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1(プロローグ)
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「フェリシアン様よ、見て」
「きゃあ、今日も素敵ね」
人だかりの中から、黄色い声が聞こえてくる。
私も彼の姿を見たくて、外から必死に背を伸ばすものの、大人の背丈はどうしても超えられない。
頭と背中がいくつも見え、取り囲む人の多さがわかっただけだった。
「お嬢様、もうよしましょう。野次馬の集団に加わるなんて、貴族の令嬢がすることじゃありません。見てご覧なさい。貴族はお嬢様だけですよ」
メイドのドロシーが、まわりにいる平民に忙しなく目線をやりながら、目つきを尖らせる。
「少しだけ。ひと目だけ見たら、帰るから」
「あっ、お嬢様っ」
制止の声を振り切って、人々の僅かな隙間に入っていく。
半ば押し潰されそうになりながら、小さな身を活かして、前へと進んでいく。
――だって、こういう時じゃないと、見れないんだもの。
自分よりもひと回りもふた回りも大きい大人たちの間を縫い、苦しい思いをして、ようやっと一番前へ出ることができた。
開けた視界に、凛々しい隊服に身を包んだ騎士たちの姿が入り込んだ。
素早く目線を走らせる。
頭が判断するよりも先に、目に入った瞬間、彼に視点が定まった。
――いた。
白い騎士服が誰よりも似合っている。
襟や袖、肩を彩る金モールの刺繍や飾緒はどれも一緒なのに、彼の制服だけ眩しく見えるのはどうしてだろう。胸の団章も、やはり他の誰よりも、誇らしげに映る。
ぴんと伸びた背筋。凛とした青い眼差し。一つに結わえた長い銀髪。
胸に飾られた徽章は彼が王都警備団の団長であることを示していた。
その務めを果たすべく、周りの騎士たちに支持を飛ばしている。
「一体誰が捕まったんだ?」
「最近、王都にのさばっていた犯罪集団いただろ?」
「ああ。あの、強盗、強請り、詐欺、誘拐、何でもありって奴らか」
「そう。そいつらが潜伏してたのを突き止めて、とうとうお縄にしたようだぜ」
「へえ。そいつはまた。――こんなに大掛かりなのはそういうわけか」
見物していた男性二人の会話が耳に入ってきて、最後の台詞は感心したように呟かれた。
王都警備団――正式名称は『王都警備騎士団』――はその名の通り、王都を警備する役割を担っている。
普段から王都の中を警邏し、犯罪の取締りや抑止、それ以外にも何らかの事故が起これば駆けつけて解決するのが仕事だ。些細なことでは、酔っぱらいの喧嘩を止めたり、迷子を保護したりなんてこともある。
つまり王都警備団は王都に住む人々にとって、頼りになる存在。いわば正義の味方だ。それ故、人々からの人気は高かった。
特にその人気は女性の間で著しかった。
理由として見目の麗しい隊服はもちろんのこと、団員の多くが若い貴族の子息で構成されていること。
そして一番の理由は彼らを率いる団長がこの国一番の有力者である公爵家嫡男の『フェリシアン・サンストレーム』であることだった。
――『サンストレーム公爵家』。
この国に住む者なら、知らぬ者はいないと言っても過言ではないくらい有名な家柄。
他の爵位を同じくする家門と比べても、サンストレーム家は頭ひとつ分飛び抜けている。権力、財力は言うに及ばず、国が危機に瀕する度、歴代の公爵の英断によって助けられてきたと言う。今この国があるお陰は『王家の盾』とも評されるサンストレーム家があったからに他ならないと、詳細は知らなくとも、学のない下々の間でも薄っすらとそんなふうに知れ渡っていた。
そんな家門の子息なら、初めから好意的に受けいれられるのは当然で。
その上、その本人が類まれなる美貌を誇り、かつ驕り高ぶったところがなにひとつない人徳者となれば、女性の心を掴むのは早かった。
今では巡回するたびに女性の黄色い声が飛ぶという。
それを証拠に――。
「フェリシアン様ぁ、頑張ってー」
「きゃあ、今日も麗しい!」
「フェリシアン様、素敵ー」
町娘たちの黄色い歓声が飛ぶ。
対してフェリシアン様は仕事に集中しているのか、耳には入っていない御様子で部下にあちこち指示を出しているようだった。
「あーん、ああいう、つれないところもお好き」
「ちょっとでもいいから、こっち向いてー」
「フェリシアン様ぁ、お仕事応援してますぅー」
町娘たちが手を振って、呼びかけている。
私はちらっと彼女たちに目を向ける。
私もあんなふうに声を出せる勇気があったらいいのに。
そしたら万が一でも、フェリシアン様が気付いて視界に入れてくださるかも。
でも、すぐにその考えを頭の中から締め出した。
――やっぱり駄目。もし目が合ってしまったら、どうしたらいいかわからないもの。
あの宝石のような綺麗な青い目が自分を写すところを想像するだけで、心臓が跳ね上がってくる。
きっとあたふたして変な振る舞いをしてしまうわ。
そしたらおかしな子だって思われてしまう。そんなふうに思われるくらいだったら、こうして遠くから眺めるだけでいい。
「それにしても、フェリシアン様ってすごいわよね。悪党たちの根城を突き止めただけじゃなく、一網打尽にしちゃうんだから」
「本当よね。フェリシアン様たちがいる限り、この王都は安心ね」
警備隊の仕事ぶりを眺めながら、感心しきりで言う。
私たちの前を、建物から出てきた犯罪集団の男たちが手首に縄をかけられた状態で一列になって、前を通り過ぎていく。それを警備団の何人かが挟むように立って移送車への道を作っていた。移送車に男たちが順々に乗っていくのを眺めていれば――。
「きゃあ! フェリシアン様がこっちに来たわ!」
一際高い歓声が上がった。最後の移送者のひとりが通り過ぎたのと代わるように、フェリシアン様がすぐ近くにやってきた。
こんな近くで見れるなんて――。
五メートルも距離がないかもしれない。
胸が高鳴った。
女性たちの声援にこちらを向いたらどうしようかと思う。
けれど、フェリシアン様は振り向くことなく、建物のほうに顔を向けて相変わらず部下の方と話している。
その時、なんだか鈍い音が聞こえた気がして、そちらに目を向ければ――。
移送車に乗るはずの最後のひとりが、何故か剣を手に持っていた。
足元には地面に転がっている騎士がひとり。
頭が一瞬真っ白になったのも束の間、男が荒々しい形相でフェリシアン様に向かって走り出した。
――危ない!!
考えるより先、走り出していた。
ほかのことなど何も考えなかった。
地面を懸命に蹴る。
距離を考えれば、男が行き着く先よりも、私のほうがたどり着くほうが早い。
男の行く手を阻むように、精一杯腕を広げる。
フェリシアン様の背中が見える。
フェリシアン様は変わらず、背中を向けたまま。
女性たちの騒がしい声がまだ聞こえている。
その歓声が悲鳴に変わった瞬間、フェリシアン様がこちらを振り向いた。
その青い目が大きく見開かれた。その途端、背中に凄まじい衝撃が走った。
同時に女性のつんざくような叫び声。
「取り押さえろっ!!」
怒声が真上からあがった。その声がフェリシアン様のものだと、地面に倒れてから理解する。
たくさんのひとが見動きする騒がしい音といくつもの叫び声。
どこか遠くで聞こえている気がする。
固い地面の感触と焼け付くような痛み。
視界がどんどん暗くなる。
周りのざわめきだけが、唯一働く感覚で薄ぼんやりと聞こえた。
「医者を呼べっ!! 早くっ!!」
その切迫した声音とは反対に、私は安堵した。
――良かった。あなたが無事で。
それを最後に、私の全ての感覚は闇のなかに消えていった。
「きゃあ、今日も素敵ね」
人だかりの中から、黄色い声が聞こえてくる。
私も彼の姿を見たくて、外から必死に背を伸ばすものの、大人の背丈はどうしても超えられない。
頭と背中がいくつも見え、取り囲む人の多さがわかっただけだった。
「お嬢様、もうよしましょう。野次馬の集団に加わるなんて、貴族の令嬢がすることじゃありません。見てご覧なさい。貴族はお嬢様だけですよ」
メイドのドロシーが、まわりにいる平民に忙しなく目線をやりながら、目つきを尖らせる。
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制止の声を振り切って、人々の僅かな隙間に入っていく。
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――だって、こういう時じゃないと、見れないんだもの。
自分よりもひと回りもふた回りも大きい大人たちの間を縫い、苦しい思いをして、ようやっと一番前へ出ることができた。
開けた視界に、凛々しい隊服に身を包んだ騎士たちの姿が入り込んだ。
素早く目線を走らせる。
頭が判断するよりも先に、目に入った瞬間、彼に視点が定まった。
――いた。
白い騎士服が誰よりも似合っている。
襟や袖、肩を彩る金モールの刺繍や飾緒はどれも一緒なのに、彼の制服だけ眩しく見えるのはどうしてだろう。胸の団章も、やはり他の誰よりも、誇らしげに映る。
ぴんと伸びた背筋。凛とした青い眼差し。一つに結わえた長い銀髪。
胸に飾られた徽章は彼が王都警備団の団長であることを示していた。
その務めを果たすべく、周りの騎士たちに支持を飛ばしている。
「一体誰が捕まったんだ?」
「最近、王都にのさばっていた犯罪集団いただろ?」
「ああ。あの、強盗、強請り、詐欺、誘拐、何でもありって奴らか」
「そう。そいつらが潜伏してたのを突き止めて、とうとうお縄にしたようだぜ」
「へえ。そいつはまた。――こんなに大掛かりなのはそういうわけか」
見物していた男性二人の会話が耳に入ってきて、最後の台詞は感心したように呟かれた。
王都警備団――正式名称は『王都警備騎士団』――はその名の通り、王都を警備する役割を担っている。
普段から王都の中を警邏し、犯罪の取締りや抑止、それ以外にも何らかの事故が起これば駆けつけて解決するのが仕事だ。些細なことでは、酔っぱらいの喧嘩を止めたり、迷子を保護したりなんてこともある。
つまり王都警備団は王都に住む人々にとって、頼りになる存在。いわば正義の味方だ。それ故、人々からの人気は高かった。
特にその人気は女性の間で著しかった。
理由として見目の麗しい隊服はもちろんのこと、団員の多くが若い貴族の子息で構成されていること。
そして一番の理由は彼らを率いる団長がこの国一番の有力者である公爵家嫡男の『フェリシアン・サンストレーム』であることだった。
――『サンストレーム公爵家』。
この国に住む者なら、知らぬ者はいないと言っても過言ではないくらい有名な家柄。
他の爵位を同じくする家門と比べても、サンストレーム家は頭ひとつ分飛び抜けている。権力、財力は言うに及ばず、国が危機に瀕する度、歴代の公爵の英断によって助けられてきたと言う。今この国があるお陰は『王家の盾』とも評されるサンストレーム家があったからに他ならないと、詳細は知らなくとも、学のない下々の間でも薄っすらとそんなふうに知れ渡っていた。
そんな家門の子息なら、初めから好意的に受けいれられるのは当然で。
その上、その本人が類まれなる美貌を誇り、かつ驕り高ぶったところがなにひとつない人徳者となれば、女性の心を掴むのは早かった。
今では巡回するたびに女性の黄色い声が飛ぶという。
それを証拠に――。
「フェリシアン様ぁ、頑張ってー」
「きゃあ、今日も麗しい!」
「フェリシアン様、素敵ー」
町娘たちの黄色い歓声が飛ぶ。
対してフェリシアン様は仕事に集中しているのか、耳には入っていない御様子で部下にあちこち指示を出しているようだった。
「あーん、ああいう、つれないところもお好き」
「ちょっとでもいいから、こっち向いてー」
「フェリシアン様ぁ、お仕事応援してますぅー」
町娘たちが手を振って、呼びかけている。
私はちらっと彼女たちに目を向ける。
私もあんなふうに声を出せる勇気があったらいいのに。
そしたら万が一でも、フェリシアン様が気付いて視界に入れてくださるかも。
でも、すぐにその考えを頭の中から締め出した。
――やっぱり駄目。もし目が合ってしまったら、どうしたらいいかわからないもの。
あの宝石のような綺麗な青い目が自分を写すところを想像するだけで、心臓が跳ね上がってくる。
きっとあたふたして変な振る舞いをしてしまうわ。
そしたらおかしな子だって思われてしまう。そんなふうに思われるくらいだったら、こうして遠くから眺めるだけでいい。
「それにしても、フェリシアン様ってすごいわよね。悪党たちの根城を突き止めただけじゃなく、一網打尽にしちゃうんだから」
「本当よね。フェリシアン様たちがいる限り、この王都は安心ね」
警備隊の仕事ぶりを眺めながら、感心しきりで言う。
私たちの前を、建物から出てきた犯罪集団の男たちが手首に縄をかけられた状態で一列になって、前を通り過ぎていく。それを警備団の何人かが挟むように立って移送車への道を作っていた。移送車に男たちが順々に乗っていくのを眺めていれば――。
「きゃあ! フェリシアン様がこっちに来たわ!」
一際高い歓声が上がった。最後の移送者のひとりが通り過ぎたのと代わるように、フェリシアン様がすぐ近くにやってきた。
こんな近くで見れるなんて――。
五メートルも距離がないかもしれない。
胸が高鳴った。
女性たちの声援にこちらを向いたらどうしようかと思う。
けれど、フェリシアン様は振り向くことなく、建物のほうに顔を向けて相変わらず部下の方と話している。
その時、なんだか鈍い音が聞こえた気がして、そちらに目を向ければ――。
移送車に乗るはずの最後のひとりが、何故か剣を手に持っていた。
足元には地面に転がっている騎士がひとり。
頭が一瞬真っ白になったのも束の間、男が荒々しい形相でフェリシアン様に向かって走り出した。
――危ない!!
考えるより先、走り出していた。
ほかのことなど何も考えなかった。
地面を懸命に蹴る。
距離を考えれば、男が行き着く先よりも、私のほうがたどり着くほうが早い。
男の行く手を阻むように、精一杯腕を広げる。
フェリシアン様の背中が見える。
フェリシアン様は変わらず、背中を向けたまま。
女性たちの騒がしい声がまだ聞こえている。
その歓声が悲鳴に変わった瞬間、フェリシアン様がこちらを振り向いた。
その青い目が大きく見開かれた。その途端、背中に凄まじい衝撃が走った。
同時に女性のつんざくような叫び声。
「取り押さえろっ!!」
怒声が真上からあがった。その声がフェリシアン様のものだと、地面に倒れてから理解する。
たくさんのひとが見動きする騒がしい音といくつもの叫び声。
どこか遠くで聞こえている気がする。
固い地面の感触と焼け付くような痛み。
視界がどんどん暗くなる。
周りのざわめきだけが、唯一働く感覚で薄ぼんやりと聞こえた。
「医者を呼べっ!! 早くっ!!」
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