どこまでも続く執着 〜私を愛してくれたのは誰?〜

あさひれい

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エインズワース辺境伯

待ち侘びた瞬間

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結局、フローラが城に戻ったのは3日後だった。

フェネルの邸宅でメレルとマーリーンの手厚い看護のもと、療養をしっかり取り、2日前から迎えにやってきていたロドリゴと共に馬に乗り、ゆっくりとした道のりで城まで戻って来た。

フローラの帰りを待ち侘びていたラウルは、門まで迎えに行きたい気持ちを必死に抑え、執務室で待機していた。

ヴィクトルはこの数日ですっかり「その振る舞いはフローラさんどうお思いになりますかね」とラウルをいさめるための文句が身についてしまっていた。

執務室で窓際に立ち続けていると、執務室のドアがノックされ、ヴィクトルが開けると騎士に先導されてフローラが一礼して部屋に入って来た。

あからさまに安堵の表情を浮かべたラウルにヴィクトルは苦笑して、二人を部屋に残し、そっと扉を閉めた。



ドアがしっかりと閉められると、ラウルはフローラのもとに急いだ。決して狭くない執務室をわずか数歩でやってきたラウルにフローラは驚いて目を見開いた。



「フローラ」



ラウルは勢いもそのままにフローラを抱きしめた。あの夜のことも、フローラという存在自体も幻だったのではないかと思えてしまい、時間が過ぎるほどにそれは募っていった。ヴィクトルがフローラの名前で小言を言ってくれるおかげで、これは自分だけが見た幻ではないと再確認するほどだった。



「た、大公様…」



苦し気に小さく声を上げたフローラの頬を両手で包み込み、荒々しく唇を重ねて無遠慮に舌を差し込んだ。



「んっ…んむぅ…」



漏れる吐息さえ呑み込んでしまいそうになる勢いにフローラは圧倒され、呼吸が苦しくなり、ラウルの腕に倒れこむように力が抜けてしまった。慌ててそれを受け止めたラウルはフローラを抱き上げ、ソファへと腰を下ろした。ややぐったりとしたフローラを胸に寄りかからせ、優しく髪を撫でた。



「すまない、加減がきかなかった」



「い、いえ、驚いただけですから」



「もう体はなんともないか?道中無理はしなかったか?」



「ふふっ。大公様はそんなに心配性だったのですね。大丈夫です。マーリーンさんに何もしてはだめと言われてお仕事もせずに療養させていただいたんです。でも、昨日はお孫さん達と遊んだりして過ごしてました。ロドリゴ様もずっと邸宅の修理や街に出てはいろいろなことを手伝ってましたよ。夜は部屋の前で警護もしてくださって、いったいいつ寝ているのか心配になりました」



「うちの騎士達は生半可な鍛え方してないからな。それぐらいなら訓練の一部にもならないくらいだったろう」



ラウルはそっとフローラの肩を引き寄せて、額に口づけた。フローラは柔らかく笑うと、体の力を抜いてラウルの胸に寄り添った。



「ロドリゴ様とたくさんお話をできて楽しかったです。色々抱えていることを話してくださいました」



「そうか。フローラも気分転換になったか?」



「はい、とても。ロドリゴ様も私のことを色々な宿などで聞いてくださったみたいなんですが、どこも覚えていらっしゃる方がいなくて。私はあの街を通ったのではないようなんです」



フローラを抱きしめる腕に力が込められた。フローラはいぶかしんで、ラウルを見上げる。



「フローラ。無理に思い出さなくともよい。時間が経つにつれて思い出すかもしれない。だが、無理はするな。馬車のことのように、記憶のせいで倒れることもあるかもしれないだろう」



「でも、私がこのままの状態では」



「構うな。フローラが誠実な人間であることは俺だけでなく、ここの者たち誰もがわかっている」



「…ありがとうございます。そのようにおっしゃってくださると、これからの仕事にも精が出ます」



「フローラ、居室を移せ」



「え?」



唐突に告げられたことにフローラは戸惑い、無防備な表情をさらした。ラウルはそれさえも愛おしげに見つめ、フローラの小さな手を握りしめた。



「今は救護室近くの見習い達の部屋にいるのだろう。俺の部屋に移るといい」



「まさか。そのようなこと、できません」



首を振り拒絶の意思を示すフローラに、ラウルは理解できないといった顔をしてより強く手を握りしめた。



「俺の部屋の隣はずっと空いたままだ。そこに移ればよい」



「そのお部屋は、大公様の妻であり、この城の女主人となる方のためのお部屋です」



「そうだが?」



「……」



こともなげに答えるラウルにフローラは絶句したまま見つめていた。

やがてその意を確かに理解すると、首を小さく振った。そして、ラウルの膝からゆっくりと下りるとソファの前に立った。

しかし、ラウルはフローラの手を離さなかった。



「フローラ?」



「私は大公様をお慕いしておりますし、大公様のご意向も大変嬉しく思います。ですが、それは私には過ぎた待遇です」



「待遇という問題ではない。俺がこの生涯でやっと見つけた人生を共にすると決めた相手だ。何も恐れることはない」



「いいえ、なりません。一時の感情に駆られてこのような大きな変化を城にもたらしてはなりません」



「一時のことではない!」



部屋中にびりびりと響くような声であるのに、フローラは臆することなく、まっすぐにラウルを見つめ返した。



「ならば、なおさら、私たちは待たなければなりません。しっかりと理解が得られるまで。人の信頼とは、言い含めてなんとかなるものではありませんでしょう?」



ラウルは、フローラの人柄も、周りの者からの評価も十分に理解しているつもりだった。それを踏まえての打診だったが、フローラの確固たる意志を見て、ラウルは折れることにした。



「わかった。時期尚早だと言うなら、待とう。だが、俺はもうフローラを伴侶とすることを隠すつもりはない。いいな?」



ラウルは立ち上がるとフローラの手を取り、口づけするとフローラも小さく頷いた。

ラウルはそのままフローラの手を引き寄せると、しっかりと体を自身に寄り添わせた。



「それで?俺とのことを一夜のことにするつもりではなかったことは理解した。それなのになぜ呼び方が戻っているのか理由を聞かせてもらおうか」



片手で腰をおさえ、片手でフローラの頬に触れると視線を合わせた。



「それは…まだ…慣れなくて…それにどなたもお呼びになっていないですから…私がお呼びするのは」



「フローラが呼ばずに誰が呼べるのだ。そなただから許したことなのに臆するな」



「ですが」



「それとも名前で呼ぶのを寝台の上だけにしたいというなら、それはそれで艶めいた誘いだな」



「なにをおっしゃって」



フローラが言い切る前にラウルはフローラの唇を自身のもので塞ぎ言葉ごと取り込んだ。

舌を絡ませ何度も角度を変えてはむさぼり尽くした。

フローラが自分を抱え込む腕をぺしぺしと叩いてようやくラウルはフローラを解放した。



「大公様、なりません。執務時間中にこのような」



頬を赤らめ、瞳を潤わせて睨むフローラをラウルは優しく抱きしめた。



「許せ。もう叶うことはないと諦めたことがこのように叶ったのだ。少しくらい浮かれさせろ」



「大公様…」



「フローラ、皆の前で俺の名を口にすることをためらうなら、それが受け入れられるまで待とう。だが、二人だけのときは俺の名を呼べ」



「わかりました…ラウル」



ゆっくりと体を添わせてお互いの体温を感じ、二人を包む幸せに浸っていたときだった。

執務室のドアが控えめにノックされた。

フローラは慌てて体を離し、ラウルはそれを名残惜し気に見つめていた。

しかしすぐに表情を切り替えると、短く「入れ」と返事をした。

ヴィクトルとジャンが書類を抱えて戻って来たところだった。



「ご無事にお戻りで何よりでした、フローラさん」



「ありがとうございます、ヴィクトル様。馬車の手配までしてくださったのに、ごめんなさい」



「いーえ、なんてことはありません。それ以上に嬉しいことがありましたから」



「え?」



にこにこと笑顔で話すヴィクトルを見て、ラウルは咳払いをした。

フローラは、ジャンに視線を移し、一歩歩み寄った。



「ジャン様?顔色が悪いようですが…お加減でも…?救護室へご一緒しましょうか?」



フローラが心配そうに声をかけ、腕を伸ばそうとすると、ジャンは体を震わせた後に部屋を飛び出して行った。



「えっ」



「えーと、あー…あいつのことは大丈夫です。俺がなんとかします。ですので、どうぞお気になさらず」



「そうですか?もし、何か薬など必要なときはおっしゃってください。お持ちします」



「あーはい。でも、多分、今は時間が必要なんだと思います」



「まぁ、働きづめでお疲れなのですね。ゆっくりお休みになられるようお伝えください」



フローラにはにこにこと笑顔を向けているが、ラウルを見る一瞬じとっと睨みつけたのをラウルは見逃さなかった。

フローラが辞去の挨拶をして部屋を出ると、ヴィクトルは執務机に書類を置いた。



「ジャンには時間と女が必要です」



「あー、わかっている。もう上がっていい」



ヴィクトルが敬礼をして去ろうとするところに、ラウルは再び声をかけて懐から硬貨の詰まった袋を投げた。



「酒でも、女でも、気晴らしに付き合う気なんだろう。使え」



「ありがとうございます、閣下。あいつもちゃんとわかってますよ。心では喜んでます。でも、本人を前にしては無理だっただけです。明日には、ちゃんと仕事しますよ」



「わかっている。俺のことは気にするな。付き合ってやれ」



「はー、今夜はやけ酒になるヤツはどんだけいるんでしょうかねー。でも、よかったです、閣下。本当に…よかったです」



ヴィクトルはいつもの笑顔を浮かべて執務室を後にした。



ラウルは、これまでの生涯で自分は報われないこともあったが、周りの人物には本当に恵まれたと感謝しながら、執務に戻った。
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