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アマリア・アルバートン/フローラ・エインズワース
ひとときの喜び
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私が目覚めた時、そばにはラウルとハンナがいた。二人とも目の下の隈がひどくて、思わず心配になってしまうほどだった。
ハンナが声を上げて部屋に次々と足音が近づいて来た。
「母上!」と真っ先に入って来たのは、コンラッドだった。
その後にセザールが入ってきて、公爵邸の侍女や執事が部屋の入口でそっと足を止めるのが見えた。
私の手を握りしめていたラウルはすっと立ち上がり、コンラッドに場所を明け渡してくれた。
私の顔を覗き込み唇を震わせ、大きな黒い瞳から涙が幾筋もこぼれた。
「申し訳…ありませんでした…俺のせいで…こんな…」
ベッドの端に突っ伏して謝り続けるコンラッドの頭にそっと手を乗せた。柔らかい黒髪はあの人譲りだと自然に笑みが漏れた。
「いいのよ…こうして…戻って来たから…それに…言ったでしょう?自分を責めないでって」
顔を上げたコンラッドは私の手を握り、体を震わせていた。
後ろからハンナがそっと声をかけた。
「皆さま、奥様の診察を致しますので一度お部屋を出られてください。まだお目覚めになったばかりですので、一度にたくさんの方と会ったり、長い間お話になるのはお体の負担になります」
「そうだな、フローラ。また来る。ゆっくり休め」
「母上、また参ります」
ラウルとセザールが私と見て頷き、大きな体を揺らして部屋を出た。
コンラッドも「俺も失礼します」と一度手をぎゅっと握りしめてからベッドのそばを離れて行った。
それと入れ違いに懐かしい侍医の顔を見て、ふと笑った。侍医は目が合うと目元をこすり、そっと私の脈を取り始めた。
「奥様…しばらくは安静になさってください。体を起こすこともまだ無理です。血を失い過ぎていますから。滋養のあるものをたくさん食べて、ゆっくりお休みになってください。私も含め、屋敷の者達が奥様の手足となりますから、どうか…どうか…ご自分を大切になさってください…」
最後の言葉がどんどん小さくなり侍医の目からも涙が流れ落ちた。
「私は、みんなを心配させてしまってばかりね。よかったら、ハンナも診てくださる?」
視線をやるとハンナが驚いた表情で私を見て、首を振った。
「奥様!私のことなどいいのです!」
「寝ていないのでしょう?」
侍医が立ち上がり、ベッドの横の椅子にハンナを座らせ静かに触診を始めた。ハンナはそれに従いながらぽつぽつと話し始めた。
「…奥様がお倒れになってしばらくはお体を動かすこともできないほどの状態でしたので、あの娼館で熱が下がるまでは侍医や私も滞在しておりました。幸いにもあそこは清潔に管理されていましたし、薬の手配にも困りませんでした。さすがに傷口を縫合したり、化膿しないように消毒する間は設備が足りるか心配でしたが、旦那様がありとあらゆる手を尽くしてくださいました。私は到着するのが遅れて、奥様の手当てのほとんどが終わった後に娼館に着いたんです」
「…ハンナはずっと奥様を探して馬を走らせていたんです」
「そうだったのね…私があのお屋敷から逃げ出したから…」
「奥様がいなくなられた日のことを思い出して…また奥様の身に何か起きたらと思うと、いてもらってもいられなくて」
「ごめんなさいね、ハンナ」
ハンナがきっと私を見て、肩を震わせて言った。
「私、もう絶対に奥様のそばを離れません!奥様がどれだけ嫌がられても絶対に離れたりしませんから!」
普段表情も変えずに淡々と全てをこなすハンナの年齢相応のような態度を見て、ふとおかしくて笑ってしまった。お腹に力が入ったせいか、痛みが走り、うめき声が漏れた。
「奥様!」
「ハンナも、もう部屋を出なさい。奥様にはお薬を飲んでいただいて少しお休みになってもらうから。その間は君も休むんだよ。奥様が目を覚まされたとき、君がそれ以上にやつれていたら奥様の心労が増えるだけなんだから」
「…はい」
侍医に少しきつくお灸をすえられ、ハンナはお水の準備を整えるとしずしずと部屋を出て行った。
それを見送って、侍医と目を合わせ微笑み合った。
「ここは公爵邸なのでしょう?ヘンドリックはどうしているの…?」
「旦那様は別のお屋敷にいらっしゃいます」
ああ、やはりそうだったのだと自分の予想が正しかったことにふとため息をついた。
「ラウル達をこのお屋敷に留める手配して、自分が出ていくなんて…あの人らしいわ…」
「左様ですね…。奥様、どうぞお薬をお飲みください。まだ今は何もお考えにならなくていいんです。私達にも奥様がお目覚めになられたことを心から喜ぶ時間をください」
侍医の優しい言葉にうなずき、彼に支えられながら薬をなんとか飲み込み、もう一度体を横たえた。
「どうぞ、ゆっくりお休みになってください」
「ええ…そうするわ…」
ほんの少し起きていただけなのに、瞼はもう閉じかけていた。考えなければならないことも、これから向き合わなくてはならないことも山積みになっているのはわかっているけれど、それは私がもう一度ここへ戻ってこれたからこそだと思えばなんでもなかった。愛しい人達にもう一度会えたのだから。
大きく息を吐きゆっくりと夢の中へと落ちて行った。もうそこにはお義母様も、お義父様も、お義姉様も、あの子もいなかった。
ハンナが声を上げて部屋に次々と足音が近づいて来た。
「母上!」と真っ先に入って来たのは、コンラッドだった。
その後にセザールが入ってきて、公爵邸の侍女や執事が部屋の入口でそっと足を止めるのが見えた。
私の手を握りしめていたラウルはすっと立ち上がり、コンラッドに場所を明け渡してくれた。
私の顔を覗き込み唇を震わせ、大きな黒い瞳から涙が幾筋もこぼれた。
「申し訳…ありませんでした…俺のせいで…こんな…」
ベッドの端に突っ伏して謝り続けるコンラッドの頭にそっと手を乗せた。柔らかい黒髪はあの人譲りだと自然に笑みが漏れた。
「いいのよ…こうして…戻って来たから…それに…言ったでしょう?自分を責めないでって」
顔を上げたコンラッドは私の手を握り、体を震わせていた。
後ろからハンナがそっと声をかけた。
「皆さま、奥様の診察を致しますので一度お部屋を出られてください。まだお目覚めになったばかりですので、一度にたくさんの方と会ったり、長い間お話になるのはお体の負担になります」
「そうだな、フローラ。また来る。ゆっくり休め」
「母上、また参ります」
ラウルとセザールが私と見て頷き、大きな体を揺らして部屋を出た。
コンラッドも「俺も失礼します」と一度手をぎゅっと握りしめてからベッドのそばを離れて行った。
それと入れ違いに懐かしい侍医の顔を見て、ふと笑った。侍医は目が合うと目元をこすり、そっと私の脈を取り始めた。
「奥様…しばらくは安静になさってください。体を起こすこともまだ無理です。血を失い過ぎていますから。滋養のあるものをたくさん食べて、ゆっくりお休みになってください。私も含め、屋敷の者達が奥様の手足となりますから、どうか…どうか…ご自分を大切になさってください…」
最後の言葉がどんどん小さくなり侍医の目からも涙が流れ落ちた。
「私は、みんなを心配させてしまってばかりね。よかったら、ハンナも診てくださる?」
視線をやるとハンナが驚いた表情で私を見て、首を振った。
「奥様!私のことなどいいのです!」
「寝ていないのでしょう?」
侍医が立ち上がり、ベッドの横の椅子にハンナを座らせ静かに触診を始めた。ハンナはそれに従いながらぽつぽつと話し始めた。
「…奥様がお倒れになってしばらくはお体を動かすこともできないほどの状態でしたので、あの娼館で熱が下がるまでは侍医や私も滞在しておりました。幸いにもあそこは清潔に管理されていましたし、薬の手配にも困りませんでした。さすがに傷口を縫合したり、化膿しないように消毒する間は設備が足りるか心配でしたが、旦那様がありとあらゆる手を尽くしてくださいました。私は到着するのが遅れて、奥様の手当てのほとんどが終わった後に娼館に着いたんです」
「…ハンナはずっと奥様を探して馬を走らせていたんです」
「そうだったのね…私があのお屋敷から逃げ出したから…」
「奥様がいなくなられた日のことを思い出して…また奥様の身に何か起きたらと思うと、いてもらってもいられなくて」
「ごめんなさいね、ハンナ」
ハンナがきっと私を見て、肩を震わせて言った。
「私、もう絶対に奥様のそばを離れません!奥様がどれだけ嫌がられても絶対に離れたりしませんから!」
普段表情も変えずに淡々と全てをこなすハンナの年齢相応のような態度を見て、ふとおかしくて笑ってしまった。お腹に力が入ったせいか、痛みが走り、うめき声が漏れた。
「奥様!」
「ハンナも、もう部屋を出なさい。奥様にはお薬を飲んでいただいて少しお休みになってもらうから。その間は君も休むんだよ。奥様が目を覚まされたとき、君がそれ以上にやつれていたら奥様の心労が増えるだけなんだから」
「…はい」
侍医に少しきつくお灸をすえられ、ハンナはお水の準備を整えるとしずしずと部屋を出て行った。
それを見送って、侍医と目を合わせ微笑み合った。
「ここは公爵邸なのでしょう?ヘンドリックはどうしているの…?」
「旦那様は別のお屋敷にいらっしゃいます」
ああ、やはりそうだったのだと自分の予想が正しかったことにふとため息をついた。
「ラウル達をこのお屋敷に留める手配して、自分が出ていくなんて…あの人らしいわ…」
「左様ですね…。奥様、どうぞお薬をお飲みください。まだ今は何もお考えにならなくていいんです。私達にも奥様がお目覚めになられたことを心から喜ぶ時間をください」
侍医の優しい言葉にうなずき、彼に支えられながら薬をなんとか飲み込み、もう一度体を横たえた。
「どうぞ、ゆっくりお休みになってください」
「ええ…そうするわ…」
ほんの少し起きていただけなのに、瞼はもう閉じかけていた。考えなければならないことも、これから向き合わなくてはならないことも山積みになっているのはわかっているけれど、それは私がもう一度ここへ戻ってこれたからこそだと思えばなんでもなかった。愛しい人達にもう一度会えたのだから。
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