どこまでも続く執着 〜私を愛してくれたのは誰?〜

あさひれい

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エインズワース辺境伯

祝福された日

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セザールが帰ってきてから城はいつにもましてにぎやかだった。

南部の砦から道中の安全を確認しながら帰って来たため、報告も多くあったが、それも一段落すると、セザールは騎士達と共に訓練を受けたり、ラウルの執務室で様々な事案の判断をどのように下すかを見て学んだり、城下の村を見て回ったりと忙しい日々だった。



ラウルはそれを温かく見守り、やがて自身の職を引き継ぐ日を順調に迎えられるように親として尽力しなければならないと心を新たにしていた。



冬の訪れが近くなってきた日の夕方、執務室にはセザールとヴィクトルだけが残り、休憩のためにソファへと移動して、お茶と軽食を囲んでいた。



「え?母上はまだ父上の部屋の隣にはいないって、なにか問題が?」



「あー、いや、フローラさんはおまえの意見を聞いてからと思ったみたいだぞ。まぁ、それ以前に城主の妻となるとなれば、フローラさんの立場としては色々なことを思うだろう」



「俺の意見?父上が迎えると言ったのなら、俺はそれに異論はないし、母上は誰に聞いても素晴らしい人だとしか返ってこないのに」



「フローラさんの身分も、何もわからないから、フローラさんは二の足を踏んでるんだと思うけどな。記憶がもし戻ったらと思うことだってあるだろうし」



「母上に身分が必要なら、貴族の養女になってから結婚すればいいし、記憶が戻ったときに、母上が元に戻りたいと思われたなら、それを無理に引き留めてはいけないし、もしそれを父上がされようとするなら、俺が止める。でも、記憶が戻るとは言い切れないなら、今この時の幸せを求めたっていいじゃないか」



「おまえみたいに自分に正直に生きてるやつばっかじゃないんだって」



「…そうか」



セザールは顎に手を当ててしばらく考えた後、ゆっくりと立ち上がり、歩き出した。



「おい、どこに行くんだ?」



「母上に会ってくる」



「は?おいっ!」



ヴィクトルが慌てて執務室の鍵や剣を取りに動いているうちに、セザールは執務室から出た。そしてそのまま、救護室に向かった。しかし、そこには既にフローラの姿はなく、部屋にいた見習い看護師の女からフローラの部屋を教えてもらい、セザールは更に移動した。



フローラの部屋は救護室から一番近い使用人の部屋の1つにあった。

扉をノックすると、中から「はい、どなた?」と澄み切った声が返って来た。



「母上、セザールです!」



するとパタパタと足音が聞こえ、扉が開かれた。

フローラは驚いた表情でセザールを見上げていた。



「少し、お話をさせていただけますか?」



「ええ、もちろん。ここでよいのですか?」



「はい、この部屋に用がありまして。あ、でも、扉は開けておきます」



「ありがとう」



いくら父の相手であろうと、未婚である以上は決して密室に男性と二人きりにならないためにセザールは扉を半分ほど開けたまま中へと進んだ。



フローラの部屋はベッド、小さい丸テーブルと椅子、窓の近くに勉強用の机と何冊かの本と椅子、小さなクローゼットが1つというとても質素なものだった。

セザールは薄いカーテンのかかった窓を見て、フローラに向き直った。



「母上、荷物をまとめてください」



「えっ?」



「私が運びます。ここはもうすぐ極寒の地になります。恐らく母上はこの地の者ではないのでしょう?それなのに暖炉もないお部屋では、すぐに体調を崩されてしまいます。この部屋の窓は二重でもないし、カーテンも薄すぎます。ベッドの布団は…父上が手配したようで温かそうですが、それでも、母上にはここはふさわしくありません」



「そんなことはないわ。私はここに置いてもらえるだけでも幸せだから」



「…母上、私と一緒に来ていただけますか?」



「え?…ええ」



フローラは戸惑いながら頷くと、部屋の外に出た。部屋に鍵をかけると、セザールの後に続いた。

セザールは何も話さないまま、城の階段を上り始めた。フローラは、その景色に既視感があり、どこに向かっているのか途中で理解して、廊下で止まろうとしたのを、セザールが優しく手を取り、さらに進み続けた。

セザールが歩みを止めたのは、大きな両開きの扉の前だった。その扉は全体に贅沢な彫刻が施され、ドアノブは金でできており、灯りを反射するほどに磨かれていた。



「セザール様、ここは、いけません」



「母上、私のことはセザールとお呼びください。それに、見てほしいんです、本当のことを」



セザールはそういうと扉をばんと開けた。廊下にかけてあった灯りを持ち、中に進む。

数歩進んで振り返ると、フローラに手を伸ばした。フローラはごくりと喉を鳴らし、その手に恐る恐る手を重ねて一歩を踏み出した。



「今、灯りを入れます」



部屋の中ほどまで来ると、セザールはフローラの手を離し、壁に備え付けられた灯りに火を入れていく。少しずつ浮かび上がる部屋の全景に、セザールはため息をつきながら、作業を続けた。

全ての灯りに火を入れ終わると、セザールは部屋の中ほどで固まったまま動かないフローラを見つめた。



「セザール…これは…」



フローラは悲し気な表情でセザールを見た。セザールは苦笑して頷いた。



「そう、ここには、何もないんです。信じられないでしょう?これがこの城の女主人の部屋なんて」



「……」



フローラがいた部屋の何倍も広い部屋には、家具は何ひとつ置かれていなかった。窓にはカーテンすらなかった。

掃除は行き届いていたが、ここはもはや部屋としての機能を失って長いことが一目でわかるほどだった。



「私は、何の記憶もないので、辛くはないんですけど、ここに私の母がいたのは2年にも満たない間だったそうです。出産したら出て行ったって。持てる物は全て持って行ったって。私は一度も顔を見たこともないし、今後もないでしょう。どこか別の貴族と再婚もしたようですから」



セザールがぽつぽつと話し始めたのをフローラはただ黙って聞いていた。二人で腰掛ける椅子さえない部屋でたたずみながら。



「私が小さいころにはまだこの部屋にもベッドもソファもあったんですよ。でも、いつだったか、全て運び出してしまって。その時は気づかなかったですけど、少しでかくなってようやく私もわかりました。父上はもう誰も迎えるつもりはないんだと。一人で生きていく道を選んだんだって」



「ラウルが…」



「でも、母上が現れて、父上は今手探りで母上を愛する方法を見つけようとしてると思います。ずっと一人でいたから、きっと下手だし、あの顔だし、でかくてごつい体だし…あ、今笑いましたね?ははっ……それに、立場上逃げられないものだってたくさんあります」



「ええ…」



「不器用な人ですけど、誰よりも誠実です。この城どころか、領地全体を守ってくれる強い人です。あー…何が言いたいかって言うと…心配せずに、父上を頼ってください。甘えてください。不安をさらけだしてください。受け止められないような小さい人じゃないです。それに、母上はきっと父上と先を見据えて歩いて行ける人だと思います。だから、この部屋にいてくれませんか?問題が起きたら俺達がなんとしても解決しますから。自分の幸せを最優先に考えてほしいんです」



その時、足音が聞こえて、フローラとセザールが扉に目をやると、ラウルが立っていた。

すぐ後ろにヴィクトルの姿が見え、セザールはフローラに一礼すると、部屋から出て行った。

扉が開いたまま、ラウルは部屋の敷居をまたがずに、廊下に縫い付けられたように動かなかった。



「ラウル…?」



フローラの声に我に返ったラウルはゆっくりと一歩、一歩と中に進み、フローラの隣まで進んだ。



「過去のことを悔いることはしたくないと思っていた。あの時、何ができたのか、どうすればよかったのかと考えることも、もう何年も前にやめてしまった。セザールを得られただけ、俺の人生には感謝すべきことだと思えるようになってからは、自分のことを考えることもなかった」



太くたくましい腕がフローラを引き寄せ、柔らかい髪を撫でる。



「俺は辺境伯という貴族位は名前だけで、戦と領地のことしか考えられないやつだ。流行りも知らない。気の利いたこともできない。フローラを泣かせてしまう日が来るかもしれない。だが、俺が生涯で愛する者はフローラだけだ。俺の全てで愛し抜く。俺の持てるもの全てで守り抜く。だから、恐れるな…いや、恐れてもいい。俺がそれを受け止める」



「ありがとう…ラウル…」



フローラの目からこぼれる涙をラウルが口づけで受け止めた。ゆっくりとひざまずき、フローラの手を取って、青色の瞳をまっすぐに見つめた。



「フローラ、愛している。私の妻になってほしい」



「…はい、ありがとうございます。私の気持ちを待っていてくださって」



ラウルが笑顔を見せ、立ち上がろうとするよりも先に、廊下で「うおー」「やったー」という野太い声が響き、ラウルもフローラもその場に固まった。開いたままの扉からは、次々と上がる歓声と階段を駆け下りる足音が聞こえてきて、二人は顔を見合わせて苦笑した。



「今夜は…長い夜になるだろうな…」



「ふふっ。またみなさんが裸で踊りまわるんですか?」



「どうだろうな…まぁ、冬が来る前の最後の宴と思えば大目に見てやろう」



「ええ。みなさんのお陰でこの城も守られていますから」



フローラの優しい笑顔に、ラウルは思わず華奢な体を抱き寄せて額に口づけた。



「ありがとう。フローラは俺に幸せばかりを与えてくれる」



「いえ、ラウルのそばにいられて、私も嬉しいです」



「そなたの笑顔は俺が守る。必ず。」



「愛しています、ラウル」



二人は体をより一層寄り添わせ深く深く唇を重ねた。
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