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エインズワース辺境伯

二人で

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ラウルはフローラとの約束通り、馬で一番近くの街まで出ることになっていた。

移動距離と休憩を考えて朝早くに発つことにしたが、フローラはいつもと変わらない笑顔で、ラウルの前に現れた。



「おはようございます、大公様」



「あぁ、君は朝も強いんだな」



「ふふっ。朝から酔いざましの薬を取りに来られる方々がいらっしゃいますもの。それに朝早くから鍋に火をかけて薬草を煎じていると、私の頭もすっきりして気持ちがいいんです」



くすくすと笑うフローラにラウルは苦笑しつつ、その一方で心地のよさを感じていた。

ラウルの愛馬のドーシュはぶるるるっと鼻を鳴らす。フローラはゆっくりと近づき、顔を近づけた。



「今日はよろしくお願いします。長い距離を走ることになるけれど、大丈夫?」



まるで子供に話しかけるように優しい声をかけるフローラに、自然とラウルは笑みがこぼれた。



「こいつは戦場で2日走り続けてもへこたれたことはない」



そう言い切った後に、その表現がフローラを怖がらせたのではないかと、はっとした。

しかし、フローラは変わらない笑顔でドーシュを撫で続けていた。



「そう、あなたは勇敢なのね。ありがとう、みんなのために働いてくれて」



馬にかけた言葉だとわかっていても、その言葉は胸を熱くさせた。

手綱を握る手に力がこもる。それを悟られまいと、ラウルはフローラに手を差し出した。

フローラが手をのせると、ラウルは軽々とフローラを抱き上げ、ドーシュの上に乗せた。それに続いて自分も乗り込むと、フローラを両腕の中に包み込み、手綱を握った。



「揺れるから、慣れるまでは俺にしがみついていろ」



「はい、お願いします」



フローラがラウルにしがみつくこうとしたが、ラウルの体が大きすぎて手が回り切らない。フローラは慌ててラウルの服をぎゅっとつかんだ。

ラウルの羽織るマントにそのまま包み込まれてしまうほど、フローラは小さかった。

風が起き、フローラの金色の髪からかすかに花の香がした。



本当に、花のような…儚さだ…



ラウルは思い切りドーシュの腹を蹴り、勢いよく走りだした。



それを陰から見守っていた騎士達と使用人がぞろぞろと出てくる。



「あーぁ、抜け駆けだよなぁ、あれって」



寝癖をつけたままのヴィクトルがだらしなくはだけたシャツの裾から腹をかきながらつぶやいた。

そばにいた中年の女中がにこにこしながらヴィクトルの背中を叩いた。



「なーに言ってんだぃ。けしかけたのはおまえさんだろ」



「そりゃけしかけでもしないと、何にも進まないでしょ、うちの主君は」



「あの子はいい子だからね。どんな事情があるのかはわからないが、気立はいいし、芯も強い。大公様のおそばにいるにはぴったりなんじゃないかと思うよ」



「みんな思ってますよ、それは。閣下が振られたらおこぼれに預かりたいなって思ってるだけで」



「大公様を選ばない人があんたらなんか選ぶかね」



「わーひでーなぁ。俺って結構役に立つのに」



けらけらと笑って、ラウルとフローラの姿が見えなくなると、みんなそれぞれの持ち場へと戻っていった。

誰よりも尊敬して止まない主君に訪れた春の予感に、誰もが笑顔を浮かべていた。





ラウルが目指す街は馬だと2時間ほどだったが、フローラを自分と同じように長時間乗せ続けるわけにはいかないので、半刻ごとに休憩をとった。

湖のそばで止まり、ドーシュに水を飲ませるかたわらで、フローラは座って水面を眺めていた。



「怖くなかったか?」



「いえ、気持ちがよかったです。あんなに速く走れるなんて、初めて…」



そう言いかけたフローラをラウルはじっと見つめた。



「初めてなのかしら…私…どこから来たんでしょうね…街に行けばわかるんでしょうか…」



「わかるといいが、多くは望まないほうがいいだろう。ここら辺は流浪の者も多いからな」



フローラの身分を推測して考えていたことは話さなかった。話したくないと思っていた。

それが卑怯なことだと十分理解しながら。



「あそこでの生活は楽しいか」



その質問に驚いたのか、水面を見つめていたフローラがラウルに顔を向けた。

そして、青い目を細め、笑顔になった。



「えぇ、とても。穏やかな日々で、充実しています。みなさん、とても親切ですもの」



「そうか、だが、あそこは常に戦いの最前線になる」



「そう伺っています。その時に私がお役に立てればいいのですが」



ラウルは、試すような質問を繰り返す自分に嫌気がさしていたが、やめられなかった。

そして、フローラの答えがまるで自分が思い描いたような理想の答えであるたびに、だめだ、そんな答えをしてはいけないと叫びだしたい気持ちになった。

手放せなくなってしまう。惹かれていることを否定できなくなってしまう。

苦虫を噛み潰したような表情で、ラウルはフローラを見つめていた。



「どうか…なさいましたか…?」



「いや、もうそろそろ出発しよう」



草を払いフローラをドーシュに乗せ、自分も跨るとフローラは自然な流れでラウルに抱きついた。

ラウルは一瞬そのたくましい両腕でフローラをきつく抱き寄せ、あぶみを蹴った。





街が近づき、フローラは歓声を上げた。



「まぁ、大きな街ですね」



その拍子にバランスを崩し、ずれ落ちそうになるのをラウルは腕一本で軽々と引き上げた。



「す、すみません」



「いや、慣れないうちはよくある。だが、落馬だけは気をつけろ」



「はい、ありがとうございます」



「あれが、フェネルといううちの領地では1番大きな街だ」



門をくぐるために近づくと、門兵達がこちらを伺い、ラウルだと判別すると急に佇まいを正した。ラウルが近づくと敬礼をした。



「閣下、ようこそお越しくださいました」



「ご苦労、変わりないか」



「はっ!滞りありません!」



「そうか」



ラウルがそう告げて馬をゆっくり歩かせると、馬上からフローラも小さく頭を下げた。それを門兵達が口を開けて見送った。



フェネルの街は人でにぎわっていた。商店も多く、旅装束の人々も多く見かける。どこに行くにもこの街を通らなければ、バルク国へも、王都へも十分な補給なしに進めないからだ。

辺境伯の城までにいくつか村はあるが、そこでは少しの食料品の補給と宿をとるくらいしかできない。



「見覚えはあるか。ここをきっと通ってあの城まで来たと思うが」



「そう…ですね…見たことがあるような…ごめんなさい…思い出せません…」



「悪かった。そう急かすつもりはなかった」



「いいえ、私も思い出したいと思っていますから」



「…帰りたいか、自分が何者かわかったら」



「…どうでしょう…でも、私がどんな目的でいるのかわからないと大公様も安心できませんでしょう?」



「君がどんな目的でいようと、俺は構わない」



自分の軽はずみな発言に気づき、ぐっと唇を噛んだ。フローラはラウルの腕の中で前だけを見つめていた。



「ありがとうございます、そうしてお一人お一人に丁寧に対応してくださるからこそ、どこもかしこも大公様を尊敬してやまない領民ばかりなのでしょうね」



フローラが真っ当に意味を取ってくれたために、ラウルは安堵して、深呼吸した。



しばらく馬で歩くと、フェネルにある大公別邸に着いた。そこは、フェネルの中では比較的大きいが、そこに滞在することが稀なので、使用人もわずかに置いているだけだった。



「閣下!お戻りでしたか!」



「あぁ、息災か」



「はい、みんな変わりありません。おやっ、これはこれはなんとまぁ」



フェネルの別邸を管理する、かつての城の執事であり、ここに家族で住み込みで暮らしてくれているメレルが顔をほころばせながら出てきた。

ラウルはドーシュから下りると、フローラを抱えて下ろした。ドーシュの手綱をメレルに渡すと、わざと顔をそらした。



「フローラと申します」



「ようこそお越しくださいました、ここの管理をしておりますメレルでございます。10年程前までは城で執事をしておりました。今はここで家族と共に過ごしております」



「まぁ、そうだったのですね」



「メレル、ドーシュに飼い葉を頼む」



ラウルがフローラの腕をつかみ、門の方へずんずんと進んでいくのをメレルはにこにこと見送った。



「大公様、どちらへ?」



「街を見たら何か思い出すかもしれないぞ。宿も取っただろうしな」



「あ、そうですね。すみません、そのようなことにお付き合いさせてしまって」



「いや、たまには街の見回りを自分でするのもいいさ。気合の抜けた奴等に喝を入れないといけないからな」



「ふふふっ。みなさん、驚かれるでしょうね」



その時ようやく腕をつかんだままだったことに気づいて、慌てて離した。

取り繕うように両腕を組み、のしのしと歩いていく。街を歩けば人々が笑顔になり頭を下げ、商店からはりんごが投げて渡されたり、気さくに声をかけられたりしてラウルの足が止まる。

それをフローラは数歩離れたところから、微笑みを浮かべて眺めていた。

街の者達と話をし終わり、ラウルはふと傍らにいたはずのフローラを見失ったことに気づき、慌てて辺りを見回す。

すると数軒ほど手前の店の前で、フローラが3人の男に囲まれていた。

ラウルが駆け寄ると、男達はさっと表情を固め頭を下げて逃げ出した。



「大丈夫か」



「すみません、ご心配をおかけして」



「いや、俺のほうこそ、一人にしてすまなかった」



ラウルは昼時で人が増えてきたことに気づき、一瞬ためらったが、フローラの手をとった。



「人が多くなった。俺から離れるな」



「は、はい」



フローラがたたたっと駆けてきたのに気づいて、ラウルは歩幅を小さくした。握った手の小ささと柔らかさに驚いたが、顔には出さなかった。

しかし、自分の理性では抑えきれない感情に確かに気づいてしまった。



俺から離れるな



フローラに伝えたかった。全ての不安からおまえを守るから、俺のそばにいてほしいと。
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