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20.入学式
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学園の案内に従って、新入生たちは入学式が開かれる講堂へと集められた。
席は特に決まっておらず、適当に座る。
向こうの世界のパイプ椅子ではなくて、映画館や劇場なんかで見るしっかりしたクッションタイプの椅子だ。さすが貴族が通う学校である。妙に感心した。
悪女カレンなら、一番前とか一番中心に陣取りそうだけど、小心者の私は後ろ側の端っこのほうに席をとった。
同じ貴族の中でもちゃんと身分差はある。
一番上から公爵、その次が侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。
ホールの様子を見ていると、いかにも金持ちそうな貴族や堂々とした雰囲気の貴族、または陽キャの貴族たちによって、前が埋まっていく。反対に私みたいに何の変哲もない白いブラウスの子(それが一番安い)や、あたりをキョロキョロ伺う不安そうな子、気弱そうな子が後ろに座った。おそらく前は高位貴族やお金持ちの貴族で、後ろは低位貴族で占められているのだろう。
大なり小なり悪女カレンのような存在はどこにでもいるようで、ホールの真ん中は取り巻きを引き連れた女の子が座った。ツンと顔をそらしていて、ちょっと性格がきつそうだ。その周りの席をカースト上位にいそうな綺羅びやかな女子の集団が陣取る。どれも中に着るブラウスは凝っていて、ひと目で金持ちだとわかった。彼女たちの表情はみな得意気だ。
それに反して、後ろに座ったり、隅っこに座ったりした女子たちはその子達を遠巻きにして、あまり視線を合わせないようにしている。
入学式の時点で、すでに生徒の序列が決まっていくような現実に目を丸くする。
きっとこの場にいる女子生徒全員があの中心にいる子の名前を知っているに違いない。
お茶会にも行かず、猿のようにのびのびと家で過ごしてきた私は、既に除け者状態である。
まあ、いいや。カレンみたくのさばりたいわけじゃないし。三年間、大人しく過ごそう。
聞き耳を立てていると、ざわざわとした声の中に混じって、時々「ペルトサーク」や「フェレール」なんて言葉が聞こえる。
今年は二大公爵の跡取りが同時に入学する、貴重で珍しい年。人々が自ずと注目するのも頷ける。
乙女ゲームらしい設定だよね。家柄、才能、容姿、何もかも比肩するふたりが、ヒロインを巡って熱い火花を散らす。
女の子なら、誰でも憧れるシチュエーション。
そのイリアスとユーリウスが、今この講堂に揃っているかと思うと、色々感慨深いものがあった。
私はその気持ちにちょっと浸ってしまう。でもそれを邪魔するものがあった。
さっきからちらちら送られてくる視線だ。
一体なんなの?
視線を感じて目を合わせると、慌てて反らされてしまう。
見たこともない顔だから? それともカレン・ドロノアだと気づかれたのかしら?
侯爵家だから、前に行けよという低位貴族たちからのささやかな圧力かしら?
いやよ、私はここにいるのよ。地味に目立たず、平穏無事に卒業するのが目標なんだから。
前髪で顔が半分隠れた男子がこちらを向いたので、わざとにっこり笑ってやる。
表情は見えなかったけど、男の子は慌てて、前を向く。その耳が心なし赤くなる。
ふん。そんな気弱なら、最初から真っ直ぐ前を向いてなさいよ。
あ、いけない。これじゃあ、悪女になってしまうわ。
私は心を無心にして落ち着かせる。
そうしたところで、式が始まった。
学園長の挨拶に、来賓の紹介、学園は王立だからお国の御えらいさんからの祝辞。お決まりのパターンである。
やがて新入生代表の名前があがると、黄色い歓声がわきおこった。
ひときわ歓声を大きくあげたのは、真ん中に鎮座した女子集団。中心にいるリーダーの女の子は瞳をきらきらさせている。
イリアスが壇上に登るのが見えた。
制服を着たその姿は、ゲームからそっくりそのまま出てきたみたいだった。
私は思わず魅入る。
均整のとれた体躯。すらりとした長い足。ぴんと伸びた背筋。光があたって輝く黒髪。その場にいる全員の瞳が自ずと吸い寄せられる。
イリアスが壇上に登り、正面を向いた。形の良い眉に、綺麗な鼻筋。端正な顎のライン。すっと結ばれた桜色の唇に、宝石のような青い目。どれも完璧である。
最近、特に格好良さに磨きがかかっている気がする。
幼さがとれて、大人の男性の片鱗が見えるようになったからかな。
見慣れているはずなのに、やっぱり『きらマリ』のイリアスは素敵だ。
周りから、ほうっと吐く女子たちのため息を感じる。
私がもの思いに耽っている間に、イリアスの新入生代表の挨拶が終わった。
壇上から降りるときに「イリアス様ぁー!」という声が響き渡る。
声の主は取り巻きを引き連れた真ん中の女の子だ。
あの子、けっこう頑張るねぇ。
私は遠目に感心する。
ゲームではカレンが威張り散らかしていたせいで、周りの女の子たちは出番すら与えられなかったんだろうなと思った。私が憑依していなかったら、あそこに座って叫んでいたのは、間違いなくカレンだったはず。
そう思うとつくづく今の自分は平和だわ。このままこの平和が続きますように。合掌。
心の中で手を合わせていると、周りが移動を始めた。
教室移動だ。入学前に事前に通達されていたクラスへと移動する。
教室では席が決まっていた。まあそれはそうだよね。教室も自由だったら、生徒同士の間で差が起きるし、喧嘩も勃発しそう。
私は決められていた席に座った。
ちょうど隣も埋ったみたいで、椅子ががたんと音をたてた。
「あれ?」
聞き覚えのある声がして、横を振り返る。
「あら――」
「君もこのクラスだったんだ」
相手はエーリック・ヒューティアだった。
「校門の時といい、何だか縁があるね」
「本当ね。同じクラスになれて、嬉しいわ」
にっこり笑うと、エーリックの頬が赤く染まった。つくづく擦れてなくて純粋そうな子だなあと感じ入る。
「これからよろしく」
エーリックが照れくさそうに手を伸ばしたので、私も握手を返す。
その時、数人の女の子がぎろりと睨んだ気がしたけど、ただの気の所為よね。
「今朝は本当にごめんなさい。制服を台無しにしちゃって」
「いいよ。気にしないで。――――それよりお礼、期待してるから――」
茶色の大きな瞳がウインクを送ってくる。イケメンの突然の攻撃に、心臓が止まりそうになる。
後半の台詞はさっきまでの明るい調子とは打って変わって、一段低くなり、急に雄みが増した気がした。
ちょっとやめてよ。爽やかさ一転急に色気だすの。ヒロインだったら、完全に狙われていると勘違いするところよ。
私は気恥ずかしさから、軽く咳払いをする。
ちょうどそのタイミングで、教室の扉ががらりと開いた。
入ってきた人物を見て、目を丸くする。
茶色い柔らかそうな髪に、温かみのある緑の瞳。すらりとした長身に、均整の取れた肢体。茶色のジャケットにアーガイル柄のベストまでゲームと同じ!
ひと目で攻略対象者『ラインハルト・トスカラ』とわかった。
彼は学園の教師で、年は二十三。大人の色気漂う唯一歳の離れたキャラなのである。
色気漂うと一口でいっても、露骨なものではない。物腰柔らかの中に、時節見せる大人の包容力。決して手を出してこない焦れったさに、思わずこちらから、『好きにして!』と五体投地したくなる色気が醸し出されるのだ。
教師という手前、決して手を出してこない彼の理性に痺れを切らした女子の数はひとりやふたりではない。
そして、卒業が迫る間際に、ようやく宝物のように抱きしめてくれる彼のスチルは、本当に美しかった。
『僕は許されないことをしている。でも、この瞳に君を映すたび、この心に君を想うたび、僕は気持ちを抑えられなくなる! 君を想えば想うほど、僕は僕でいられない。どうかこの手を突き放して。お願いだ。――僕が君を壊す前に、今、僕の心を、君の手で壊して』
大の男性が年下の少女に縋り付く台詞は胸にじーんとくるものがあった。後ろから抱きしめてくる格好もまた乙女心にキュンときた。それに加え、艶のある低い声で耳元で囁かれるというシチュエーション。乙女たちの萌えを詰めこんだ贅沢な瞬間だった。
包容力のあるラインハルトを、逆にこちらから抱きしめたいと母性本能をくすぐられた女子は、高確率に存在する。
そんな切ない表情のラインハルトを知っているからこそ、教壇に立って穏やかな口調で話し始める彼を見るのは、気まずい。
「始めまして。ラインハルト・トスカラと言います。このクラスの担任を受け持つことになりました。僕の科目は数学。わからないことがあったら、気兼ねなく聞きに来てください。基本は数学の準備室にいます」
ヒロインは例外だけど、みんなの前では教師のお手本のような彼。優しい人格者のラインハルトに、ゲームで恋する以前に、私は普通に尊敬していた。
私はヒロインじゃないから、決して間違いが起きることはない。
だから、優しいラインハルトがこのクラスの担任になってくれて、純粋に嬉しかった。
やっぱりできる人間がいてくれると、何かと頼りになるしね。
「はーい、先生。質問!」
女子生徒が手をあげる。
「はい、なんでしょうか」
「結婚してますかー」
出たー。イケメンの教師には必ずある、ありきたりな質問。答えを知っている私は、心の中で呟く。
彼女も奥さんも婚約者も好きな人もいませんよー。
「結婚はしていません」
「じゃあ恋人は?」
同じ女子生徒が、続けて質問する。
私はその女子生徒に視線を向けた。私の席は後ろ側。教室の中がよく見える。だから、その女子生徒を強く睨む少女の姿も見えてしまった。
あれは!
私は目を見開く。見覚えがあった。
名前は『セレナ・トスカラ』。
ラインハルト攻略時に出てくるライバル令嬢である。
黒髪をまっすぐ切りそろえ、まるで日本人形みたいな女の子。
ヒロインがラインハルトを攻略していくと、邪魔してくるライバルである。
トスカラという苗字からわかる通り、ラインハルトの家族である。それも血がつながらない義理の妹だ。
攻略していくうちにわかることだが、セレナは幼い頃事故で両親を亡くす。そして、父親が親友同士だったトスカラ家に引き取られるのである。
心に深い傷を負ったセレナを慰めたのは、もちろんラインハルト。ラインハルトにとっては優しさゆえの当たり前の行為だったけど、セレナにとっては違う。幼心に恋心を募らせていくのだ。
まさか、そのセレナと同じクラスとは。
あの女子生徒、刺されなきゃいいけど。
あ、でもカレンに唆されて意地悪をするわけだから、実質無害かしら?
私はヒロインたちの恋愛に一切口出すつもりはないから。
でも、一緒のクラスになったら、一応仲良くならないでいるに越したことはないよね。
セレナと一緒にいるところを見られて、唆してると思われたらたまらないもの。
うん、そうしよう。絶対、近づかない。
ほかにもライバル令嬢いないでしょうね?
私は教室をきょろきょろと見渡す。
はあ。良かった。いないみたい。
私が胸を撫で下ろしている間に、ラインハルトが応え終わったらしい。
「僕への質問はこのくらいにして、次は皆さんに一人ずつ自己紹介をしてもらいましょうか。せっかく一緒のクラスになったのだから、交流を深めるためにもいい機会です。一言添えて、アピールしてください」
ええ?! アピール?! 何言えばいいのかしら。全然、思いつかないわ。
「じゃあ、そちらの席から。立ってお願いしますね」
一番前の隅の席から始まった。
自己紹介の言葉はそれぞれ違った。名前だけで終わらせる人もいれば、なになに伯爵家のなになにです、とか。そして、みんな趣味とか好きなものとか、将来なりたいものを並べていく。
隣の席のエーリックの番が来た。
「名前はエーリック・ヒューティア。騎士になるのが夢です。楽しみな授業は剣術。卒業までに剣術大会で一番になることが、学園での目標です。よろしく」
流石、攻略対象者。まっすぐ前を向く瞳の力強さと目標がちゃんと定まっている真面目さ。格好いい~。
口笛を鳴らす男子や、頬を染める女子が続出する。
なんやかんやで、私の番が来てしまった。
私は立ち上がって、教室を見渡す。何故か自分の時ばかりは、他の人より視線が集まっているように見えるのは、緊張と自意識過剰のせいだろう。
「カレンと言います」
あ、苗字言うの忘れた。
「好きなことはお菓子作りです。よろしくお願いします」
一礼して席につく。何故だか、私の時だけ沈黙が流れた気がした。
どうして!?
ちょっと混乱して思い至る。やっぱりお菓子作りなんて、貴族の令嬢がすることじゃないのかも。お茶会に行かないから、貴族の令嬢が普段することなんて、わかんないよ。
見れば、女子生徒のふたりがこちらを見て、くすりと笑った。
私は恥ずかしさから、頬が染まる。
「お菓子作り、趣味なんだ」
エーリックが隣から囁きかける。口調は静かで優し気。しんと静まりかえった教室の空気のあとだと、話しかけてくれるエーリックの優しさを感じる。やっぱりみんなから好かれるだけはあるわ。優しいー。
私は赤い顔で、こくりと頷きながら俯いた。
「かわいー」
続けて出された呟きは多分、私の幻聴だと思う。私の席の後ろにいた生徒が椅子をひいた音と重なったから、よく聞き取れなかった。
それにエーリックの声ではないかも。明るいムードメーカーのエーリックが少し低い色気のある声でそんなこと呟くはずないし!
私の自信過剰め!
間違っても、悪役令嬢を可愛いなんていう攻略対象者はいないはずだ!
こうして、自己紹介の時間はちょっと恥ずかしい思いで終わってしまった。
席は特に決まっておらず、適当に座る。
向こうの世界のパイプ椅子ではなくて、映画館や劇場なんかで見るしっかりしたクッションタイプの椅子だ。さすが貴族が通う学校である。妙に感心した。
悪女カレンなら、一番前とか一番中心に陣取りそうだけど、小心者の私は後ろ側の端っこのほうに席をとった。
同じ貴族の中でもちゃんと身分差はある。
一番上から公爵、その次が侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。
ホールの様子を見ていると、いかにも金持ちそうな貴族や堂々とした雰囲気の貴族、または陽キャの貴族たちによって、前が埋まっていく。反対に私みたいに何の変哲もない白いブラウスの子(それが一番安い)や、あたりをキョロキョロ伺う不安そうな子、気弱そうな子が後ろに座った。おそらく前は高位貴族やお金持ちの貴族で、後ろは低位貴族で占められているのだろう。
大なり小なり悪女カレンのような存在はどこにでもいるようで、ホールの真ん中は取り巻きを引き連れた女の子が座った。ツンと顔をそらしていて、ちょっと性格がきつそうだ。その周りの席をカースト上位にいそうな綺羅びやかな女子の集団が陣取る。どれも中に着るブラウスは凝っていて、ひと目で金持ちだとわかった。彼女たちの表情はみな得意気だ。
それに反して、後ろに座ったり、隅っこに座ったりした女子たちはその子達を遠巻きにして、あまり視線を合わせないようにしている。
入学式の時点で、すでに生徒の序列が決まっていくような現実に目を丸くする。
きっとこの場にいる女子生徒全員があの中心にいる子の名前を知っているに違いない。
お茶会にも行かず、猿のようにのびのびと家で過ごしてきた私は、既に除け者状態である。
まあ、いいや。カレンみたくのさばりたいわけじゃないし。三年間、大人しく過ごそう。
聞き耳を立てていると、ざわざわとした声の中に混じって、時々「ペルトサーク」や「フェレール」なんて言葉が聞こえる。
今年は二大公爵の跡取りが同時に入学する、貴重で珍しい年。人々が自ずと注目するのも頷ける。
乙女ゲームらしい設定だよね。家柄、才能、容姿、何もかも比肩するふたりが、ヒロインを巡って熱い火花を散らす。
女の子なら、誰でも憧れるシチュエーション。
そのイリアスとユーリウスが、今この講堂に揃っているかと思うと、色々感慨深いものがあった。
私はその気持ちにちょっと浸ってしまう。でもそれを邪魔するものがあった。
さっきからちらちら送られてくる視線だ。
一体なんなの?
視線を感じて目を合わせると、慌てて反らされてしまう。
見たこともない顔だから? それともカレン・ドロノアだと気づかれたのかしら?
侯爵家だから、前に行けよという低位貴族たちからのささやかな圧力かしら?
いやよ、私はここにいるのよ。地味に目立たず、平穏無事に卒業するのが目標なんだから。
前髪で顔が半分隠れた男子がこちらを向いたので、わざとにっこり笑ってやる。
表情は見えなかったけど、男の子は慌てて、前を向く。その耳が心なし赤くなる。
ふん。そんな気弱なら、最初から真っ直ぐ前を向いてなさいよ。
あ、いけない。これじゃあ、悪女になってしまうわ。
私は心を無心にして落ち着かせる。
そうしたところで、式が始まった。
学園長の挨拶に、来賓の紹介、学園は王立だからお国の御えらいさんからの祝辞。お決まりのパターンである。
やがて新入生代表の名前があがると、黄色い歓声がわきおこった。
ひときわ歓声を大きくあげたのは、真ん中に鎮座した女子集団。中心にいるリーダーの女の子は瞳をきらきらさせている。
イリアスが壇上に登るのが見えた。
制服を着たその姿は、ゲームからそっくりそのまま出てきたみたいだった。
私は思わず魅入る。
均整のとれた体躯。すらりとした長い足。ぴんと伸びた背筋。光があたって輝く黒髪。その場にいる全員の瞳が自ずと吸い寄せられる。
イリアスが壇上に登り、正面を向いた。形の良い眉に、綺麗な鼻筋。端正な顎のライン。すっと結ばれた桜色の唇に、宝石のような青い目。どれも完璧である。
最近、特に格好良さに磨きがかかっている気がする。
幼さがとれて、大人の男性の片鱗が見えるようになったからかな。
見慣れているはずなのに、やっぱり『きらマリ』のイリアスは素敵だ。
周りから、ほうっと吐く女子たちのため息を感じる。
私がもの思いに耽っている間に、イリアスの新入生代表の挨拶が終わった。
壇上から降りるときに「イリアス様ぁー!」という声が響き渡る。
声の主は取り巻きを引き連れた真ん中の女の子だ。
あの子、けっこう頑張るねぇ。
私は遠目に感心する。
ゲームではカレンが威張り散らかしていたせいで、周りの女の子たちは出番すら与えられなかったんだろうなと思った。私が憑依していなかったら、あそこに座って叫んでいたのは、間違いなくカレンだったはず。
そう思うとつくづく今の自分は平和だわ。このままこの平和が続きますように。合掌。
心の中で手を合わせていると、周りが移動を始めた。
教室移動だ。入学前に事前に通達されていたクラスへと移動する。
教室では席が決まっていた。まあそれはそうだよね。教室も自由だったら、生徒同士の間で差が起きるし、喧嘩も勃発しそう。
私は決められていた席に座った。
ちょうど隣も埋ったみたいで、椅子ががたんと音をたてた。
「あれ?」
聞き覚えのある声がして、横を振り返る。
「あら――」
「君もこのクラスだったんだ」
相手はエーリック・ヒューティアだった。
「校門の時といい、何だか縁があるね」
「本当ね。同じクラスになれて、嬉しいわ」
にっこり笑うと、エーリックの頬が赤く染まった。つくづく擦れてなくて純粋そうな子だなあと感じ入る。
「これからよろしく」
エーリックが照れくさそうに手を伸ばしたので、私も握手を返す。
その時、数人の女の子がぎろりと睨んだ気がしたけど、ただの気の所為よね。
「今朝は本当にごめんなさい。制服を台無しにしちゃって」
「いいよ。気にしないで。――――それよりお礼、期待してるから――」
茶色の大きな瞳がウインクを送ってくる。イケメンの突然の攻撃に、心臓が止まりそうになる。
後半の台詞はさっきまでの明るい調子とは打って変わって、一段低くなり、急に雄みが増した気がした。
ちょっとやめてよ。爽やかさ一転急に色気だすの。ヒロインだったら、完全に狙われていると勘違いするところよ。
私は気恥ずかしさから、軽く咳払いをする。
ちょうどそのタイミングで、教室の扉ががらりと開いた。
入ってきた人物を見て、目を丸くする。
茶色い柔らかそうな髪に、温かみのある緑の瞳。すらりとした長身に、均整の取れた肢体。茶色のジャケットにアーガイル柄のベストまでゲームと同じ!
ひと目で攻略対象者『ラインハルト・トスカラ』とわかった。
彼は学園の教師で、年は二十三。大人の色気漂う唯一歳の離れたキャラなのである。
色気漂うと一口でいっても、露骨なものではない。物腰柔らかの中に、時節見せる大人の包容力。決して手を出してこない焦れったさに、思わずこちらから、『好きにして!』と五体投地したくなる色気が醸し出されるのだ。
教師という手前、決して手を出してこない彼の理性に痺れを切らした女子の数はひとりやふたりではない。
そして、卒業が迫る間際に、ようやく宝物のように抱きしめてくれる彼のスチルは、本当に美しかった。
『僕は許されないことをしている。でも、この瞳に君を映すたび、この心に君を想うたび、僕は気持ちを抑えられなくなる! 君を想えば想うほど、僕は僕でいられない。どうかこの手を突き放して。お願いだ。――僕が君を壊す前に、今、僕の心を、君の手で壊して』
大の男性が年下の少女に縋り付く台詞は胸にじーんとくるものがあった。後ろから抱きしめてくる格好もまた乙女心にキュンときた。それに加え、艶のある低い声で耳元で囁かれるというシチュエーション。乙女たちの萌えを詰めこんだ贅沢な瞬間だった。
包容力のあるラインハルトを、逆にこちらから抱きしめたいと母性本能をくすぐられた女子は、高確率に存在する。
そんな切ない表情のラインハルトを知っているからこそ、教壇に立って穏やかな口調で話し始める彼を見るのは、気まずい。
「始めまして。ラインハルト・トスカラと言います。このクラスの担任を受け持つことになりました。僕の科目は数学。わからないことがあったら、気兼ねなく聞きに来てください。基本は数学の準備室にいます」
ヒロインは例外だけど、みんなの前では教師のお手本のような彼。優しい人格者のラインハルトに、ゲームで恋する以前に、私は普通に尊敬していた。
私はヒロインじゃないから、決して間違いが起きることはない。
だから、優しいラインハルトがこのクラスの担任になってくれて、純粋に嬉しかった。
やっぱりできる人間がいてくれると、何かと頼りになるしね。
「はーい、先生。質問!」
女子生徒が手をあげる。
「はい、なんでしょうか」
「結婚してますかー」
出たー。イケメンの教師には必ずある、ありきたりな質問。答えを知っている私は、心の中で呟く。
彼女も奥さんも婚約者も好きな人もいませんよー。
「結婚はしていません」
「じゃあ恋人は?」
同じ女子生徒が、続けて質問する。
私はその女子生徒に視線を向けた。私の席は後ろ側。教室の中がよく見える。だから、その女子生徒を強く睨む少女の姿も見えてしまった。
あれは!
私は目を見開く。見覚えがあった。
名前は『セレナ・トスカラ』。
ラインハルト攻略時に出てくるライバル令嬢である。
黒髪をまっすぐ切りそろえ、まるで日本人形みたいな女の子。
ヒロインがラインハルトを攻略していくと、邪魔してくるライバルである。
トスカラという苗字からわかる通り、ラインハルトの家族である。それも血がつながらない義理の妹だ。
攻略していくうちにわかることだが、セレナは幼い頃事故で両親を亡くす。そして、父親が親友同士だったトスカラ家に引き取られるのである。
心に深い傷を負ったセレナを慰めたのは、もちろんラインハルト。ラインハルトにとっては優しさゆえの当たり前の行為だったけど、セレナにとっては違う。幼心に恋心を募らせていくのだ。
まさか、そのセレナと同じクラスとは。
あの女子生徒、刺されなきゃいいけど。
あ、でもカレンに唆されて意地悪をするわけだから、実質無害かしら?
私はヒロインたちの恋愛に一切口出すつもりはないから。
でも、一緒のクラスになったら、一応仲良くならないでいるに越したことはないよね。
セレナと一緒にいるところを見られて、唆してると思われたらたまらないもの。
うん、そうしよう。絶対、近づかない。
ほかにもライバル令嬢いないでしょうね?
私は教室をきょろきょろと見渡す。
はあ。良かった。いないみたい。
私が胸を撫で下ろしている間に、ラインハルトが応え終わったらしい。
「僕への質問はこのくらいにして、次は皆さんに一人ずつ自己紹介をしてもらいましょうか。せっかく一緒のクラスになったのだから、交流を深めるためにもいい機会です。一言添えて、アピールしてください」
ええ?! アピール?! 何言えばいいのかしら。全然、思いつかないわ。
「じゃあ、そちらの席から。立ってお願いしますね」
一番前の隅の席から始まった。
自己紹介の言葉はそれぞれ違った。名前だけで終わらせる人もいれば、なになに伯爵家のなになにです、とか。そして、みんな趣味とか好きなものとか、将来なりたいものを並べていく。
隣の席のエーリックの番が来た。
「名前はエーリック・ヒューティア。騎士になるのが夢です。楽しみな授業は剣術。卒業までに剣術大会で一番になることが、学園での目標です。よろしく」
流石、攻略対象者。まっすぐ前を向く瞳の力強さと目標がちゃんと定まっている真面目さ。格好いい~。
口笛を鳴らす男子や、頬を染める女子が続出する。
なんやかんやで、私の番が来てしまった。
私は立ち上がって、教室を見渡す。何故か自分の時ばかりは、他の人より視線が集まっているように見えるのは、緊張と自意識過剰のせいだろう。
「カレンと言います」
あ、苗字言うの忘れた。
「好きなことはお菓子作りです。よろしくお願いします」
一礼して席につく。何故だか、私の時だけ沈黙が流れた気がした。
どうして!?
ちょっと混乱して思い至る。やっぱりお菓子作りなんて、貴族の令嬢がすることじゃないのかも。お茶会に行かないから、貴族の令嬢が普段することなんて、わかんないよ。
見れば、女子生徒のふたりがこちらを見て、くすりと笑った。
私は恥ずかしさから、頬が染まる。
「お菓子作り、趣味なんだ」
エーリックが隣から囁きかける。口調は静かで優し気。しんと静まりかえった教室の空気のあとだと、話しかけてくれるエーリックの優しさを感じる。やっぱりみんなから好かれるだけはあるわ。優しいー。
私は赤い顔で、こくりと頷きながら俯いた。
「かわいー」
続けて出された呟きは多分、私の幻聴だと思う。私の席の後ろにいた生徒が椅子をひいた音と重なったから、よく聞き取れなかった。
それにエーリックの声ではないかも。明るいムードメーカーのエーリックが少し低い色気のある声でそんなこと呟くはずないし!
私の自信過剰め!
間違っても、悪役令嬢を可愛いなんていう攻略対象者はいないはずだ!
こうして、自己紹介の時間はちょっと恥ずかしい思いで終わってしまった。
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その瞬間に私は前世の記憶を思い出す。そして気付いた。この世界がR18指定の乙女ゲーム、「白薔薇の乙女」の世界で、私が悪役令嬢だという事に。
記憶を取り戻すまではシナリオ通り、王太子殿下をお慕いしていたけれど、前世の私の推しは攻略対象じゃない。このインキュバスの双子だったのよ!
攻略対象者やヒロインなんてどうでもいいし。
双子のフィルとナハトと楽しく過ごそ!!
そう思ってたのに、何故だか他の攻略対象者達にも迫られて……
あれれ?おかしくない?
私、ヒロインじゃありませんから!!
迫ってこなくていいから!!
どうしてこうなった?!
※本編2についての注意
書籍化に伴い、本編の内容が変わった為、本編2とは話が合わなくなっております。
こちらは『if』としてお楽しみいただければ幸いです。
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