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エインズワース辺境伯
監視対象
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トレドで落石があった事故は2,3日は城の中でも話題に上っていたが、その日のうちに作業も完了したためにそこまで大きく広がることはなかった。
事故は最近続いた長雨のせいで地盤が緩んだために起きた事故だと調査で判明し、既に騎士達がトレドの村の男たちも集まって周辺の安全性を確認した。
その際、周辺の捜索もくまなく行ったが、当日に見つけた所持品以外の物は何も見つからなかった。
城の中で安置している御者の遺体は身元不明のまま、共同墓地に埋葬する検討を始めていた。
それには、救護室の隣で療養している女性にとある問題が生じていたためだった。
ヴィクトルは食堂で昼食を食べているラウルの前に座り、その報告をしているところだった。
「負傷した女性は、左脚の骨折と、左腕の裂傷以外は特に大きな怪我はありませんでした。ケヴィン医師の診断では、事故のときに投げ出された際に頭を打ったかもしれないが、外傷は特になかったそうです。」
「ああ。つまり記憶の混乱は演技の可能性もあるということだな」
「はい、そうなりますね。その女性は、名前や出身、なぜその馬車に乗っていたのか、御者は誰なのかということに関して一切の記憶がないですが、身の回りのことや日用品に関する知識は残っています。話し方からして、マルク国の訛りも、この周辺の訛りもないですね。この数日でわかったことはそれくらいです。尋問は体調も考慮して長時間できないんですよね。熱が出て中断することもありますし」
「難しいところだな。ただのけが人なのか、間諜なのか、それを区別するには体が万全になるのを待つしかないか。体が自由になれば、怪しい行動もとるようになるだろう。監視の騎士達はちゃんと会話や振る舞いに気を付けているだろうな」
「はい、もちろんです。監視できるのは、上級騎士だけに限定しましたし、間違っても情報漏洩することはないと思います」
「世話をする女たちはどうしてるんだ」
「今のところ、清拭や包帯の交換もすべて救護室付きの看護師見習いがやってます。食事は部屋で取らせてるので、他の者との接触はないですし」
「やけに、いろんな手を尽くしてるな。俺の指示がなくてもそれだけ動けるとはな」
ラウルはヴィクトルの顔が一瞬緩んだ後に強張ったのを見逃さなかった。
「なんだ…早く言え」
「すっごい美人なんですよ~。真っ白い肌に、大きな青い瞳、金髪で。俺、あんな美人、初めて見ました~。年齢はわからないんで正確なことはわからないですけど、きっと20代だと思います!まだ怪我の痛みと高熱で青白かったり、うなされてることも多いんですけど、うっかりそれもみとれるほどで…。最初に運ばれてきたときの身なりからすると平民でも良家のお嬢様か奥様って感じですね。貴族ならあんな荷馬車には乗らないじゃないですか」
報告のときとは打って変わって、嬉々としてにやけた顔になるヴィクトルに呆れたラウルは、ため息をついた。
「だから、それも手段の一つかもしれんだろう」
「油断はしませんよ、一応みんな騎士ですから!でも、目と心の保養は誰にでも必要でしょう?」
「わかった。もういい。その女のことはお前に任せる。怪しいことがあればすぐに報告しろ」
「承知しました!」
食事を終え、食器の片づけを近くにいた給仕係の女性に頼むと食堂を後にした。
ヴィクトルは補佐官として優秀で、騎士としての腕も立つ。22歳という年齢からも、いつ結婚してもいいのだが、顔がよく、誰にでも気さくに接する社交性も相まってかなり女性からモテる。しかし、恋人ができても長続きせず、ふらふらしてばかりいるので、最近では周りから呆れられ始めていた。
とはいえ、ラウルはヴィクトルに結婚を無理に勧めようと思ったことは一度もなかった。
ラウルは20年前に結婚し、2年後に嫡男であるセザールを設けた。その1年後に妻と離縁し、それからはずっと独り身だった。
セザールもラウルに似て、屈強な男に成長し、1年の半分は領地の南の地で警護に当たっている。残りの半分は城に戻り、やがては後を継ぐためにラウルについて様々なことを学んでいる。辺境伯の仕事は机の上だけで済むことではない。戦争で誰よりも勇敢に戦うことも求められるし、部下達と辛苦を共にし、仕えたいと思わせるだけの存在にならなければならない。だから、ラウルはセザールも一兵卒から訓練を行ってきたし、跡継ぎというだけで特別扱いをしてこなかった。
それでも、たった一人の息子を大切に思う気持ちは変わらず、またセザールも父であり、偉大な辺境伯であるラウルを心から尊敬していた。
ふと過去のことが頭によぎりそうになり、ラウルは目を閉じてその思いを振り払った。
執務室に戻ると補佐官のジャンが書類を整理しているところだった。ジャンはまだ20歳だが、頭脳明晰で知識豊富なところを見込まれて補佐官に抜擢された。武道には疎く、慎重で内気な性格から騎士団を退団しようとしているところを文官として引き抜いた人材だった。息子のセザールが後を継いだときに貴重な人材になるだろうとその将来性を見込んでいる。
「閣下、お戻りですか。これが今日中にご確認いただきたい書類です」
「そうか。今日も遅くまでかかりそうだな」
ラウルは苦笑しつつ、ジャンの肩をぽんと叩くと執務机についた。ジャンも執務室内に設置された自分の机に戻り、書類の整理を始めた。
そうして多忙な時間を過ごしている中で、ヴィクトルが報告した女性のことが一瞬よぎったが、ヴィクトルと騎士達に任せ、次の報告を待とうと思いなおし、次々と書類の確認を処理していった。
事故は最近続いた長雨のせいで地盤が緩んだために起きた事故だと調査で判明し、既に騎士達がトレドの村の男たちも集まって周辺の安全性を確認した。
その際、周辺の捜索もくまなく行ったが、当日に見つけた所持品以外の物は何も見つからなかった。
城の中で安置している御者の遺体は身元不明のまま、共同墓地に埋葬する検討を始めていた。
それには、救護室の隣で療養している女性にとある問題が生じていたためだった。
ヴィクトルは食堂で昼食を食べているラウルの前に座り、その報告をしているところだった。
「負傷した女性は、左脚の骨折と、左腕の裂傷以外は特に大きな怪我はありませんでした。ケヴィン医師の診断では、事故のときに投げ出された際に頭を打ったかもしれないが、外傷は特になかったそうです。」
「ああ。つまり記憶の混乱は演技の可能性もあるということだな」
「はい、そうなりますね。その女性は、名前や出身、なぜその馬車に乗っていたのか、御者は誰なのかということに関して一切の記憶がないですが、身の回りのことや日用品に関する知識は残っています。話し方からして、マルク国の訛りも、この周辺の訛りもないですね。この数日でわかったことはそれくらいです。尋問は体調も考慮して長時間できないんですよね。熱が出て中断することもありますし」
「難しいところだな。ただのけが人なのか、間諜なのか、それを区別するには体が万全になるのを待つしかないか。体が自由になれば、怪しい行動もとるようになるだろう。監視の騎士達はちゃんと会話や振る舞いに気を付けているだろうな」
「はい、もちろんです。監視できるのは、上級騎士だけに限定しましたし、間違っても情報漏洩することはないと思います」
「世話をする女たちはどうしてるんだ」
「今のところ、清拭や包帯の交換もすべて救護室付きの看護師見習いがやってます。食事は部屋で取らせてるので、他の者との接触はないですし」
「やけに、いろんな手を尽くしてるな。俺の指示がなくてもそれだけ動けるとはな」
ラウルはヴィクトルの顔が一瞬緩んだ後に強張ったのを見逃さなかった。
「なんだ…早く言え」
「すっごい美人なんですよ~。真っ白い肌に、大きな青い瞳、金髪で。俺、あんな美人、初めて見ました~。年齢はわからないんで正確なことはわからないですけど、きっと20代だと思います!まだ怪我の痛みと高熱で青白かったり、うなされてることも多いんですけど、うっかりそれもみとれるほどで…。最初に運ばれてきたときの身なりからすると平民でも良家のお嬢様か奥様って感じですね。貴族ならあんな荷馬車には乗らないじゃないですか」
報告のときとは打って変わって、嬉々としてにやけた顔になるヴィクトルに呆れたラウルは、ため息をついた。
「だから、それも手段の一つかもしれんだろう」
「油断はしませんよ、一応みんな騎士ですから!でも、目と心の保養は誰にでも必要でしょう?」
「わかった。もういい。その女のことはお前に任せる。怪しいことがあればすぐに報告しろ」
「承知しました!」
食事を終え、食器の片づけを近くにいた給仕係の女性に頼むと食堂を後にした。
ヴィクトルは補佐官として優秀で、騎士としての腕も立つ。22歳という年齢からも、いつ結婚してもいいのだが、顔がよく、誰にでも気さくに接する社交性も相まってかなり女性からモテる。しかし、恋人ができても長続きせず、ふらふらしてばかりいるので、最近では周りから呆れられ始めていた。
とはいえ、ラウルはヴィクトルに結婚を無理に勧めようと思ったことは一度もなかった。
ラウルは20年前に結婚し、2年後に嫡男であるセザールを設けた。その1年後に妻と離縁し、それからはずっと独り身だった。
セザールもラウルに似て、屈強な男に成長し、1年の半分は領地の南の地で警護に当たっている。残りの半分は城に戻り、やがては後を継ぐためにラウルについて様々なことを学んでいる。辺境伯の仕事は机の上だけで済むことではない。戦争で誰よりも勇敢に戦うことも求められるし、部下達と辛苦を共にし、仕えたいと思わせるだけの存在にならなければならない。だから、ラウルはセザールも一兵卒から訓練を行ってきたし、跡継ぎというだけで特別扱いをしてこなかった。
それでも、たった一人の息子を大切に思う気持ちは変わらず、またセザールも父であり、偉大な辺境伯であるラウルを心から尊敬していた。
ふと過去のことが頭によぎりそうになり、ラウルは目を閉じてその思いを振り払った。
執務室に戻ると補佐官のジャンが書類を整理しているところだった。ジャンはまだ20歳だが、頭脳明晰で知識豊富なところを見込まれて補佐官に抜擢された。武道には疎く、慎重で内気な性格から騎士団を退団しようとしているところを文官として引き抜いた人材だった。息子のセザールが後を継いだときに貴重な人材になるだろうとその将来性を見込んでいる。
「閣下、お戻りですか。これが今日中にご確認いただきたい書類です」
「そうか。今日も遅くまでかかりそうだな」
ラウルは苦笑しつつ、ジャンの肩をぽんと叩くと執務机についた。ジャンも執務室内に設置された自分の机に戻り、書類の整理を始めた。
そうして多忙な時間を過ごしている中で、ヴィクトルが報告した女性のことが一瞬よぎったが、ヴィクトルと騎士達に任せ、次の報告を待とうと思いなおし、次々と書類の確認を処理していった。
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