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エインズワース辺境伯
思い出したくない過去
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ラウルには、かつて妻がいた。
辺境伯は、地位も高く、領地こそ広いが、王都からは遠く離れ、社交とは縁遠い。
北の果てにあるため、娯楽もなく、冬になれば雪で全てが閉ざされる。常に争いと死と隣合わせにあり、住む者の精神は自然と研ぎ澄まされ、鍛え上げられていく。
ラウルは共に辺境の地を統治してくれる強い妻を欲した。しかし、頑強な体と厳めしい顔のせいで、年の近い女性らからは敬遠された。
先代辺境伯である父は、20も離れた母をめとり、ほとんど従属させるような状態だった。だから、ラウルは父とは別の道を歩みたいと、妻にする者は自分と共に歩める者がいいとずっと思ってきた。
しかし、その考えとは裏腹にラウルが望むような相手はどうやっても見つけられず、適齢期になったころには父から結婚を強く指示されるようになった。辺境伯は争いの先陣にいるため、いつ死ぬかもしれない、後継ぎを若いうちに設けることは職務の一つだとこんこんと説得され、ラウルも不承不承頷いた。
結局、辺境伯とのつながりがほしいだけの貴族から、2歳年下の女が嫁いできた。ろくに顔合わせもしないまま、結婚式の当日を迎えた。
妻になる女は、教会で式を挙げたが、ずっとうつむいたままで、一度もラウルの顔を見なかった。
初夜で、寝室に入ったとき、女に泣きながら枕を投げつけられた。
「私は売られただけ!こんな獣と同衾なんてしたくない!!」
その言葉に呆然となり、すぐに寝室を出た。
戦で戦うことは名誉なことだと信じていた。勝つために、王国を侵略から防ぐために、領民の命を守るために、そのために屈強であること、戦いの末に人を斬ることになんの恥もなかった。
しかし、それは、妻となったものには、獣と同じにしか見えなかったようだ。
共に先を見据えることなど、不可能だった。
結婚から2か月ほどだったある夜、女は泣きはらした顔でラウルの部屋にやってきて、身に着けていた服をどんどんと脱いで、ベッドに上がった。
「跡継ぎを産めとお父様に殴られたから。早くして。人の血を吸ったような赤い目なんて見たくもない。だから、このままでして」
ベッドに乗ると、ラウルに背を向け、腰を突き出し、震えていた。
「そんなことはできない」とラウルが拒絶すると、身を翻してベッドから下りてくると、ラウルの頬を打った。
「できるかできないかじゃないのよ!やらなければならないの!」
その目からは涙がとめどなく溢れていた。
ラウルは、理解した。そうか、これは辺境伯であることの義務なのだと。
そして、妻の言う通りに中に押し入り、子種を吐き出した。
なんの喜びも感じない、虚しさしか残らない行為だった。妻もずっと嗚咽をこらえ、震えていた。
しかし、幸いにもそのたった1度の行為で、セザールを妊娠し、何の問題もなく出産し終わると、体が戻るまでの1年を静養して過ごし、妻は離縁を切り出した。
「私はここで生きていたくない。持参金を返して。跡継ぎはあなたにあげる。あとの交渉はお父様としてちょうだい」
そう言い残すと、妻は祝いに送った様々な宝石やドレスや城にあった調度品をありったけ持って出て行った。
妻の父には、セザールが跡を継いでから余計な口出しをさせないために誓約書を書かせた上で、今でも跡継ぎを産んだ礼として毎年多額の金を送っている。
金が毎年間違いなく送られてくるかの催促はあっても、、嫡男であるセザールのことにはさして興味もないようで、セザールに言及してくることはなかった。
どれだけ誓約書を交わしていようといつ変貌するかはわからないため、今でも厄介な存在であることに変わりはなかった。
ラウルはもう20年も前になる酷い婚姻生活を思い出し、ため息と共に目を閉じた。
なぜ、こんなことを今になって思い出すのか、何が自身に去来しているのか、本当はわかっていた。
フローラとの未来を思い描きたいと心のどこかで願っている。しかし、それを言葉にしようとすると、去っていった妻を思い出してしまう。
この辺境の地にいつまで耐えられるか…この冬さえ越せるかわからないのに…
フローラが誰にでも優しく親切で、その笑顔と誠実な人柄で、城内の男だけでなく、女達からも信頼が厚いことは確かだった。
ここに留まればいい、そう思ってしまう。しかし、フローラ自身はどこか儚げで、ここだけでなくどこにも執着のないような雰囲気があった。
ずっと見つめていないと、どこかにふっと消えてしまいそうな気がした。
獣さえも威嚇するような体躯の自分が、何を小さいことを悩んでいるのだと渇いた笑いが漏れる。
執務室のドアをノックする音がして、ラウルは身を正した。
「入れ」
「失礼いたします」
執事の一人がトレーに手紙を載せて入ってきた。
「セザール様より、お手紙が届きました」
「あぁ、ご苦労」
執事から手紙を受け取ると、ペーパーナイフで開けた。
内容はいつもと同じ南部の近況報告とあと1月もすれば城に戻るという定期連絡だった。
セザールは母親の愛情を知らない。城内城外問わず様々な人々が自分の子供と分け隔てなく育ててくれたために伸び伸びと育ったと思う。しかし、父である自分の至らなさのために母親を持てなかった負い目が心のどこかにずっと残っている。
「母か…」
ぽつりとつぶやき、手紙を机の中にしまいこんだ。
夜風が冷たくエインズワース辺境の地を吹きすさんでいた。
辺境伯は、地位も高く、領地こそ広いが、王都からは遠く離れ、社交とは縁遠い。
北の果てにあるため、娯楽もなく、冬になれば雪で全てが閉ざされる。常に争いと死と隣合わせにあり、住む者の精神は自然と研ぎ澄まされ、鍛え上げられていく。
ラウルは共に辺境の地を統治してくれる強い妻を欲した。しかし、頑強な体と厳めしい顔のせいで、年の近い女性らからは敬遠された。
先代辺境伯である父は、20も離れた母をめとり、ほとんど従属させるような状態だった。だから、ラウルは父とは別の道を歩みたいと、妻にする者は自分と共に歩める者がいいとずっと思ってきた。
しかし、その考えとは裏腹にラウルが望むような相手はどうやっても見つけられず、適齢期になったころには父から結婚を強く指示されるようになった。辺境伯は争いの先陣にいるため、いつ死ぬかもしれない、後継ぎを若いうちに設けることは職務の一つだとこんこんと説得され、ラウルも不承不承頷いた。
結局、辺境伯とのつながりがほしいだけの貴族から、2歳年下の女が嫁いできた。ろくに顔合わせもしないまま、結婚式の当日を迎えた。
妻になる女は、教会で式を挙げたが、ずっとうつむいたままで、一度もラウルの顔を見なかった。
初夜で、寝室に入ったとき、女に泣きながら枕を投げつけられた。
「私は売られただけ!こんな獣と同衾なんてしたくない!!」
その言葉に呆然となり、すぐに寝室を出た。
戦で戦うことは名誉なことだと信じていた。勝つために、王国を侵略から防ぐために、領民の命を守るために、そのために屈強であること、戦いの末に人を斬ることになんの恥もなかった。
しかし、それは、妻となったものには、獣と同じにしか見えなかったようだ。
共に先を見据えることなど、不可能だった。
結婚から2か月ほどだったある夜、女は泣きはらした顔でラウルの部屋にやってきて、身に着けていた服をどんどんと脱いで、ベッドに上がった。
「跡継ぎを産めとお父様に殴られたから。早くして。人の血を吸ったような赤い目なんて見たくもない。だから、このままでして」
ベッドに乗ると、ラウルに背を向け、腰を突き出し、震えていた。
「そんなことはできない」とラウルが拒絶すると、身を翻してベッドから下りてくると、ラウルの頬を打った。
「できるかできないかじゃないのよ!やらなければならないの!」
その目からは涙がとめどなく溢れていた。
ラウルは、理解した。そうか、これは辺境伯であることの義務なのだと。
そして、妻の言う通りに中に押し入り、子種を吐き出した。
なんの喜びも感じない、虚しさしか残らない行為だった。妻もずっと嗚咽をこらえ、震えていた。
しかし、幸いにもそのたった1度の行為で、セザールを妊娠し、何の問題もなく出産し終わると、体が戻るまでの1年を静養して過ごし、妻は離縁を切り出した。
「私はここで生きていたくない。持参金を返して。跡継ぎはあなたにあげる。あとの交渉はお父様としてちょうだい」
そう言い残すと、妻は祝いに送った様々な宝石やドレスや城にあった調度品をありったけ持って出て行った。
妻の父には、セザールが跡を継いでから余計な口出しをさせないために誓約書を書かせた上で、今でも跡継ぎを産んだ礼として毎年多額の金を送っている。
金が毎年間違いなく送られてくるかの催促はあっても、、嫡男であるセザールのことにはさして興味もないようで、セザールに言及してくることはなかった。
どれだけ誓約書を交わしていようといつ変貌するかはわからないため、今でも厄介な存在であることに変わりはなかった。
ラウルはもう20年も前になる酷い婚姻生活を思い出し、ため息と共に目を閉じた。
なぜ、こんなことを今になって思い出すのか、何が自身に去来しているのか、本当はわかっていた。
フローラとの未来を思い描きたいと心のどこかで願っている。しかし、それを言葉にしようとすると、去っていった妻を思い出してしまう。
この辺境の地にいつまで耐えられるか…この冬さえ越せるかわからないのに…
フローラが誰にでも優しく親切で、その笑顔と誠実な人柄で、城内の男だけでなく、女達からも信頼が厚いことは確かだった。
ここに留まればいい、そう思ってしまう。しかし、フローラ自身はどこか儚げで、ここだけでなくどこにも執着のないような雰囲気があった。
ずっと見つめていないと、どこかにふっと消えてしまいそうな気がした。
獣さえも威嚇するような体躯の自分が、何を小さいことを悩んでいるのだと渇いた笑いが漏れる。
執務室のドアをノックする音がして、ラウルは身を正した。
「入れ」
「失礼いたします」
執事の一人がトレーに手紙を載せて入ってきた。
「セザール様より、お手紙が届きました」
「あぁ、ご苦労」
執事から手紙を受け取ると、ペーパーナイフで開けた。
内容はいつもと同じ南部の近況報告とあと1月もすれば城に戻るという定期連絡だった。
セザールは母親の愛情を知らない。城内城外問わず様々な人々が自分の子供と分け隔てなく育ててくれたために伸び伸びと育ったと思う。しかし、父である自分の至らなさのために母親を持てなかった負い目が心のどこかにずっと残っている。
「母か…」
ぽつりとつぶやき、手紙を机の中にしまいこんだ。
夜風が冷たくエインズワース辺境の地を吹きすさんでいた。
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