ガロンガラージュ正衝傳

もつる

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チャプター8

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  8


 ヒュシャンは閉ざされた扉を見る。
 するとフレーシが言った。

「……正直に申しますと、カルバリの末路は哀れにも思えます」
「やむを得んことだ」とジョンディ。

 そこにブランドンが言う。

「しかし良いのですか? 五行宰の一人をこうも簡単に切り捨てるなど……。神の力場を保つために必要なのでしょう?」
「氷胆宰の提案です」

 と、ヒュシャン。

「ブライレムどのか……」
「はい。我が教団の最古参で、世俗のさまざまな業界に顔が利きます。現在もそのコネクションを活用して、ヴェラボの姪を捜索中です」
「それは頼もしい。だがひとつ、懸念がある」
「なんです?」
「彼はあなたがたとは違い、弊社のもたらした強化薬を服用していない。もしバーキンやアリシアと交戦することになった場合――」
「心配には及びません。氷胆宰はヴェラボの姪がガロンガラージュ外にいるところまで突き止めました。件の二人が気づいたところで間に合いはしません」
「それに葉麗宰もいる」

 フレーシが言った。
 彼に頷いてから、ヒュシャンは腕時計を見る。

「懸念というのであれば、それは時間です。テヤンの日までもう時間が……」

 言っている途中で気づいた。
 自分の爪に、黒い筋が走っていることに。


  ◇


 夕暮れ時――。

 氷胆宰ブライレムは、親族が護るナハトム商会の協力を得て、とうとうヴェラボの姪――ルカの隠れ家を特定した。

「ここです。間違いありません」手下が言った。
「ウム……。さすがは我が商会だわい」

 そこはガロンガラージュ外の繁華街、その裏通りに位置する古い集合住宅の一室である。若い小娘が両親と暮らすにはあまりにも狭い。だが外壁は新築時のハイカラな雰囲気を保っている。色あせて、長年受けた雨風の痕を残しているにも関わらず。
 最初に目星をつけた<江域えいき>の、今時の味気ないモーターロッジとはまるで違う。
 彼はノスタルジーの中に、神が味方をしているという楽観を抱いた。
 そしてヴェラボの姪に対して、哀れみめいた感情すら湧く。あの娘にはこの様式の良さは理解できまい。我々が清く美しい神殿まで連れて行ってやらねば。そう思った。
 錆だらけの階段を手下と共に昇る。その下を、地味なハイブリッドセダンが慌てた様子で走り去った。
 ブライレムはその車に多少驚かされたが、

「まったく……最近は誰も彼も時間に追われていてイカンのう」

 気を取り直して上階に至る。
 手下たちが配置につき、ブライレムもまた、懐から長年の相棒――ガロンガ・コルトを取り出した。
 ブライレムの太く分厚い手指では、小指がどうしても半分ほど余ってしまうのが玉に瑕だが、この手頃な軽便さは何物にも代えがたい。
 遊底を引き、薬室に.三十二口径弾を装填する。

 準備完了だ。

 手下が扉を蹴破り、中になだれ込む。

「迎えにきたぞう、ヴェラボの姪よ」

 しかし、室内には娘の姿は無かった。ただ、大きな背もたれの椅子が彼の眼前で静かに揺れているばかりだ。
 ブライレムも手下も、警戒しながら西日で橙色になった部屋を見る。そういえば三人家族の割に物が少ない。キッチンにはホーロー鍋と花柄のポットがひとつずつある程度だ。
 彼はまた椅子に目をやる。
 その椅子からはグレーのスラックスと黒いチェルシーブーツを着用した脚が伸びていた。
 ブライレムたちは眉をひそめ、銃口を椅子の者に向ける。

「きさま……何奴だ」

 椅子が回転する。
 現れたのは、スーツに身を包んだ若い男だった。そして、彼の手には銃身の長い回転式拳銃が鈍く輝いていた。

「失礼、名刺を切らしておりましてね」

 男が言った。


  ◇


 コガワは、銀のラージュM1911で武装したダークスーツの一団へと、リボルバーの銃口を向けながら立ち上がる。

「ナハトム商会……いえ、動力教団のブライレム氏ですね」
「フン、名乗らん無礼者に教えてやる名前など持たんわ」
「無礼者か……」コガワは鼻で笑い、撃鉄を起こす。「人さらいに礼儀を諭されるとは、これもまた一興」
「ほざけ! ヴェラボの姪をどこへやった!?」
「お答えする義務は無い」
「ならば力ずくで聞き出すまでよ……かかれィ!」

 ブライレムの一声で、手下連中が撃ってきた。
 コガワは撃ち返しながら流し台の裏に隠れ、回り込んできた敵に組み付く。
 銃を持つ手を封じ、銃把で打撃。そして脚を撃って倒した。
 敵の銃を奪って反対側の相手を撃つ。
 二挺の拳銃を構え、ブライレムの手下を三人、仕留めた。
 当のブライレムは、手下を盾にしつつリビング側に逃げ、そこから撃ってきた。
 その弾に、奪った拳銃をはじかれる。
 しかしコガワはリボルバーの残弾を全て撃った。一発がブライレムの肩口を掠める。
 が、ブライレムは怒号を伴い撃ちまくってきた。
 コガワは姿勢を低くして弾をしのぐ。
 やがてブライレムも弾切れになった。
 すかさずコガワは陰から飛び出て、ブライレムに殴りかかる。
 拳はクリーンヒットし、その巨躯が仰向けに倒れた。
 が、手下の一人がこちらにタックルしてきて、追撃を妨げられる。
 二人は脱衣所に倒れ込み、コガワはマウントをとられた。
 手下が撃とうとする。
 コガワは銃を持つ右手と、浴槽洗剤のスプレーを掴んだ左手で敵の両側頭部を殴った。
 敵は大きくブレて、洗面台を撃つ。鏡の砕ける音がした。
 マウントが弱まり、コガワは立ち上がって敵を鏡の破片の中に叩きつける。
 白い洗面台が赤と銀で色づき、敵はそのまま動かなくなった。

「おのれ!」

 ブライレムと手下が銃を構え、撃ってきた。
 コガワは浴室に逃げ込む。一瞬でも遅れていれば射抜かれていただろう。
 浴室内で再装填し、タイル張りの床に置きっぱなしの風呂桶に目が行く。
 桶は灰色の樹脂製だった。

「出てこい!」

 ブライレムの怒号。
 コガワは風呂桶を拾い、浴室外に放り投げる。
 弾丸が桶を穿ち、粉砕した。
 その隙に、コガワは姿勢を低くして発砲する。
 手下を倒した。これでブライレム一人だ。
 浴室を抜け出て、ブライレムに駆け寄る。
 ブライレムも雄叫びを上げて突っ込んできた。
 コガワは正面衝突する寸前で脇に逸れ、テレビの傍に逃れつつ撃つ。
 が、咄嗟の照準では命中しなかった。
 ブライレムも急停止して振り返り、撃ってくる。
 弾はテレビの画面に穴を開けた。
 コガワはテレビを蹴飛ばし牽制する。
 ブレイレムはそれを躱し、掃除機のノズルを取って叩きつけてきた。
 打たれたコガワは床に突っ伏し、その拍子に銃を落としてしまう。わずかに苦悶の声を漏れた。
 すると視界の端に、何かのコードが見えた。

「さあくたばれィ!」

 ブライレムが銃を構える音。
 コガワは身を逸らしてコードを掴む。
 紙一重で弾を回避し、コードを引っ張った。
 それはアイロンのコードだった。宙に舞ったアイロンはブライレムの二発目の弾を受け止め、一回転してブライレムの脳天を割る。
 彼の大樽のごとき体躯が、轟音と共に倒れた。
 しかしブライレムはまだ意識を保ち、銃を手放さないでいる。
 彼は銃を持ち上げようとするが、コガワはその手を踏んで封じた。
 回収したリボルバーの再装填をする。まだ残弾があるが、この隙にフルロードだ。
 シリンダーを振り出し、エジェクターロッドを押して空薬莢を選んで捨てる。まだ熱を帯びる空薬莢がブライレムの腹に落ちて、バウンドすると床に転がった。
 装弾を完了したコガワは、息と髪を整えながらブライレムに銃を突きつける。

「きさま……何者だ……」ブライレムが問う。
「営業をしていると……いろいろと学ぶ機会が多いものでね……」
「フン、ほざきおって……」

 彼はコガワを睨めつけた。

「わしらの邪魔をするということは、さしずめあの若造どもの仲間なのだろうが……きさまの策も無意味よ」
「……どういうことだ」
「自分で……考えィ!」

 ブライレムがコガワの脚を掴もうした。
 が、コガワは紙一重でその手を避け、ブライレムの顎を踵で蹴飛ばす。
 その一発で、ブライレムは気絶した。
 彼は一息つき、服装の乱れを直しつつ倒した連中を見回す。誰一人として、バーキンの言っていた強化薬を服用していないようだ。それがこちらにとっては幸いな運びとなったが。
 ブライレムの所持品を探ると、携帯電話を見つけた。
 画面を開き、キーを操作して電話帳を開こうとあれこれ模索する。ブライレムの電話は、使えなくはないが古いタイプであった。
 操作していると通話履歴にたどり着き、最近電話をかけた相手に目が行く。連中がここに踏み込むすこし前……自分がルカ一家とコンタクトを取り、自分の車で逃げるよう説得している頃に通話していたようだ。
 そこには<葉麗宰>とある。
 コガワはその人物に電話をかけた。
 若い女の声が聞こえてくる。

「電話してくると思った。あのコ、いなかったでしょう?」

 コガワは何も言わず、彼女からどんな情報が引き出せるか期待しつつ聴いた。

「ブライレム? どうしたの?」

 案の定疑ってくる。彼は電話を軽く振り風の音でノイズを装う。

「どこいるのよ。ノイズが……」

 葉麗宰は言いかけて、それから笑い声を上げた。

「危うく喋っちゃうところだったわ……。あなた、あのコたちのお仲間ね」
「ご名答」コガワは言った。「はじめまして、葉麗宰どの」
「前置きはいらないわ。氷胆宰をどう――」
「彼女がここにいないと知っていたな。どういうわけだ」
「お察しのとおりよ。……アナタ、ブライレムの情報網を甘く見てたわね。今さっきアタシに連絡が入ったのよ。ヴェラボの姪っ子ちゃんが逃げてるってね」
「なんだと……!」
「残念だったわねぇ!」葉麗宰はまた笑った。「けどあのコのお蔭で街は潤うわ! 感謝なさい!」

 電話が切れる。
 コガワは大急ぎで外に出て、ルカ一家の車に乗り込んだ。
 ハンズフリー端末を耳にかけ、バーキンに電話をする。


  ◇


 アリシアはバーキンの電話が鳴ったのを聞き、眠る彼のほうへ振り向いた。
 端末を取り出し、発信者を確かめる。
 コガワだった。

「もしもしコガワさん?」
「アリシアさんか。バーキンは?」
「まだ寝てます。何かありました?」
「ルカさん一家とのコンタクトに成功しました」
「えっめちゃくちゃ早くないですか!?」
「ええ。あなたがくれた情報に、SNSの投稿のお蔭です。それと、ナハトム商会の動きを追ったら見事に」
「コガワさん……ひょっとして探偵なんじゃあ……」

 アリシアが呆気にとられていると、コガワはこう続ける。

「教団の連中が来る前に私の車で逃げてもらいましたが……それがヤツらにバレた」
「なんですって!?」
「葉麗宰という女です。おそらく、その女に捕まるのも時間の問題かと……」
「くそ……!」

 アリシアは拳に激昂を込め、握りしめた。

「……コガワさん。アタシ、動力教団の神殿に向かいます」
「一人で? それは無茶――」
「わかってます。けど、ここで燻ってられない……!」
「……止めても無駄でしょうね」
「ええ、無駄です。それに、心配してくれてるなら大丈夫。アタシもバーキンにもらった強化薬飲んでますから」
「そうですか……」
「だからルカたちのこと、お願いします」
「わかりました。しかしあなたも無理や深追いはしてはならない。……お気をつけて」
「コガワさんも。……ありがとうございます」

 アリシアは電話を切り、出発の準備を急ぐ。装備を整え、バーキンの端末にメッセージを残し、怒りに乱れる自分の心を深呼吸で落ち着かせた。
 神殿へ向かう前に、彼女はバーキンに向き直る。

「……アタシがしくじった時は……よろしく」

 アリシアはそう言って、ネロを発進させた。


  ◇


 ルカと両親は、他人の車で見知らぬ道を走っていた。森の中の道路で、見通しが悪い。対向車や後続車も見当たらない。
 運転は父。母と自分は後部座席で、身を潜めている。車に揺られながら、ルカは思い返す。
 その人物は、コガワと名乗る営業マンだった。バーキンとアリシアの協力者で、独自に情報収集を行い、警告しに来たとのことだ。
 最初のうちは信じられなかったが、隠れ家の外に、動力教団の信徒たちと同じ銃を携えた一団がいたのを目の当たりにして、現在に至る。
 ルカは赤みが混じった墨色の空を見上げて、それから俯くと、アリシアのことを想った。

 今、どうしているだろうか?
 大丈夫だろうか?
 いつになったら、また会えるだろうか……?

 そんな風に、彼女のことで胸がいっぱいになった。
 その時、視界の端で閃光が走り――爆発音が耳をつんざいた。
 強烈な衝撃が車を横転させる。
 部品を散らし、天地を逆にして、車は道路の端で止まった。タンクから燃料が音を立てて零れる。
 ルカは突然のことに痛みを覚える暇も無く、朦朧とした意識で両親に引っ張り出される。

「しっかりしてルカ!」
「大丈夫か!?」

 両親もひどく傷ついていた。それゆえか、背後から迫る女に気づいていない様子だった。
 女は右手に鎌状の刃のナイフ――アリシアがいつか言っていた、カランビットを持っていた。
 ルカは唇を震わせ、残った力を振り絞る。

「うしろ……うしろに……」

 その言葉で父が振り返った。

「きさまは!」

 すると、女はカランビットで父の首を掻っ斬った。
 母が悲鳴を上げ、父は血しぶきと共に崩れて倒れる。
 ルカは目を見開くことしかできず、悲鳴すら上げられなかった。
 女は美しかったが、その目は鋭利な形に蛇を思わせる化粧を施してある。

「よくも! よくも!」

 母はコガワから託された拳銃を構えた。
 が、女は銃身にカランビットを引っ掛けると、銃口を母自身に向けさせる。

「やめ――!」

 ルカが言い切る前に、女は刃を滑らせ、その流れで母の首を斬った。
 母の死体が、アスファルトに横たわる。父と同じ死に様だった。

「手荒なマネしてごめんなさいねぇ」

 そう言いながら、女はもう片方の手に持った、深緑色の大筒を捨てる。ロケットランチャーだった。

「アタシは動力教団の葉麗宰、ミィパ。さあ、ヴェラボの姪っ子ちゃん。テヤンの日が近づいてるわ」

 ミィパと名乗った女の手が伸びてきて、ルカはやがて意識を失った。


  ◇


 コガワが遠方の爆煙に気づき、現場に駆けつけたころには、教団の連中は少女を車に乗せていた。その脇にはカランビットナイフで武装した女が立っている。
 コガワはアクセルを踏み抜く。
 女はナイフから拳銃に持ち替え、撃ってきた。弾はコガワの運転する車のタイヤを射抜く。
 制御不能に陥り、車はガードレールに突っ込んだ。が、寸でのところでブレーキを踏めたため、コガワ自身のダメージは軽い。
 彼は車から降り、鼻を突いたガソリンのにおいに顔をしかめながらも、頭を振って意識をはっきりさせようと努めた。
 ルカを乗せた車は女の合図で走り去り、銃口を向ける暇もなく走り去ってゆく。
 彼は教団の女に向き直った。

「きさまが葉麗宰か……」
「ええ、葉麗宰ミィパ」

 彼女は名乗ると銃を納め、両手にカランビットを持って近づいてきた。
 ふと、コガワはミィパの背後に目が行く。そこに横たわっているのは――。

「……そこまでする必要があったのか?」
「不可抗力よ」

 ミィパはくすくすと笑った。

「きさまらの目的はルカさん……ヴェラボの姪の確保だろう? もし彼女が死んだらどうする気だったんだ」
「あら……そういえばそうね。そこまで考えてなかったわぁ。ま、生きてるんだしそこは結果オーライということで――」

 コガワは頭に血が上り、撃つ。

 弾は彼女の眉間に当たったが、皮膚を裂くことすら能わなかった。
「……なるほど、それがブレード・ディフェンドの強化薬の効能か」
「ブライレムたちも飲めばよかったのにねぇ。お年寄りは保守的でイヤねぇ」

 ミィパは手の中でくるくるとカランビットを回す。
 得物を弄ぶ手を止めると、彼女は一直線に駆け寄ってきた。
 コガワは眼前まで引きつけて飛び退く。
 ガードレールの裏に身を翻し、それを遮蔽物に撃った。
 五発のうち二発はカランビットではじかれる。
 三発は直撃したものの、

「残念。おなかに当たってもノーダメージよ」

 と一笑された。

「らしいな」コガワはスピードローダーを取り出した。「だが今度のはどうだ?」

 シリンダーにローダーを突っ込んで、六発全部を一度に装填する。
 彼は両手でしっかりと銃を構え、発砲した。
 重い反動がコガワを襲い、銃弾はミィパの胸に命中して顔を歪ませる。
 出血は無いが、怯ませるには充分のようだ。

「マグナム弾のお味はいかがかな」
「……サイコー」

 ミィパは舌なめずりして、一足飛びにガードレールを越えてきた。
 コガワは森林側に逃げ込み、再びマグナム弾を放つ。
 肩口に命中して走行フォームを乱した。距離が一旦遠ざかるが、すぐにミィパは追いついてくる。
 スピードでは絶対に勝てないのはコガワにもわかっていた。森は薄暗くなっているが、闇に紛れてもミィパの目からは逃れられないだろう。
 彼は草木をかき分け、石を跳び、倒木の下をくぐり抜けながら、とにかく曲線的に走る。
 ミィパは脚力にものをいわせて追ってくるが、案の定小回りが効かないようだった。こちらが木の幹の裏へ回れば、彼女は急ブレーキで全身を滑らせ、攻撃の機会が得られる。
 コガワの銃撃は、今度はミィパの膝に当たった。
 ミィパは顔面から落ち葉の中に倒れ込む。
 今のうちに、とコガワは思いながらまたガードレールを飛び越えた。
 ルカ一家に委ねていた自分の車に近づき、ガソリンのにおいに思わず鼻を覆った。
 彼はルカの母の亡骸が手にしたままの銃を拾い上げる。
 中折単発式の狩猟用拳銃だ。強化薬を服用した敵を想定して用意した代物だ。
 次に弾を探す。すぐ近くに、ガラス片と共に落ちていた。
 <7.62mmNATO>と書かれた紙箱は蓋が開き、中身が数発こぼれている。
 それに手を伸ばした次の瞬間、頭上に影が落ちて、ミィパが真横に来る。
 振り向いた直後、刃が迫ってきた。
 コガワは寸でのところで避ける。
 彼は間合いを離そうとして、蹴りを喰らう。
 苛烈な衝撃が襲い、コガワはアスファルトに転がって顔を歪める。
 だがまだ生きている。距離を取ろうとした際、跳んで衝撃を逃せたのが功を奏したのだろう。
 銃はまだ手中にある。銃弾も三発だけだが、拾えた。
 ミィパはルカの父の亡骸を跨ぎ、歩いて近づいてくる。
 コガワは狩猟用拳銃を構えた。

「最初からそっちを持ってれば苦労せずに済んだのにねぇ」

 ミィパが言った。

「……苦労しようがしまいが――」

 コガワは撃鉄を起こす。

「結果は同じだ!」

 そして撃った。
 鋭い銃声が轟き、痛む全身に反動が追い打ちをかける。
 弾丸はアスファルトを砕いた。ミィパは跳んで避けたのだ。
 彼女はガードレールの支柱に立ち、指を振る。
 コガワは忌々しげな怒り顔を浮かべて、二発目を装填してすぐ撃った。
 弾は明後日の方向へ飛んでいき、ミィパはこちらに気の毒そうな笑みを浮かべる。

「もうちょっと落ち着いたらぁ?」

 コガワは横転した車に目をやる。燃料タンクから漏れ出ていたであろうガソリンは道路の色を濃くしていた。
 彼は銃を薬室を開き、排莢後に三発目の弾を装填すると、こう答えた。

「私は――落ち着いている」

 三発目で黒くなった路面を撃つと、気化していたガソリンに火がつき、車が爆発した。
 コガワは熱風に押されたが、ミィパは破片混じりの爆風でガードレールの向こう側へ吹っ飛んだ。
 彼は熱気に耐え切り、火柱の横を進みながら、三発目の空薬莢を抜き取る。それを指ではじき、宙に舞わせてからキャッチした。
 空薬莢のかすかに残った熱気を掌に感じ、ミィパのところへ行った。
 ミィパの全身は焦げつき、煤で黒ずんでいた。破片で裂けた肌から血を流している。が、想像していたほど凄惨な様子ではなかった。
 彼女は言う。

「最初からコレが狙いだったのね……」
「賭けではあったがな」とコガワ。「蹴られて車から遠ざかっていたのが幸いした」

 ミィパが笑った。

「この痛み……まさかアタシが……味わうことになるなんてねぇ……」
「さしもの超人でも、その傷では満足に動けまい」

 コガワは言いながら四発目を装填し、銃口を向けた。

「質問に答えてもらうぞ」
「お断りよ」

 ミィパは手を伸ばし、こちらの指を押して撃たせた。
 銃弾が、彼女の額を穿つ。
 あっという間だった。ミィパの手から力と温度が失せてゆき、空を仰いだままの瞳孔は虚ろに開いてゆく。
 コガワはミィパの死体に背を向け、車まで戻ろうとする。
 並行して、事の顛末を連絡しようとしたが、そこまでの余力は無かった。
 彼はガードレールの支柱に寄りかかって、

「……あとはたのむ……」

 意識を失った。


  ◇


 夜のどん帳が降りて久しくなった時刻。
 アリシアは動力教団の神殿へ至る道を走っていた。街灯も無い暗黒で光るのは、ネロのライトと路上やガードレールに備わった反射板、そして星々。普段であればもっと速度を落として走るはずだが、今の彼女の目にはこの闇の中ですら薄暮同然だった。
 警察に捕まらないギリギリのスピード。凍てつく風が襲いかかるが、アリシアはまるで意に介していなかった。
 周囲の音ははっきり聞こえるし、ごわつく防寒装備無しなのに指先の感覚も健在である。
 やがて進行方向に赤い光が見えた。工事現場の仮設信号だ。
 これならば無視してもお咎めは無いが、停止線より前にもっと悪いこと・・・・を思いつく。
 アリシアは車線を外れ、ガードレールの隙間を抜けた。そこだけ、袖ビームと電柱との間にバイク一台分の余裕があったのだ。
 アクセルとブレーキ、そして己の脚をフル活用して木々の立ち並ぶ斜面を滑り降りる。土と枯葉を散らしつつ河原に躍り出て、川底の浅い箇所へと突っ込んだ。
 水しぶきが大きなV字を描いて夜空に舞い、彼女は向こう岸に辿り着いた。
 勢いで前方の山を登ろうとしたが、さすがに無理だった。
 ネロのオンロードタイヤは地面にスタックし、土砂を撒き散らす。
 仕方ない、と彼女は思い、木々の陰にバイクを隠すように停めた。
 ここからであれば、徒歩でも神殿は近い。

「ありがとさん。待っててくれよ」

 アリシアは愛車にそう言って、木々に手をかけつつよじ登っていく。
 十数分もすれば、神殿の全景を遠目に見られる場所に出た。
 折畳式の双眼鏡を取り出し、様子を見てみる。
 数分後、車が一台現れて聖の境をくぐる。同時に正門とその周辺の照明が強まった。
 厳かな身なりの男女が、車を出迎える。そこには岩拳宰フレーシやベルフェン・ガウスの姿もあった。
 ベルフェンの傍には、長い髪の男がいる。おそらく彼がブランドンだ。他にも、まさに傭兵という出で立ちの、マスクの男が立っていた。三人は刀剣やナイフを携えていて、ブレード・ディフェンドの者だというアピールは過剰なくらいだ。
 かれらの見守る中、車から信徒たちが降りてきて、死体袋めいたバッグを数人がかりで担いだ。
 アリシアは直感でわかった。

 あの中にはルカがいる。気配からして生きているようだけれど――。

 一度は抑え込めた怒りがまた燃えてきた。
 連中は神殿内にルカを運んでいく。
 それから教団の幹部共はそこでなにやら立ち話をする。内容まではわからない。

 強化聴覚といえど、さすがにこの距離では無理があるようだ。

 アリシアはもうすこし身を乗り出す。
 余裕たっぷりの笑みと、意外そうな表情が交じっていた。やがてブレード・ディフェンドの三人は教団の連中と向かい合う。
 アリシアはいよいよ会話の内容が気になってきて、聞こえるところまで近づいてみようかとも考える。
 次の瞬間、ブレード・ディフェンド側が剣を抜いた。

 内ゲバか?

 彼女はにわかに驚くが、一方でチャンスだとも思い、近づくことを決めた。


  ◇


 ブランドンはジョンディに切っ先を向けたまま、教団の者たちを窺う。
 フレーシは狼狽した表情で身構え、ヒュシャンも一歩足を退いていた。
 ジョンディが言う。

「剣聖宰よ……なんの冗談だ?」
「冗談? 私は至って本気ですよ」
「ほう……」ジョンディは唇の端を吊り上げた。

 フレーシが言う。

「何を考えてる剣聖宰! いったい何のために――」
「この教団を乗っ取る気だな。権力簒奪のために」

 言ったのはジョンディだった。

「……そうであろう? ブランドンよ」

 ブランドンは何も答えなかった。
 ジョンディは続ける。

「長らく関わりを絶っていたというのに、テヤンの日が近づいた今になって接触してきたのは、許しを求めにきたわけでは――」

 最後まで言わぬうちに、ブランドンはジョンディの胸を貫いた。
 ジョンディの背から赤く染まった刃が伸び、彼は血を吐く。
 聖杖を落とし、両手を震わせながら刀の峰を掴むが、こちらを睨む顔からはどんどん生気が失せていった。
 ブランドンは刀を引き抜く。
 ジョンディがうつ伏せに倒れ、地面に血の花が咲いた。
 彼の死体を、ブランドンは見下す。

「許しを求めるのはあなたのほうだ」

 それからフレーシとヒュシャンに向く。

「まあ、もう遅いか……」

 フレーシが叫ぶ。

「逃げろヒュシャン!」

 ヒュシャンが踵を返す。

「逃がすな」

 ブランドンは言った。
 ベルフェンが前に出るも、フレーシが押さえる。
 フレーシが殴りかかった。
 ベルフェンは最小限の動きで拳を躱し、剣の鍔際に腕を引っ掛けた。
 フレーシの体勢が乱れ、ベルフェンは肘鉄で彼の延髄を打つ。
 地に伏せたフレーシに、ブランドンは袈裟斬りを放った。
 寸でのところで斬撃は避けられたが、ベルフェンと連携して挟み撃ちの形をとる。

「カルンウェナン」ブランドンは呼ぶ。「炎占宰は任せたぞ」

 ラムダは頷き、動く。
 ブランドンは再びフレーシを攻めた。


  ◇


 アリシアは正門の内ゲバが本格化するのを確かめてから、裏手より神殿の領域内に潜入した。そこは変圧設備の並ぶエリアで、彼女はヒトの手の装飾が施された鉄塔に回り込む。FRP製の悪趣味な外装をまとう塔は、煌々とした光に照らし出されてコンクリートの地面に濃い影を落としていた。
 監視カメラを避け、必要とあらば配線を断ち斬って無力化し、本殿へと進んでいく。
 すると前方から足音が聞こえてきた。音の軽さとテンポから、小柄な女性が走っていると推察できる。
 物陰から音の主を見た。
 フレーシと共通した意匠の制服を着ている。正門にいた顔だ。
 ヒュシャン、あるいは炎占宰と呼ばれていた女だ。
 アリシアはヒュシャンを待ち伏せ、陰から手を伸ばすと、彼女を引き寄せた。
 小さな体に違わぬ軽量で、あらためて見るとエキゾチックな雰囲気を持つ女だ。褐色の肌が照明の光でつやを放ち、額の汗を輝かせる。
 その表情はひきつっていた。
 アリシアは詠春刀の切っ先を突きつけ、

「あんた教団の幹部だろ? ルカはどこだ」

 と尋問する。
 しかしヒュシャンは荒い息と共に、こう返してきた。

「……凶兆が出ました……」彼女は己の爪を見せる。「協力してください」

 ヒュシャンの人差し指の爪には、大きな黒い筋が走っていた。
 アリシアはその意味を知っている。手相学では不幸の前兆とされる黒点で、人差し指のそれは仕事上でのトラブルを暗示するものだ。
 爪の黒点を見て、アリシアはヒュシャンの体を柱に押しやってから覆いかぶさるように向きあう。

「ちょっと厚かましいんじゃないのか? それに連中の内ゲバをアタシたちが収拾したところで、あんたらルカを神さま気取りのモンスターに食わせるんだろ?」
「……そこまでご存知とは……」
「ルカの安全を保証しない限りは、あんたも敵だ」

 彼女はヒュシャンの肩を掴むと、撥ね退けた。
 それから、

「他の奴に頼みな。一人くらいいるだろ」

 と言って本殿へ走っていった。


  ◇


 ヒュシャンはひとり取り残され、苦い息を吐いた。

 ブレード・ディフェンドの傭兵たちに対処しなければならない。が、もはや神殿側の味方はいない。いくら信徒たちは護身術を習得しているといっても、所詮は一般人に毛が生えた程度。プロのPMCオペレーターに敵うはずもない。ましてや超常的薬物で超人化しているとなると――。

 フレーシは交戦中、ブライレムとミィパも連絡が途絶えたまま、己には武芸の心得すら無い。

 八方塞がりだ。

 彼女はそう思い、次の瞬間にそれを否定した。
 端末を取り出し、電話をかける。意外にも早く繋がった。

「ああ、出てくれてありがとうございます。……あなたを雇いたい」


  ◇


 アリシアが踏み入った本殿内は、青白い壁と天井に紺色の廊下が伸びていた。人気ひとけは無く、空間が霞がかっているような感じさえ覚える。
 信徒たちの姿が無いのはいつも通りなのか、それとも表の戦闘で退避したのか……。

 どうでもいいことか。

 彼女は警戒を緩めず進む。
 すると、曲がり角から殺気と共に、傭兵が斬りかかってきた。
 アリシアは咄嗟に斬撃を避け、腕を掴み柄頭の打撃を喰らわせる。
 傭兵は気を失って倒れた。
 廊下に転がった刀に目が行く。つやも飾り気も無い銀色の日本刀型刀剣で、柄にはパラコードが巻いてある。

 ブレード・ディフェンドのオペレーターだ。タグを見るまでもない。

 そう思うやいなや、背後からも剣気を感じる。
 咄嗟に振り向いて斬撃を受け止めた。
 詠春刀の鍔で刀身を押し込め、蹴りを三発喰らわせて倒す。
 二人の傭兵に一瞥をくれてから、先へ進む。
 十字路にさしかかると、今度は天井から傭兵が降ってくる。
 アリシアは前転して斬撃を躱し、一気に背後をとって脚を斬りつけた。
 傭兵はバランスを崩し、アリシアの踵落としで沈む。

 これで三人。

 一人ひとりは大したことはなかった。

 同じブレード・ディフェンドのオペレーターでも、ハイランダーとそうでない者とでは服用する強化薬のグレードが異なるようだ。

 と考えていると、また一人現れた。
 死角からの不意打ちを受け流し、姿勢が崩れたところに痛打を見舞う。
 今度は二人いっぺんにかかってきた。
 両の詠春刀で剣を絡め取り、

「いい加減にしろ!」

 とナックルガードで顔面を殴り倒した。
 すこし進むと今度は横の扉が開き、傭兵が剣を振りかぶる。
 アリシアは彼を思いっきり蹴飛ばしてノックアウトした。
 胸中に焦りが出始める。
 神殿内は広く、そこかしこに敵意が渦巻いていてルカの気配を捜すどころではない。
 けれど、それでも彼女は歩みを止めることはなかった。
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