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第十話

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 ――ギリギリのところだった。

 魔滅刃は、着地と同時にピラの斬撃を受け止めていた。
 ピラの驚いた顔がすぐ近くにある。

「ミラー!」

 背後でメーイェンの声。

「間に合った!」

 わたしはピラの双剣をはじき、刺突を繰り出す。
 ピラはわたしの腕に跳び乗って避け、首に斬りかかってきた。
 それを払って、間合いを開ける。
 地に足をつけたピラは言った。

「また会ったね、ニセヴェロスさん」
「ピラ……目的は何だ」
「ひみつ」

 彼女は片目を閉じて笑う。正直、かわいらしい顔なのだが、状況不相応なふざけた態度が台無しにしていた。

「鈴鏡を……鍵の鈴鏡を奪われました……」

 イワミ氏が言った。
 すると、ピラは門に向けて走り出す。

 逃げる気か。

 わたしはピラを追い、斬撃を放った。
 彼女は双剣を突き出し防ぐ。
 そのまま片方を滑らせ、突いてきた。
 魔滅刃を持つ腕を突き出し、踏み込んでピラを押す。
 刺突はわたしに届くことなく、ピラは仰け反って留まった。
 追撃に出る。狙いは脚だ。
 わたしの放った一閃は、側宙で避けられた。
 爪先が地につくと同時に、ピラは連撃を仕掛けてきた。
 わたしはピラの攻撃を防ぎまくる。トルヴェロスの連撃に比べて速いが、軽い。傷と疲弊を差し引いても苦ではなかった。
 打ち合いの最中に隙を見出し、わたしはピラの右腕を掴む。
 左の剣は魔滅刃で押し下げていた。が、対処が遅れた。
 ピラは左手の剣を逆手に持ち直し、刀身を滑らせる。
 わたしは手を放したが、避け損ねて前腕に傷を受ける。
 続けて胸を蹴られ、痛みに思わず声が出た。
 ピラは後ろに跳んで距離を取った。
 その時、エナが飛びかかって彼女を掴む。

「逃がすか!」

 二人は地面に転がった。
 エナはピラに馬乗りとなって拳を振りかぶった。
 しかしピラは彼女の顔に土を投げつける。
 エナは怯んで、ピラを逃してしまう。
 そのままピラは壁際――ローホァンの墓標の横まで退いた。

「ニセヴェロスさんなかなかやるねぇ。妖刀を完璧に制御してる」

 ピラはメーイェンを睨めつける。

「あのコとは大違い。けどローホァン以外にもいたのはびっくり」
「師を……私の師匠を知ってるんですか……?!」

 メーイェンが隣まで来た。彼女は全身に刀傷を受け、耳と額から血を流していた。

「知ってるよ。あたしの大太刀を真っ二つにへし折りやがったの」

 言いながらピラは双剣を前に突き出す。確かに、左右で切っ先の形が違う。一本の大太刀を双剣に仕立て直したのだろう。

「でもまあ、結果はこの通りだけどネ」

 彼女はローホァンの墓標を見下ろし、片足を乗せた。
 その態度に、

「コイツ……!」

 わたしは歯を食いしばった。

「墓から、足をどけなさい……!」メーイェンが言った。
「え~? でもこの人あたしに負けたんだよ?」

 ピラはにやにや笑いで、墓標を踏みにじる。

「足をどけなさいって言ってるでしょう……!」
「や~だよ」
「足をどけろォ!」

 メーイェンは怒鳴り、暗黒の矢を放つ。
 次の瞬間メーイェンの左目から血が吹き出た。
 暗黒の矢は砲弾めいた巨大さだったが、狙いは逸れていた。
 矢は壁を穿ち、ピラはその衝撃波に乗って塀の上まで跳んだ。

「もうちょっと闘いたかったけど、仕事は終わったから退散するネ」

 そう言うと、ピラは壁の向こうへと消え去った。
 我々は誰一人として、彼女を追える状態ではなかった。


 わたしはまた、痛みとだるさに体を押さえつけられ、片膝をつく。
 だがわたしよりも重傷なのは、メーイェンだ。
 彼女のほうに振り向くと、エナが介抱してくれているのが見えた。
 イワミ氏もアマノリ氏の肩を借り、片足を引きずりながら彼女に寄り添う。
 エナが言った。

「メーイェン……大丈夫?」
「……私……憎いです……自分の、弱さが……」

 彼女の歯が、ぎりりと軋む。
 下手な慰めの言葉など、無意味なのはわかりきっていた。

「……とにかく傷の手当てだ」

 エナはメーイェンを支える。
 わたしもどうにか立ち上がって、後に続いた。
 アマノリ氏が呼んだ医師が来てくれたのは、邸内に入ろうとした時であった。
 医師の診断によると、メーイェンの傷は、ひとつひとつはさほど深くないらしい。むしろ暗黒の使いすぎのほうが深刻であった。左目は失明していて、きれいな夜色をしていた瞳は白く濁っている。
 が、医師は眼帯に強めの氣を入れて呪文を記してくれた。しばらく装用を続けておけば視力は回復するとのことだ。
 イワミ氏も脚をひどくやられていて、しばらくは杖が要るものの、杖無しで歩けるようになる日はそう遠くないらしい。
 やはりというべきか、わたしの<核>には驚いていた。

「世の中には不思議な人もいるもんだなあ」

 医師は、鳥の嘴のような保護面の裏で言った。
 最後にエナの問診で、全員の処置が終わる。
 わたしたちは医師に礼を言って、アマノリ氏と共に帰ってもらった。
 落ち着いたところで、わたしはトルヴェロスと遭遇、交戦したことを話した。

「――よくわかりました……ありがとうございます」イワミ氏が言った。「……申し訳ありません、あなたも傷ついておられるというのに……」
「いいんです。それよりも、鈴鏡を手に入れて、トルヴェロスは何をするつもりなんでしょうか……」
「この世界から逃げるっていう口ぶりでもなかったよね」

 エナが顔だけをこちらに向け、言う。

「ああ。トルヴェロスは逃走を恥だと思ってる。……ということは……」
「なるほど……」イワミ氏は眉間にしわを寄せた。「世界を創り変える気ですね」
「そんなことができるんですか?」
「……技術的には可能です」

 わたしは、その言葉を聞いて眉をひそめる。技術的に可能ということは、それ以外の要素で不可能ということだ。
 だが、それならなぜトルヴェロスは――。
 イワミ氏は続ける。

「世界に生命が誕生し、そこから文明が築かれるには<創世龍>の力が必要です」
「じゃあトルヴェロスたちは……」
「ええ。ほぼ間違いなく、創世龍の力を奪うはず。そのために<黄昏の世界>へと行くでしょう」
「黄昏の……?」

 わたしは首を傾げた。

「他の、番号付けされた世界とは違うところなんですか?」
「いえ、かつては番号付けしてありましたが、そこは数千兆年前に最後の文明が滅び、生命体が全て死に絶えた世界です」

 イワミ氏は、前腕部用の支えがついた杖――ロフストランドクラッチを使って立ち上がる。

「世界の法則の基盤となっているため、時空を解体することなく残してあるんです」
「ということは、黄昏の世界は……一番目の世界――」

 わたしの言葉に、イワミ氏は頷いた。

「――他の守護者に連絡します。鈴鏡は時空の守護者以外には使えないよう、呪文で戒めていますが、破られるのも時間の問題でしょう」

 イワミ氏が医務室の扉に手を伸ばし、エナが立ち上がる。

「お供します。窓割れてたの、見ましたから」
「……お願いします」
「ミラー。メーイェンのこと……すこしお願いね」
「ああ。二人とも、気をつけて」

 イワミ氏とエナが出てゆき、わたしはさきほどまでエナの座っていた椅子に腰掛ける。
 メーイェンは、高床に横たわっていた。あらためて見ると、ほんとうに痛ましい姿だった。布団の上に出た両腕は包帯でぐるぐる巻き、頭にも同じように包帯が巻いてあり、血が滲んでいる。そして左目は眼帯で保護してあった。
 わたしは長い息を吐く。自然と肩が落ちた。

「ミラー……」
「……具合はどう?」
「すこし、落ち着きました……ありがとうございます……」

 メーイェンは力無く笑う。

「……何か、わたしにできることはあるかな?」
「でも、あなたも大ケガして……」
「平気さ」わたしは微笑んだ。「痛みはだいぶましになった。今はお腹が空いてるくらいだよ」
「……じゃあ……私の部屋に行って……師匠の……ローホァンの剣を持ってきてもらえませんか……?」
「……わかった」

 それからわたしは、メーイェンに部屋の場所を教えてもらい、そこへ向かう。
 二階の日当たりの良い場所に彼女の部屋はあった。そこだけ引き戸で、大きな取っ手が遠目からでもわかる。
 戸を開けると、メーイェンがいつも漂わせている香りがわたしを迎えた。
 質素な和室に、ふたつの和箪笥と、木造りの机、椅子。どれも使い込んだ焦げ茶色で、美しい木目をしている。天井からは裸電球よろしく照明球がぶら下がっていた。
 ローホァンの剣は、すぐに見つかる。
 剣は踏込み床に安置してあった。刀掛台に太刀のごとく立ててある。
 それは双手剣ともいえる形をしていた。が、鞘も柄も闇色で、剣格や剣首といった金具は焼鉄色で、獣の牙や猛禽の爪を彷彿とさせる形をしている。いかにもな暗黒剣だ。鞘に貼ってある札からは強い封印の氣を感じる。
 わたしはローホァンの剣に指を触れ、掌で包み、両手で持ち上げた。
 封印が施されているためか、想像していたほどは暗黒の圧は感じない。しかしこの札をひとたび剥がせば……。
 そんなことを思いながら、わたしはメーイェンのところまで戻った。
 医務室の扉を開けると、彼女は床の上で自前の苗刀を見ていた。
 刀身には、刃こぼれが目立っている。

「……ピラとの闘いで……?」
「ええ……」

 メーイェンは、すこし顔をしかめながら、納刀する。

「ここまでボロボロにされたのは……初めてです……」
「だろうね……」

 わたしはローホァンの剣を彼女に渡す。

「ありがとうございます……」

 メーイェンは剣を受け取り、両腕で抱え込んだ。
 深呼吸をして、眼差しが天井を向く。
 虚ろな瞳だった。
 わたしは言う。

「今は傷を癒そう……雪辱はそれからでも遅くはない」
「はい……」


 わたしたちが解散する頃には、もう夕方となっていた。
 アスカ邸に戻ると、正門で母が待ってくれていた。

「大丈夫だった?」

 母は、すこし心配そうな顔をしている。
 わたしは微笑み、答えた。

「母さんのお蔭で。……まあ……こっぴどくやられたけどね」

 胸に手を当てた。真新しい包帯にはもう血は滲んでいない。
 邸内に入ると、アスカ氏の発する氣を感じた。鏡堂からだ。

「……邪魔しちゃ悪いかな……?」
「そんなことないよ。いちおうあなたの口からも、何があったか話しときなさいな」
「わかった……」

 わたしは鏡堂の扉を小さく叩き、返事を待つ。
 返事はすぐ来た。

「ミラー、帰ったかい?」
「はい。ただいま戻りました……」
「入りなさい」

 わたしは扉を開ける。

「失礼します」

 アスカ氏の背中が見えた。法衣を着て、大鏡の前に座している。
 鏡の光が、アスカ氏の手で燃える小さな火の明かりで揺れた。
 すこしだけ、アスカ氏が顔を上げる。

「……まずい事態になったな……」
「はい……まさかトルヴェロスが……」
「あまり気に病むことはない。だが楽観視もできない」
「承知しています」
「きみらは制限の多い中で、よくやってくれている。私たちも、時空の守護者として対処する時が来た」
「今は何をしておられるんです?」
「奪われたイワミどのの鈴鏡を封じている。時間稼ぎにしかならないが……。並行して、ストラどのがトルヴェロスたちの居場所を探っている」
「逆探知のようなものですか?」
「そういうことだ」

 アスカ氏の火が、また揺らめいた。

「……トルヴェロスめ、かなり高位の術を使っているな」
「それも……そのはずです。トルヴェロスは二十二番目の世界でも、武芸に留まらずさまざまな方面で、高い才覚を発揮していました」

 言いながら、わたしは目を伏せる。

「それを、わたしの補正が強めて……」
「そんなふうに自分を責めちゃだめだよ」

 母が言った。
 アスカ氏も、

「ケィナの言うとおりだ、ミラー・ヴォルフ」

 と言って振り向く。

「異世界へ転生させる取り組みは始まったばかり……こういう異例事態は我々にも責がある」
「しかし……」
「ひとつ、頼まれてくれないか」

 アスカ氏は顔を大鏡の方に戻した。

「この<儀>は日をまたいで行う。その間風呂に入れないからね……。浄化の香を焚いておいてくれないか」
「あ……わかりました」

 わたしは母と共に<浄化の香>をアスカ氏の周囲で焚く。不思議な香りだった。けれど二十二番目の世界で似たにおいを嗅いだことがある。住人が入浴中の家屋が発する、湯と石鹸の混じったにおい……。それに近い香りだ。
 風情もロマンも無い例えだが、わたしの軽薄な人生経験ではそれくらいしか思い浮かばなかった。
 夜も更け、わたしは自室でゆっくりとする。
 ふと、机の上に置いたままの、トルヴェロスの伝記が目についた。
 今朝までは呑気に会ってみたいと思っていた男が、この世界を破壊しようとしているなんて。
 そんなことを考え、わたしは己の掌を見た。
 その時、とんとん、と優しい調子の音がする。母が戸を叩く音だ。
 わたしは戸を開ける。

「何か用?」
「うん。ちょっとだけね」

 母を室内に招く。
 高床に腰掛けた母は、筆入れを持っていた。書霊術で使う筆のものだ。

「……あなたが小さい頃、寝間着にお祈りのメッセージ書いたことあったよね」

 母がわたしの目を見る。

「覚えてる?」
「もちろんだよ……。母さんが……いなくなった後、整理してたら出てきた」
「まだ残ってたんだ」母は笑った。「まさか、あの時から書霊術師の仕事してたなんてネ」
「効果はあったよ」
「え~ホントに~?」
「嘘はつかないさ。お蔭で悪夢を見なくなった」

 わたしも笑った。

「……辰美は、体操服のゼッケンに名前書く時、いつも母さんに頼んでたよね」
「よく覚えてるね~。まあ、あなた昔から記憶力良かったもんね」
「……その取り柄も、あっちの世界ではだいぶ衰えてたけどね……」

 笑顔に照れが混じる。
 すると母は筆入れを開けた。

「嫌じゃなかったらさ、またお祈りの言葉書いてもいい?」
「……ああ……お願いするよ」

 わたしは立ち上がり、衣桁に吊ったコートを手に取る。
 コートを机に乗せ、裏地が見えるように広げた。
 母は椅子に座り、筆を額のすぐ前に持ってきた。
 清い氣が筆に乗って、母は裏地に祈りの言葉を書く。
 文字は背骨に沿うようにしたためられ、まもなくわたしのコートは守護霊気を放つ。

「ありがとう。これでこのコートはどんな鎧よりも頼もしい防具になった」
「母の愛をたっぷり込めたからネ」

 言いながら母は筆を仕舞う。

「……気をつけてね。あなたの味方はたくさんいるから」
「わかってるよ」
「じゃ、戻るね。乾くまでコートはそのままにしとくんよ」
「はーい」
「おやすみ」
「おやすみ」

 母はわたしの部屋を出ていった。
 それからわたしは、傷が癒えるまでおとなしく過ごしつつ、守護者の方々と連絡を取り合って状況把握に専念した。
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