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アマリア・アルバートン/フローラ・エインズワース
墓標
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怪我が癒え、体を動かす訓練をして外出ができるようになるまで2か月程かかった。
公爵家で過ごすその間、スタンリール家から両親が来てくれた。ベッドの上ではあったけれど頭を下げて1年以上音信不通にしていた不孝を詫びた。父も母も涙を流して私を抱きしめてくれた。多くを語ることはなかったけれど、私の気持ちを黙って聞いてくれたことに心から感謝した。
そして、日を置いてエルザとロビン様が来訪した。二人はヘンドリックが公爵邸にいない理由を把握していただけに、複雑そうな表情を浮かべて私のそばまでやってきた。そっと私の手を取り、エルザは「おそばで奥様を支えられず申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しばらく話し込んだ後、二人は公爵邸を後にした。
私はハンナに言って、執事を呼んでもらい、外出の準備を進めるように告げた。
侍女達に出かける先を説明して、身支度を整え始めた。
馬車や荷物の準備ができたと報告がきて、すっと背筋を伸ばして部屋を後にした。
玄関で私を見送る侍女達や侍従や執事達に「大丈夫よ、心配しないで」と声をかけた。御者のダンカンから「また奥様をお送りできることを光栄に思います」と微笑まれ、私もそれを返した。
ハンナが同乗し、護衛に公爵家の騎士団から少数の騎士が馬車の後ろに控えていた。
馬車から屋敷の奥から見守ってくれていたエインズワースの騎士達に手を振っていると、馬車は静かに動き出した。
私の行く先がどの辺りであるのかは正確に聞かなかった。どこにたどり着くのか、なぜかそれを知っているような気がして、ただ馬車から見える景色を目で追っていた。
王都から半日ほどでその屋敷には着いた。見覚えのある建物にまさかと思ったけれど、馬車から下りてその庭を見た瞬間、走馬灯のように少女だった頃の自分を思い出していた。
なぜ首都での暮らしに疲れて療養に訪れたたった一度だけのこの思い出の地にヘンドリックがいるのかと頭で考えようとして、それを思い留まった。
そして、屋敷の入口で待っていた公爵家の執事長のソシュールに久しぶりに会い、微笑み合った。
ソシュールは慈愛に満ちた顔で何度か頷き、「旦那様の元へご案内致します」と短く言い、私を先導した。
このお屋敷に住まわれていた老夫婦はもうお亡くなりになったと風の噂で聞いていたけれど、その後ここがどうなったのか知らなかった。でも見る限り、手入れは行き届いていて、補修も十分にできているようだった。
階段を昇り、私がかつて滞在したときに使っていた部屋の前でソシュールは足を止めた。ノックをしたけれど、何の声も返ってこなかった。眉を下げたソシュールに小さく首を振り、ドアのノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開いた。
外は太陽がさんさんと降り注ぐ気持ちの良い日なのに、その部屋は薄いカーテンが閉められたまま、わずかな光だけが部屋の中に届いていた。
一歩踏み出し、薄暗い中で部屋の中央に置かれたソファの背もたれからヘンドリックのものと思われる黒髪が見え、そこに向かい歩みを進めたとき、思わず息をのんだ。
部屋の壁中に私の肖像画が飾ってあった。私が公爵家に嫁いでからのものもあったが、私がまだ10代前半の頃から家に招いて描いてもらっていたものまで全てが並んでいた。
それをゆっくりと眺めながらソファまで進み、そっと前に回った。ヘンドリックはワインを片手に持ち、焦点の合わない目で宙を眺めていた。私が現れたことにすら気づいていないようだった。
「ヘンドリック…?こんなところにいたのね…?」
声をかけると、ヘンドリックの目がゆらりと動き、漆黒の瞳が私の姿を映すと一瞬見開かれ、ふと笑った。
「今日のアマリアはまたとても美しいね。喪服のヴェールでその顔を隠していても、その美しさは隠しきれないんだね」
「ヘンドリック、ずっとここにいたの?あなたの顔色、とても悪いわ…」
「屋敷を出てからはずっとここにいたよ。アマリアがもうここまで来ることができるようになるなんてね。どれだけの時間が経ったんだろうか。ここにいるとずっと時は止まったままだったから」
「だめよ…ここにいてはだめ。ヘンドリック、私達行かなければならないところがあるでしょう?そして、そこはあなたしか知らないの」
「…どういうことだい…?」
「あの子の、私達の子のお墓に謝りに行かなければいけないでしょう?」
ヘンドリックの肩にそっと手を置くと、彼は片手で目元を覆い、肩を震わせた。
「あなたがあの子のためにお墓も何も準備しなかったとは思えないわ。だって、私達の子ですもの。きちんと二人で会いに行きましょう?」
彼の手からワイングラスを取り、テーブルに置くと、その手を引いてゆっくりと立ち上がらせた。そのまま足を進め、部屋から出ると扉で待っていたソシュールが涙ぐみながら私達をまた玄関ホールへと導いてくれた。
「奥様、少しだけお時間をください。旦那様の身支度を整えます。どうぞ奥の間でお休みください」
ソシュールがそう言ってくれたけれど、私は首を振り、思い出深い庭へ出ることにした。
私から少し離れたところにハンナが付き従ってくれていた。
一歩進めるごとにこの庭でピクニックをして、かわいいウサギと出会い、それに癒されていた日々が駆け巡った。
私はいつから、ヘンドリックに見守られ、愛されていたのか、きっともう言葉にはできないほどの想いが私の身には降り注いでいたのだろうと感じた。それをおくびにも出さずに、私を愛する旦那様を演じ、自分の裏切りを明かすことも、自分に嘘をつき続けることもできなくなってしまったかわいそうな人。
アマリアが愛した唯一の人。
さわさわと風が木々を揺らして音を奏でる。あの時の私はそれをただ心地よく感じるだけの無垢な少女だった。
黒いレースの手袋に包まれた指先をぐっと握りしめた。
「奥様、お仕度が整ったそうです」
ハンナから声をかけられ、ホールへ戻ると、ヘンドリックが同様に喪服に身を包みそこに立っていた。まだ顔色は悪かったけれど、危うい瞳の揺らぎはなくなっていた。
「公爵領へ向かう。少しかかるから、傷が痛んだり、どこか不調が出たらすぐに言ってほしい」
「ええ、約束するわ」
「じゃあ、行こう」
先導する馬車はヘンドリックとソシュールが乗り、その後ろに私とハンナの馬車が続くことにした。
公爵領までは馬車で2日ほどかかり、途中の街で宿を取り、別々の部屋で休み、無理のない移動で公爵領へと到着した。
公爵領に入るのは2年ぶり近く、とても懐かしい思いがした。
公爵邸の敷地に入ったけれど、屋敷には向かわず、馬車はそのまま公爵家の墓地へと進んでいった。
近くまで来ると馬車が止まり、私達は静かに下りて墓地へと向かった。
墓地には何度も足を運んだことはあったけれど、ここに我が子がいるとは想像もしていなかった。
ここには代々アルバートン公爵家の血筋の者達だけが埋葬されている。ヘンドリックが足を止めたのは、お義母様のお墓の前だった。
「私達の子は、産まれたときもう息をしていなかった。蘇生も何度も何度も繰り返したけれど助けることはできなかった。その後、アマリアが意識がなくなり、この子をどうしようかと散々悩んだよ。お墓を作って、公爵領で埋葬する予定で進めていた。その最中にコンラッドを連れた女達がやってきてね。姉上と話して、コンラッドを私達の子にすることに決めたんだ。そして、この子は母上のお墓を掘り起こして、棺の中に入れたんだ。都合上お墓を作ってあげられず…。それでもせめて誰かのそばにいてほしくて…すまない、アマリア…本当にすまない…」
ヘンドリックの言葉を聞いて、ああ…そういうことだったのね…と妙に納得がいった。
「そうだったのね…私、眠っている間にお義父様やクリスティ様とお会いしたのよ。私達の子にも。あの子を誰が抱いていたと思う…?お義母様だったの。あの子が一番懐いていたのもきっとお義母様よ。あなたのお陰よ。少しも寂しそうじゃなかったもの」
うなだれているヘンドリックの背中をとんとんと叩き、もう一度大きく息を吸った。
「お義父様がね、あちらの世界の時間はこちらの時間よりもずっとゆっくりなんだって教えてくださったわ。だから、私達が急いであちらに行くよりも、今この世界でしなければならないことをきちんとしましょう、ヘンドリック」
「…アマリア…?」
「あなた、あのまま死んでしまうところだったでしょう?だめよ。私達は多くの人の人生を狂わせたのだから、その責任は負いましょう。まずはちゃんとこの子のお墓を立てて、弔ってあげましょう。そして、コンラッドのことも。あの子はもう公爵家には戻らないそうよ。商売のほうが性に合っていると言っているの。あの子がそう言うなら、私達はその背中を押して、支えないといけないでしょう」
「そうか…コンラッドとそんな話をしたんだね…。私のところにも来た気がするけれど、もう何も覚えていないな。後でソシュールにも聞いておくよ」
「公爵邸にも帰ってきて。執務を滞らせてはだめよ。公爵領のみんなにも迷惑がかかってしまうわ」
「本当に耳が痛いよ」
「そしてもうひとつだけ、私の願いを聞いてほしいの」
ヘンドリックがゆっくりと私に向き合い、口の端を少し上げた。
「離縁してほしいのかい?」
「いいえ、ここにあの子のお墓を立てるとき、その隣にアマリア・アルバートンのお墓も立ててほしいの」
心に決めていたことだとわかっていても、言葉にするときには声が震えた。ヘンドリックは驚いたように目を見開いている。
「私は…正直に言うと…あなたが隠していた事実を許せる覚悟はないの。アンドリューから全ての真相を聞いたわ。コンラッドにも同席してもらった。どういう経緯でコンラッドを妊娠して、生まれた後に引き取ることになったかも聞いた。でも、それを全て消化してもう一度やり直せると思えない」
「…そうか」
「あなただけを愛して、慕い続けたアマリアはもう存在しないの。でも、あの日、公爵家から新しい道を探そうと逃げた日、そして事故に遭うその瞬間まで、私はヘンドリックただ一人を愛していた。そして、アマリア・アルバートンはその日に死んだのよ。だから、ここに私はアマリア・アルバートンとしての自分を置いていくわ。でも、私達の子の弔いやコンラッドへの支援では協力しましょう。でも、それはもう夫婦としてではないわ。一人の人間として、向き合っていきましょう」
「君はいつも私の想像の上をいくね。そして、私を魅了し続けてきた。離縁を言い渡されるだろうと思って準備はしていたけれど、まさか墓を立てることをお願いされるなんてね」
ヘンドリックが意外なほどにすんなりと受け入れたことに今度は私が驚きを隠せなかった。
「あの日、君が刺されたとき、私達に言葉をかけてくれただろう。必死に、最後の言葉のつもりで言ったことを覚えているかい?あの時に言った中で、君の願いはただ一つだったよ。『あなたの妻になりたかった』とね。その時に、私は心に決めたんだ。君が目覚めたら、必ずその夢をかなえてあげようと。私は君の願いをかなえるためならなんでもできると、昔言っただろう?」
「…ありがとう、ヘンドリック」
少し離れたところに立っていたハンナが音もなく近づき、皮の箱を持ってきてくれた。
「それは?」
「これを私のお墓の棺の中に入れようと思っているの」
なんてことはないけれど、その箱には私の髪が収められていた。公爵家から出る前に侍女達に手伝ってもらい、肩口まで髪を切り落としてもらったものだ。
「髪は結って帽子の中に入っているのだと思っていたよ…こんなに美しい髪を…惜しげもなく切ってしまうなんてアマリアらしいね。いつもどこか肝が据わっているところはあったけれど」
ヘンドリックは驚きを隠さずに箱の中身を見ていた。そして、見慣れた柔和な笑みを浮かべると優しい声で続けた。
「アマリアの言う通りにしよう。元々この1年はアマリアは病気療養中ということになっていたから公爵夫人が亡くなったと言っても疑う人も少ないだろう。そして、辺境伯の再婚相手はとても病弱で王都に召喚するのは難しいと陛下には伝えておくよ。だから、王都の社交界のことは気にせずに辺境領で過ごすといい」
「ありがとう。いつでも私の望むこと以上のことをしてくれて」
微笑み合い、小さく頷くと、お義母様とお義父様とお義姉様のお墓にご挨拶をして、墓地を後にした。
私達はまた別々の馬車に乗り、公爵領のお屋敷に戻り、これからのことについて話し合うことにした。
私達には過去があり、それを受け入れる今があり、そして未来へつながっていく。ようやくその一歩を踏み出せた気がした。
公爵家で過ごすその間、スタンリール家から両親が来てくれた。ベッドの上ではあったけれど頭を下げて1年以上音信不通にしていた不孝を詫びた。父も母も涙を流して私を抱きしめてくれた。多くを語ることはなかったけれど、私の気持ちを黙って聞いてくれたことに心から感謝した。
そして、日を置いてエルザとロビン様が来訪した。二人はヘンドリックが公爵邸にいない理由を把握していただけに、複雑そうな表情を浮かべて私のそばまでやってきた。そっと私の手を取り、エルザは「おそばで奥様を支えられず申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しばらく話し込んだ後、二人は公爵邸を後にした。
私はハンナに言って、執事を呼んでもらい、外出の準備を進めるように告げた。
侍女達に出かける先を説明して、身支度を整え始めた。
馬車や荷物の準備ができたと報告がきて、すっと背筋を伸ばして部屋を後にした。
玄関で私を見送る侍女達や侍従や執事達に「大丈夫よ、心配しないで」と声をかけた。御者のダンカンから「また奥様をお送りできることを光栄に思います」と微笑まれ、私もそれを返した。
ハンナが同乗し、護衛に公爵家の騎士団から少数の騎士が馬車の後ろに控えていた。
馬車から屋敷の奥から見守ってくれていたエインズワースの騎士達に手を振っていると、馬車は静かに動き出した。
私の行く先がどの辺りであるのかは正確に聞かなかった。どこにたどり着くのか、なぜかそれを知っているような気がして、ただ馬車から見える景色を目で追っていた。
王都から半日ほどでその屋敷には着いた。見覚えのある建物にまさかと思ったけれど、馬車から下りてその庭を見た瞬間、走馬灯のように少女だった頃の自分を思い出していた。
なぜ首都での暮らしに疲れて療養に訪れたたった一度だけのこの思い出の地にヘンドリックがいるのかと頭で考えようとして、それを思い留まった。
そして、屋敷の入口で待っていた公爵家の執事長のソシュールに久しぶりに会い、微笑み合った。
ソシュールは慈愛に満ちた顔で何度か頷き、「旦那様の元へご案内致します」と短く言い、私を先導した。
このお屋敷に住まわれていた老夫婦はもうお亡くなりになったと風の噂で聞いていたけれど、その後ここがどうなったのか知らなかった。でも見る限り、手入れは行き届いていて、補修も十分にできているようだった。
階段を昇り、私がかつて滞在したときに使っていた部屋の前でソシュールは足を止めた。ノックをしたけれど、何の声も返ってこなかった。眉を下げたソシュールに小さく首を振り、ドアのノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開いた。
外は太陽がさんさんと降り注ぐ気持ちの良い日なのに、その部屋は薄いカーテンが閉められたまま、わずかな光だけが部屋の中に届いていた。
一歩踏み出し、薄暗い中で部屋の中央に置かれたソファの背もたれからヘンドリックのものと思われる黒髪が見え、そこに向かい歩みを進めたとき、思わず息をのんだ。
部屋の壁中に私の肖像画が飾ってあった。私が公爵家に嫁いでからのものもあったが、私がまだ10代前半の頃から家に招いて描いてもらっていたものまで全てが並んでいた。
それをゆっくりと眺めながらソファまで進み、そっと前に回った。ヘンドリックはワインを片手に持ち、焦点の合わない目で宙を眺めていた。私が現れたことにすら気づいていないようだった。
「ヘンドリック…?こんなところにいたのね…?」
声をかけると、ヘンドリックの目がゆらりと動き、漆黒の瞳が私の姿を映すと一瞬見開かれ、ふと笑った。
「今日のアマリアはまたとても美しいね。喪服のヴェールでその顔を隠していても、その美しさは隠しきれないんだね」
「ヘンドリック、ずっとここにいたの?あなたの顔色、とても悪いわ…」
「屋敷を出てからはずっとここにいたよ。アマリアがもうここまで来ることができるようになるなんてね。どれだけの時間が経ったんだろうか。ここにいるとずっと時は止まったままだったから」
「だめよ…ここにいてはだめ。ヘンドリック、私達行かなければならないところがあるでしょう?そして、そこはあなたしか知らないの」
「…どういうことだい…?」
「あの子の、私達の子のお墓に謝りに行かなければいけないでしょう?」
ヘンドリックの肩にそっと手を置くと、彼は片手で目元を覆い、肩を震わせた。
「あなたがあの子のためにお墓も何も準備しなかったとは思えないわ。だって、私達の子ですもの。きちんと二人で会いに行きましょう?」
彼の手からワイングラスを取り、テーブルに置くと、その手を引いてゆっくりと立ち上がらせた。そのまま足を進め、部屋から出ると扉で待っていたソシュールが涙ぐみながら私達をまた玄関ホールへと導いてくれた。
「奥様、少しだけお時間をください。旦那様の身支度を整えます。どうぞ奥の間でお休みください」
ソシュールがそう言ってくれたけれど、私は首を振り、思い出深い庭へ出ることにした。
私から少し離れたところにハンナが付き従ってくれていた。
一歩進めるごとにこの庭でピクニックをして、かわいいウサギと出会い、それに癒されていた日々が駆け巡った。
私はいつから、ヘンドリックに見守られ、愛されていたのか、きっともう言葉にはできないほどの想いが私の身には降り注いでいたのだろうと感じた。それをおくびにも出さずに、私を愛する旦那様を演じ、自分の裏切りを明かすことも、自分に嘘をつき続けることもできなくなってしまったかわいそうな人。
アマリアが愛した唯一の人。
さわさわと風が木々を揺らして音を奏でる。あの時の私はそれをただ心地よく感じるだけの無垢な少女だった。
黒いレースの手袋に包まれた指先をぐっと握りしめた。
「奥様、お仕度が整ったそうです」
ハンナから声をかけられ、ホールへ戻ると、ヘンドリックが同様に喪服に身を包みそこに立っていた。まだ顔色は悪かったけれど、危うい瞳の揺らぎはなくなっていた。
「公爵領へ向かう。少しかかるから、傷が痛んだり、どこか不調が出たらすぐに言ってほしい」
「ええ、約束するわ」
「じゃあ、行こう」
先導する馬車はヘンドリックとソシュールが乗り、その後ろに私とハンナの馬車が続くことにした。
公爵領までは馬車で2日ほどかかり、途中の街で宿を取り、別々の部屋で休み、無理のない移動で公爵領へと到着した。
公爵領に入るのは2年ぶり近く、とても懐かしい思いがした。
公爵邸の敷地に入ったけれど、屋敷には向かわず、馬車はそのまま公爵家の墓地へと進んでいった。
近くまで来ると馬車が止まり、私達は静かに下りて墓地へと向かった。
墓地には何度も足を運んだことはあったけれど、ここに我が子がいるとは想像もしていなかった。
ここには代々アルバートン公爵家の血筋の者達だけが埋葬されている。ヘンドリックが足を止めたのは、お義母様のお墓の前だった。
「私達の子は、産まれたときもう息をしていなかった。蘇生も何度も何度も繰り返したけれど助けることはできなかった。その後、アマリアが意識がなくなり、この子をどうしようかと散々悩んだよ。お墓を作って、公爵領で埋葬する予定で進めていた。その最中にコンラッドを連れた女達がやってきてね。姉上と話して、コンラッドを私達の子にすることに決めたんだ。そして、この子は母上のお墓を掘り起こして、棺の中に入れたんだ。都合上お墓を作ってあげられず…。それでもせめて誰かのそばにいてほしくて…すまない、アマリア…本当にすまない…」
ヘンドリックの言葉を聞いて、ああ…そういうことだったのね…と妙に納得がいった。
「そうだったのね…私、眠っている間にお義父様やクリスティ様とお会いしたのよ。私達の子にも。あの子を誰が抱いていたと思う…?お義母様だったの。あの子が一番懐いていたのもきっとお義母様よ。あなたのお陰よ。少しも寂しそうじゃなかったもの」
うなだれているヘンドリックの背中をとんとんと叩き、もう一度大きく息を吸った。
「お義父様がね、あちらの世界の時間はこちらの時間よりもずっとゆっくりなんだって教えてくださったわ。だから、私達が急いであちらに行くよりも、今この世界でしなければならないことをきちんとしましょう、ヘンドリック」
「…アマリア…?」
「あなた、あのまま死んでしまうところだったでしょう?だめよ。私達は多くの人の人生を狂わせたのだから、その責任は負いましょう。まずはちゃんとこの子のお墓を立てて、弔ってあげましょう。そして、コンラッドのことも。あの子はもう公爵家には戻らないそうよ。商売のほうが性に合っていると言っているの。あの子がそう言うなら、私達はその背中を押して、支えないといけないでしょう」
「そうか…コンラッドとそんな話をしたんだね…。私のところにも来た気がするけれど、もう何も覚えていないな。後でソシュールにも聞いておくよ」
「公爵邸にも帰ってきて。執務を滞らせてはだめよ。公爵領のみんなにも迷惑がかかってしまうわ」
「本当に耳が痛いよ」
「そしてもうひとつだけ、私の願いを聞いてほしいの」
ヘンドリックがゆっくりと私に向き合い、口の端を少し上げた。
「離縁してほしいのかい?」
「いいえ、ここにあの子のお墓を立てるとき、その隣にアマリア・アルバートンのお墓も立ててほしいの」
心に決めていたことだとわかっていても、言葉にするときには声が震えた。ヘンドリックは驚いたように目を見開いている。
「私は…正直に言うと…あなたが隠していた事実を許せる覚悟はないの。アンドリューから全ての真相を聞いたわ。コンラッドにも同席してもらった。どういう経緯でコンラッドを妊娠して、生まれた後に引き取ることになったかも聞いた。でも、それを全て消化してもう一度やり直せると思えない」
「…そうか」
「あなただけを愛して、慕い続けたアマリアはもう存在しないの。でも、あの日、公爵家から新しい道を探そうと逃げた日、そして事故に遭うその瞬間まで、私はヘンドリックただ一人を愛していた。そして、アマリア・アルバートンはその日に死んだのよ。だから、ここに私はアマリア・アルバートンとしての自分を置いていくわ。でも、私達の子の弔いやコンラッドへの支援では協力しましょう。でも、それはもう夫婦としてではないわ。一人の人間として、向き合っていきましょう」
「君はいつも私の想像の上をいくね。そして、私を魅了し続けてきた。離縁を言い渡されるだろうと思って準備はしていたけれど、まさか墓を立てることをお願いされるなんてね」
ヘンドリックが意外なほどにすんなりと受け入れたことに今度は私が驚きを隠せなかった。
「あの日、君が刺されたとき、私達に言葉をかけてくれただろう。必死に、最後の言葉のつもりで言ったことを覚えているかい?あの時に言った中で、君の願いはただ一つだったよ。『あなたの妻になりたかった』とね。その時に、私は心に決めたんだ。君が目覚めたら、必ずその夢をかなえてあげようと。私は君の願いをかなえるためならなんでもできると、昔言っただろう?」
「…ありがとう、ヘンドリック」
少し離れたところに立っていたハンナが音もなく近づき、皮の箱を持ってきてくれた。
「それは?」
「これを私のお墓の棺の中に入れようと思っているの」
なんてことはないけれど、その箱には私の髪が収められていた。公爵家から出る前に侍女達に手伝ってもらい、肩口まで髪を切り落としてもらったものだ。
「髪は結って帽子の中に入っているのだと思っていたよ…こんなに美しい髪を…惜しげもなく切ってしまうなんてアマリアらしいね。いつもどこか肝が据わっているところはあったけれど」
ヘンドリックは驚きを隠さずに箱の中身を見ていた。そして、見慣れた柔和な笑みを浮かべると優しい声で続けた。
「アマリアの言う通りにしよう。元々この1年はアマリアは病気療養中ということになっていたから公爵夫人が亡くなったと言っても疑う人も少ないだろう。そして、辺境伯の再婚相手はとても病弱で王都に召喚するのは難しいと陛下には伝えておくよ。だから、王都の社交界のことは気にせずに辺境領で過ごすといい」
「ありがとう。いつでも私の望むこと以上のことをしてくれて」
微笑み合い、小さく頷くと、お義母様とお義父様とお義姉様のお墓にご挨拶をして、墓地を後にした。
私達はまた別々の馬車に乗り、公爵領のお屋敷に戻り、これからのことについて話し合うことにした。
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