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しおりを挟む「ジャスミン・ティルッコネン、本日限りで、お前との婚約は破棄する!」
王宮の一室で、私は婚約者のイグナシオ・ジャンメール第二王子と、もうひとり、その傍らにいる女性と相対していた。
イグナシオ殿下の瞳は、冷たい蔑みの色に満ちている。
「お前のような人間に俺の妃は相応しくない。美しくもなければ、俺を楽しませる会話ひとつできん。地味で根暗で。お前の顔を見ると、こっちまでくさくさする。その点!」
イグナシオ殿下は言葉を区切ると、傍らにいる女性の肩をぎゅっと引き寄せる。
「ここにいるレヒーナは、誰よりも美しく聡明で、皆からも好かれている。まさにお前より王族に連なるに相応しい女性だ!」
レヒーナ・エンゲルス。私は第二王子の隣に立つ女性を見上げた。
肩までかかる絹のようなきらきら光る滑らかな銀髪。神秘的な紫水晶のような瞳。彫刻のように美しく配置された目鼻立ち。ひと目見たら、誰もがはっとせずにはいられない美貌の持ち主だ。
女性にしてはやや背が高くスレンダーなところも、彼女に高潔なイメージをもたせていた。
殿下が今まで浮き名を流した数々の女性たちの容貌も、彼女の前では霞んでしまう。
当の私でさえ初め見た時、目が釘付けになってしまったものだ。女性の私でさえそうなのだから、面食いの第二王子が目をつけるのは早かった。
彼女が私たちと同じ貴族学園に通い始めたのは、約半年前。隣国からの短期留学だった。彼女が学園に足を踏み入れたその日から、男女問わず生徒全員が、その虜となるのに時間はかからなかった。彼女からなにかしたわけではない。けれど、彼女の所作の美しさ。品のある立ち居振る舞い。生家が隣国現側妃を輩出した家柄にも関わらず奢らない奥ゆかしさ。間をおかずして行われた試験でも、上位五指に名を連ねる頭の良さ。何よりその美貌。言葉は少ないけれど目が合えば、ほうっと溜め息をつきたくなるほどの微笑みを返してくれる。その優しさ、人柄、滲み出る気品に皆が夢中になった。
だからだろう。いつしか全校生徒全員から冷たい目線が送られるようになってしまった。
「お前が影で、レヒーナを虐めたことはわかっている」
「私はそのようなことは……」
「ええい! 往生際が悪いな! レヒーナのノートを破ったり、物を隠したり、階段から突き落とそうとしただろう!」
否定の言葉を言わせぬうちから、覆いかぶせるように殿下が声を荒げる。
言葉と同様に荒々しく睨みつけられ、胸のうちから苦い思いがこみ上げる。
最初からこうだった。こちらの言い分に一言も耳を貸さず、ただ一方的に詰られるだけ。
一番最初の記憶は三ヶ月前。学園の廊下を歩いているときに、突然殿下から呼び止められた。学園で殿下から話しかけられたのは初めてのことで、一瞬まぼろしかと思った。
「ジャスミン・ティルッコネン! お前だろう! レヒーナのノートを隠したのは!」
「は?」
殿下の怒りの剣幕と激しい口調に、さっきとはまた違った意味で、脳が一瞬現実を否定しようとした。
「どういう……意味でしょう……?」
「しらばっくれるな! 俺が普段より他の女性と親しくしているせいで、嫉妬に狂って、レヒーナに意地悪しただろう! お前のせいで、レヒーナが困っている! 恥を知れ!」
「……あの、お話がよく掴めないのですが、話を聞き……殿下っ……!」
混乱した頭で状況を整理しようと言葉を紡ごうとしても、話の途中で、殿下は足音荒く去っていってしまった。
あとに残されたのは一部始終を見ていた生徒たちと、廊下の真ん中にぽつんと残された私だけ。
レヒーナ様が留学して間もなく、殿下がレヒーナ様を追いかけているという話は私の耳にも届いていた。それまで付き合いのあった女性をばっさり捨て、授業の合間の休み時間にその都度会いに、お昼まで誘っているという。それほど殿下が熱烈にアタックしているのは、レヒーナ様が初めてだ。殿下は王子という肩書とその端正な容貌で、女性が途切れることがない。少し優しい言葉をかけさえすれば、女性のほうから勝手にすり寄ってくる。複数の相手と同時に浮名を流すこともあった。
私は婚約者の立場上、また殿下の評判を思って再三注意をしたことがある。けれど、聞き入れられたことはない。邪険にされるたびに心が疲弊し、最近は諦めの立場にある。
あと少しで学園も卒業。十六歳で成人を迎えた今、卒業したらすぐに殿下に嫁ぐことが決まっている。そうしたら、殿下も大人になってくれるだろうか。王太子である第一王子と王子妃を一緒に支え、この国の発展のために働くようになったら、王族としての自覚も芽生えるかもしれない。そんな淡い期待を胸に抱いてきたけど……。
最近の殿下を見ると、それも儚い夢のように思える。今までで一番、女性に夢中になっている気がする。あんな殿下を見るのは初めて……。
私ははっとした。気づけば、廊下のあちこちから、私を窺い見ながら、こそこそ話している生徒たちが見えた。
私は急いで物思いを振り払うと、足早にその場をあとにした。
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