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81、別れ
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「王宮の入り口に、馬車を待たせてある。今から一緒にここを出よう。おまえが殿下の従者を辞める旨は、あとからエメット家から書状を出して詫びるから、心配することはない」
妹の正体が知れる前に、一刻も早くここから連れ出したいのだろう。
肩に置かれた手に自分の手を重ねて、クリスティーナは首を振った。
「いいえ、それはわたしから言わせてください。これが最後なら、ちゃんと殿下の顔を見て、お別れの挨拶をしたいんです。お願いします」
顔を伏せて懇願すれば、バイロンの手が緩んだ。
「――わかった。では、馬車の中で待っているから、済ませたら来るんだぞ」
「はい……」
クリスティーナはバイロンと別れ、内廷へと戻る道に体を向けた。
足を引きずるように歩いていく。体が鉛のように重い。いや、いっそ今ここで固まってしまえばいいのに。
そうすれば、ここから立ち去ることも、アレクシスに別れの挨拶をすることもないのに。
告げた時、アレクシスはどんな顔をするだろう。
子供の時からずっと一緒にいた。
誰よりも一番近くにいた存在。
別れの挨拶に裏切られたと思うだろうか。
怒るだろうか。
悲しむだろうか。
その時の表情を思い浮かべ、胸に痛みが突き刺さる。
愛しい人を傷つけるかもしれない言葉を、自分が吐かねばならないことが悲しい。
そして、もうこれきりだということが、何よりも悲しかった。
あの自分を魅了してやまない瞳も、輝くように美しい髪も、別れの挨拶を言った最後、もう二度と見ることはない。
心が引き裂かれそうだ。
いつの間にかクリスティーナの足は内廷の建物の中を進み、無意識にアレクシスの私室の前に来ていた。
扉をノックするために、腕をあげる。手の甲が扉に触れた。
最後になるなら、顔を焼き付けていきたかった。別れの挨拶はせめて自分でしたかった。そう思って、バイロンに申し出た。
(でも――)
まだ何ひとつ受け入れていないのに、果たして平静でいられることなんてできるのだろうか。
今でさえ、涙をこらえるのに必死だというのに。
何もないふりを装って、別れの言葉を口にできるほど、クリスティーナは器用ではない。
このまま顔を合わせれば、自分が取り乱してしまうことが手にとるようにわかった。
本人を眼の前にしたら、涙があふれるのを止められそうになかった。そうすれば、アレクシスは何があったか自分に訊くだろう。
そうなれば、もう抗えない。今でさえ、心がばらばらになって、崩れてしまいそうなのに。
アレクシスの顔を見た途端、その場に身を投げ出して、洗いざらい全て吐き出してしまいそうだった。
そうなったら、どうなるだろう。
お咎めを受けるのは、必然。
バイロンが恐れていたとおりになるだろう。
そうならないために、兄はこうしてやってきたのに。自分のせいで今までの苦労を水の泡にしてしまっては駄目だ。
クリスティーナは扉にかけた手をぎゅっと握った。
アレクシスは今、この部屋にいるだろう。
クリスティーナは扉に身を寄せた。
そうすれば、少しでもぬくもりを感じ取れるとでもいうように。
扉を抱きしめるように、体を寄り添わせる。
「さようなら」
ぽつりと呟いて、そっと身を離した。
零れ落ちそうになる涙を拭うと、自分の部屋へと向かった。
ここを去るなら、荷物をまとめなければ。
クリスティーナは目にとまる自分の持ち物を、無造作に鞄に詰めていった。去ることが決まった以上、一分でもながくここにいることが辛い。幸い、所持品は多いほうではない。鞄ふたつで納まった。
クリスティーナは最後に便箋を手にとった。
手紙なら、アレクシスに伝えられる。
顔を見て告げるのは無理でも、王宮を辞すことは自分の手で伝えたかった。自己満足かもしれないが、自分なりの精一杯の誠意を見せるにはこれしかなかった。
机に向かい、ペンを走らせる。
『アレクへ
突然、王宮を去ることをお許しください。
家の事情で、帰らなくてはならなくなりました。
申し訳ありません。
今までお仕えすることができて、光栄でした。
従者としてずっとそばにいられてから、幸せでなかったことはありません。
たくさんの思い出をありがとう。
決して忘れません。
アレクはこれからもずっと、わたしの親友であり続けます。
お元気で。
あなたの親友、クリス・エメット』
筆をことりと置いて、便箋を折り曲げて封に入れる。
宛名を書いて、机に置いた。
掃除にきたメイドが届けてくれるだろう。
クリスティーナは振り返ることもなく、王宮をあとにした。
妹の正体が知れる前に、一刻も早くここから連れ出したいのだろう。
肩に置かれた手に自分の手を重ねて、クリスティーナは首を振った。
「いいえ、それはわたしから言わせてください。これが最後なら、ちゃんと殿下の顔を見て、お別れの挨拶をしたいんです。お願いします」
顔を伏せて懇願すれば、バイロンの手が緩んだ。
「――わかった。では、馬車の中で待っているから、済ませたら来るんだぞ」
「はい……」
クリスティーナはバイロンと別れ、内廷へと戻る道に体を向けた。
足を引きずるように歩いていく。体が鉛のように重い。いや、いっそ今ここで固まってしまえばいいのに。
そうすれば、ここから立ち去ることも、アレクシスに別れの挨拶をすることもないのに。
告げた時、アレクシスはどんな顔をするだろう。
子供の時からずっと一緒にいた。
誰よりも一番近くにいた存在。
別れの挨拶に裏切られたと思うだろうか。
怒るだろうか。
悲しむだろうか。
その時の表情を思い浮かべ、胸に痛みが突き刺さる。
愛しい人を傷つけるかもしれない言葉を、自分が吐かねばならないことが悲しい。
そして、もうこれきりだということが、何よりも悲しかった。
あの自分を魅了してやまない瞳も、輝くように美しい髪も、別れの挨拶を言った最後、もう二度と見ることはない。
心が引き裂かれそうだ。
いつの間にかクリスティーナの足は内廷の建物の中を進み、無意識にアレクシスの私室の前に来ていた。
扉をノックするために、腕をあげる。手の甲が扉に触れた。
最後になるなら、顔を焼き付けていきたかった。別れの挨拶はせめて自分でしたかった。そう思って、バイロンに申し出た。
(でも――)
まだ何ひとつ受け入れていないのに、果たして平静でいられることなんてできるのだろうか。
今でさえ、涙をこらえるのに必死だというのに。
何もないふりを装って、別れの言葉を口にできるほど、クリスティーナは器用ではない。
このまま顔を合わせれば、自分が取り乱してしまうことが手にとるようにわかった。
本人を眼の前にしたら、涙があふれるのを止められそうになかった。そうすれば、アレクシスは何があったか自分に訊くだろう。
そうなれば、もう抗えない。今でさえ、心がばらばらになって、崩れてしまいそうなのに。
アレクシスの顔を見た途端、その場に身を投げ出して、洗いざらい全て吐き出してしまいそうだった。
そうなったら、どうなるだろう。
お咎めを受けるのは、必然。
バイロンが恐れていたとおりになるだろう。
そうならないために、兄はこうしてやってきたのに。自分のせいで今までの苦労を水の泡にしてしまっては駄目だ。
クリスティーナは扉にかけた手をぎゅっと握った。
アレクシスは今、この部屋にいるだろう。
クリスティーナは扉に身を寄せた。
そうすれば、少しでもぬくもりを感じ取れるとでもいうように。
扉を抱きしめるように、体を寄り添わせる。
「さようなら」
ぽつりと呟いて、そっと身を離した。
零れ落ちそうになる涙を拭うと、自分の部屋へと向かった。
ここを去るなら、荷物をまとめなければ。
クリスティーナは目にとまる自分の持ち物を、無造作に鞄に詰めていった。去ることが決まった以上、一分でもながくここにいることが辛い。幸い、所持品は多いほうではない。鞄ふたつで納まった。
クリスティーナは最後に便箋を手にとった。
手紙なら、アレクシスに伝えられる。
顔を見て告げるのは無理でも、王宮を辞すことは自分の手で伝えたかった。自己満足かもしれないが、自分なりの精一杯の誠意を見せるにはこれしかなかった。
机に向かい、ペンを走らせる。
『アレクへ
突然、王宮を去ることをお許しください。
家の事情で、帰らなくてはならなくなりました。
申し訳ありません。
今までお仕えすることができて、光栄でした。
従者としてずっとそばにいられてから、幸せでなかったことはありません。
たくさんの思い出をありがとう。
決して忘れません。
アレクはこれからもずっと、わたしの親友であり続けます。
お元気で。
あなたの親友、クリス・エメット』
筆をことりと置いて、便箋を折り曲げて封に入れる。
宛名を書いて、机に置いた。
掃除にきたメイドが届けてくれるだろう。
クリスティーナは振り返ることもなく、王宮をあとにした。
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