99 / 103
アマリア・アルバートン/フローラ・エインズワース
墓標
しおりを挟む
怪我が癒え、体を動かす訓練をして外出ができるようになるまで2か月程かかった。
公爵家で過ごすその間、スタンリール家から両親が来てくれた。ベッドの上ではあったけれど頭を下げて1年以上音信不通にしていた不孝を詫びた。父も母も涙を流して私を抱きしめてくれた。多くを語ることはなかったけれど、私の気持ちを黙って聞いてくれたことに心から感謝した。
そして、日を置いてエルザとロビン様が来訪した。二人はヘンドリックが公爵邸にいない理由を把握していただけに、複雑そうな表情を浮かべて私のそばまでやってきた。そっと私の手を取り、エルザは「おそばで奥様を支えられず申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しばらく話し込んだ後、二人は公爵邸を後にした。
私はハンナに言って、執事を呼んでもらい、外出の準備を進めるように告げた。
侍女達に出かける先を説明して、身支度を整え始めた。
馬車や荷物の準備ができたと報告がきて、すっと背筋を伸ばして部屋を後にした。
玄関で私を見送る侍女達や侍従や執事達に「大丈夫よ、心配しないで」と声をかけた。御者のダンカンから「また奥様をお送りできることを光栄に思います」と微笑まれ、私もそれを返した。
ハンナが同乗し、護衛に公爵家の騎士団から少数の騎士が馬車の後ろに控えていた。
馬車から屋敷の奥から見守ってくれていたエインズワースの騎士達に手を振っていると、馬車は静かに動き出した。
私の行く先がどの辺りであるのかは正確に聞かなかった。どこにたどり着くのか、なぜかそれを知っているような気がして、ただ馬車から見える景色を目で追っていた。
王都から半日ほどでその屋敷には着いた。見覚えのある建物にまさかと思ったけれど、馬車から下りてその庭を見た瞬間、走馬灯のように少女だった頃の自分を思い出していた。
なぜ首都での暮らしに疲れて療養に訪れたたった一度だけのこの思い出の地にヘンドリックがいるのかと頭で考えようとして、それを思い留まった。
そして、屋敷の入口で待っていた公爵家の執事長のソシュールに久しぶりに会い、微笑み合った。
ソシュールは慈愛に満ちた顔で何度か頷き、「旦那様の元へご案内致します」と短く言い、私を先導した。
このお屋敷に住まわれていた老夫婦はもうお亡くなりになったと風の噂で聞いていたけれど、その後ここがどうなったのか知らなかった。でも見る限り、手入れは行き届いていて、補修も十分にできているようだった。
階段を昇り、私がかつて滞在したときに使っていた部屋の前でソシュールは足を止めた。ノックをしたけれど、何の声も返ってこなかった。眉を下げたソシュールに小さく首を振り、ドアのノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開いた。
外は太陽がさんさんと降り注ぐ気持ちの良い日なのに、その部屋は薄いカーテンが閉められたまま、わずかな光だけが部屋の中に届いていた。
一歩踏み出し、薄暗い中で部屋の中央に置かれたソファの背もたれからヘンドリックのものと思われる黒髪が見え、そこに向かい歩みを進めたとき、思わず息をのんだ。
部屋の壁中に私の肖像画が飾ってあった。私が公爵家に嫁いでからのものもあったが、私がまだ10代前半の頃から家に招いて描いてもらっていたものまで全てが並んでいた。
それをゆっくりと眺めながらソファまで進み、そっと前に回った。ヘンドリックはワインを片手に持ち、焦点の合わない目で宙を眺めていた。私が現れたことにすら気づいていないようだった。
「ヘンドリック…?こんなところにいたのね…?」
声をかけると、ヘンドリックの目がゆらりと動き、漆黒の瞳が私の姿を映すと一瞬見開かれ、ふと笑った。
「今日のアマリアはまたとても美しいね。喪服のヴェールでその顔を隠していても、その美しさは隠しきれないんだね」
「ヘンドリック、ずっとここにいたの?あなたの顔色、とても悪いわ…」
「屋敷を出てからはずっとここにいたよ。アマリアがもうここまで来ることができるようになるなんてね。どれだけの時間が経ったんだろうか。ここにいるとずっと時は止まったままだったから」
「だめよ…ここにいてはだめ。ヘンドリック、私達行かなければならないところがあるでしょう?そして、そこはあなたしか知らないの」
「…どういうことだい…?」
「あの子の、私達の子のお墓に謝りに行かなければいけないでしょう?」
ヘンドリックの肩にそっと手を置くと、彼は片手で目元を覆い、肩を震わせた。
「あなたがあの子のためにお墓も何も準備しなかったとは思えないわ。だって、私達の子ですもの。きちんと二人で会いに行きましょう?」
彼の手からワイングラスを取り、テーブルに置くと、その手を引いてゆっくりと立ち上がらせた。そのまま足を進め、部屋から出ると扉で待っていたソシュールが涙ぐみながら私達をまた玄関ホールへと導いてくれた。
「奥様、少しだけお時間をください。旦那様の身支度を整えます。どうぞ奥の間でお休みください」
ソシュールがそう言ってくれたけれど、私は首を振り、思い出深い庭へ出ることにした。
私から少し離れたところにハンナが付き従ってくれていた。
一歩進めるごとにこの庭でピクニックをして、かわいいウサギと出会い、それに癒されていた日々が駆け巡った。
私はいつから、ヘンドリックに見守られ、愛されていたのか、きっともう言葉にはできないほどの想いが私の身には降り注いでいたのだろうと感じた。それをおくびにも出さずに、私を愛する旦那様を演じ、自分の裏切りを明かすことも、自分に嘘をつき続けることもできなくなってしまったかわいそうな人。
アマリアが愛した唯一の人。
さわさわと風が木々を揺らして音を奏でる。あの時の私はそれをただ心地よく感じるだけの無垢な少女だった。
黒いレースの手袋に包まれた指先をぐっと握りしめた。
「奥様、お仕度が整ったそうです」
ハンナから声をかけられ、ホールへ戻ると、ヘンドリックが同様に喪服に身を包みそこに立っていた。まだ顔色は悪かったけれど、危うい瞳の揺らぎはなくなっていた。
「公爵領へ向かう。少しかかるから、傷が痛んだり、どこか不調が出たらすぐに言ってほしい」
「ええ、約束するわ」
「じゃあ、行こう」
先導する馬車はヘンドリックとソシュールが乗り、その後ろに私とハンナの馬車が続くことにした。
公爵領までは馬車で2日ほどかかり、途中の街で宿を取り、別々の部屋で休み、無理のない移動で公爵領へと到着した。
公爵領に入るのは2年ぶり近く、とても懐かしい思いがした。
公爵邸の敷地に入ったけれど、屋敷には向かわず、馬車はそのまま公爵家の墓地へと進んでいった。
近くまで来ると馬車が止まり、私達は静かに下りて墓地へと向かった。
墓地には何度も足を運んだことはあったけれど、ここに我が子がいるとは想像もしていなかった。
ここには代々アルバートン公爵家の血筋の者達だけが埋葬されている。ヘンドリックが足を止めたのは、お義母様のお墓の前だった。
「私達の子は、産まれたときもう息をしていなかった。蘇生も何度も何度も繰り返したけれど助けることはできなかった。その後、アマリアが意識がなくなり、この子をどうしようかと散々悩んだよ。お墓を作って、公爵領で埋葬する予定で進めていた。その最中にコンラッドを連れた女達がやってきてね。姉上と話して、コンラッドを私達の子にすることに決めたんだ。そして、この子は母上のお墓を掘り起こして、棺の中に入れたんだ。都合上お墓を作ってあげられず…。それでもせめて誰かのそばにいてほしくて…すまない、アマリア…本当にすまない…」
ヘンドリックの言葉を聞いて、ああ…そういうことだったのね…と妙に納得がいった。
「そうだったのね…私、眠っている間にお義父様やクリスティ様とお会いしたのよ。私達の子にも。あの子を誰が抱いていたと思う…?お義母様だったの。あの子が一番懐いていたのもきっとお義母様よ。あなたのお陰よ。少しも寂しそうじゃなかったもの」
うなだれているヘンドリックの背中をとんとんと叩き、もう一度大きく息を吸った。
「お義父様がね、あちらの世界の時間はこちらの時間よりもずっとゆっくりなんだって教えてくださったわ。だから、私達が急いであちらに行くよりも、今この世界でしなければならないことをきちんとしましょう、ヘンドリック」
「…アマリア…?」
「あなた、あのまま死んでしまうところだったでしょう?だめよ。私達は多くの人の人生を狂わせたのだから、その責任は負いましょう。まずはちゃんとこの子のお墓を立てて、弔ってあげましょう。そして、コンラッドのことも。あの子はもう公爵家には戻らないそうよ。商売のほうが性に合っていると言っているの。あの子がそう言うなら、私達はその背中を押して、支えないといけないでしょう」
「そうか…コンラッドとそんな話をしたんだね…。私のところにも来た気がするけれど、もう何も覚えていないな。後でソシュールにも聞いておくよ」
「公爵邸にも帰ってきて。執務を滞らせてはだめよ。公爵領のみんなにも迷惑がかかってしまうわ」
「本当に耳が痛いよ」
「そしてもうひとつだけ、私の願いを聞いてほしいの」
ヘンドリックがゆっくりと私に向き合い、口の端を少し上げた。
「離縁してほしいのかい?」
「いいえ、ここにあの子のお墓を立てるとき、その隣にアマリア・アルバートンのお墓も立ててほしいの」
心に決めていたことだとわかっていても、言葉にするときには声が震えた。ヘンドリックは驚いたように目を見開いている。
「私は…正直に言うと…あなたが隠していた事実を許せる覚悟はないの。アンドリューから全ての真相を聞いたわ。コンラッドにも同席してもらった。どういう経緯でコンラッドを妊娠して、生まれた後に引き取ることになったかも聞いた。でも、それを全て消化してもう一度やり直せると思えない」
「…そうか」
「あなただけを愛して、慕い続けたアマリアはもう存在しないの。でも、あの日、公爵家から新しい道を探そうと逃げた日、そして事故に遭うその瞬間まで、私はヘンドリックただ一人を愛していた。そして、アマリア・アルバートンはその日に死んだのよ。だから、ここに私はアマリア・アルバートンとしての自分を置いていくわ。でも、私達の子の弔いやコンラッドへの支援では協力しましょう。でも、それはもう夫婦としてではないわ。一人の人間として、向き合っていきましょう」
「君はいつも私の想像の上をいくね。そして、私を魅了し続けてきた。離縁を言い渡されるだろうと思って準備はしていたけれど、まさか墓を立てることをお願いされるなんてね」
ヘンドリックが意外なほどにすんなりと受け入れたことに今度は私が驚きを隠せなかった。
「あの日、君が刺されたとき、私達に言葉をかけてくれただろう。必死に、最後の言葉のつもりで言ったことを覚えているかい?あの時に言った中で、君の願いはただ一つだったよ。『あなたの妻になりたかった』とね。その時に、私は心に決めたんだ。君が目覚めたら、必ずその夢をかなえてあげようと。私は君の願いをかなえるためならなんでもできると、昔言っただろう?」
「…ありがとう、ヘンドリック」
少し離れたところに立っていたハンナが音もなく近づき、皮の箱を持ってきてくれた。
「それは?」
「これを私のお墓の棺の中に入れようと思っているの」
なんてことはないけれど、その箱には私の髪が収められていた。公爵家から出る前に侍女達に手伝ってもらい、肩口まで髪を切り落としてもらったものだ。
「髪は結って帽子の中に入っているのだと思っていたよ…こんなに美しい髪を…惜しげもなく切ってしまうなんてアマリアらしいね。いつもどこか肝が据わっているところはあったけれど」
ヘンドリックは驚きを隠さずに箱の中身を見ていた。そして、見慣れた柔和な笑みを浮かべると優しい声で続けた。
「アマリアの言う通りにしよう。元々この1年はアマリアは病気療養中ということになっていたから公爵夫人が亡くなったと言っても疑う人も少ないだろう。そして、辺境伯の再婚相手はとても病弱で王都に召喚するのは難しいと陛下には伝えておくよ。だから、王都の社交界のことは気にせずに辺境領で過ごすといい」
「ありがとう。いつでも私の望むこと以上のことをしてくれて」
微笑み合い、小さく頷くと、お義母様とお義父様とお義姉様のお墓にご挨拶をして、墓地を後にした。
私達はまた別々の馬車に乗り、公爵領のお屋敷に戻り、これからのことについて話し合うことにした。
私達には過去があり、それを受け入れる今があり、そして未来へつながっていく。ようやくその一歩を踏み出せた気がした。
公爵家で過ごすその間、スタンリール家から両親が来てくれた。ベッドの上ではあったけれど頭を下げて1年以上音信不通にしていた不孝を詫びた。父も母も涙を流して私を抱きしめてくれた。多くを語ることはなかったけれど、私の気持ちを黙って聞いてくれたことに心から感謝した。
そして、日を置いてエルザとロビン様が来訪した。二人はヘンドリックが公爵邸にいない理由を把握していただけに、複雑そうな表情を浮かべて私のそばまでやってきた。そっと私の手を取り、エルザは「おそばで奥様を支えられず申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しばらく話し込んだ後、二人は公爵邸を後にした。
私はハンナに言って、執事を呼んでもらい、外出の準備を進めるように告げた。
侍女達に出かける先を説明して、身支度を整え始めた。
馬車や荷物の準備ができたと報告がきて、すっと背筋を伸ばして部屋を後にした。
玄関で私を見送る侍女達や侍従や執事達に「大丈夫よ、心配しないで」と声をかけた。御者のダンカンから「また奥様をお送りできることを光栄に思います」と微笑まれ、私もそれを返した。
ハンナが同乗し、護衛に公爵家の騎士団から少数の騎士が馬車の後ろに控えていた。
馬車から屋敷の奥から見守ってくれていたエインズワースの騎士達に手を振っていると、馬車は静かに動き出した。
私の行く先がどの辺りであるのかは正確に聞かなかった。どこにたどり着くのか、なぜかそれを知っているような気がして、ただ馬車から見える景色を目で追っていた。
王都から半日ほどでその屋敷には着いた。見覚えのある建物にまさかと思ったけれど、馬車から下りてその庭を見た瞬間、走馬灯のように少女だった頃の自分を思い出していた。
なぜ首都での暮らしに疲れて療養に訪れたたった一度だけのこの思い出の地にヘンドリックがいるのかと頭で考えようとして、それを思い留まった。
そして、屋敷の入口で待っていた公爵家の執事長のソシュールに久しぶりに会い、微笑み合った。
ソシュールは慈愛に満ちた顔で何度か頷き、「旦那様の元へご案内致します」と短く言い、私を先導した。
このお屋敷に住まわれていた老夫婦はもうお亡くなりになったと風の噂で聞いていたけれど、その後ここがどうなったのか知らなかった。でも見る限り、手入れは行き届いていて、補修も十分にできているようだった。
階段を昇り、私がかつて滞在したときに使っていた部屋の前でソシュールは足を止めた。ノックをしたけれど、何の声も返ってこなかった。眉を下げたソシュールに小さく首を振り、ドアのノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開いた。
外は太陽がさんさんと降り注ぐ気持ちの良い日なのに、その部屋は薄いカーテンが閉められたまま、わずかな光だけが部屋の中に届いていた。
一歩踏み出し、薄暗い中で部屋の中央に置かれたソファの背もたれからヘンドリックのものと思われる黒髪が見え、そこに向かい歩みを進めたとき、思わず息をのんだ。
部屋の壁中に私の肖像画が飾ってあった。私が公爵家に嫁いでからのものもあったが、私がまだ10代前半の頃から家に招いて描いてもらっていたものまで全てが並んでいた。
それをゆっくりと眺めながらソファまで進み、そっと前に回った。ヘンドリックはワインを片手に持ち、焦点の合わない目で宙を眺めていた。私が現れたことにすら気づいていないようだった。
「ヘンドリック…?こんなところにいたのね…?」
声をかけると、ヘンドリックの目がゆらりと動き、漆黒の瞳が私の姿を映すと一瞬見開かれ、ふと笑った。
「今日のアマリアはまたとても美しいね。喪服のヴェールでその顔を隠していても、その美しさは隠しきれないんだね」
「ヘンドリック、ずっとここにいたの?あなたの顔色、とても悪いわ…」
「屋敷を出てからはずっとここにいたよ。アマリアがもうここまで来ることができるようになるなんてね。どれだけの時間が経ったんだろうか。ここにいるとずっと時は止まったままだったから」
「だめよ…ここにいてはだめ。ヘンドリック、私達行かなければならないところがあるでしょう?そして、そこはあなたしか知らないの」
「…どういうことだい…?」
「あの子の、私達の子のお墓に謝りに行かなければいけないでしょう?」
ヘンドリックの肩にそっと手を置くと、彼は片手で目元を覆い、肩を震わせた。
「あなたがあの子のためにお墓も何も準備しなかったとは思えないわ。だって、私達の子ですもの。きちんと二人で会いに行きましょう?」
彼の手からワイングラスを取り、テーブルに置くと、その手を引いてゆっくりと立ち上がらせた。そのまま足を進め、部屋から出ると扉で待っていたソシュールが涙ぐみながら私達をまた玄関ホールへと導いてくれた。
「奥様、少しだけお時間をください。旦那様の身支度を整えます。どうぞ奥の間でお休みください」
ソシュールがそう言ってくれたけれど、私は首を振り、思い出深い庭へ出ることにした。
私から少し離れたところにハンナが付き従ってくれていた。
一歩進めるごとにこの庭でピクニックをして、かわいいウサギと出会い、それに癒されていた日々が駆け巡った。
私はいつから、ヘンドリックに見守られ、愛されていたのか、きっともう言葉にはできないほどの想いが私の身には降り注いでいたのだろうと感じた。それをおくびにも出さずに、私を愛する旦那様を演じ、自分の裏切りを明かすことも、自分に嘘をつき続けることもできなくなってしまったかわいそうな人。
アマリアが愛した唯一の人。
さわさわと風が木々を揺らして音を奏でる。あの時の私はそれをただ心地よく感じるだけの無垢な少女だった。
黒いレースの手袋に包まれた指先をぐっと握りしめた。
「奥様、お仕度が整ったそうです」
ハンナから声をかけられ、ホールへ戻ると、ヘンドリックが同様に喪服に身を包みそこに立っていた。まだ顔色は悪かったけれど、危うい瞳の揺らぎはなくなっていた。
「公爵領へ向かう。少しかかるから、傷が痛んだり、どこか不調が出たらすぐに言ってほしい」
「ええ、約束するわ」
「じゃあ、行こう」
先導する馬車はヘンドリックとソシュールが乗り、その後ろに私とハンナの馬車が続くことにした。
公爵領までは馬車で2日ほどかかり、途中の街で宿を取り、別々の部屋で休み、無理のない移動で公爵領へと到着した。
公爵領に入るのは2年ぶり近く、とても懐かしい思いがした。
公爵邸の敷地に入ったけれど、屋敷には向かわず、馬車はそのまま公爵家の墓地へと進んでいった。
近くまで来ると馬車が止まり、私達は静かに下りて墓地へと向かった。
墓地には何度も足を運んだことはあったけれど、ここに我が子がいるとは想像もしていなかった。
ここには代々アルバートン公爵家の血筋の者達だけが埋葬されている。ヘンドリックが足を止めたのは、お義母様のお墓の前だった。
「私達の子は、産まれたときもう息をしていなかった。蘇生も何度も何度も繰り返したけれど助けることはできなかった。その後、アマリアが意識がなくなり、この子をどうしようかと散々悩んだよ。お墓を作って、公爵領で埋葬する予定で進めていた。その最中にコンラッドを連れた女達がやってきてね。姉上と話して、コンラッドを私達の子にすることに決めたんだ。そして、この子は母上のお墓を掘り起こして、棺の中に入れたんだ。都合上お墓を作ってあげられず…。それでもせめて誰かのそばにいてほしくて…すまない、アマリア…本当にすまない…」
ヘンドリックの言葉を聞いて、ああ…そういうことだったのね…と妙に納得がいった。
「そうだったのね…私、眠っている間にお義父様やクリスティ様とお会いしたのよ。私達の子にも。あの子を誰が抱いていたと思う…?お義母様だったの。あの子が一番懐いていたのもきっとお義母様よ。あなたのお陰よ。少しも寂しそうじゃなかったもの」
うなだれているヘンドリックの背中をとんとんと叩き、もう一度大きく息を吸った。
「お義父様がね、あちらの世界の時間はこちらの時間よりもずっとゆっくりなんだって教えてくださったわ。だから、私達が急いであちらに行くよりも、今この世界でしなければならないことをきちんとしましょう、ヘンドリック」
「…アマリア…?」
「あなた、あのまま死んでしまうところだったでしょう?だめよ。私達は多くの人の人生を狂わせたのだから、その責任は負いましょう。まずはちゃんとこの子のお墓を立てて、弔ってあげましょう。そして、コンラッドのことも。あの子はもう公爵家には戻らないそうよ。商売のほうが性に合っていると言っているの。あの子がそう言うなら、私達はその背中を押して、支えないといけないでしょう」
「そうか…コンラッドとそんな話をしたんだね…。私のところにも来た気がするけれど、もう何も覚えていないな。後でソシュールにも聞いておくよ」
「公爵邸にも帰ってきて。執務を滞らせてはだめよ。公爵領のみんなにも迷惑がかかってしまうわ」
「本当に耳が痛いよ」
「そしてもうひとつだけ、私の願いを聞いてほしいの」
ヘンドリックがゆっくりと私に向き合い、口の端を少し上げた。
「離縁してほしいのかい?」
「いいえ、ここにあの子のお墓を立てるとき、その隣にアマリア・アルバートンのお墓も立ててほしいの」
心に決めていたことだとわかっていても、言葉にするときには声が震えた。ヘンドリックは驚いたように目を見開いている。
「私は…正直に言うと…あなたが隠していた事実を許せる覚悟はないの。アンドリューから全ての真相を聞いたわ。コンラッドにも同席してもらった。どういう経緯でコンラッドを妊娠して、生まれた後に引き取ることになったかも聞いた。でも、それを全て消化してもう一度やり直せると思えない」
「…そうか」
「あなただけを愛して、慕い続けたアマリアはもう存在しないの。でも、あの日、公爵家から新しい道を探そうと逃げた日、そして事故に遭うその瞬間まで、私はヘンドリックただ一人を愛していた。そして、アマリア・アルバートンはその日に死んだのよ。だから、ここに私はアマリア・アルバートンとしての自分を置いていくわ。でも、私達の子の弔いやコンラッドへの支援では協力しましょう。でも、それはもう夫婦としてではないわ。一人の人間として、向き合っていきましょう」
「君はいつも私の想像の上をいくね。そして、私を魅了し続けてきた。離縁を言い渡されるだろうと思って準備はしていたけれど、まさか墓を立てることをお願いされるなんてね」
ヘンドリックが意外なほどにすんなりと受け入れたことに今度は私が驚きを隠せなかった。
「あの日、君が刺されたとき、私達に言葉をかけてくれただろう。必死に、最後の言葉のつもりで言ったことを覚えているかい?あの時に言った中で、君の願いはただ一つだったよ。『あなたの妻になりたかった』とね。その時に、私は心に決めたんだ。君が目覚めたら、必ずその夢をかなえてあげようと。私は君の願いをかなえるためならなんでもできると、昔言っただろう?」
「…ありがとう、ヘンドリック」
少し離れたところに立っていたハンナが音もなく近づき、皮の箱を持ってきてくれた。
「それは?」
「これを私のお墓の棺の中に入れようと思っているの」
なんてことはないけれど、その箱には私の髪が収められていた。公爵家から出る前に侍女達に手伝ってもらい、肩口まで髪を切り落としてもらったものだ。
「髪は結って帽子の中に入っているのだと思っていたよ…こんなに美しい髪を…惜しげもなく切ってしまうなんてアマリアらしいね。いつもどこか肝が据わっているところはあったけれど」
ヘンドリックは驚きを隠さずに箱の中身を見ていた。そして、見慣れた柔和な笑みを浮かべると優しい声で続けた。
「アマリアの言う通りにしよう。元々この1年はアマリアは病気療養中ということになっていたから公爵夫人が亡くなったと言っても疑う人も少ないだろう。そして、辺境伯の再婚相手はとても病弱で王都に召喚するのは難しいと陛下には伝えておくよ。だから、王都の社交界のことは気にせずに辺境領で過ごすといい」
「ありがとう。いつでも私の望むこと以上のことをしてくれて」
微笑み合い、小さく頷くと、お義母様とお義父様とお義姉様のお墓にご挨拶をして、墓地を後にした。
私達はまた別々の馬車に乗り、公爵領のお屋敷に戻り、これからのことについて話し合うことにした。
私達には過去があり、それを受け入れる今があり、そして未来へつながっていく。ようやくその一歩を踏み出せた気がした。
2
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜
まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください!
題名の☆マークがえっちシーンありです。
王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。
しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。
肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。
彼はやっと理解した。
我慢した先に何もないことを。
ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。
小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【R18】軍人彼氏の秘密〜可愛い大型犬だと思っていた恋人は、獰猛な獣でした〜
レイラ
恋愛
王城で事務員として働くユフェは、軍部の精鋭、フレッドに大変懐かれている。今日も今日とて寝癖を直してやったり、ほつれた制服を修繕してやったり。こんなにも尻尾を振って追いかけてくるなんて、絶対私の事好きだよね?絆されるようにして付き合って知る、彼の本性とは…
◆ムーンライトノベルズにも投稿しています。
【R18/TL】息子の結婚相手がいやらしくてかわいい~義父からの求愛種付け脱出不可避~
宵蜜しずく
恋愛
今日は三回目の結婚記念日。
愛する夫から渡されたいやらしい下着を身に着け、
ホテルで待っていた主人公。
だが部屋に現れたのは、愛する夫ではなく彼の父親だった。
初めは困惑していた主人公も、
義父の献身的な愛撫で身も心も開放的になる……。
あまあまいちゃラブHへと変わり果てた二人の行く末とは……。
────────────
※成人女性向けの小説です。
この物語はフィクションです。
実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
拙い部分が多々ありますが、
フィクションとして楽しんでいただければ幸いです😊
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる