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アマリア・アルバートン/フローラ・エインズワース
対峙
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王都の公爵邸の応接間は静まり返っていた。
普段決して表情や所作を乱すことのない公爵邸のメイドや侍従でさえ全員が顔をこわばらせ、微かに震えてさえいた。
応接間にお茶を運び、準備を整えた侍女は部屋を出るなり顔を真っ青にして駆け出したほどだった。
ヘンドリックが応接間で対面しているのは、ラウル・エインズワース辺境伯だった。ソファの後ろには補佐官のヴィクトルが控え、屋敷の外にはエインズワース領から連れてきた数名の騎士が控えていた。
笑顔を崩すことのないヴィクトルでさえ、この張り詰めた空間では真剣な表情でいるしかなかった。
ラウルが応接間に通されてからかなりの時間待たされ、ようやくヘンドリックがやってきたが、挨拶もなしに椅子に座り、そのまま互いに無言で向き合っていた。
部屋の隅に控える執事長やヴィクトルもその凍り付いた空気がいつ打開されるのか固唾をのんで見守っていた。
「用件を伺おうか、辺境伯」
膠着状態だった空気を破ったのはヘンドリックだった。ラウルは膝の上に置いていた拳をきつく握りしめた。
「辺境領にまで騎士団を派遣してくださったことに礼を申し上げる。だが、もう状況も落ち着き、騎士団の駐留は必要ない。帰還の指示を願いたい」
「あれは妻を預かっていた礼の代わりだ」
「騎士団で払ってもらうつもりはない」
「ならば金を払おう。言い値で構わない」
「金を受け取る気など毛頭ない」
「何を受け取ろうと、受け取るまいと、アマリアがおまえのところに戻ることはない」
冷静なやり取りを続けていた二人の間に亀裂が走った。ラウルは赤い瞳に炎をたぎらせ、ヘンドリックを睨みつけた。
「何も得られないなら、貰えるものは貰っておくのが賢い領主の在り方なのではないか、辺境伯」
「俺は小賢しい手を使うことは性分にない。正面突破しかできはしない。だからこうしてやってきた。公爵は彼女が自分の元を自分の意思で離れた理由がわかっているのだろう」
「…ほう…?」
正面を切って出された言葉にヘンドリックが僅かに反応したが、そこからまた長い沈黙が訪れた。
「公爵は彼女に離縁を切り出したそうじゃないか。それを彼女は受け入れたそうだな。ならばもう彼女は夫人でも何でもないはずだろう。彼女を自由にしてやれ」
だんっとヘンドリックがテーブルを蹴りつけた。
「知ったような口をきくな。おまえが私とアマリアの間に入れる隙など微塵もない。さっさと立ち去れ。こうして顔を合わせてやっただけでもありがたいと思うことだ」
「俺は決闘も辞さない覚悟で来た。だが、それは公爵家と彼女の名誉にも関わる。だから、まずは話し合うことを望んだまでだ。彼女がこれ以上傷つくことをお互い望んではいないはずだからな」
「おまえはアマリアが自分を選ぶと自惚れているようだが。記憶を失ってもアマリアの清廉な心は変わらない。アマリアは自分がどうすべきかということをよくよく自覚している。つまり、おまえの元に帰ることなどないということだ」
「貴様っ…フローラを脅したのか…」
ラウルが怒りに震え立ち上がるとヘンドリックもおもむろに腰を上げた。
「その名で呼ぶな。虫唾が走る。私の妻に手を出しておきながらその首がつながっていることを感謝しろ。おまえのことなど思い出す暇もないほど、アマリアは既に俺に抱かれた後だ」
「っっっ」
「閣下!落ち着いてくださいっ!」
ラウルが拳を振り上げようとするのを後ろからヴィクトルが制した。それとほぼ同時に応接間の扉がノックされた。執事長がそれに応対し、何かやり取りをした後足早にヘンドリックの元へとやって来た。ヘンドリックに耳打ちすると、落ち着き払っていたヘンドリックの表情が一変し、一言も発することなく応接間を出て行った。
「へっ…?」
ヴィクトルが間の抜けた声を出すと、執事長が向き直り深く頭を下げた。
「大変申し訳ございませんが、今日のところはお帰りください。これ以上、旦那様がお会いすることはないかと存じます」
「え?あんな状態で終わるってことっすか…?一体何が」
執事長は目を落としたまま応えなかった。
ラウルはヴィクトルに目で合図をして応接間を出た。外に控えていた騎士達を馬に跨り、門の外へ出てしばらく走った時、前方からアンドリューが馬に乗ってやってくるところだった。
その表情が険しく、かなり急いでいるとわかり、一同に緊張が走った。
「閣下!大変です!屋敷は特定できましたが、私が着いた時には既に奥様は連れ出された後でした!」
「何?!公爵が別の場所へ移したのか?!」
「いえ、公爵も知らなかったようです。恐らく、コンラッド様が誘拐したのだろうとみています」
「コンラッド?誰だそれは」
「公爵家の唯一のご子息です」
「?!!」
突然の告白にラウルはもちろんだが、ヴィクトルも騎士達も驚きを隠せなかった。
「フローラには息子がいたのか…?なぜそれを隠していた。おまえはなぜ言わなかった」
ラウルが詰め寄ると、アンドリューは奥歯を噛みしめた。
「これ以上は私の口からは言えません。公爵家を離れたとはいえ、私は私の主の言葉に従い生きるしかないのです。私を信用できないかもしれません。ですが、その嫌疑への罰なり、断罪なりは奥様を見つけた後になんでもお受けします。このままでは、奥様が危険です」
「…息子はフローラの味方ではないのだな」
ラウルの質問にアンドリューはゆっくりと頷いた。ラウルは手綱を握る手に力を込め、大きく息を吐いた。
「俺達は王都には特に疎い。公爵家の情報に長けているおまえなしではフローラを救い出すことにも相当の時間を要するだろう。とにかく、今フローラが公爵の手のうちにないなら、公爵が見つけ出す前にこちらが取り返すまでだ。急ぐぞ」
ラウルの言葉に全員が力強く頷き馬を走らせた。ラウルが僅かに顔をしかめ、右手で左腕を何度か打ち付けているのを後ろに続いていたヴィクトルだけが気づいていた。
普段決して表情や所作を乱すことのない公爵邸のメイドや侍従でさえ全員が顔をこわばらせ、微かに震えてさえいた。
応接間にお茶を運び、準備を整えた侍女は部屋を出るなり顔を真っ青にして駆け出したほどだった。
ヘンドリックが応接間で対面しているのは、ラウル・エインズワース辺境伯だった。ソファの後ろには補佐官のヴィクトルが控え、屋敷の外にはエインズワース領から連れてきた数名の騎士が控えていた。
笑顔を崩すことのないヴィクトルでさえ、この張り詰めた空間では真剣な表情でいるしかなかった。
ラウルが応接間に通されてからかなりの時間待たされ、ようやくヘンドリックがやってきたが、挨拶もなしに椅子に座り、そのまま互いに無言で向き合っていた。
部屋の隅に控える執事長やヴィクトルもその凍り付いた空気がいつ打開されるのか固唾をのんで見守っていた。
「用件を伺おうか、辺境伯」
膠着状態だった空気を破ったのはヘンドリックだった。ラウルは膝の上に置いていた拳をきつく握りしめた。
「辺境領にまで騎士団を派遣してくださったことに礼を申し上げる。だが、もう状況も落ち着き、騎士団の駐留は必要ない。帰還の指示を願いたい」
「あれは妻を預かっていた礼の代わりだ」
「騎士団で払ってもらうつもりはない」
「ならば金を払おう。言い値で構わない」
「金を受け取る気など毛頭ない」
「何を受け取ろうと、受け取るまいと、アマリアがおまえのところに戻ることはない」
冷静なやり取りを続けていた二人の間に亀裂が走った。ラウルは赤い瞳に炎をたぎらせ、ヘンドリックを睨みつけた。
「何も得られないなら、貰えるものは貰っておくのが賢い領主の在り方なのではないか、辺境伯」
「俺は小賢しい手を使うことは性分にない。正面突破しかできはしない。だからこうしてやってきた。公爵は彼女が自分の元を自分の意思で離れた理由がわかっているのだろう」
「…ほう…?」
正面を切って出された言葉にヘンドリックが僅かに反応したが、そこからまた長い沈黙が訪れた。
「公爵は彼女に離縁を切り出したそうじゃないか。それを彼女は受け入れたそうだな。ならばもう彼女は夫人でも何でもないはずだろう。彼女を自由にしてやれ」
だんっとヘンドリックがテーブルを蹴りつけた。
「知ったような口をきくな。おまえが私とアマリアの間に入れる隙など微塵もない。さっさと立ち去れ。こうして顔を合わせてやっただけでもありがたいと思うことだ」
「俺は決闘も辞さない覚悟で来た。だが、それは公爵家と彼女の名誉にも関わる。だから、まずは話し合うことを望んだまでだ。彼女がこれ以上傷つくことをお互い望んではいないはずだからな」
「おまえはアマリアが自分を選ぶと自惚れているようだが。記憶を失ってもアマリアの清廉な心は変わらない。アマリアは自分がどうすべきかということをよくよく自覚している。つまり、おまえの元に帰ることなどないということだ」
「貴様っ…フローラを脅したのか…」
ラウルが怒りに震え立ち上がるとヘンドリックもおもむろに腰を上げた。
「その名で呼ぶな。虫唾が走る。私の妻に手を出しておきながらその首がつながっていることを感謝しろ。おまえのことなど思い出す暇もないほど、アマリアは既に俺に抱かれた後だ」
「っっっ」
「閣下!落ち着いてくださいっ!」
ラウルが拳を振り上げようとするのを後ろからヴィクトルが制した。それとほぼ同時に応接間の扉がノックされた。執事長がそれに応対し、何かやり取りをした後足早にヘンドリックの元へとやって来た。ヘンドリックに耳打ちすると、落ち着き払っていたヘンドリックの表情が一変し、一言も発することなく応接間を出て行った。
「へっ…?」
ヴィクトルが間の抜けた声を出すと、執事長が向き直り深く頭を下げた。
「大変申し訳ございませんが、今日のところはお帰りください。これ以上、旦那様がお会いすることはないかと存じます」
「え?あんな状態で終わるってことっすか…?一体何が」
執事長は目を落としたまま応えなかった。
ラウルはヴィクトルに目で合図をして応接間を出た。外に控えていた騎士達を馬に跨り、門の外へ出てしばらく走った時、前方からアンドリューが馬に乗ってやってくるところだった。
その表情が険しく、かなり急いでいるとわかり、一同に緊張が走った。
「閣下!大変です!屋敷は特定できましたが、私が着いた時には既に奥様は連れ出された後でした!」
「何?!公爵が別の場所へ移したのか?!」
「いえ、公爵も知らなかったようです。恐らく、コンラッド様が誘拐したのだろうとみています」
「コンラッド?誰だそれは」
「公爵家の唯一のご子息です」
「?!!」
突然の告白にラウルはもちろんだが、ヴィクトルも騎士達も驚きを隠せなかった。
「フローラには息子がいたのか…?なぜそれを隠していた。おまえはなぜ言わなかった」
ラウルが詰め寄ると、アンドリューは奥歯を噛みしめた。
「これ以上は私の口からは言えません。公爵家を離れたとはいえ、私は私の主の言葉に従い生きるしかないのです。私を信用できないかもしれません。ですが、その嫌疑への罰なり、断罪なりは奥様を見つけた後になんでもお受けします。このままでは、奥様が危険です」
「…息子はフローラの味方ではないのだな」
ラウルの質問にアンドリューはゆっくりと頷いた。ラウルは手綱を握る手に力を込め、大きく息を吐いた。
「俺達は王都には特に疎い。公爵家の情報に長けているおまえなしではフローラを救い出すことにも相当の時間を要するだろう。とにかく、今フローラが公爵の手のうちにないなら、公爵が見つけ出す前にこちらが取り返すまでだ。急ぐぞ」
ラウルの言葉に全員が力強く頷き馬を走らせた。ラウルが僅かに顔をしかめ、右手で左腕を何度か打ち付けているのを後ろに続いていたヴィクトルだけが気づいていた。
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