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軽やかな笑い声が聞こえて、そちらに目を向ければ中庭でお茶を楽しんでいる母上たちの姿があった。
「フェリシアン様」
向こうもこちらに気づいたのか、手を振っている。
廊下を歩いていた私は、近くのテラスから庭へと降りたった。
「こんにちは。モーズレイ公爵夫人に、パトリス嬢」
モーズレイ公爵夫人は母上の結婚する前からの仲の良い友人である。そのため、こうしてお茶を楽しんでいる姿は子供の時から見慣れている。いつからかそこにモーズレイ公爵夫人の娘であるパトリス嬢も加わるようになったが。
「最近会わなかったけれど、変わりなさそうで良かったわ。そうだ。良かったら、一緒にお茶でもどうかしら?」
昔から変わらない温かみのある眼差しのモーズレイ公爵夫人。
母上の友人でもある公爵夫人からの誘いを無下にもできず、逡巡する。
「――ええ。お邪魔でなければ――」
「お邪魔だなんて、そんな。フェリシアン様と一緒にお茶ができるなんて、とても光栄ですわ」
公爵夫人の代わりに答えたのは、先程手を振っていたパトリス嬢。
私を見つめる二人の柔和な笑みに負け、私は席に着くことにした。
その後お茶会の席では、最近あった社交界の出来事や興行中の観劇の話に花を咲かせていく。もっとも、私の立場はいつも女性を相手にするときと同じく、聞き役なのは相変わらずである。
今後開かれる夜会に話が転じた時だった。
「そういえば、今度の建国祭のパートナー、フェリシアン様にお願いできれば嬉しいのですが」
パトリス嬢が頬を染めて、私を見つめてくる。
建国祭の夜会は王家主催であり、同伴者が必須である。
婚約者がいれば当然婚約者がパートナーになるのだが、残念ながらエレン嬢はまだ夜会に出席できる歳ではない。
ちらりと母上を見れば、母上は表情を変えずにいる。
母上は当然父上と一緒に行くだろう。ひとり息子である私はパートナーに家族という手も使えない。
建国祭に出席するのは貴族の務め。加え、これまでパトリス嬢にお願いされて、何度かパートナーを務めたことを含めば、今更勘ぐる人間もいないだろう。かえって、他の女性を選んだら余計な邪推を生むかもしれない。
そう結論づけた私はパトリス嬢の申し出を受けることにした。
「私で良ければ」
「まあ、嬉しいわ。今日はお母様について、お茶しにきて正解でしたわ」
パトリス嬢が扇子で口を押さえて淑やかに「ふふふ」と笑う。その所作は公爵家の令嬢らしく、優雅で完璧である。
加え器量もあり、家柄に見合った教養も備えているとあれば、何ひとつ申し分ない令嬢である。
そう何ひとつ申し分ない令嬢ではあるのだが、何故か彼女をサンストレーム家に迎えいれたいと思ったことは一度もなかった。
やがてお茶会は和やかな雰囲気を保ったままお開きとなった。
「では、お邪魔しました。――またお茶をしましょう、ローナ」
「ええ。またね、シンシア」
「今日はありがとうございました。――フェリシアン様、また夜会で会えるのを楽しみにしてますわ」
「ああ。ではまた」
最後に公爵夫人は母上に、パトリス嬢は私に言葉をかけると去っていった。
母上と二人きりになると、家族同士の気安い空気が流れる。
「あの娘、まだあなたが好きなようね」
もう冷めてしまった紅茶を口にしながら、母上がため息混じりに言う。
言われた言葉に肯定も否定もできず、閉口する。
パトリス嬢に初めて会ったのは、彼女が十二歳で私が十三歳の折。
私の顔を見るなり、顔を真っ赤にさせてぼうっと見つめられたことを覚えている。
それ以降、子供同士ということもあって、母親に付いてくるようになった彼女の相手を私が度々するようになった。
彼女の母親であるモーズレイ公爵夫人は感じの良い方で、そのお子のパトリス嬢の面倒を見ることに特に抵抗はなかった。
妹の面倒を見るようなつもりで、屋敷の中に案内したり、話し相手になったりした。
『母上、あの子は毎回、屋敷の中で迷子になるのですが』
いつもきょろきょろと首を巡らしている。そして私を見つけるなり、安心からか嬉しそうに寄ってくるのだ。
『迷子ではなく、あの子はあなたを探しに行ってるのよ。シンシアに付いてくるのも、あなたに会うためのようね』
その時は母上の言葉を理解出来なかったが、後々納得することとなった。
その後、成人を迎え、仕事や社交活動に忙しい日々を送るようになると、邸にいることも少なくなりパトリス嬢と会うことも減っていった。
しかし、パトリス嬢が成人を迎えると、今度は夜会や舞踏会で顔を合わすこととなった。
一年先に社交界デビューした私に、モーズレイ公爵夫人は「まだ社交界慣れしてないパトリスを気にかけてくれたら嬉しいわ」とお願いされたこともあり、私を頼ってくるパトリス嬢を無下にすることはできなかった。
今の今まで彼女が隣にいるのを拒まなかった理由は子供の時と同じだった。
既に貴族の淑女として、完璧な振る舞いを身に着けている彼女。
もう私は必要ないと思えるが、依然彼女が私の隣に居続ける理由を推測すれば、ひとつしか浮かばない。
思えば、今もこれまでも、控えめに私への好意を示してきたように思う。
普通なら、彼女を健気な女性と思い好ましく思うのだろう。
「淑やかで一途な女性に思えるでしょうけれど、あれは自分の魅せ方をよく心得ている娘よ」
私の思考の先を引き継いだような母上の言葉。
自分をよく見せるために多少の仮面は必要だろう。幼い頃から教育をきちんと受けた高位貴族の令嬢では珍しいことではない。
「そのように振る舞うことも必要でしょう。特に悪いこととは思いませんが」
「あまりに繕い過ぎてて、可愛くないのよ」
母上がため息を吐いて、唇を尖らせた。
「純情に振る舞っていれば、いつか欲しい物が転がり込んでくることをわかってやってると思うわよ」
エレン嬢と婚約を結んだ事件も起こらず、あのまま進展のない毎日をおくっていたら、パトリス嬢と婚約する可能性は高かったかもしれない。
欲深くもなく、教養も適度にあり、サンストレーム家の公爵夫人の地位に相応しい品を持つことを基準にして。
「あなたの行動を見て最後は自分が選ばれると思っていたから、内心悔しがってるでしょうね」
「母上の考え過ぎでは? パトリス嬢が芯から邪のない心清らかな女性の可能性もあります」
「あら。同じ女性だから勘づくこともあるのよ。それに心が清らかな女性だったら、あなたの隣を独り占めなんてしないわよ」
その振る舞いに反して、彼女が見せるお淑やかさに違和感を感じてはいた。
彼女に惹かれなかった理由はまさにそれかもしれない。
純情に振る舞えば振る舞うほど、その下に隠された本性を無意識に想起させるからだろう。
しかし、あくまで憶測の範囲のため、パトリス嬢が芯から見た目通りの女性の可能性もある。そう思うのは彼女の名誉のためだ。
「母上の友人の子でしょう。なぜそこまで悪く言うんです?」
「あら。親友は親友。その子供はその子供よ。親友の子供だからって、贔屓するようなことはしないわよ。それにシンシアだってわかっているわよ。娘があなたを好きなことも、見込みがないことも。あなたが婚約する前はそれなりに手助けしてたみたいだけど。私とのお茶会にあなたに会いたいとおねだりした娘を連れてきたり、デビュタントの時は口添えしたり。でも、それ以上のことをあなたに望んだことはないでしょう」
「そうですね……」
モーズレイ公爵夫人からはいつも温かみを感じていた。
「シンシアは人間がちゃんとしているわ。あなたが娘になびかなかったからって、ヒビが入るような柔な友情じゃないわ。むしろ心配なのは、パトリス嬢よ。間違ったことが嫌いな性分だから、もし娘が悪いことをしたら、雷が落ちるしょうね。パトリス嬢はシンシアの怖さをまだ知らないのかもしれないわね」
母上が肩を竦めた。
「とにかく、あの感じだとあなたが結婚するまで、諦めないかもしれないわね。気をつけなさい」
そう言った母上の言葉をもっと真剣に考えておけば良かったと、私は後々後悔することになる。
「フェリシアン様」
向こうもこちらに気づいたのか、手を振っている。
廊下を歩いていた私は、近くのテラスから庭へと降りたった。
「こんにちは。モーズレイ公爵夫人に、パトリス嬢」
モーズレイ公爵夫人は母上の結婚する前からの仲の良い友人である。そのため、こうしてお茶を楽しんでいる姿は子供の時から見慣れている。いつからかそこにモーズレイ公爵夫人の娘であるパトリス嬢も加わるようになったが。
「最近会わなかったけれど、変わりなさそうで良かったわ。そうだ。良かったら、一緒にお茶でもどうかしら?」
昔から変わらない温かみのある眼差しのモーズレイ公爵夫人。
母上の友人でもある公爵夫人からの誘いを無下にもできず、逡巡する。
「――ええ。お邪魔でなければ――」
「お邪魔だなんて、そんな。フェリシアン様と一緒にお茶ができるなんて、とても光栄ですわ」
公爵夫人の代わりに答えたのは、先程手を振っていたパトリス嬢。
私を見つめる二人の柔和な笑みに負け、私は席に着くことにした。
その後お茶会の席では、最近あった社交界の出来事や興行中の観劇の話に花を咲かせていく。もっとも、私の立場はいつも女性を相手にするときと同じく、聞き役なのは相変わらずである。
今後開かれる夜会に話が転じた時だった。
「そういえば、今度の建国祭のパートナー、フェリシアン様にお願いできれば嬉しいのですが」
パトリス嬢が頬を染めて、私を見つめてくる。
建国祭の夜会は王家主催であり、同伴者が必須である。
婚約者がいれば当然婚約者がパートナーになるのだが、残念ながらエレン嬢はまだ夜会に出席できる歳ではない。
ちらりと母上を見れば、母上は表情を変えずにいる。
母上は当然父上と一緒に行くだろう。ひとり息子である私はパートナーに家族という手も使えない。
建国祭に出席するのは貴族の務め。加え、これまでパトリス嬢にお願いされて、何度かパートナーを務めたことを含めば、今更勘ぐる人間もいないだろう。かえって、他の女性を選んだら余計な邪推を生むかもしれない。
そう結論づけた私はパトリス嬢の申し出を受けることにした。
「私で良ければ」
「まあ、嬉しいわ。今日はお母様について、お茶しにきて正解でしたわ」
パトリス嬢が扇子で口を押さえて淑やかに「ふふふ」と笑う。その所作は公爵家の令嬢らしく、優雅で完璧である。
加え器量もあり、家柄に見合った教養も備えているとあれば、何ひとつ申し分ない令嬢である。
そう何ひとつ申し分ない令嬢ではあるのだが、何故か彼女をサンストレーム家に迎えいれたいと思ったことは一度もなかった。
やがてお茶会は和やかな雰囲気を保ったままお開きとなった。
「では、お邪魔しました。――またお茶をしましょう、ローナ」
「ええ。またね、シンシア」
「今日はありがとうございました。――フェリシアン様、また夜会で会えるのを楽しみにしてますわ」
「ああ。ではまた」
最後に公爵夫人は母上に、パトリス嬢は私に言葉をかけると去っていった。
母上と二人きりになると、家族同士の気安い空気が流れる。
「あの娘、まだあなたが好きなようね」
もう冷めてしまった紅茶を口にしながら、母上がため息混じりに言う。
言われた言葉に肯定も否定もできず、閉口する。
パトリス嬢に初めて会ったのは、彼女が十二歳で私が十三歳の折。
私の顔を見るなり、顔を真っ赤にさせてぼうっと見つめられたことを覚えている。
それ以降、子供同士ということもあって、母親に付いてくるようになった彼女の相手を私が度々するようになった。
彼女の母親であるモーズレイ公爵夫人は感じの良い方で、そのお子のパトリス嬢の面倒を見ることに特に抵抗はなかった。
妹の面倒を見るようなつもりで、屋敷の中に案内したり、話し相手になったりした。
『母上、あの子は毎回、屋敷の中で迷子になるのですが』
いつもきょろきょろと首を巡らしている。そして私を見つけるなり、安心からか嬉しそうに寄ってくるのだ。
『迷子ではなく、あの子はあなたを探しに行ってるのよ。シンシアに付いてくるのも、あなたに会うためのようね』
その時は母上の言葉を理解出来なかったが、後々納得することとなった。
その後、成人を迎え、仕事や社交活動に忙しい日々を送るようになると、邸にいることも少なくなりパトリス嬢と会うことも減っていった。
しかし、パトリス嬢が成人を迎えると、今度は夜会や舞踏会で顔を合わすこととなった。
一年先に社交界デビューした私に、モーズレイ公爵夫人は「まだ社交界慣れしてないパトリスを気にかけてくれたら嬉しいわ」とお願いされたこともあり、私を頼ってくるパトリス嬢を無下にすることはできなかった。
今の今まで彼女が隣にいるのを拒まなかった理由は子供の時と同じだった。
既に貴族の淑女として、完璧な振る舞いを身に着けている彼女。
もう私は必要ないと思えるが、依然彼女が私の隣に居続ける理由を推測すれば、ひとつしか浮かばない。
思えば、今もこれまでも、控えめに私への好意を示してきたように思う。
普通なら、彼女を健気な女性と思い好ましく思うのだろう。
「淑やかで一途な女性に思えるでしょうけれど、あれは自分の魅せ方をよく心得ている娘よ」
私の思考の先を引き継いだような母上の言葉。
自分をよく見せるために多少の仮面は必要だろう。幼い頃から教育をきちんと受けた高位貴族の令嬢では珍しいことではない。
「そのように振る舞うことも必要でしょう。特に悪いこととは思いませんが」
「あまりに繕い過ぎてて、可愛くないのよ」
母上がため息を吐いて、唇を尖らせた。
「純情に振る舞っていれば、いつか欲しい物が転がり込んでくることをわかってやってると思うわよ」
エレン嬢と婚約を結んだ事件も起こらず、あのまま進展のない毎日をおくっていたら、パトリス嬢と婚約する可能性は高かったかもしれない。
欲深くもなく、教養も適度にあり、サンストレーム家の公爵夫人の地位に相応しい品を持つことを基準にして。
「あなたの行動を見て最後は自分が選ばれると思っていたから、内心悔しがってるでしょうね」
「母上の考え過ぎでは? パトリス嬢が芯から邪のない心清らかな女性の可能性もあります」
「あら。同じ女性だから勘づくこともあるのよ。それに心が清らかな女性だったら、あなたの隣を独り占めなんてしないわよ」
その振る舞いに反して、彼女が見せるお淑やかさに違和感を感じてはいた。
彼女に惹かれなかった理由はまさにそれかもしれない。
純情に振る舞えば振る舞うほど、その下に隠された本性を無意識に想起させるからだろう。
しかし、あくまで憶測の範囲のため、パトリス嬢が芯から見た目通りの女性の可能性もある。そう思うのは彼女の名誉のためだ。
「母上の友人の子でしょう。なぜそこまで悪く言うんです?」
「あら。親友は親友。その子供はその子供よ。親友の子供だからって、贔屓するようなことはしないわよ。それにシンシアだってわかっているわよ。娘があなたを好きなことも、見込みがないことも。あなたが婚約する前はそれなりに手助けしてたみたいだけど。私とのお茶会にあなたに会いたいとおねだりした娘を連れてきたり、デビュタントの時は口添えしたり。でも、それ以上のことをあなたに望んだことはないでしょう」
「そうですね……」
モーズレイ公爵夫人からはいつも温かみを感じていた。
「シンシアは人間がちゃんとしているわ。あなたが娘になびかなかったからって、ヒビが入るような柔な友情じゃないわ。むしろ心配なのは、パトリス嬢よ。間違ったことが嫌いな性分だから、もし娘が悪いことをしたら、雷が落ちるしょうね。パトリス嬢はシンシアの怖さをまだ知らないのかもしれないわね」
母上が肩を竦めた。
「とにかく、あの感じだとあなたが結婚するまで、諦めないかもしれないわね。気をつけなさい」
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