55 / 75
55
しおりを挟む馬車のステップを弾むように踏んで、エレン嬢が地面に軽やかに降り立つ。感情が表立って出ないエレン嬢が見せるその浮足立った足取りに、自然と笑みが溢れそうになる。
――今日のお出かけをどうやら楽しみにしていてくれたようだ。
「では行こうか」
「はい」
腕を差し出すと、エレン嬢の白い小さな手が回される。女性をエスコートするのは当然で今までそれに対して思うことはなかったが、エレン嬢が隣に立つと擽ったいような気分にさせられる。
「こういう場所に行きたいとか、希望はあるだろうか」
今日は街を案内することになっている。
初めて出掛けた後の会話で、エレン嬢がほとんど家から出ないことを知った。
刺繍や読書の為に家にいるのが好きだと言っていたが、それは必然そうならざるを得なかったのだと思う。
専属侍女がいない彼女。
貴族の令嬢は付き添いなしでは出かけられない。
あの家にドロシーというメイドしかいないならば、ほかの仕事も受け持っているあのメイドの手が空いたときにしか出かけられなかったのだろう。
その境遇を思うと、今まで行けなかった場所にできる限り連れていってあげたいと思った。
エレン嬢が小さく首を振る。
「ありません。お任せします」
「では、このあたりから見て回ろうか」
「はい。おねがいします」
それから私は街を案内して回った。
歴史ある建造物にアトリエ、職人たちが集まる工房。様々な逸話や警備団の巡回中に得た知識も加え、彼女が楽しめるように説明していく。
「フェリシアン様はどうしてこんなに街にお詳しいのですか」
エレン嬢が尊敬と好奇心で瞳を輝かせて、見上げてくる。
その純粋とも言える眼差しに、じわりと何かが胸に広がる。
彼女が相手だと、私はどうしてこうなるのだろう。
「歴史が関係している建物は子供の頃に習った中に出てきたし、他は昔、警邏をしているときに詳しくなった。どこにどんなものがあるか、知っておくのも仕事のうちだから」
「今はもう警邏はされないのですか」
「ああ、下の者に任せている。――あれは」
ふと視線があるところで止まった。
「どうかしましたか?」
「警邏中によく買って食べた屋台を見つけたんだ。――まだあったんだな」
若い頃の記憶が蘇り、懐かしく思う。
「あれを食べてたのですか?」
エレン嬢が意外そうに聞いてくる。
それはそうだろう。あくまで庶民が食べる食べ物で、間違っても貴族の令嬢が食べる食べ物ではない。
「ああ。昼に警邏が重なったときにな。手軽に腹を満たせて良かったんだ」
屋台から視線を外して、辺りを伺う。
「さて、案内はここくらいにして、どこかお店に入ろう。なにか食べたいものはあるか」
「あれが食べたいです」
屋台を指差すエレン嬢。予想もしていなかった答えに私は目を見開いた。
「……あれでは座って休憩もできないぞ。第一、君の口に合うかどうか」
「構いません。フェリシアン様も立って食べたんですよね。フェリシアン様が食べたものを私も食べてみたいです」
普段見せない、いつもと違った眼差し。けれど、次の瞬間には見慣れたエレン嬢に戻っていた。
「――あ。……でも、フェリシアン様はちゃんとしたお店のほうが良いでしょうか……」
私を慮る言葉に気遣わしげな口調。
幾度も私を思い遣るエレン嬢の心に触れてきたが、その優しさを感じる度、私の心が温かくなる。
――『私が食べたものを自分も食べたい』か……。
他人が経験したことをまだ自分が経験していないことが悔しいのだろうか。
この時分の年齢ならありうることだった。
それとも珍しいから食べてみたいのだろうか。
それに、ここまで意志をはっきり言うところをもしかしたら初めて見るかもしれない。
滅多に主張することのない彼女が言ったのだから、ここは彼女の願いを叶えてあげるのが相応しい。
「いや、君が良いなら私もあれでかまわない。――では、そうするか」
「……良いのですか」
「ああ。食べたいんだろう?」
戸惑いから一転、エレン嬢の顔に喜びが広がっていく。
「――はい!」
その喜びようが可愛くて、胸がくすぐられる。
私は屋台に行くと串焼きを二つ頼んで、ひとつを彼女に手渡した。
「どうだ?」
果たして彼女の口に合っただろうか。
串焼きを口に運んだエレン嬢が顔をあげて笑った。
「美味しいです」
その溢れる笑みに私まで笑顔になる。
「だろう? ここのは美味しいんだ」
肉汁がじゅわりと溢れる串焼き。
私は慣れたものだが、彼女はその小さな口で少しずつ口にしていく。
馬車のステップを踏んだ時の跳ねるような足取りといい、懸命に口を動かす今の様子といい――
――エレン嬢はまるで小動物みたいだな。
串焼きをエレン嬢が食べている間中、その愛らしさに口が緩んで笑いそうになるのを私は何度も堪えたのだった。
10
お気に入りに追加
519
あなたにおすすめの小説
私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。
さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。
許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。
幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。
(ああ、もう、)
やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。
(ずるいよ……)
リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。
こんな私なんかのことを。
友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。
彼らが最後に選ぶ答えとは——?
⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。
るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」
色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。
……ほんとに屑だわ。
結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。
彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。
彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。
悪役令嬢は大好きな絵を描いていたら大変な事になった件について!
naturalsoft
ファンタジー
『※タイトル変更するかも知れません』
シオン・バーニングハート公爵令嬢は、婚約破棄され辺境へと追放される。
そして失意の中、悲壮感漂う雰囲気で馬車で向かって─
「うふふ、計画通りですわ♪」
いなかった。
これは悪役令嬢として目覚めた転生少女が無駄に能天気で、好きな絵を描いていたら周囲がとんでもない事になっていったファンタジー(コメディ)小説である!
最初は幼少期から始まります。婚約破棄は後からの話になります。

初恋の人と再会したら、妹の取り巻きになっていました
山科ひさき
恋愛
物心ついた頃から美しい双子の妹の陰に隠れ、実の両親にすら愛されることのなかったエミリー。彼女は妹のみの誕生日会を開いている最中の家から抜け出し、その先で出会った少年に恋をする。
だが再会した彼は美しい妹の言葉を信じ、エミリーを「妹を執拗にいじめる最低な姉」だと思い込んでいた。
なろうにも投稿しています。
【完結】初夜の晩からすれ違う夫婦は、ある雨の晩に心を交わす
春風由実
恋愛
公爵令嬢のリーナは、半年前に侯爵であるアーネストの元に嫁いできた。
所謂、政略結婚で、結婚式の後の義務的な初夜を終えてからは、二人は同じ邸内にありながらも顔も合わせない日々を過ごしていたのだが──
ある雨の晩に、それが一変する。
※六話で完結します。一万字に足りない短いお話。ざまぁとかありません。ただただ愛し合う夫婦の話となります。
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中です。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる