マイノリティシリーズ

もつる

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かつてアンジェリアと呼ばれたウィドウ

かつてアンジェリアと呼ばれたウィドウ 1/2

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 ウィドウは右脚が余計な音を立てないよう気をつけながら扉に近づき、銃床で突き破った。
 埃の舞う向こう側に、二体の敵兵士。
 銃声が轟いた。
 倒れたのは、敵のほうだった。血の代わりにスパークと煙を出し、二体とも動かなくなる。
 右脚を引きずりながら、ウィドウは廃屋の床に倒れた敵――メックトルーパーへ近づく。
 二体の傍には.三〇口径のマークスマンライフルと、それより軽便なカービンが転がっていた。
 窓から射す光は、今もなお宙を舞い、視界を白濁させる埃を照らしていた。
 彼女はフェイスガードに増設したAR拡張現実デバイスを作動させ、敵兵の状態を精査する。
 いずれも電子頭脳を撃ち抜いていた。ケブラーマスクの覗き穴から、五.五六ミリ弾がヤツらのカメラアイを穿って、急所を破壊せしめたのだ。
 メックトルーパーの<死>を確かめた後、ウィドウはかれらの着用する装備を剥ぎ取る。
 プレートキャリアから予備の弾薬とマガジンを抜いた後、服を脱がした。
 服の裏には、最低限の防塵、防水処理を施しただけの、剥き出しの機械骨格があった。
 コスト最優先なのは<毒電波>発生直後から変わらない方針らしい。
 胸元を剥いでパワーセルを確かめる。二体とも無傷だが、劣化具合は自身に内蔵されているものと同程度だ。
 次は右脚だ。現在ウィドウの右の膝を構築するパーツは子供型ボディー用のもので、サイズが合わないのを強引に取り付けている。
 ようやく適合する大人型ボディー用にありつけた。
 ウィドウは己の脚絆を外し、衣類を捲り上げ、巻いた布をほどく。応急処置キットから工具を取り出し、右膝のジョイントを外した。
 その時、レーダーが反応し、扉の向こうから駆け足の音が聞こえてきた。
 敵の部隊がやってきたのである。その数四体。
 逃げようにも脚を着け直している暇は無い。
 ウィドウは自前のライフルのマガジンを、フルロードのものと交換し、迎え撃つ用意をした。
 足音が近づき、出入り口のすぐ裏まで来る。
 メックトルーパーが姿を見せたのは直後であった。
 ウィドウは左脚で壁を蹴り、先頭の一体にタックルを喰らわせる。
 続いて通路に立つ敵兵へ銃撃。防弾プレートがカバーしていない箇所に弾を中てた。
 が、まだ仕留めていない。
 無傷の二体が撃ってきた。
 ウィドウは後ろに跳んで距離を開けると同時に、防御姿勢を取る。
 全身を捻って被弾面積を減らし、左腕で頭部をガードした。
 トルーパーの弾丸が、ウィドウの外装に命中してはじけ飛ぶ。
 ウィドウの反撃。
 ARデバイスの照準補助を使い、防護の隙間を狙い撃った。
 銃弾はいずれもメックトルーパーの急所を射抜き、四体は崩れ落ちる。
 狭い通路に、落ちた空薬莢の甲高い音がこだまして、再び静寂が訪れた。
 彼女は改めて右脚の修理にとりかかる。
 サイズの合ったパーツがつくと、ウィドウを悩ませていた右脚の不調は消え去った。
 メックトルーパーの膝も多少なりとも摩耗しているはずなのだが、今まで脚を引きずっていたのがまるで嘘のようだ。
 ウィドウはようやく、警戒モードから平常モードへと移行する。
 フェイスガードのロックを解除すると、片方だけが自動的に顔の横へスライドした。
 もう片方は、ウィドウ手ずから開ける。
 その裏に隠れたフェイスディスプレイには、伏せ目がちな顔が表示されている。デフォルメの効いた美少女の顔だ。が、それを分断するように、ディスプレイには深い亀裂が走っていた。
 彼女はもう動かない<同種>たちを見下ろす。
 ふと、かれらが毒電波に思考回路を汚染される前のことを考えてしまう。

 かれらも、本来ならば人間社会の役に立つライフサポートロボットだったり、警備ロボットだったはずだ。ひょっとしたらかつての自分のように人間の家庭に迎えられて、愛しい人がいたのかもしれない。
 自分も、かれらという<レギオン>の一部になっていれば、こんな思いをしなくて済んだのかも……。

 そんな思いがよぎった時、


 どうか生きて、アンジェリア。生きていればきっといいことがあるから。


 メモリーの最も深いところに保存した、マスターの最期の言葉が勝手に再生された。
 これで何度目だろう。
 消えないように、そしてうかつに開けないようにロックしているはずなのに。

「マスター……」

 ウィドウは意図せず、言葉を発していた。
 彼女は拳を握り、その場を立ち去ろうとする。
 すると、倒れたトルーパーたちに妙な傷があるのを発見した。
 切り傷だ。
 骨格の表面までの浅さだが、とても鋭利で、まだ新しい。
 おそらく超振動剣で斬られた傷だろう。
 ウィドウもサイドアームとして超振動ナイフを持ってはいるものの、バッテリー切れでただのシースナイフになって久しい。

 自分以外にも生き残りがいるということだろうか?

 彼女は窓の外を見た。
 が、幽かな笑みと共に目を逸らし、立ち上がる。

 生き残りがいたとしても、その生き残りが何者であったとしても、自分には縁の無いことだ。


 ウィドウは今回の戦闘で倒したメックトルーパー隊の、役に立ちそうな物資を持って家路についた。
 一歩進むごとに、ダッフルバッグに詰まった部品ががちゃり、がちゃりと音を立てる。
 沈みかけの太陽が照らす帰り道は破壊の痕と、その後に隆盛した植物で混沌としていて、そこにウィドウの影がひとつ。影はダッフルバッグから突き出た機械骨格の手足や長尺の部品で歪になっていた。
 かつてブロック塀を構築していた瓦礫を跨ぎ、アスファルトを抉る砲撃の形跡を迂回し、横転した車両で狭くなった道を通ると、彼女の眼前に剪定済みの生垣が現れた。

「ただいま帰りました……」

 言いながら玄関扉を開ける。
 誰の返事もないのはわかっているのに、ウィドウはこの習慣をデリートできずにいた。
 倉庫と化したリビングに物資を置き、その中から今使う物を選んで、自室へ行く。
 かつて、マスターがいた部屋に。
 部屋は、毒電波が出て人間の文明が崩壊する前の状態を極力保っていた。誰も読まない本、何もうつさないテレビ、着る者を喪った衣類……。
 ウィドウはそれらに囲まれて、ライフルの整備を行う。
 ライフルはずいぶんとカスタムされていた。ベースになっているのはかつて世界中に広まったアーマライト自動小銃の流れをくむモデルだ。メックトルーパーのカービンともいくつか部品に互換性がある。
 弾を抜き、メンテナンスキットを手にする。消耗が激しい箇所は戦利品であるメックトルーパーの銃の部品に交換するのが常だが、今回は汚れの除去と可動部の注油で済ませた。
 整備を終えて、彼女は電灯にライフルをかざす。
 長年の使用でくたびれた感じは出ているが、逸品と呼ぶにふさわしい。
 長い銃身、固定された銃床、より作動信頼性の高い方式に換装した機関部、敵の銃と共通の弾薬に弾倉。民間モデルのためフルオート射撃はできないが、無駄撃ち防止には適している。
 それに、今となってはフルオートで弾をばらまきたくなるほど苦戦することはない。
 毒電波が発せられて、AIが人を襲うようになった直後は度々、このライフルだけでは対処しきれない事態もあったが、人間を切り捨てて機械だけでアップデートを繰り返すようになったAIたちはかつての多様で柔軟な思考を失いつつある。
 ロケーションに気を配れば、さして脅威ではなかった。
 けれど、こんな虚しいルーティンをいつまで続けなければならないのだろう。
 ウィドウはそう思い、ライフルを下ろした。
 その先に本棚が見えて、ある一冊の背表紙がうつる。
 それは生前のマスターが読んでいた、職業訓練の教本であった。

 生きていればいいことがある。

 マスターの口癖であり、座右の銘だ。
 ふと、彼女はマスターから聴いた、彼の前半生を思い出す。
 大学卒業までは波風の立たない順調な人生で、就職もすんなり決まり、両親は盛大に祝福してくれたとのことだ。
 が、初出勤の日に<取り返しのつかない失敗>を犯して、そのままフェードアウト。精神を病んで、この部屋に籠もりっきりになった。そう言っていたのをメモリーしている。
 長い虚無の時間を過ごし、世間が<夢の二十一世紀>の到来で沸き立っていた頃も、マスターはただ独り、冷たい悪夢の底でうずくまっていたようだ。
 そんなマスターに訪れた転機が、ウィドウ――アンジェリアの存在だった。
 彼はその日、何気なくライフサポートロボットのウェブサイトを見ていて、彼女のプロフィールが目についたらしい。
 そして、一目惚れをした。
 それからマスターは勇気を出して職業安定所に行き、職業訓練を受け、就職し、アンジェリアと交流を持った。それが二人の馴れ初めである。
 初めて会った際に見せた、マスターの嬉しそうな顔。その記録は決して消えない。彼女もまた、一人の人間を救って、己の使命を成した事実が嬉しかった。
 最初のうちは安価な、インターネットを介しての通話プラン。そこから店舗での直接会話、こちらがマスター宅に出向いてのケアサポート。着実に段階を踏んで、最後にアンジェリアの所属する企業から<彼女と家族になる権利>を手に入れた。
 全てが順調な毎日。マスターの家にも、夢の二十一世紀の光が射した。

 それなのに――。
 しょせん、儚い夢に過ぎなかったということか。

 ウィドウは立ち上がり、庭に出る。
 小さな庭だが、今でも抜かりなく手入れしている。人生を取り戻したマスターと一緒に、ここでささやかな畑を作った。三人家族の食卓を彩るには充分な野菜が、いつも生っていた。
 今はちっぽけな墓が三つ。もうここに、何かが実ることはない。
 毒電波が流れたあの日、マスターと両親はここにいて、アンジェリアは風呂場で蛇口の修理をしていた。立地のせいか、そこだけ電波の届かない場所であった。
 だから彼女は思考回路を汚染されずに済んだ。だから、凶弾から家族を護れなかった。
 両親は暴走したAI搭載型武装ドローンに、急所を撃ち抜かれて即死。マスターも手遅れだった。
 トラウマのフラッシュバックというのだろうか。とウィドウは思う。
 メモリーから削除しようとしても、消えない。

 
 どうか生きて、アンジェリア。生きていればきっといいことがあるから。


 また、マスターの遺した言葉が勝手に再生される。
 彼女は墓前にしゃがみこんで、己の掌を見つめた。
 この手は、正確にはアンジェリアのものではない。いつかの戦闘で吹っ飛ばされ、内部骨格が砕け散ったため、倒したメックトルーパーの骨格を剥ぎ取って修理したのだ。
 が、この手は冷たくなってゆくマスターの体をいつまでも覚えている。
 いや、覚えているのは手ではないし、ましてやそのセンサーでもない。
 覚えているのは――。
 ウィドウは拳を握り、額に当て、しばらく動かなくなる。

 今までマスターの言葉を守って生きてきたが、何かいいことはあっただろうか?

 彼女は思った。

 そこそこ性能の良い銃を手に入れたこと、吹っ飛んだ腕がその日のうちに修理できたこと、引きずっていた右脚を直せたこと、まだ予備の部品は逼迫していないこと、銃弾には事欠かないこと。
 挙げればたくさん出てくるが、あまりにもちっぽけだ。
 あの破局の日以来、いいことなんて何一つ無い。
 今の自分はただ、惰性で生きているだけだ。

 また、マスターの墓標に顔を向ける。その時だった。

 ああ、そういうことか。

 ウィドウはさとった。
 きっと、自分と出会う前のマスターはこんな心境で毎日を過ごしていたんだ、と。

 形は違っても、希望の見えない日々を無為に過ごすこの苦痛……。

 彼女はいつしか涙を流していた。
 フェイスディスプレイにうつす表情データにある、悲しい時用の映像――つまるところ偽者の涙でしかないが。
 ウィドウはマスターの墓に近づいて、墓標を撫でた。

「今……私は……あなたと同じ辛さを味わっています……。あなたの痛みを……今、共有しています……」

 ですが、と彼女は小さな音量でつぶやき、続ける。

「遅すぎました……」

 撫でる手を引き戻し、うなだれる。

「私は今も……あなたの言葉を守っています……。それが……重荷になっています……」


 今は、すこしだけあなたが憎い。
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