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エインズワース辺境伯

強き獅子

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ラウルとフローラの正式な婚姻は、婚礼準備やフローラの貴族位を得る手続きを考慮して約一年先となった。

しかし、居室も移り、フローラが大公妃殿下の地位につくことは明白であり、ラウルの寵愛、家臣や領民からの信頼もあり、なんの支障もなかった。

フローラは極端な生活の変化を望まず、変わらずに救護室で勤務しつつ、女主人としての役割をラウルや家臣の妻たちから学ぶ日々を過ごしていた。

やがて冬が本格的に到来し、エインズワースの土地は完全に雪で閉ざされた。この時期は外に出る楽しみこそ奪われるが、大きな戦争を仕掛けられることも滅多になく、飢えに苦しんで略奪行為を行う賊の取り締まりなどに注力できるため、比較的城内も穏やかだった。



フローラは自分に与えられた落ち着いた美しさのある居室で侍女たちが勧めてきた本を開いていた。

暖炉の火が与える心地よい温かさの中で、ソファに腰掛け、テーブルの上に置かれた本に目をやった。



「フローラ様!こちらのマルヴィナ・バローという作家の作品はどれも素晴らしいんです!胸を躍らせる恋愛物語ばかりで、私達が持っている全ての本です。どうぞ一度お読みになってください。雪に閉ざされてしまった今、娯楽は本を読んだり、音楽を演奏したり、踊ったりすることくらいしかありませんから」



そう侍女達が笑顔で5冊ほどの本を持ってきてくれたため、むげにもできずに借りたが、フローラはその美しい恋愛話にすっかり夢中になってしまった。



「この『黒薔薇と王子』は確か、メアリーのお気に入りと言っていたわね。明日にでもみんなと話してみたいわ…」



豊かとはいえないエインズワースの地とは全く異なる王都での貴族達の恋愛物語を想像しては、ふふふと笑顔になった。

しかし、突然、フローラの脳裏に鮮明な王宮の光景が浮かび上がった。それは、本の挿絵ではなく、一瞬ではあったが、あまりにもはっきりとしたものだったので、フローラは呼吸を止めてしまうほどだった。

その時、扉がノックされ、フローラは呼吸を再開し、大きく息を吐いて返事をした。



「フローラ様、湯あみの支度が整いました」



「ええ、すぐに行くわ」



フローラが本をテーブルに置き、歩き出したときにはその情景は消え去ってしまい、思い出そうとしても再び現れることはなかった。



フローラが湯あみを終え、夜着になり再び居室に戻ってくると侍女のカロルが温かい紅茶を淹れフローラの前に置いた。



「もう『黒薔薇と王子』をお読みになったんですか?フローラ様は本をお読みになるのがとても速いのですね。私など、文字を追うのも精一杯で一晩でもなかなか読み進められませんのに」



「とてもおもしろくて、つい読み込んでしまったの」



「そうですよね、ここでは舞踏会も盛大な夜会もございませんもの。物語でくらい、夢を見たいです」



「明日はメアリーとこの本の話をしたいわね」



「メアリーとこの本の話になったら、何時間でも語ってしまいますよ?」



「ふふっ。いいの。みんなで繕い物をしながら語りましょう?そういえば、カロルのお気に入りはどれなの?」



「きゃっ。よろしいのですか?私は、実はこちらの『強き獅子と赤い薔薇』が一番好きなんです。これは実は大公様のお噂を耳にしたマルヴィナ・バローが書いたものと言われているんです」



「ラウルのこと?」



「はい、大公様は初陣でありながら大変ご活躍なされて、マルク国国境付近の膠着状態を一気にあちらに押し戻すことができたのです。そのお陰で、この近隣の村々も襲撃の恐怖から解放されて、安心して暮らせるようになったんですよ」



「まぁ、そんなことがあったのね」



「はい、それも20年ほど前のことになりますが、勇敢に戦われた大公様のことをずっとみなは尊敬しております」



「そう、じゃあ、この強き獅子というのが、ラウルなのかしら」



「さようでございます。あ、でも、獅子というイメージが一人歩きしているところもありますよね」



「まぁ、でもたしかにラウルの体の大きさを考えると私も熊のほうがあっているような気がするわ」



「きゃー、そんなことをおっしゃることができるのはフローラ様だけですわ」



とりとめもない話をして、カロルが退出すると、フローラはカロルの勧めた本を手に取った。

1ページ、また1ページと読み進め、その夜は更けていった。





ラウルが執務を終えられたのは深夜になってからだった。身支度を整えて居室に入ると、いつもなら寝台で横になっているはずのフローラがいないことに気づいた。

続き扉から漏れる灯りから、フローラがまだ起きているのだと思い、その扉を開けた。フローラは暖炉の前のソファに座りこちらに背を向けたままじっとしていた。

眠っているのかもしれないと音を立てずに近づき、フローラの様子を見ようとソファのそばまで来ると、ラウルは動きを止めた。



フローラが前を見たまま、静かに涙をこぼし続けていた。

ラウルは慌ててソファに座るフローラを抱きあげるようにして包み込んだ。その拍子に膝に乗せていた本が滑り落ちた。



「ラウル…?」



「どうした、何があった」



「え?」



「なぜ、泣いていたんだ」



「わからないの…本を読んでいたら…とても素敵なお話だったのに…とても悲しくなって…胸が苦しくて…」



「本…?」



ラウルはフローラを抱きしめたまま、床に転がった一冊の本を見つけ、その表紙に『強き獅子と赤い薔薇』の文字を見つけると苦虫を食い潰したような表情になった。



「この城にまだこんな本が残っていたとはな」



「えっ?あなたが描かれているんですもの、みな読みたいに決まっています」



「俺がこんな優男だと思うのか?」



フローラはラウルが挿絵のことを言っているのだと思いいたって笑みを漏らした。その様子にラウルは小さく息を吐き、まだ頬に残る涙のあとを優しく指先で拭った。



「俺がこんな男のほうがよかったか?」



「いいえ、ラウルはラウルもままがいいですわ」



「そうか。こんな熊のような男が好きだとは、そなたも変わった趣味だな」



「ふふふっ。こんなに大きな体に包まれて過ごすのを覚えてしまっては、もう一人ではいられませんもの」



「そうか。奇遇だな、俺もだ」



ラウルはフローラを横抱きにして、自分の居室へと戻った。寝台まで運ぶとゆっくりと横たわらせ、自分もその隣に寝そべった。

肘をついて、フローラの顔をのぞきこみ、手を優しく取るとそっと口づけた。



「本当にどこも調子が悪いところはないのか。このところずっと忙しくしているだろう」



「大丈夫です。執務を覚えるために救護室でのお仕事も減っていますし」



「そうか。ならばいいが。無理はするな。倒れては一大事だ」



「ありがとうございます。ちゃんとその時は言いますわ」



ラウルは口の端だけを少し上げると、フローラの頭の下に腕を差し込んで体ごと抱き寄せると掛布をかぶせてやり、額に口づけを落とした。



「ゆっくり休め、フローラ」



「ええ、おやすみなさい、ラウル」



しばらくするとフローラの規則正しい寝息が聞こえてきて、ラウルは安堵の息をついた。

フローラの様子に困惑したものの、大事には至らなかったようだと思えた。…そう思いたかった。

フローラの記憶に関する何かが起きたのではないかと、去来する不安を抱えながら、フローラの体をより一層抱きしめた。そうしてフローラをきつく抱きしめたまま一睡もすることなく朝を迎えた。
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