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しおりを挟むそれから毎日、私は仕事の休憩時にレヴィンズ家を訪れ、エレン嬢を見舞った。
当然まだ会えぬ状況であったから、私は花束だけを置いていく。
怪我で苦しんでいる彼女の慰めに少しでもなれば良いと思った。
私にできるのはそれしかなかった。
それを二週間ばかり繰り返した頃。
いつもの通りに玄関口でメイドに花を渡し帰ろうとした私を男爵が引き止めた。
「フェリシアン様っ。お待ちください。今日はエレンに会って頂けませんか」
「エレン嬢に? もう会えるのか?」
まだ怪我をして二週間あまり。まだ回復には至っていないだろう。
人と話すのも大変ではないだろうか。
その上、エレン嬢は貴族の令嬢だ。
貴族の令嬢はいつだって外見を完璧に取り繕うのに余念がない。
そんな令嬢のうちのひとりならば、今は人に会いたくないのではないだろうか。
怪我のせいでまだ完璧に装えるほどの余裕はないはずだった。
「エレン嬢には無理をさせたくない」
もしや男爵ひとりの独断かと思って懸念を伝えれば
「いいえっ。娘ももう会っても大丈夫だと言っております。ぜひ会ってやってください!」
男爵は額に汗を浮かべて慌てて言った。
二週間通って、いつも対応するのはメイドのみ。こうなると、執事は不在でなく、執事自体いないのだと結論付けた。
サンストレーム家にとって、いいや他の家門にとっても、執事がいないことなど考えられないことだった。
男爵がこれ程恐縮するのもそういった実情が影響しているなら、頷ける。
「……わかった。だが、少しでもエレン嬢が辛そうにするようなら、その時点で見舞いはやめる」
「ええ、わかりました。――ドロシー、フェリシアン様をエレンの部屋まで案内して差し上げろ」
「こちらへ」
ドロシーと呼ばれたメイドの案内によって、二階に進んでいく。
板張りの廊下を渡り、ひとつの扉のまえでとまった。
「こちらです」
「ありがとう。ここまでで大丈夫だ」
使用人が少ないならば、彼女には色んな用事が言いつけられていることだろう。
彼女の仕事の邪魔をしたくなくて、案内をここで断った。
中にはきっとエレン嬢の侍女もいることだろうから、問題はない。
メイドは一礼すると去っていった。
私は一息吸って、扉を叩いた。
「はい」
中から小さな応えが返ってくる。
私は扉をあけた。
私の視界にまず入ったのは、寝台に上に座った彼女だった。
シンプルな寝床。ただ木材を組み立てただけの、何の装飾も、彫りも見当たらない実用のみを重視した寝台。
それと、いくつかの家具。
床には絨毯もしかれていなかった。
とても貴族の令嬢の部屋とは思えなかった。
扉を開けた瞬間に侍女がいないことには気づいたが、この部屋の様子を見るにつけ、執事同様、この家には侍女そのものがいないのだと悟った。
小さな部屋の中でぽつんと少女だけがいるのが、なぜだが私の目には寂しく映った。
私は少女の前まで進んでいった。
こうして眼の前で見ると、如何にこの少女が小さかったかよくわかる。
――こんな小さな体で、私を守ったのか。
手のひらを広げて私を守ろうとした姿が、今もはっきり思い出せる。
薄茶の亜麻色の髪に榛色の瞳。
柔らかなそれらの色が、怪我を負った彼女をより一層儚げに見せた。
「初めまして。エレナ・レヴィンズ嬢。私はフェリシアン・サンストレームと申す」
『初めまして』と言った瞬間、彼女の瞳に悲しみのようなものが浮かんだ気がしたけれど、気の所為だろう。それはほんの一瞬のことで、判然できるものではなかった。
「初めまして。私はエレナ・レヴィンズと申します」
「この度は本当に申し訳なかった。謝って済む話ではないが、まずは頭を下げさせてほしい。――本当にすまなかった」
自分の体に一生消えない傷が残ると知った時、どれほどショックだっただろうか。
十四という年齢ならば、これからある出会いに思いを馳せ夢見たことだろうに。
泣かれるだろうか。
責められるだろうか。
それとも、私が知る他の貴族の令嬢と同じように仮面を貼り付けて、微笑むだろうか。
頭を下げて待っていたが、エレン嬢の反応は……そのどれでもなかった。
「どうして急にそんな――……ッ――!」
急に動いたせいで傷に痛みが走ったのか、エレン嬢が顔をしかめる。
「大丈夫か? やはりまだ早かったようだ。無理をさせてすまない。話は今日でなくて良い。また後日改めて――」
「いえ……大丈夫です……」
支えようと、手を伸ばしたところでエレン嬢が顔をあげる。
「それより、先程の話ですが。どうして『申し訳ない』なんて」
思わぬ質問に軽く驚くも、私は正直に答える。
「それは当然、君が怪我を負ったのは私のせいだからだ」
「いえ、それは違います。怪我を負ったのは、私の責任です。後先考えず飛び出したから……。少し考えれば、こうなることは予想できたのに」
そう、どうして君は飛び出したんだ。その小さな体で、あんな無茶をしたんだ。
そう喉元までせり上がったが、今更疑問をぶつけたところで、現実はもうどうしようもかえることができない。
きっとこの小さな少女の中にある、咄嗟の勇気がそうさせたのだろうと結論づける
「……いや、我々がしっかり捕まえていれば、あのような事態が起こることがそもそもなかったんだ」
それから私は事件が起きたことの原因を伝えた。
「我々警備団のミスだ。犯罪者の捕縛をまだ経験の浅い新人に任せてしまったのが間違いだった。捕縛する人数が多く、人手が足りなくてついそちらに回してしまったのだ。まさか、縄が緩むとは――。全ては私の判断力の甘さと、的確に新人を指導できなかった私の至らなさのせいだ」
「そんなことは――」
真実を知っても尚、彼女の目には私を責める色が浮かぶことはなかった。
「フェリシアン様のせいではありません。あまりご自分を責めないで下さい。原因が他にあったとしても、やっぱり半分は自分のせいなんです」
「君は……」
自分の境遇を嘆くわけでもなく、ひとのせいにもしない。
少女の純粋無垢な瞳に、言葉が出てこなかった。
「むしろ、私は感謝しています。こうして生きているのは、その場の的確な処置のおかげだったと聞きました」
その瞳に感謝さえ見つけ、私は戸惑った。
「本当にありがとうございます」
頭を下げる少女。
この少女がとても優しい性格なのだと、このひとときの会話で充分伝わった。
私の予想がことごとく裏切られたことで、私は返す言葉が見つからなかった。
「申し訳ありません。ずっと立たせたままで。椅子にお座りください」
「……ああ。ありがとう」
「そういえば、私を斬ったひとは捕まったんでしょうか」
会話が変わったことで、私は心を切り替えた。
「ああ。あの男は無事捕縛した。君を斬りつけた罪も加わったから、ほかの者より罪は重くなるだろう」
それから本人には改めて話をしなければと思っていたことを、口にする。
「もう聞いてると思うが、私は君の婚約者になった」
少女の顔に朱がのぼったように見えた。
「君は私のせいではないと言ってくれたが、それでもやはり、君が傷を負った責任を誰かがとらなければならない」
誰がなんと言おうと責任から逃れるのは、私の本意ではない。『責任はない』と言ってくれたからこそ何も気にする必要はないのだと理解してもらいたかった。
「君の婚約者になったのは、そのためだ」
婚約を結ぶことになった経緯を知っているはずなのに、少女は何故か目を見開いた。
「その傷のせいで、君の将来はほぼ閉ざされてしまった。君の婚約者となって、その償いをさせてほしい」
私はできるだけ誠意を込めて少女を見つめた。
「本来ならその責任をすぐ果たすべきなんだろうが、君はまだ十四才と聞く。結婚できる年齢になるまで、あと二年かかる。だからその間を婚約期間にして、十六になったら君をすぐ娶ろうと思う。それで良いだろうか」
「……かまいません」
最後に伺うように尋ねると、少女は首を垂れて頷いた。
小さな声音とその姿に彼女の性格が垣間見えた気がした。
「……至らないところがあると思いますが、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
体が辛いのかもしれないと思った私は、これ以上は少女の負担になると思い、話を引きあげるため立ち上がると最後に頭を下げた。
「それと、君にお礼を言わなければならないと思っていた。もっと早く伝えたかったが遅くなってすまない。あの時、――助けてくれてありがとう」
少し間があったあと、少女の柔らかな声音が耳に届いた。
「いいえ。あなたが無事なら良かったです。それだけで、私には充分なんです」
よくも知らない相手に、何故そのような言葉が出せるのか。
下手すれば君は死んでいたかもしれないのだぞ。
私は驚いて少女を見つめるが、少女の心を読み取ることはできなかった。
「辛いところ、長居してしまってすまなかった。今日はこれで失礼する」
気を持ち直して、別れの挨拶をする。
「はい。お見舞いありがとうございました」
頭を下げる少女。
妙な気分を抱えながらも、私は少女との初対面を終えたのだった。
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