなど、誰にもわかりません」
受付嬢の表情が一瞬だけ変わった。
営業スマイルが崩落し、呆れたようなものに。
しかし、プロ意識からか、瞬時にそれを修正する。
俺が「えっ?」と驚く。
では他の皆は、どうやって投資するのだ?
そう口にする前に、受付嬢が続けた。
「先ほども申しました通り、投資家によって投資スタイルが異なるのです。ですから、人によって安い高いは異なります。たとえば肉体的接触を伴うアプローチを【優待】としている冒険者が良い例です。他の同ランク冒険者と比較して、明らかに高い価格で推移していることが多いです。それでも価格が落ちないのは、その価格でも買う人がいるからに他なりませんし、そういった方々からすると明らかに高いその価格こそが『適正』や『割安』になります」
言わんとすることは理解できた。
そして、俺の質問が愚かであったことも。
だが、受付嬢は止まらない。
「サンプルページのトウキチ・フジヨシについてもそうです。トウキチの株価は約二万であり、仮にその価格で全一万株を保有しても二億です。ところがトウキチの【預金】は二十億を超えています。<株主総会>で議案が通れば、【預金】を使って他人の株を購入することも可能になります。そう考えますと割安に感じるかもしれません。しかし、トウキチとネネラで株の過半数を抑えている上に、【配当】の額が純利益の一割程度しかない。そこに着眼すると、今度は割高にも感じますよね。要するに考え方次第なのです」
そうなると――。
「自分の投資スタイルを決めてから投資するのが良さそうだ」
「そうですね。私もそれが良いと思います」
最低でも、どちらの派閥で行くか決めないとな。
買った時よりも高く売るキャピタルゲイン派か。
それとも、配当でウマウマするインカムゲイン派か。
または、金銭的利益は度外視の、【優待】目的でもいい。
「そういえば、株式はどうやったら買えるのですか?」
話題変更も兼ねて、質問を出す。
「ご説明させて頂きます」
受付嬢は、俺に断ってから投資ブックをめくり始めた。
ペラペラとページを進み、表紙を開いてすぐのところで止まる。
そこには、どう見てもICを入れる為のポケットがあった。
「まず、このポケットにICを差し込んでください」
「向きは?」
「問題ありません」
USBメモリにも見習わせたいセリフだ。
俺は「分かった」と言いながら、カードを差し込んだ。
その瞬間、本の丈夫に文字が浮かびあがった。
地球における拡張現実――ARと呼ばれる技術に似ている。
浮かび上がった文字には、俺の情報が書かれていた。
===============
【名前】トウヤ・アキフネ
【所持金】九九九九万〇〇〇〇ゴールド
【保有株】なし
===============
「今から架空の売買取引を実演します。方法は現実とまったく同じですので、ご参考くださいませ」
受付嬢は、投資ブックのページをサンプルに戻した。
すると、浮かんでいる文字に情報が追加される。
一目見て分かった。
開いている銘柄の買い注文を行う為のものだ。
===============
【銘柄名】トウキチ・フジキチ
【注文方式】買い付け
【価格】二〇〇五〇ゴールド
【数量】一株
===============
受付嬢が指でタッチして情報を入力する。
入力しながら、「サンプル以外はご本人様のみ操作できます」と説明。
それを聞いてホッとした。
「あとは一番下の【買い付け】を押せば完了となります」
そう言って、受付嬢が実演してみせる。
売り条件と同じ額で買い注文を出したので即決した。
表示されている俺の情報に変化が起きる。
【保有株】が『トウキチ・フジヨシ(一株:〇・〇一%)』になった。
「サンプルですので、ICを抜くと再び『なし』に戻ります」
そう言いながら、今度は買ったトウキチ株を売りに出した。
【保有株】に記載されているトウキチ株を指でポンッと叩く。
すると売り注文用の画面が表示された。
【注文方式】が売り付けに変わっただけだ。
先ほどと同じ要領で【価格】と【数量】を入力する。
それから、最下部にある【売り付け】を押した。
今度も即決だ。
「これで終了となります。トウヤ様もお試しになりますか?」
「はい、お願いします」
いきなり本物に投資するのは緊張するからな。
まずは増減のないサンプルで体験しておこう。
受付嬢の操作を思い出しながら買い付けを行った。
問題なく成功したので、今度は売り付けを行う。
これも無事に成功。とても簡単だ。
「これで売買の方法もマスターしました。ありがとうございます」
「いえいえ。あと、投資を始めるにあたって、取引時間はお気を付け下さい」
「取引時間?」
「はい。取引は九時から十一時と十三時から十五時の間のみ可能です」
九時か十一時と聞き、ある単語を思い出した。
思い出すと同時に、その言葉を口にする。
「前場か……!」
宿屋の主人にチェックアウト時間を聞いた時に知った言葉だ。
受付嬢が「ご存じでしたか」と驚く。
俺は「名前だけ」と苦笑い。
「トウヤ様の仰る通り九時から十一時を前場と言います。同様に十三時から十五時を後場といいます。投資ギルドでの売買取引は前場と後場の間しか行えません。また、前場と後場の一時間前……前場であれば八時から、後場であれば十二時から売買の注文を出すことは可能です」
「えっ、でも、取引出来るのは前場と後場だけでは?」
「はい。注文は一時間前から受け付けていまして、前場と後場の開始時間がきた時点で、成立している買い注文と売り注文を処理します」
ここで一つの名案を閃く。
それが可能であるかを知る為に、確認をとる。
「前場が終わった際に残っていた注文はどうなるのですか?」
「後場が終わるまで引き継がれます」
やっぱりそうだよなぁ、と落胆。
もしも注文が引き継がれずに削除されるなら……と思ったのだ。
俺が閃きそうな狡い手はどれも潰されている。
「そういえば、さっき『投資ギルドでの売買取引は』と言っていたけど、他でも売買取引できるのですか?」
「他の施設では無理ですが、個人間で取引を行うことが可能です」
「なるほど。それはどうすれば出来るのですか?」
「株式とは関係のない通常の取引同様、ICを重ねることによって取引が成立します。こちらの方法ですと、投資ギルドに上場していない冒険者の株式を売買することも可能ですし、時間の制限もありません。ただ、投資ギルドに上場していない株式は、売却が困難ですのでご注意ください」
売却が困難なことは想像に容易い。
投資ブックに掲載されないからだ。
「詳しく教えてくれてありがとうございます」
受付嬢は、「それが仕事ですので」とニッコリ。
満点の営業スマイルは、我が鼻の下を僅かに伸ばしてくれた。
このお姉さんのおかげで、最低限のことは理解できた気がする。
「うーん、どうするかなぁ」
ここまで来て、クソ丁寧に話を受けたからには、何か買おう。
そう思って投資ブックをパラパラするも、中々ピンとこない。
自分がどういう投資スタイルで行くかはもう決まっていた。
【配当】か【優待】を狙った長期保有スタイルだ。
俺の性格上、こまめに値段の増減を確認するのは難しい。
天性の面倒臭がりだからだ。
可能な限り株価を気にしないスタイルが望ましい。
そうしてたどり着いたのが、【配当】と【優待】狙いのスタイル。
まずは【配当】の良い銘柄探しからだ。
兎にも角にも大事なのはお金である。金、金、金。
だから【優待】よりも【配当】に注目しよう。
――と、思ったのだが。
「うーん……どれもパッとせん……」
しっくり来る銘柄が見つからないのだ。
投資に不慣れなせいで、どれも嫌な気がする。
俺が買おうとしている株は、他人が売った物なんだぜ?
売り注文を出している奴は、間違いなく俺よりも精通している。
そんな人間が「イラネ! 売りだ!」と思った物なわけだ。
もちろん、受付嬢に言われたことは覚えている。
割安と感じるかどうかはその人次第だ。
でも、他人がイラネと思った物で稼げるのだろうか。
「お悩みですか?」
悶々とする俺に、受付嬢が声をかけてきた。
だから俺は、恥を承知で思いの丈をぶちまける。
「分かってはいるのですが……どうもしっくりこなくて……」
「そのお気持ちは分かります」
予想外の反応だった。
嘲笑待ったなしだろうな、と思っていたからだ。
だから俺は「えっ?」と驚く。
「トウヤ様と同じようなお考えをされるお客様は他にもおられます。そういった方には、IPOの購入をオススメしております」
「IPO……?」
またしても知らない単語だ。
首を傾げる俺に、「新規公開株のことです」と受付嬢が言う。
「上場したてで、まだ他人が取引していない株のことです。IPO株の株価は、投資ギルドが部外秘の独自手法で決定します。価格が決定すると、翌日から投資ブックに追加され、一般公開されます」
上場したての株で、価格は投資ギルドが決めたもの。
それなら、他人の手垢を気にしないでいい。
「IPO株の株価は投資ギルドが決定するというルール上、投資家の思う『適正価格』から逸脱していることがあります。それはつまり、通常の株式よりも価格変動が激しいというリスクを孕んでいます。市場価格は投資家達の需要と供給によって決められますので」
手垢は付いていない代わりに、急騰と暴落の可能性も高くなるわけだ。
「IPO株について質問なのですが、投資ギルドのつけた価格で公開して、誰も買わなかったり、一部が売れ残ったりした場合はどうなるのですか?」
「売れ残りが出た場合は、価格を一割引き下げて翌日に売り出します。それでも売れなければまた翌日に一割下げて……と、売れるまで延々に繰り返します」
仕組みは理解出来た。
やはり、今の俺にはIPO株の方が魅力的だ。
「リスクを承知でIPO株を買ってみたいのですが……」
「かしこまりました。こちらのページからIPO株になります」
受付嬢がIPO株のページを教えてくれる。
その一つを見て、俺は驚いた。
新規公開株なのに、【実績】に三年前のデータがあるのだ。
そのことを訊く。
「冒険者には上場の有無にかかわらず、原則として目標額の決定や<決算発表>、それに<株主総会>を開く義務がございます。唯一の例外は、買収されて他人の支配下に入った冒険者のみとなります」
なるほどな。
それで、大体の冒険者は【実績】が三年分埋まっているのか。
てっきり、新米冒険者が即上場するものかと思っていた。
見た限りでは、そんなヒヨコちゃんはいないようだ。
――と、思いきや。
「この人は新米かな?」
「あぁ、アリサさんですか……。一年目の冒険者ですね」
ヒヨコちゃんを発見した。
アリサ・リーンベルトという女だ。
===============
【銘柄名】
アリサ・リーンベルト
【年齢】
二十
【性別】
女
【職業】
未定
【ランク】
F
【活動内容】
駆け出しですがよろしくお願いします!
調達した資金で装備の拡充とスキルの強化を図ります!
ユニークスキルはありません! 汎用スキルもまだ何も!
それでも目指すはSランク冒険者!
【価格】
売:四七八三(一万〇〇〇〇)
【配当】
なし
【優待】
なし
【支配】
なし
【保有株】
なし
【目標額】
三〇〇万ゴールド
【実績】
[一年前]なし
[二年前]なし
[三年前]なし
【大株主】
なし(全株売り出し中の為)
【月給】
四〇万ゴールド
【預金】
一五万ゴールド
===============
【実績】は埋まっておらず、【配当】と【優待】もない。
【月給】は雀の涙であり、【預金】も寂しいものだ。
【職業】に至っては『未定』になっている……。
受付嬢は左右を確認した後、ヒソヒソと耳打ちしてきた。
「本来、こういう事を言ってはいけないのですが、アリサさんはオススメしません」
「どうしてですか?」
「見ての通り実績のない新米ですし、何より職業欄が前代未聞です。未定の理由は、本人が『得られたお金で今後のことを決めようかと!』などと言ったからなんですよ。そんな有様ですので、株価も最低価格の一万からスタートしました。しかしながら、それでも売れず、いよいよ半額の五千を割りました。おそらくもっと下がりますよ」
この受付嬢のことは信頼していた。
今の今まで、懇切丁寧に説明してくれていたからだ。
おそらく、アリサについて彼女が言っていることも間違いない。
俺みたいな素人目でさえ「これはダメな株!」と直感したくらいだ。
だからこそ、俺は惹かれた。
そして、惹かれたが故に気がついた。
アリサの売り出し株数が一万であることに。
「売り出しの一万株、全て買ったら買収できるんですよね?」
念のために確認する。
「もちろん可能ですが……。もしかして、アリサさんの買収をお考えですか?」
「そう、そのまさかです」
受付嬢が絶句する。
それから、大慌てで言った。
「説明していませんでしたが、買収を行うと買収した冒険者の【預金】から八割が投資家ギルドに買収税として徴収されますよ」
「アリサとやらの【預金】は一五万だから、徴収されても端金では?」
「いえ、アリサさんの株を売り出しているのは全てアリサさんですので……。今回の場合ですと、買収に要する四七八三万の七割が【預金】に加算されます。これにより【預金】の総額は三三六三万となり、そこから八割……つまり二六九〇万が投資ギルドに徴収されます」
つまり、買収後に残るアリサの【預金】はたったの六七三万ということだ。
ついでに付け加えると、本人の自由口座には一四三五万が振り込まれる。
「買収には【預金】を配当という形で吸い上げられるメリットもあります。しかし、今回の場合はそもそもがトウヤ様のお金。吸い上げる以前の話ですよ……」
俺のことを思っての説明だろう。
受付嬢の悲壮感を漂わせた様子から、真実だと分かる。
それでも、俺は衝動を抑えられなかった。
買収したら……どうなるのだろう……?
所持金の半分を差し出すだけで、人を一人言いなりに出来る……?
たぎる好奇心は凄まじく、心のシーソーは完全に傾いていた。
「ここで俺が見つけたのもの何かの縁だろう。残り物には福があるって言うしね。決めたぜ!」
アリサ株の購入画面に文字を入力する。
===============
【銘柄名】アリサ・リーンベルト
【注文方式】買い付け
【価格】四七八三ゴールド
【数量】一万〇〇〇〇株
===============
受付嬢が「正気の沙汰じゃありませんよ!?」と声を荒らげる。
あまりに珍しい光景だったのか、周囲の者共がこちらを見てきた。
そんなことには目もくれず、俺は【買い付け】ボタンに指を伸ばす。
「押す前に確認ですけど、買い付けに手数料はかかりませんよね? 四七八三万ゴールドに加えて、手数料で三〇〇〇万とか取られたら泣きますよ」
「ご安心ください、取引手数料は一切必要ありません。ですが、その【買い付け】はやはり……お考えを改めたほうがよろしいかと……」
「いえ、もう決めましたから。丁寧に教えてくださったのに、結局暴走する形になってすみませんでした。それでは!」
ポチッ。
俺の【保有株】にアリサ・リーンベルトが追加された。
保有比率、脅威の一〇〇%。
人生初の投資で、俺は同年代の女を買収してしまった。
受付嬢の表情が一瞬だけ変わった。
営業スマイルが崩落し、呆れたようなものに。
しかし、プロ意識からか、瞬時にそれを修正する。
俺が「えっ?」と驚く。
では他の皆は、どうやって投資するのだ?
そう口にする前に、受付嬢が続けた。
「先ほども申しました通り、投資家によって投資スタイルが異なるのです。ですから、人によって安い高いは異なります。たとえば肉体的接触を伴うアプローチを【優待】としている冒険者が良い例です。他の同ランク冒険者と比較して、明らかに高い価格で推移していることが多いです。それでも価格が落ちないのは、その価格でも買う人がいるからに他なりませんし、そういった方々からすると明らかに高いその価格こそが『適正』や『割安』になります」
言わんとすることは理解できた。
そして、俺の質問が愚かであったことも。
だが、受付嬢は止まらない。
「サンプルページのトウキチ・フジヨシについてもそうです。トウキチの株価は約二万であり、仮にその価格で全一万株を保有しても二億です。ところがトウキチの【預金】は二十億を超えています。<株主総会>で議案が通れば、【預金】を使って他人の株を購入することも可能になります。そう考えますと割安に感じるかもしれません。しかし、トウキチとネネラで株の過半数を抑えている上に、【配当】の額が純利益の一割程度しかない。そこに着眼すると、今度は割高にも感じますよね。要するに考え方次第なのです」
そうなると――。
「自分の投資スタイルを決めてから投資するのが良さそうだ」
「そうですね。私もそれが良いと思います」
最低でも、どちらの派閥で行くか決めないとな。
買った時よりも高く売るキャピタルゲイン派か。
それとも、配当でウマウマするインカムゲイン派か。
または、金銭的利益は度外視の、【優待】目的でもいい。
「そういえば、株式はどうやったら買えるのですか?」
話題変更も兼ねて、質問を出す。
「ご説明させて頂きます」
受付嬢は、俺に断ってから投資ブックをめくり始めた。
ペラペラとページを進み、表紙を開いてすぐのところで止まる。
そこには、どう見てもICを入れる為のポケットがあった。
「まず、このポケットにICを差し込んでください」
「向きは?」
「問題ありません」
USBメモリにも見習わせたいセリフだ。
俺は「分かった」と言いながら、カードを差し込んだ。
その瞬間、本の丈夫に文字が浮かびあがった。
地球における拡張現実――ARと呼ばれる技術に似ている。
浮かび上がった文字には、俺の情報が書かれていた。
===============
【名前】トウヤ・アキフネ
【所持金】九九九九万〇〇〇〇ゴールド
【保有株】なし
===============
「今から架空の売買取引を実演します。方法は現実とまったく同じですので、ご参考くださいませ」
受付嬢は、投資ブックのページをサンプルに戻した。
すると、浮かんでいる文字に情報が追加される。
一目見て分かった。
開いている銘柄の買い注文を行う為のものだ。
===============
【銘柄名】トウキチ・フジキチ
【注文方式】買い付け
【価格】二〇〇五〇ゴールド
【数量】一株
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受付嬢が指でタッチして情報を入力する。
入力しながら、「サンプル以外はご本人様のみ操作できます」と説明。
それを聞いてホッとした。
「あとは一番下の【買い付け】を押せば完了となります」
そう言って、受付嬢が実演してみせる。
売り条件と同じ額で買い注文を出したので即決した。
表示されている俺の情報に変化が起きる。
【保有株】が『トウキチ・フジヨシ(一株:〇・〇一%)』になった。
「サンプルですので、ICを抜くと再び『なし』に戻ります」
そう言いながら、今度は買ったトウキチ株を売りに出した。
【保有株】に記載されているトウキチ株を指でポンッと叩く。
すると売り注文用の画面が表示された。
【注文方式】が売り付けに変わっただけだ。
先ほどと同じ要領で【価格】と【数量】を入力する。
それから、最下部にある【売り付け】を押した。
今度も即決だ。
「これで終了となります。トウヤ様もお試しになりますか?」
「はい、お願いします」
いきなり本物に投資するのは緊張するからな。
まずは増減のないサンプルで体験しておこう。
受付嬢の操作を思い出しながら買い付けを行った。
問題なく成功したので、今度は売り付けを行う。
これも無事に成功。とても簡単だ。
「これで売買の方法もマスターしました。ありがとうございます」
「いえいえ。あと、投資を始めるにあたって、取引時間はお気を付け下さい」
「取引時間?」
「はい。取引は九時から十一時と十三時から十五時の間のみ可能です」
九時か十一時と聞き、ある単語を思い出した。
思い出すと同時に、その言葉を口にする。
「前場か……!」
宿屋の主人にチェックアウト時間を聞いた時に知った言葉だ。
受付嬢が「ご存じでしたか」と驚く。
俺は「名前だけ」と苦笑い。
「トウヤ様の仰る通り九時から十一時を前場と言います。同様に十三時から十五時を後場といいます。投資ギルドでの売買取引は前場と後場の間しか行えません。また、前場と後場の一時間前……前場であれば八時から、後場であれば十二時から売買の注文を出すことは可能です」
「えっ、でも、取引出来るのは前場と後場だけでは?」
「はい。注文は一時間前から受け付けていまして、前場と後場の開始時間がきた時点で、成立している買い注文と売り注文を処理します」
ここで一つの名案を閃く。
それが可能であるかを知る為に、確認をとる。
「前場が終わった際に残っていた注文はどうなるのですか?」
「後場が終わるまで引き継がれます」
やっぱりそうだよなぁ、と落胆。
もしも注文が引き継がれずに削除されるなら……と思ったのだ。
俺が閃きそうな狡い手はどれも潰されている。
「そういえば、さっき『投資ギルドでの売買取引は』と言っていたけど、他でも売買取引できるのですか?」
「他の施設では無理ですが、個人間で取引を行うことが可能です」
「なるほど。それはどうすれば出来るのですか?」
「株式とは関係のない通常の取引同様、ICを重ねることによって取引が成立します。こちらの方法ですと、投資ギルドに上場していない冒険者の株式を売買することも可能ですし、時間の制限もありません。ただ、投資ギルドに上場していない株式は、売却が困難ですのでご注意ください」
売却が困難なことは想像に容易い。
投資ブックに掲載されないからだ。
「詳しく教えてくれてありがとうございます」
受付嬢は、「それが仕事ですので」とニッコリ。
満点の営業スマイルは、我が鼻の下を僅かに伸ばしてくれた。
このお姉さんのおかげで、最低限のことは理解できた気がする。
「うーん、どうするかなぁ」
ここまで来て、クソ丁寧に話を受けたからには、何か買おう。
そう思って投資ブックをパラパラするも、中々ピンとこない。
自分がどういう投資スタイルで行くかはもう決まっていた。
【配当】か【優待】を狙った長期保有スタイルだ。
俺の性格上、こまめに値段の増減を確認するのは難しい。
天性の面倒臭がりだからだ。
可能な限り株価を気にしないスタイルが望ましい。
そうしてたどり着いたのが、【配当】と【優待】狙いのスタイル。
まずは【配当】の良い銘柄探しからだ。
兎にも角にも大事なのはお金である。金、金、金。
だから【優待】よりも【配当】に注目しよう。
――と、思ったのだが。
「うーん……どれもパッとせん……」
しっくり来る銘柄が見つからないのだ。
投資に不慣れなせいで、どれも嫌な気がする。
俺が買おうとしている株は、他人が売った物なんだぜ?
売り注文を出している奴は、間違いなく俺よりも精通している。
そんな人間が「イラネ! 売りだ!」と思った物なわけだ。
もちろん、受付嬢に言われたことは覚えている。
割安と感じるかどうかはその人次第だ。
でも、他人がイラネと思った物で稼げるのだろうか。
「お悩みですか?」
悶々とする俺に、受付嬢が声をかけてきた。
だから俺は、恥を承知で思いの丈をぶちまける。
「分かってはいるのですが……どうもしっくりこなくて……」
「そのお気持ちは分かります」
予想外の反応だった。
嘲笑待ったなしだろうな、と思っていたからだ。
だから俺は「えっ?」と驚く。
「トウヤ様と同じようなお考えをされるお客様は他にもおられます。そういった方には、IPOの購入をオススメしております」
「IPO……?」
またしても知らない単語だ。
首を傾げる俺に、「新規公開株のことです」と受付嬢が言う。
「上場したてで、まだ他人が取引していない株のことです。IPO株の株価は、投資ギルドが部外秘の独自手法で決定します。価格が決定すると、翌日から投資ブックに追加され、一般公開されます」
上場したての株で、価格は投資ギルドが決めたもの。
それなら、他人の手垢を気にしないでいい。
「IPO株の株価は投資ギルドが決定するというルール上、投資家の思う『適正価格』から逸脱していることがあります。それはつまり、通常の株式よりも価格変動が激しいというリスクを孕んでいます。市場価格は投資家達の需要と供給によって決められますので」
手垢は付いていない代わりに、急騰と暴落の可能性も高くなるわけだ。
「IPO株について質問なのですが、投資ギルドのつけた価格で公開して、誰も買わなかったり、一部が売れ残ったりした場合はどうなるのですか?」
「売れ残りが出た場合は、価格を一割引き下げて翌日に売り出します。それでも売れなければまた翌日に一割下げて……と、売れるまで延々に繰り返します」
仕組みは理解出来た。
やはり、今の俺にはIPO株の方が魅力的だ。
「リスクを承知でIPO株を買ってみたいのですが……」
「かしこまりました。こちらのページからIPO株になります」
受付嬢がIPO株のページを教えてくれる。
その一つを見て、俺は驚いた。
新規公開株なのに、【実績】に三年前のデータがあるのだ。
そのことを訊く。
「冒険者には上場の有無にかかわらず、原則として目標額の決定や<決算発表>、それに<株主総会>を開く義務がございます。唯一の例外は、買収されて他人の支配下に入った冒険者のみとなります」
なるほどな。
それで、大体の冒険者は【実績】が三年分埋まっているのか。
てっきり、新米冒険者が即上場するものかと思っていた。
見た限りでは、そんなヒヨコちゃんはいないようだ。
――と、思いきや。
「この人は新米かな?」
「あぁ、アリサさんですか……。一年目の冒険者ですね」
ヒヨコちゃんを発見した。
アリサ・リーンベルトという女だ。
===============
【銘柄名】
アリサ・リーンベルト
【年齢】
二十
【性別】
女
【職業】
未定
【ランク】
F
【活動内容】
駆け出しですがよろしくお願いします!
調達した資金で装備の拡充とスキルの強化を図ります!
ユニークスキルはありません! 汎用スキルもまだ何も!
それでも目指すはSランク冒険者!
【価格】
売:四七八三(一万〇〇〇〇)
【配当】
なし
【優待】
なし
【支配】
なし
【保有株】
なし
【目標額】
三〇〇万ゴールド
【実績】
[一年前]なし
[二年前]なし
[三年前]なし
【大株主】
なし(全株売り出し中の為)
【月給】
四〇万ゴールド
【預金】
一五万ゴールド
===============
【実績】は埋まっておらず、【配当】と【優待】もない。
【月給】は雀の涙であり、【預金】も寂しいものだ。
【職業】に至っては『未定』になっている……。
受付嬢は左右を確認した後、ヒソヒソと耳打ちしてきた。
「本来、こういう事を言ってはいけないのですが、アリサさんはオススメしません」
「どうしてですか?」
「見ての通り実績のない新米ですし、何より職業欄が前代未聞です。未定の理由は、本人が『得られたお金で今後のことを決めようかと!』などと言ったからなんですよ。そんな有様ですので、株価も最低価格の一万からスタートしました。しかしながら、それでも売れず、いよいよ半額の五千を割りました。おそらくもっと下がりますよ」
この受付嬢のことは信頼していた。
今の今まで、懇切丁寧に説明してくれていたからだ。
おそらく、アリサについて彼女が言っていることも間違いない。
俺みたいな素人目でさえ「これはダメな株!」と直感したくらいだ。
だからこそ、俺は惹かれた。
そして、惹かれたが故に気がついた。
アリサの売り出し株数が一万であることに。
「売り出しの一万株、全て買ったら買収できるんですよね?」
念のために確認する。
「もちろん可能ですが……。もしかして、アリサさんの買収をお考えですか?」
「そう、そのまさかです」
受付嬢が絶句する。
それから、大慌てで言った。
「説明していませんでしたが、買収を行うと買収した冒険者の【預金】から八割が投資家ギルドに買収税として徴収されますよ」
「アリサとやらの【預金】は一五万だから、徴収されても端金では?」
「いえ、アリサさんの株を売り出しているのは全てアリサさんですので……。今回の場合ですと、買収に要する四七八三万の七割が【預金】に加算されます。これにより【預金】の総額は三三六三万となり、そこから八割……つまり二六九〇万が投資ギルドに徴収されます」
つまり、買収後に残るアリサの【預金】はたったの六七三万ということだ。
ついでに付け加えると、本人の自由口座には一四三五万が振り込まれる。
「買収には【預金】を配当という形で吸い上げられるメリットもあります。しかし、今回の場合はそもそもがトウヤ様のお金。吸い上げる以前の話ですよ……」
俺のことを思っての説明だろう。
受付嬢の悲壮感を漂わせた様子から、真実だと分かる。
それでも、俺は衝動を抑えられなかった。
買収したら……どうなるのだろう……?
所持金の半分を差し出すだけで、人を一人言いなりに出来る……?
たぎる好奇心は凄まじく、心のシーソーは完全に傾いていた。
「ここで俺が見つけたのもの何かの縁だろう。残り物には福があるって言うしね。決めたぜ!」
アリサ株の購入画面に文字を入力する。
===============
【銘柄名】アリサ・リーンベルト
【注文方式】買い付け
【価格】四七八三ゴールド
【数量】一万〇〇〇〇株
===============
受付嬢が「正気の沙汰じゃありませんよ!?」と声を荒らげる。
あまりに珍しい光景だったのか、周囲の者共がこちらを見てきた。
そんなことには目もくれず、俺は【買い付け】ボタンに指を伸ばす。
「押す前に確認ですけど、買い付けに手数料はかかりませんよね? 四七八三万ゴールドに加えて、手数料で三〇〇〇万とか取られたら泣きますよ」
「ご安心ください、取引手数料は一切必要ありません。ですが、その【買い付け】はやはり……お考えを改めたほうがよろしいかと……」
「いえ、もう決めましたから。丁寧に教えてくださったのに、結局暴走する形になってすみませんでした。それでは!」
ポチッ。
俺の【保有株】にアリサ・リーンベルトが追加された。
保有比率、脅威の一〇〇%。
人生初の投資で、俺は同年代の女を買収してしまった。
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