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エインズワース辺境伯

奪われた花嫁

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ラウルがいる東の砦に早馬が来たのは、アルバートン公爵の突然の訪問の翌日のことだった。

しかし、ラウルが城に戻ることはなかった。



ラウルはマルク国の傭兵との戦いにいつものように指揮を執り、状況を見ては自ら前線に出ることもあった。しかし、傭兵部隊は攻めては逃げ、攻めては逃げの戦略を取り、長期戦に持ち込もうとしていたためにラウルはただ叩き潰すという戦法ではどうにもならないと踏み、戦略を練り直した。

執拗に攻撃を仕掛けるくせにこちらが出ていくと森へと逃げる。この辺りの地は熟知しているが、このような戦法をとるからには森に仕掛けられた罠があるだろうと見越して、ラウルは騎士や兵達に深追いをすることを禁じた。

果敢に敵と戦うことと命を粗末にすることは全く別物だと説いた。



しかし、ある合戦の日にひとつの部隊が騎兵隊に追い回され、森の中へと追いやられる事態が起きた。誰も見捨てないことが信条のエインズワース騎士団は当然のようにその部隊の救出に向かった。ラウルも同様に森の入口付近まで進んだとき、四方から矢が降り注いだ。

敵は木の上に弓部隊を置いていた。すぐに馬を向き直らせ移動しながら剣で弓を切り落としていたが、矢のひとつが兜と鎧の隙間が空いていた首筋をかすめ、傷に深さはなかったものの大量に出血してしまった。

敵の目的はラウルをおびき寄せることだった。ラウルは自身の失態に気づき、また周りの騎兵に守られながら陣まで戻る他なかった。すぐに手当てを受け、命に別状はなかったものの、予断は許さなかった。

それでも敵味方に自分の負傷が知られることはどちらの戦意にも大きく影響すると理解していたラウルは、翌日も馬に乗り、後方から指示を出し続けた。

敵はラウルが平然と戦場に戻ったことに気をそがれたのか、勢いは失われたが依然決め手にかける状況だった。

それでも、セザールと西にいた部隊が合流し、数が圧倒的優勢になった時点で戦法を変え、傭兵部隊を殲滅することに成功した。

東の砦に戻り、本格的な治療に入ったとき、ラウルの意識は途切れ途切れだった。

セザールからも部隊長らからもフローラを呼び寄せることを言われたが、フローラに余計な心配をかけたくないと断った。ラウルは高熱を出し、そのまま数日朦朧としていた。

そして、意識をはっきりと取り戻した朝、ベッドの横にセザールが立っているのに気づき声をかけた。



「何日経った。状況はどうなっている」



「ここはもう大丈夫です。偵察部隊がくまなく森の中も、周りの村も確認してきました」



「そうか。城に戻れるな。すまんな、肝心なときにこんなザマで」



「父上、俺達の城は今、アルバートン公爵の騎士が守っているそうです」



「アルバートン公爵…?」



ラウルは聞きなれない名前を不審に思いながらも、記憶の中で数年前に行った宮中晩餐会でその名前を聞いた覚えがあった。



「王都の公爵家がなぜわざわざ」



ラウルは自分の言葉の途中でセザールの真剣な表情に気づき、重い体を起こそうとした。



「まさか」



「…はい、母上はアルバートン公爵の奥様だったそうです。2日前に公爵家の騎士団を引き連れてやってきて、母上を見つけるとそのまま馬車に押し込めて帰ったそうです」



「フローラを奪われたというのか」



声を荒げたつもりだったが出たのは弱々しい掠れた声だけだった。それが今の自分なのだと思い知らされるようでラウルは拳を握りしめた。



「未だに恐怖で乗れない馬車に押し込めたというのか…公爵は」



「薬で眠らせたそうです」



淡々とした物言いにラウルは信じられないとセザールを見た。ラウルは知っていた。セザールがこのまなざしをするときは心底憤りを感じているときだけだと。以前、捕虜になった騎士団の兵士達を交渉後に迎えに行ったときに拷問を受けた後だとわかったとき、セザールは同じまなざしになり、それから数か月後にはその部隊を殲滅しに行ったほどだった。



「あの時、俺が父上の指示に従わずに母上をこの砦に呼び寄せていれば、公爵家とはすれ違いになって奪われることは避けられたかもしれないのに…申し訳ありません、父上」



セザールは両膝をついてラウルに謝罪した。ラウルはどうにか姿勢を起こし、クッションに上半身を寄りかからせると首を振った。



「おまえのせいではない。問題はそこにはない。フローラはフローラのままだ。記憶を失ったまま公爵家に連れ帰られても両者共に戸惑うだけだろう。交渉できる余地はあるはずだ」



ラウルはかつての記憶の中でアルバートン公爵が王都でも非常に人気があり、その美貌でも名を馳せていたことを思い出していた。大抵の貴族は正妻の他にも何人も妾を持ち、それをステータスとするほどだ。今回は体裁のために来たのかもしれない。もし、以前の予想通りフローラが公爵家でつらい状況にあり逃げ出したのならば、公爵家としても正式な手続きを経て離縁に応じるかもしれないとラウルは考えていた。



その時、ラウルは寝室でひとつの影が動いたことに気づいた。傍らに置かれた短剣を手に取ろうとしたが、セザールが少しも動かなかったことに気づき、目を凝らしてその存在を見た。

ゆっくりと歩み寄ってきたのはトーリだった。以前、城や村の娼館で見かけたような軽装ではなく、マントを羽織り、ブーツを履き、腰にも帯剣しているのがわかった。



「おまえは」



「この村ではトーリと名乗っていました。私は元々公爵家にお仕えしていた者です。アンドリューと申します」



その告白にラウルは耳を疑った。



「ならばおまえは最初からフローラが誰かわかっていたのか」



「おっしゃる通りです。フローラ様は、公爵家の奥様であり、スタンリール侯爵家の一人娘、アマリア様でいらっしゃいます」



「…なぜ、すぐに言わなかった」



「奥様が記憶を失われているのが本当のことか、演技かを知りたいと思いました。そして、演技ではないとわかったので、見守ることに決めたまでです。私は奥様の幸せを守るためにここで暮らしていたのです。公爵家の方針とは異なるので、もう私は公爵家所属ではありませんが」



「公爵家の方針だと…?」



「はい。公爵家に連れ戻された今となっては、奥様はもう二度と閣下にお会いすることはできないでしょう。王都に行かれても、公爵家を訪ねても、もうどこにも奥様はいらっしゃらないとお思いになったほうがよろしいかと…」



「どういうことだ」



「アルバートン公爵様は、奥様を深く…深く愛しておられました。そして、奥様が自分の元を離れられてからはもはや狂気と化し、ついにこの辺境の地までたどり着いたのです。もう二度と奥様は屋敷の外にさえ出ることはできないでしょう」



その言葉にラウルだけではなく、セザールもうなだれていた顔を上げた。



「父上、トーリは公爵家がここに近づいていることに気づいて母上だけを逃がそうとしたそうです」



「気づくのが遅すぎました。私が確認のためにここから通る主要な道や抜け道にさえ、公爵家の手の者がいました。もうここからどこに逃げようもありませんでした。最後の逃げ道であるマルク国に出ようとしたら、この襲撃に遭いました」



「今回のことが仕組まれたものだったというのか」



「そこまではわかりません。公爵家を出てからは、公爵家の動向を知る手段が限られてしまったので」



「そうか。その話は後でしっかり確認する。今はフローラを救出する方法を考えなければならない」



「私はこのまま王都へ移動します。奥様がどこにいるのか、そこからまず探らなければならないので…。恐らく旦那様は別邸を設けて奥様をそこに。敵は閣下だけではありませんので」



「どういうことだ?」



「申し訳ありませんが、この先は私から話すことはできません。ですが、私は奥様の幸せだけを見守るよう指示を受けています。奥様が望まないのであれば、お救いしなければなりません。この命をかけても」



「おまえが命をかける必要はない。その役目は俺にある」



「ならば、まず一刻も早くお体を万全な状態にしてください。城はもはや公爵家の騎士団に包囲されたも同然です。閣下が城にいなかったのは不幸中の幸いだったかもしれません。城にいたら、包囲されたまま身動きも取れなかったでしょう。砦で療養しているとしながら、次の動きを決めてください。奥様の居場所がわかり次第お伝えします」



「セザール」



「わかってます。俺だってすぐに動くつもりでいました。父上が今朝目覚めなければもう勝手に行くつもりでしたよ」



セザールが立ち上がり、ラウルのそばまで行くと力強くラウルの手を握りしめた。



「父上の今すぐ駆け付けたい気持ちはわかっています。母上のことを自分で救出されたいのもわかってます。でも、どうか今は堪えてください。俺も全力を尽くします」



「頼むぞ、セザール。俺もすぐに向かう」



「はい、お待ちしています」



セザールはしっかりとラウルの目を見つめ、手を離すとアンドリューと二人で部屋を出て行った。

ラウルは今起きた出来事の衝撃をなんとか消化しながら、フローラの無事を願い続けた。

多くの血を失ったせいで体を少し動かすだけで頭に激痛が走り、まるで自分の体とは思えないほどに手足の感覚も鈍くなっていた。

それでもセザール達と入れ替わりで入って来た侍従に隊長らを呼び寄せるように指示し、現在の状況を把握すると的確に指示を出していった。



「フローラ、必ず取り戻す。どうか、待っていてくれ」
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