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44.花壇

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お昼休み、昨日の場所を通りすぎると、レコ・カッセルの後ろ姿が見えた。じょうろで花壇に水をやっている。

「こんにちは!」

「わっ」

後ろから声をあげると、レコの肩が飛び跳ねた。

「あ、ごめん。驚かせちゃった?」

「昨日の……」

レコの目が大きく開いた気配がする。

「今日は大丈夫? あいつらに絡まれてない? もし何かあったら言ってね。私も力になるから」

イジメだめ。絶対。私が拳を握って身を乗り出すと、レコの耳が赤くなった。本当に恥ずかしがりやね。かわいいわ~。

「あ、はい、もう大丈夫です」

レコがもじもじと下を向く。

「……昨日は、本当にありがとうございました。……僕は何もできないから、ひとを頼ることしかできなくて……。本当にすみませんでした」

最後はしょんぼりしたように肩を落とす。
ええ?! 気分を沈ませたくて、声をかけたわけじゃなかったのに。ネガティブなのは知ってたけど、実際生で接してみると、改めて実感するわね。これじゃあ私が苛めたみたいじゃない。私はちょっと慌てた。

「それなら私だって、同じよ。昨日何もできなかったもの。結局、助けに入ったのはあのふたりだし」
 
「そんなことないです!」

「え?」

レコが急に顔をあげて、声を大きくしたのでびっくりする。普段消極的な彼が声をあげるなんて、珍しい。
私が驚いて見つめ過ぎたせいで、レコははっとしたようにあたふたし始める。

「あ、いえ、その」

ちょっとまごついたあとに、意を決したように下げていた顔をあげた。私を真っ直ぐ見つめてくる。

「みんなが見て見ぬ振りをする中、あなただけが助けに入ってくれました。だから、あなたは何も……できてない、なんか、ない……」

最後は言ってて恥ずかしくなったのか、しどろもどろで、結局頭を下げてしまった。
私はおかしくて、ふっと笑ってしまった。

「あの……」

クスクス笑い始めてしまった私を見て、レコが首を傾げる。

「だったら、あなたも私と一緒よ。私があの時、腕を掴まれた時に割って入ってくれたじゃない。あなたにも、ちゃんと勇気があるじゃない」

「あ……」

レコが驚いて、目を大きく広げた気がした。
レコが黙って立ち尽くしてしまったので、私は持っていたじょうろに目を向ける。

「あなたがこの花に水をやっているの?」

目の前の色とりどりの花が咲いた花壇にしゃがみ込む。
ぽかんと口を開けていたレコがはっとして、耳を赤くする。恥ずかしそうに下を向く。

「あの、変ですよね、貴族の十六にもなる男が花に水やってるなんて」

私は彼を振り仰いだ。
レコ・カッセルの唯一の趣味は花を育てることだった。校庭の花に見惚れていたヒロインにレコが声をかけるのが、一番初めの出会い。綺麗な花を見て満面な笑みを浮かべるヒロインに、レコは心打たれる。地味で何も取り柄がない自分でも、ひとを喜ばすことができるのだと知る。花はレコにとって癒やしだった。誰からも見向きもされないレコだけど、花だけは否定も拒否もせず、穏やかに迎えてくれる。そして、一生懸命世話をすれば綺麗に花を咲かせ、自分に応えてくれる。花は唯一自分の気持ちに寄り添い、向き合ってくれる存在なのだ。

「あなたは優しいひとね」  

私の言葉に、レコが固まったように見えた。

「こんなに綺麗に咲いてたら、ずっと咲いていてほしいと思うもの。誰もやらないことをやるのって、度胸がいるし、恥ずかしい。でもあなたは花のためにそれをやってる。ほら、あなたは思いやりもあって、勇気もある」

花を育てるなんて、貴族の令嬢でさえやらないこと。服が汚れるし、手も荒れるから。男子がやろうものなら、女々しいと笑われるのが関の山。
そんな冷たい貴族社会において、唯一ヒロインだけが、そんなレコの趣味を偏見もなく受け入れた。レコが花を育てていることを自分から告白するのも、ヒロインとだいぶ話すようになってから。最初のころはじょうろを持っているのを、ヒロインが突っ込んでも、しどろもどろで言い訳してたっけ。趣味を告白してからは、ヒロインがひたむきにレコの花を褒め、応援していくことで、だんだんと固い絆で結ばれていくふたり。
だから、今私が言えることはさっきの台詞だけ。レコの趣味には触れていけないのだ。ヒロインの台詞を奪っちゃだめだもんね。間違っても、『私も花が好き。同じね!』とか『花が好きなことを否定しないで』とか言っちゃだめ。
レコを見上げて、私は笑った。

「みんなの目を楽しませてくれて――それから、あの時、庇ってくれてありがとう」

じょうろを握るレコの手からわずかに力が抜けた気がした。

「それじゃあ、そろそろ行くね」

呆けたように立ち尽くす彼にかまわず、私は花壇から立ち上がった。
レコと花たちのせっかくの団欒を邪魔しちゃ悪いもんね。
私は立ち去ろうと背を向けようとしたけど、レコが声をあげた。

「あ、あの!!」

その声の勢いにひかれ、振り向く。レコは耳だけではなく、髪に半分隠れた頬まで真っ赤にしていた。
胸のまえで抱いたじょうろをぎゅっと握りしめる。

「僕の名前は……レコ・カッセルと言います。あなたは?」

あちゃー。すっかり自己紹介した気分でいたわ。ゲームで名前を既に知っているから、相手まで自分のことを知っているように思い込む癖、直さなきゃ。

「私の名前はカレン・ドロノアよ」
 
「『カレン……ドロノア』……さん」
  
レコが私の名前を呑み込むように、ゆっくりと口にする。

「そう。よろしくね」

「あ、はい! こちらこそ!」

はっとしたように、レコが慌てふためく。
その様子がおかしくて、私はクスクスと笑った。
レコの顔が更に真っ赤になる。

「あなたは、ほかのひとと違いますね……」

「そう?」

「はい。このじょうろだって、『大事なもの』って言ってくれました」

「そ、それはあなたが大事そうに抱えていたから」

今度は私がしどろもどろになる番だった。それはゲームで知っていただけで、今はレコの趣味が園芸だと気付いてはいけない。

「そ、それじゃあ、本当に行くね。またね」

「あっ、はい!」 

私は軽く手を降ると、レコが頷き返す。
私が背を向ける最後まで、じょうろを握りしめていた。
よほど大事なものなんだなあと、感心していると、レコの独りごとが背中に届いた。

「僕にとってはだ__なものはひとつしかなかった。でもきっとこれからはち_うと思います」

振り返ろうと思ったけど、独り言を聞き咎めるのも無粋な真似かと思ってやめた。
静かな、確信に満ちた声音に頷くように、花が揺れた気がした。

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