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72.家庭科教室
しおりを挟む私は選択授業の家庭科の教室に向かっていた。
教室が見える廊下まで来たところだった。
家庭科の教室の扉から、ふいに出てきた人影があった。
こちらには顔を見せないまま、立ち去ってしまったけど、あの後ろ姿には見覚えがあった。
茶色いカールがかった長い髪に、膝下までの白い靴下。
『オリビア・フレーリン』だ。ゲームではフェリクスの婚約者に設定されていた彼女。
なんでここに? 慌てたように走っていくオリビアに首をひねる。
不思議に思いながらも、私はそのまま教室に入った。今、家庭科の授業で刺繍しているハンカチを取りに行こうと、引き出しを開けたときだった。
「なっ――」
私は唖然とする。
刺繍枠に収まっていたはずのハンカチはなく、かわりに鋭利な刃物で切り裂かれたような白い小片が散らばっていた。
「――なにこれ」
布地とも呼べない小さく刻まれた切れ端を手にとる。変わり果てた残骸の中に、見覚えのある柄の一部を見つける。
間違いなく私の作品だわ。
「誰がこんなことを――」
呟いた瞬間、教室から出てきたオリビアの姿が頭をよぎる。
「まさか、オリビアが?」
半信半疑だった思いが徐々に確信に変わっていく。
思い当たる理由も浮かぶし、ゲームでも意地悪をしてくるライバル令嬢だ。さっき見かけた姿も偶然とは思えない。
私は呆然としたまま、針を刺してあるピンクッションをとった。すると――。
「ピィー」というか細い高い音が自分のスカートのポケットから聞こえた。
〈ユニコーンの角笛〉だ。危険なものが近づくと知らせてくれるアイテム。
私は恐る恐るピンクッションをおいた。すると〈ユニコーンの角笛〉が鳴りやむ。
再び手にとった。
――ピィー。
私はごくりと唾を呑んで、ピンクッションを目の前に掲げると針を引き抜いた。
するとさっきよりも音が高く鳴り響く。
針の先をよく見ると、変色していた。
「まさか、毒針?」
ゲームでも、ヒロインが毒針にやられるシーンがあった。幸い死にはしなかったものの、ストレス値が三十もあがって危うく休学するところだった。
ゲームの世界だったから、それで済んだかもしれないが、生身の体を持った今ではそんなものでは済まされない。
とうとうオリビアからも命を狙われる羽目になってしまった。
私は気味の悪さと恐ろしさに、急いでハンカチだった残骸とともに、ピンクッションをゴミ箱に放り込んだのだった。
その日の放課後。
私は家庭科の教室で、針をちくちくと動かしていた。作品を一からやり直すはめになったため、このままでは提出期限に間に合わないかもしれない。そう考えて、居残って作業することにしたのだ。
それにしてもオリビアめ。私は手を動かしながら、腹をたてる。
作品まで台無しにすることないじゃない。
人がせっかくあそこまで一生懸命縫ったっていうのに。
完成したらお兄様にあげようと思ってたのにな。
ものには罪はないのよ。
そう思ったところで、「ガチャリ」と音をした。
「え? なに?」
私は顔をあげて作業をとめ、音がしたほうへと歩いていく。
扉の前まで来たところで、開かないことに気づいた。
まさか、閉められた?
私は焦って、取っ手に手をかけ、ガタガタと揺らす。そのとき――
「いい気味――」
呟かれた声とともにクスクス笑う声。
「ちょっと誰なの? なんのつもり? ここを開けなさい!」
抗議の声をあげたものの、扉の向こうにいる人物はクスクス笑い声をあげて去ってしまった。足音からして二人組。それにあのクスクス笑い。聞き覚えがある。
私のクラスにいるミレイアの取り巻きじゃない?
ミレイアに指示されて、やったの?
先日の食堂のときのミレイアの鋭い目線が思い出された。
私は何も悪いことしてないのに、これじゃ八つ当たりじゃない。
でも今はそんなこと考えてる場合じゃないわ。
とにかく、ここから出なきゃ。
「誰かいませんか? 閉じ込められたの! 開けてー!」
めいいっぱい叫んで扉を叩く。でも、誰も通る気配はない。ここは選択授業の教室がある建物だから、人通りも少ない。
まさか、ここで一晩夜を明かすなんてことにならないわよね。しばらく叫んでいたけど、声が枯れそうになって、私は口を閉じた。
「どうしよう……」
そうしてしばらく、扉の前で佇んでいると、扉の向こう側から声がした。
「誰かいるのかい?」
私ははっとして顔を上げる。
「その声は――先生っ!?」
「カレンさん?! どうしてここに? なんだか人の声が聞こえた気がして、こっちに来てみたんだけど――これは一体」
ラインハルトが扉に手をかける気配がするも、開かないことに気づいたらしい。
「ああ! 良かった! 先生が来てくれて。実は閉じ込められたんです」
「それは大変だ。待ってて。急いで鍵を持ってくるから」
「お願いします!」
ようやく助けが来たことに、ほっと息を吐いて待ってると、ガチャリと音がして扉が開いた。
「先生っ!」
私は一刻も早く教室から出たいあまり、そのまま入ろうとしたラインハルトにぶつかって図らずも抱きついてしまった。
「カ、カレンさん!?」
「はあ。良かった。このまま気付かれなかったら、どうしようかと――」
慌てた様子のラインハルトも、私の不安を感じとったのか、落ち着かせようと私の背に腕を回してきた。
「一体どうしたの?」
「実は急に閉じ込められて――」
「それは災難だったね。中にひとがいるか確認しないまま、戸締まりしたみたいだね。僕が見回りの人に注意しておくよ」
違う。これは不注意からおきたことじゃなくて、故意に仕組まれたこと。でも、私の喉はつっかえたみたいに言葉が出てこなかった。
証拠があるわけじゃないし、逆に下手に騒いで問題児扱いされる可能性もある。だって、私はこの世界では悪女設定なのだから。簡単に評価が下がってしまうことも考えられる。
顔を見たわけじゃないから、言い逃れされたら、こっちが逆に悪者扱いされてしまうかもしれない。せっかく悪女から脱したかもしれないのに、そんなの嫌。
「…………」
「カレンさん?」
黙ってしまった私にラインハルトが声をかけてくる。返事を返そうと、顔をあげたところで、思いの外顔が間近にあって、はっとする。今の体勢に慌てて気付き、急いで体を離す。
「すみません。助けに来てくれたと思ったら、ほっとして周りが見えてませんでしたっ」
ラインハルトはなぜか名残惜しそうに、ゆっくりと腕をおろしたあと、首を傾げた。
「もう大丈夫そう?」
「はい。先生の腕の中にいたら、不思議と落ち着いてきました。先生はひとを安心させる力がありますね」
ラインハルトの低くて落ち着いた口調と優しい雰囲気がやっぱり好きだ。
私はいつもの調子を取り戻していた。
「僕の腕で良かったら、いつでも貸すけど……」
「ふふ。ありがとうございます。先生はやっぱりいい先生ですね」
「いい、先生か……」
そのとき、ラインハルトが切ない微笑みを浮かべた。
「僕は立派な教師になることが夢だったのに……――おかしいな。カレンさんの前だとその立場も放り出したくなる」
「先生?」
私は首を傾げた。問いかけに応えることもなく、ラインハルトが再びこちらに顔を向けたときには、いつもの穏やかな顔つきに戻っていた。
「――なんでもない。さあ、もう家に帰る時間だ。戸締まりは僕がしておくよ」
「ありがとうございます。――先生、さようなら」
「さようなら。気をつけて帰るんだよ」
「はい!」
私は一礼するとラインハルトと別れたのだった。
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