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チャプター3
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3
テシルの住宅側の駐車スペースで、アリシア、ルカとレハイム兄妹は出発準備をする。
駐車スペースにはネロと兄妹のバイクの他に、テシルの愛車と思しきガンメタルのカスタムバイクが停まっていた。アリシアたちはその脇をすり抜けるように、それぞれのマシンを出庫させる。
途中、アシェルがネロを見て言った。
「アリシアさんのバイク、珍しいスタイルですね」
「ネイキッドですよね? アッパーカウルだけスーパースポーツから流用したんですか?」
アシェラもジャケットを着込みながら言う。
アリシアは愛車に掌を乗せた。
「まあ、そんなところですね。親もバイク好きで、もともと家族で乗ってたのをアタシが貰ったんです」
「愛称はネロ」と、ルカ。「黒に青のアクセントがアリシアらしいでしょ?」
「ええ、かっこいいです。まさにボディーガードって感じで!」
「そもそもアリシアさん自身がかっこいいですもん」
兄妹にそう言われてアリシアはにわかに驚き、顔を赤くしてにやけてしまう。
そこに、
「あっかわいくなった」
ルカの一言が来た。
「あ……アタシのことはいいからさ! どこを案内してくれるのか教えてくださいよ!」
アリシアは両手をばたつかせて兄妹に訊く。
アシェラがじっとりとこちらを見て、笑いかけた。
「じゃあ、無人島までプチ船旅しましょ」
かくしてアリシアたちの、二台のバイクが発進する。アシェラの言う<無人島>とは、ダンティバ湖に浮かぶ島のうちの一つであった。近年はパワースポットとしても有名らしく、島内の施設の運営や管理をする人は皆、本土から船で通っているとのことだ。
アリシアとルカの乗るネロは、レハイム兄妹のクルーザーの後について行く。道中混雑が予想されたが、兄妹の選んだ道は車通りが少なく、思った以上に円滑に走れた。
さすがは地元民である。アリシアはそう思った。
さらに嬉しいことに、彼女らの走る<抜け道>はすこし高い場所にあり、レイクビューロードにも劣らぬ景観を楽しめた。
赤信号で止まっていると、ふいに両肩を持つルカの手に力が入った。
「わ、すごい。きれい……」
そんな言葉を耳にして、アリシアは湖の方へ顔を向ける。
その瞬間、彼女は息を呑んだ。
青天に浮かぶ昼下がりの太陽が大いなる湖面を照らし、淡い黄金色がきらきらと光を放っている。
その向こうでは白く霞んだ山々がそびえていた。
見とれていると、視界の端でアシェラが振り返ったのに気づく。
彼女は兄の腰に回していた手を、ダンティバ湖に方に指した。アシェルも同じようにこちらに目を向け、妹と同じ方向を指差す。
アリシアとルカは頷いて答え、信号が青になるまで遠景に心を預けていた。
二台のバイクは順調に目的地へ至る。
アリシアたちはバイク置き場に愛車を並んで滑り込ませた。そして船着き場のほど近くにあるチケット売り場で、人数分の乗船券を買う。
数分後には、アリシアたちと他の乗客を乗せた遊覧船が出港した。
エンジンの轟きと波を切る音、それに船内に流れる穏やかなBGMを楽しみながら島へと向かう。
「そういえばさ」アリシアが訊いた。「島には何があるんです?」
「一番の見どころは神殿ですね」
答えたのはアシェルだった。
「サラスヴァティーさまを祀ってる神殿があって、パワースポットと呼ばれる所以はそこです。あとは、売店や撮影スポットも」
「他には……伝説、ですね」
と、アシェラ。
「伝説?」アリシアは首を傾げる。「ダンティバ湖のダッシーとか?」
「いやそういうのじゃなくって」
アシェラは失笑し、小さく息を吐いてから続けた。
「神殿にはもう二柱、男女のきょうだいの神さまが祀られてるんです。兄と妹なのか、姉と弟なのかは文献によって異なりますけど……」
彼女の目が島の方に向き、アリシアたちも島を見る。
「その神さまたちも、サラスヴァティーさまと同じように芸事の神さまで、踊りや演奏を褒め合う仲だったんですって。けど――」
「けど……?」
「――いつしか、きょうだい神は互いに恋をし、愛し合うようになった」
そう語るアシェラの顔には、陰りがさしていた。
「きょうだい神には婚約している別の神さまたちがいたけれど、かれらは激しく怒って、二柱を引き離してしまったんです」
「悲恋の神話……なんだね……」
アリシアの呟きに、アシェラは頷いた。
「それでも、あたしとお兄ちゃん、このきょうだい神さまが好きなんです。アリシアさんも、たぶん気に入るんじゃないかな」
「どういうこと?」
アリシアが問うと、船内アナウンスが流れた。
「まもなく湖底遺跡直上を通過します。通路ディスプレイをご覧ください」
下を見た途端、それまで真っ黒だった床の画面に灯が入り、深い青の奥に古びた人工物の影が現れる。
ルカが隣で小さく声を上げ、アリシアも目を奪われた。
オーパーツのお手本のような遺跡であった。
びっしりと藻に覆われているため実際のところどうかは不明だが、船舶の甲板のようにも見える。規則的な曲線と直線が機能的造形美を描き出し、わずかな欠損も無い。
何より驚いたのは、その大きさだ。かなり深いところに沈んでいるはずなのに、船の上からでもよくわかる。船内放送曰く、長さは約三百メートル、最大幅六十メートルとのことだ。もし湖底遺跡が本当に乗り物であったなら、とんだオーバーテクノロジーである。
船が遺跡を通り過ぎたところで、アリシアはアシェラと顔を見合わせた。
「ね、すごいでしょ?」アシェラが微笑む。「引き離されてしまったきょうだい神さまがもう一方に会いに行くために建造した空飛ぶ船だって、神話にはあるんです」
続けてアシェルが言う。
「遺跡は湖底の地形や水流の影響でなかなか調査が進まなくって、まだまだ謎が多いらしいんです」
「ダンティバ湖のダッシーとか言ってたアタシがあほみたいじゃん……」
島に到着し、アリシアたちは下船する。桟橋を歩きながら体を伸ばし、とうとう島に上陸した。
「神殿への階段、こっちです」
アシェルが言った。
そして苔むした石造りの階段を、アリシアたちは登ってゆく。他の参拝客たちもちらほら見るが、皆ひいひいと息を切らしながら足を動かしていた。
が、その中で、
「……アリシアさんはわかるけど……」
「ルカさんもぜんぜん息切れてないですね……」
と、レハイム兄妹が驚いていた。
ルカが振り向き、笑う。
「伊達に夜や曇りの日を狙って走り込んでたわけじゃないからネ」
彼女は力こぶをアピールするように、腕を曲げてみせた。けれど着ている服のために筋肉はまるで見えない。
一行が神殿の前に至ると、涼風が迎えてくれた。
風の吹く方には、水平線が見えた。
アリシアは思わず笑顔になり、内陸部で水平線を見られるとは、と思う。
あまり乱れていない呼吸を整え、華表を臨む。華表は朱色で彩られた門で、鳥居にも似た様式であった。
四人揃って華表前でお辞儀をした後、神殿の領内に入る。
三方を木々に守られた神殿は、神道とヒンドゥー教の建築様式を融合させたような、独特の外観であった。
中央の大扉の向こうにある本堂にはサラスヴァティーの神像が安置されている。
アリシアたちはサラスヴァティー像に祈りを捧げ、次にきょうだい神の所へ行く。
きょうだい神の堂は、本堂に比べるとずいぶんとひっそりしていたが、静かで清らかな空気に変わりはない。
四人で祈りを捧げてから、アシェルとアシェラが御神像の視線の先に向き直る。
その目は南西の方角を見ていた。
アシェルが言う。
「像の視線の先には、タンウェイ島があるんです」
「何か逸話が?」
アリシアは訊ねた。するとアシェラが端末を手に答える。
「神話では、もともとダンティバ湖も陸地で、きょうだい神さまの一方の領地だったんです。だから追放された時、領地ごと遠くに飛ばされて、それがタンウェイ島になった」
彼女が画面を見せる。
「ほら、ダンティバ湖とタンウェイ島、形そっくりでしょ?」
「ホントだ……」
「島をひっくり返したらピッタリ嵌まるね、この形……」
アリシアとルカは自然と腕組みして、息を呑んだ。
そして神殿を後にすると、四人は麓の売店でテシルへの土産と共に軽食を買う。魚のフライである。長年ダンティバ湖を悩ませている外来魚を使ったもので、さっぱりとした味とスパイスのような強い香りが売りとのことだ。
アリシアがフライに歯を立てると、衣からざくり、と心地よい音がした。
続けて口の中に、前評判に違わぬ刺激的だが淡白な旨味が広がる。
思わず微笑みが浮かび、白飯が欲しくなった。
名物フライを食べながら、四人は再び船へと歩いてゆく。フライを食べ切る頃には出港時刻を迎える頃合いだ。
が、その途中アリシアだけは別の方に意識が行った。
そこは売店や休憩施設に隣接した、事務所と思しき建物。その前で複数人が向かい合っていた。何やら話をしているようだが、あまり良くない空気を感じる。
首からネームプレートを提げた、職員らしい小太りの男性を取り囲むように、いかついスーツの男たちと、真っ赤な変形トレンチコートを着た女が立っている。
アリシアはにわかに眉をひそめた。スーツの男たちは、テシルのカフェでレハイム兄妹に突っかかってきた連中と同じような雰囲気がある。女は長身で、自分やテシルと同等か、すこし高いかもしれない。
ふと、爪先が連中へと向く。
しかし直後、職員の男性は女たちに何度か頭を下げ、事務所へと引っ込んでいく。
どうやら<話し合い>は終わったようだ。
アリシアは女たちに気取られる前に、ルカとレハイム兄妹を追った。
出港時刻に遅れることなく、アリシアたちは乗船する。
島を離れてゆく船の中で、ルカが言った。
「はー、ダブルデート楽しかったねえ」
「お二人ね、兄妹だよ。兄妹」
アリシアのツッコミに、ルカと兄妹が笑う。西に傾きつつある太陽のせいか、アシェルとアシェラの頬に赤みがさしているように見えた。
「そういえばお二人は」と、ルカ。「今日もテシルさんのとこにお泊りを?」
「ええ。テシルさんも構わないって言ってくれてまして……」
「お父さんにも連絡してますから、そのへんは大丈夫です」
「ならよかった」
けど、とアリシアは続ける。
「お父さんにはストーカー被害のことは言ってるんです?」
「いえ、それが……」
アシェルがすこしためらいつつ、こう答えた。
「僕たち、父さんと今モメてて……家に帰っても顔すら合わせてないんです」
「そっか……なんとか仲直りできるといい、ですね……」
「ありがとうございます」
「アタシたちにできるのはボディーガードくらいですけど、他にもなんかあったら遠慮しないでくださいね」
アリシアはそう言い、アシェラに顔を向ける。
「キミも、バンバン頼ってくれていいんだよ。ねえルカ」
「もちろん。力になれたら、ぼくたちだって嬉しい」
「……もう、充分力になってくれてますよ」
アシェラが言った。小さな声だった。
彼女は兄のほうに向き、すこし頷いてみせる。
「そうだね……」
すると、兄妹は互いの指を絡ませ、掌を合わせ、手をつなぐ。
アリシアはそれを見て、やや目を丸くした。
その時、ルカがこちらの手を握った。
アリシアは彼女のほうを見る。ルカは嬉しげな笑顔をこちらに向けていた。
それから同じように笑い、四人で窓から見える波のうねりを眺めた。
ほどなくして船は港に着き、四人は再びバイクに乗って帰路につく。
ネロとクルーザーが来た道を戻ろうとしていると、目の前に<通行止め>の看板と誘導員の姿が見えた。
アリシアたちは彼の前で止まり、
「すんません。この先、緊急工事で通れないんですよ」
という言葉を受けた。そして迂回路を教えてもらい、彼に礼を言ってそちらへ進む。
そこは山の中のワインディングロードだった。街灯も無く、他に車は見当たらない。太陽の高い時間帯であれば爽快な気分で走れただろうが、夕暮れが近づきつつある今は、やや心細い。
粛々と走っていると、まもなく対向車線から一台の車が現れた。海外製のSUVだ。
SUVはハイビームで突っ走り、ルカが小さく呻く。
アリシアが車のドライバーに嫌悪感を抱いた次の瞬間、
「銃だ!」
アシェルが叫んだ。
アリシアはスロットルを目一杯ひねり急加速する。
銃声と、弾がガードレールを穿つ音がした。
バイクと車がすれ違い、巻き起こった風が動揺をいざなう。
車は急ターンして、こちらを追いかけてきた。
アリシアとアシェルは目配せして、逃走を図った。
◇
グルガルタは川沿いの道に停めた車の中で、ターゲットが来るのを待っていた。
そんな時、電話が鳴る。標的の動向を探っていた仲間からだ。
「どうした?」
「問題発生だ。やっこさんたち、道を外れて何モンかに追われてるぜ」
「なんだって。相手は?」
「わからねえ。ただ、そっちには来ねえってことだけは」
「どこだ? 場所は」
「すぐ送る。早いとこ行ったほうがいいぜ」
「あたぼうよ」
通話を終え、エンジンをかけながら携帯端末をインパネのホルダーにセットする。
「チキショウ、仕事の段取り狂わせやがって」
グルガルタは折れんばかりの勢いでシフトレバーを一速に入れ、アクセルを踏み抜いた。
テシルの住宅側の駐車スペースで、アリシア、ルカとレハイム兄妹は出発準備をする。
駐車スペースにはネロと兄妹のバイクの他に、テシルの愛車と思しきガンメタルのカスタムバイクが停まっていた。アリシアたちはその脇をすり抜けるように、それぞれのマシンを出庫させる。
途中、アシェルがネロを見て言った。
「アリシアさんのバイク、珍しいスタイルですね」
「ネイキッドですよね? アッパーカウルだけスーパースポーツから流用したんですか?」
アシェラもジャケットを着込みながら言う。
アリシアは愛車に掌を乗せた。
「まあ、そんなところですね。親もバイク好きで、もともと家族で乗ってたのをアタシが貰ったんです」
「愛称はネロ」と、ルカ。「黒に青のアクセントがアリシアらしいでしょ?」
「ええ、かっこいいです。まさにボディーガードって感じで!」
「そもそもアリシアさん自身がかっこいいですもん」
兄妹にそう言われてアリシアはにわかに驚き、顔を赤くしてにやけてしまう。
そこに、
「あっかわいくなった」
ルカの一言が来た。
「あ……アタシのことはいいからさ! どこを案内してくれるのか教えてくださいよ!」
アリシアは両手をばたつかせて兄妹に訊く。
アシェラがじっとりとこちらを見て、笑いかけた。
「じゃあ、無人島までプチ船旅しましょ」
かくしてアリシアたちの、二台のバイクが発進する。アシェラの言う<無人島>とは、ダンティバ湖に浮かぶ島のうちの一つであった。近年はパワースポットとしても有名らしく、島内の施設の運営や管理をする人は皆、本土から船で通っているとのことだ。
アリシアとルカの乗るネロは、レハイム兄妹のクルーザーの後について行く。道中混雑が予想されたが、兄妹の選んだ道は車通りが少なく、思った以上に円滑に走れた。
さすがは地元民である。アリシアはそう思った。
さらに嬉しいことに、彼女らの走る<抜け道>はすこし高い場所にあり、レイクビューロードにも劣らぬ景観を楽しめた。
赤信号で止まっていると、ふいに両肩を持つルカの手に力が入った。
「わ、すごい。きれい……」
そんな言葉を耳にして、アリシアは湖の方へ顔を向ける。
その瞬間、彼女は息を呑んだ。
青天に浮かぶ昼下がりの太陽が大いなる湖面を照らし、淡い黄金色がきらきらと光を放っている。
その向こうでは白く霞んだ山々がそびえていた。
見とれていると、視界の端でアシェラが振り返ったのに気づく。
彼女は兄の腰に回していた手を、ダンティバ湖に方に指した。アシェルも同じようにこちらに目を向け、妹と同じ方向を指差す。
アリシアとルカは頷いて答え、信号が青になるまで遠景に心を預けていた。
二台のバイクは順調に目的地へ至る。
アリシアたちはバイク置き場に愛車を並んで滑り込ませた。そして船着き場のほど近くにあるチケット売り場で、人数分の乗船券を買う。
数分後には、アリシアたちと他の乗客を乗せた遊覧船が出港した。
エンジンの轟きと波を切る音、それに船内に流れる穏やかなBGMを楽しみながら島へと向かう。
「そういえばさ」アリシアが訊いた。「島には何があるんです?」
「一番の見どころは神殿ですね」
答えたのはアシェルだった。
「サラスヴァティーさまを祀ってる神殿があって、パワースポットと呼ばれる所以はそこです。あとは、売店や撮影スポットも」
「他には……伝説、ですね」
と、アシェラ。
「伝説?」アリシアは首を傾げる。「ダンティバ湖のダッシーとか?」
「いやそういうのじゃなくって」
アシェラは失笑し、小さく息を吐いてから続けた。
「神殿にはもう二柱、男女のきょうだいの神さまが祀られてるんです。兄と妹なのか、姉と弟なのかは文献によって異なりますけど……」
彼女の目が島の方に向き、アリシアたちも島を見る。
「その神さまたちも、サラスヴァティーさまと同じように芸事の神さまで、踊りや演奏を褒め合う仲だったんですって。けど――」
「けど……?」
「――いつしか、きょうだい神は互いに恋をし、愛し合うようになった」
そう語るアシェラの顔には、陰りがさしていた。
「きょうだい神には婚約している別の神さまたちがいたけれど、かれらは激しく怒って、二柱を引き離してしまったんです」
「悲恋の神話……なんだね……」
アリシアの呟きに、アシェラは頷いた。
「それでも、あたしとお兄ちゃん、このきょうだい神さまが好きなんです。アリシアさんも、たぶん気に入るんじゃないかな」
「どういうこと?」
アリシアが問うと、船内アナウンスが流れた。
「まもなく湖底遺跡直上を通過します。通路ディスプレイをご覧ください」
下を見た途端、それまで真っ黒だった床の画面に灯が入り、深い青の奥に古びた人工物の影が現れる。
ルカが隣で小さく声を上げ、アリシアも目を奪われた。
オーパーツのお手本のような遺跡であった。
びっしりと藻に覆われているため実際のところどうかは不明だが、船舶の甲板のようにも見える。規則的な曲線と直線が機能的造形美を描き出し、わずかな欠損も無い。
何より驚いたのは、その大きさだ。かなり深いところに沈んでいるはずなのに、船の上からでもよくわかる。船内放送曰く、長さは約三百メートル、最大幅六十メートルとのことだ。もし湖底遺跡が本当に乗り物であったなら、とんだオーバーテクノロジーである。
船が遺跡を通り過ぎたところで、アリシアはアシェラと顔を見合わせた。
「ね、すごいでしょ?」アシェラが微笑む。「引き離されてしまったきょうだい神さまがもう一方に会いに行くために建造した空飛ぶ船だって、神話にはあるんです」
続けてアシェルが言う。
「遺跡は湖底の地形や水流の影響でなかなか調査が進まなくって、まだまだ謎が多いらしいんです」
「ダンティバ湖のダッシーとか言ってたアタシがあほみたいじゃん……」
島に到着し、アリシアたちは下船する。桟橋を歩きながら体を伸ばし、とうとう島に上陸した。
「神殿への階段、こっちです」
アシェルが言った。
そして苔むした石造りの階段を、アリシアたちは登ってゆく。他の参拝客たちもちらほら見るが、皆ひいひいと息を切らしながら足を動かしていた。
が、その中で、
「……アリシアさんはわかるけど……」
「ルカさんもぜんぜん息切れてないですね……」
と、レハイム兄妹が驚いていた。
ルカが振り向き、笑う。
「伊達に夜や曇りの日を狙って走り込んでたわけじゃないからネ」
彼女は力こぶをアピールするように、腕を曲げてみせた。けれど着ている服のために筋肉はまるで見えない。
一行が神殿の前に至ると、涼風が迎えてくれた。
風の吹く方には、水平線が見えた。
アリシアは思わず笑顔になり、内陸部で水平線を見られるとは、と思う。
あまり乱れていない呼吸を整え、華表を臨む。華表は朱色で彩られた門で、鳥居にも似た様式であった。
四人揃って華表前でお辞儀をした後、神殿の領内に入る。
三方を木々に守られた神殿は、神道とヒンドゥー教の建築様式を融合させたような、独特の外観であった。
中央の大扉の向こうにある本堂にはサラスヴァティーの神像が安置されている。
アリシアたちはサラスヴァティー像に祈りを捧げ、次にきょうだい神の所へ行く。
きょうだい神の堂は、本堂に比べるとずいぶんとひっそりしていたが、静かで清らかな空気に変わりはない。
四人で祈りを捧げてから、アシェルとアシェラが御神像の視線の先に向き直る。
その目は南西の方角を見ていた。
アシェルが言う。
「像の視線の先には、タンウェイ島があるんです」
「何か逸話が?」
アリシアは訊ねた。するとアシェラが端末を手に答える。
「神話では、もともとダンティバ湖も陸地で、きょうだい神さまの一方の領地だったんです。だから追放された時、領地ごと遠くに飛ばされて、それがタンウェイ島になった」
彼女が画面を見せる。
「ほら、ダンティバ湖とタンウェイ島、形そっくりでしょ?」
「ホントだ……」
「島をひっくり返したらピッタリ嵌まるね、この形……」
アリシアとルカは自然と腕組みして、息を呑んだ。
そして神殿を後にすると、四人は麓の売店でテシルへの土産と共に軽食を買う。魚のフライである。長年ダンティバ湖を悩ませている外来魚を使ったもので、さっぱりとした味とスパイスのような強い香りが売りとのことだ。
アリシアがフライに歯を立てると、衣からざくり、と心地よい音がした。
続けて口の中に、前評判に違わぬ刺激的だが淡白な旨味が広がる。
思わず微笑みが浮かび、白飯が欲しくなった。
名物フライを食べながら、四人は再び船へと歩いてゆく。フライを食べ切る頃には出港時刻を迎える頃合いだ。
が、その途中アリシアだけは別の方に意識が行った。
そこは売店や休憩施設に隣接した、事務所と思しき建物。その前で複数人が向かい合っていた。何やら話をしているようだが、あまり良くない空気を感じる。
首からネームプレートを提げた、職員らしい小太りの男性を取り囲むように、いかついスーツの男たちと、真っ赤な変形トレンチコートを着た女が立っている。
アリシアはにわかに眉をひそめた。スーツの男たちは、テシルのカフェでレハイム兄妹に突っかかってきた連中と同じような雰囲気がある。女は長身で、自分やテシルと同等か、すこし高いかもしれない。
ふと、爪先が連中へと向く。
しかし直後、職員の男性は女たちに何度か頭を下げ、事務所へと引っ込んでいく。
どうやら<話し合い>は終わったようだ。
アリシアは女たちに気取られる前に、ルカとレハイム兄妹を追った。
出港時刻に遅れることなく、アリシアたちは乗船する。
島を離れてゆく船の中で、ルカが言った。
「はー、ダブルデート楽しかったねえ」
「お二人ね、兄妹だよ。兄妹」
アリシアのツッコミに、ルカと兄妹が笑う。西に傾きつつある太陽のせいか、アシェルとアシェラの頬に赤みがさしているように見えた。
「そういえばお二人は」と、ルカ。「今日もテシルさんのとこにお泊りを?」
「ええ。テシルさんも構わないって言ってくれてまして……」
「お父さんにも連絡してますから、そのへんは大丈夫です」
「ならよかった」
けど、とアリシアは続ける。
「お父さんにはストーカー被害のことは言ってるんです?」
「いえ、それが……」
アシェルがすこしためらいつつ、こう答えた。
「僕たち、父さんと今モメてて……家に帰っても顔すら合わせてないんです」
「そっか……なんとか仲直りできるといい、ですね……」
「ありがとうございます」
「アタシたちにできるのはボディーガードくらいですけど、他にもなんかあったら遠慮しないでくださいね」
アリシアはそう言い、アシェラに顔を向ける。
「キミも、バンバン頼ってくれていいんだよ。ねえルカ」
「もちろん。力になれたら、ぼくたちだって嬉しい」
「……もう、充分力になってくれてますよ」
アシェラが言った。小さな声だった。
彼女は兄のほうに向き、すこし頷いてみせる。
「そうだね……」
すると、兄妹は互いの指を絡ませ、掌を合わせ、手をつなぐ。
アリシアはそれを見て、やや目を丸くした。
その時、ルカがこちらの手を握った。
アリシアは彼女のほうを見る。ルカは嬉しげな笑顔をこちらに向けていた。
それから同じように笑い、四人で窓から見える波のうねりを眺めた。
ほどなくして船は港に着き、四人は再びバイクに乗って帰路につく。
ネロとクルーザーが来た道を戻ろうとしていると、目の前に<通行止め>の看板と誘導員の姿が見えた。
アリシアたちは彼の前で止まり、
「すんません。この先、緊急工事で通れないんですよ」
という言葉を受けた。そして迂回路を教えてもらい、彼に礼を言ってそちらへ進む。
そこは山の中のワインディングロードだった。街灯も無く、他に車は見当たらない。太陽の高い時間帯であれば爽快な気分で走れただろうが、夕暮れが近づきつつある今は、やや心細い。
粛々と走っていると、まもなく対向車線から一台の車が現れた。海外製のSUVだ。
SUVはハイビームで突っ走り、ルカが小さく呻く。
アリシアが車のドライバーに嫌悪感を抱いた次の瞬間、
「銃だ!」
アシェルが叫んだ。
アリシアはスロットルを目一杯ひねり急加速する。
銃声と、弾がガードレールを穿つ音がした。
バイクと車がすれ違い、巻き起こった風が動揺をいざなう。
車は急ターンして、こちらを追いかけてきた。
アリシアとアシェルは目配せして、逃走を図った。
◇
グルガルタは川沿いの道に停めた車の中で、ターゲットが来るのを待っていた。
そんな時、電話が鳴る。標的の動向を探っていた仲間からだ。
「どうした?」
「問題発生だ。やっこさんたち、道を外れて何モンかに追われてるぜ」
「なんだって。相手は?」
「わからねえ。ただ、そっちには来ねえってことだけは」
「どこだ? 場所は」
「すぐ送る。早いとこ行ったほうがいいぜ」
「あたぼうよ」
通話を終え、エンジンをかけながら携帯端末をインパネのホルダーにセットする。
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ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
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主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
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