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命をつなぐために

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公爵邸は、静まり返っていた。

全ての使用人がまるで亡霊のように青ざめた顔で、そこかしこを行き来していた。



アマリアが出産を終えてから数日が既に経っている。

しかし、アマリアが目を覚ますことはなかった。

出産の際の出血が多すぎて、気を失って倒れたまま、目を覚まさないのだ。



ヘンドリックは出仕をやめ、公爵邸に閉じこもり続けていた。常にアマリアの傍に座り、いつ目が覚めるかとアマリアの顔を見つめるばかりだった。



使用人達は、つわりに苦しんでいたアマリアに寄り添っていた時とは全く違う緊張感を感じていた。

一命は取り止めたものの、いつアマリアが息を引き取ってもおかしくない状態であることを、全員が理解していたが、決して、言葉にも、態度にも、空気にも出さないよう必死に過ごしていた。

自分達が心を尽くしてお仕えしようと決めた奥様が、1年も経たないうちにいなくなるようなことを、誰も受け止めることはできなかった。



アマリアと子供を心配しているスタンリール侯爵家には使いを出し、元気になるまで会わせられないと告げていた。

スタンリール侯爵家には既にロビンとエルザが住まい、その仕事の大半を引き継ぐために勤しんでいるところだった。そして、エルザも妊娠しており、安定期とはいえ、元主人である二人の悲惨な状態をとても見せることはできないと、ロビンだけが公爵邸を行き来していた。



クリスティと先代の執事や、現在の執事や側近たちとロビンが公爵邸のほとんどの業務を回していた。

誰も、今の状態で、通常通りに働くことをヘンドリックに強要することはできなかった。



そんな日が、1週間、2週間と経ち、なんとか命の危険は越えたようだと主治医が告げた時、使用人達は喜びに泣いた。

しかし、ヘンドリックは決してかつてのような笑顔を見せなかった。

アマリアがしっかりと覚醒したことがないからだった。最近になってようやく、うめくような声をあげることはあったが、目が開くことはなく、言葉を発することもなかった。



そして、眠り続けるアマリアの体を清め、白湯のようなスープをそっと含ませる日々が続いた。

侍女のハンナは毎日、長い時間をかけて、全身を香油でマッサージをし、美しさの損なわれない金髪を梳った。

涙で手元が見えなくなろうとも、手が震えようとも、必ず奥様はお目覚めになると信じ続けた。





ヘンドリックは出仕せざるを得ない時期になり、公爵邸を離れるようになった。

これまでのように優しく聡明な公爵からは程遠い、厳格で、鋭さばかりが目立つような人物へと人々の評価は変わり始めていた。

それでも、公爵の側近たちやスタンリール侯爵を継ぐ者として同様に出仕していたロビンの陰ながらの支えもあり、日々を過ごしていた。



1か月が経ったとき、公爵邸を訪ねてきた者たちがいた。

その応対にあたったクリスティは、その者たちを帰した後、倒れた。

公爵邸に新たな問題が起きたと、使用人達が頭を抱えたときだった。アマリアの部屋にいたハンナが悲鳴を上げた。



「奥様がっ!!奥様が、目を覚まされました!!!」



ハンナがぼろぼろと涙をこぼしながら、屋敷中に響き渡る声で叫んだ。



「主治医を!主治医を呼んで!誰かっ!!早く!旦那様に使いを出して!!早く!!!」



それぞれの持ち場にいた使用人達は顔を見合わせて、一斉に動き出した。



アマリアの御者であるダンカンの元にメイドが走り、ダンカンは早馬で王宮へと走った。

クリスティの御者が主治医の元へと急いだ。

厨房では、その診断を待ってどのような料理のオーダーがきても対応できるようにあらゆる食材と、これまでの料理のレシピを振り返りながら待ち続けた。



ハンナとメイド長のメリンダと数人の侍女達は、アマリアの部屋で待機していた。



アマリアは、目を開き、天井を虚ろな目で見つめていた。ハンナがその手をそっと握りしめても、握り返す力はないようだった。

それでも、ハンナは優しく何度も何度も手をさすり続けた。



「奥様…奥様…目を覚ましてくださいまして、本当にありがとうございます…奥様がいらっしゃないと…私達はだめなのです…どうか、どうか、このままで…神様…どうか…」



ぽろぽろと溢れる涙もそのままに、ハンナは懇願し続けた。



「‥‥っ」



「奥様…?何か…おっしゃいましたか…?」



「へ…ンド…リック…」



「!!」



部屋にいた侍女達はスカートの裾を握りしめて嗚咽した。



「すぐに、すぐに参ります。お呼びしましたから、すぐに戻られますから、お気を確かに」



メリンダがアマリアの顔を覗き込んで笑顔を作った。その体はがたがたと震えていた。



「アマリア!!」



アンドリューに抱えられたクリスティが部屋に飛び込んできた。その顔は青ざめていたが、アマリアのそばに行くようアンドリューに指示した。すぐにハンナがそばを離れ、椅子を持ってベッドのそばに置いた。

アンドリューがクリスティをそこに座らせると、クリスティはアマリアの手を握った。



「目を覚ましたのね…よかった…このまま…だめかと思って…」



クリスティが声を詰まらせるのを、使用人達は目を逸らして見ないようにした。公爵邸の女主人として君臨し続けるクリスティが感情を露わにするところを、誰も見たことはなかったし、見てはいけないと思っていたからだった。



しかし、アマリアの瞳は少しも揺れることはなく、ゆっくりと瞬きをしただけだった。



「主治医がもうすぐ来ますからね、もう大丈夫よ。ヘンドリックもきっと今頃、早馬に乗って帰ってきていると思うの」



アマリアの手を両手で握りしめて、語りかける。



「お願い、お願いよ。あの子を一人にしないで。あの子には、あなたしかいないの。アマリア、あなただけなのよ…」



クリスティの呼びかけに、アマリアの目から涙がこぼれる。そのまま目を閉じてしまい、部屋にいた者たちは息をのんだ。

クリスティの後ろに控えていたアンドリューがすかさず、アマリアの呼吸と脈を確かめ、大丈夫だと目で合図した。

大きなため息と共に床にへたり込む侍女もいた。



その後、主治医が到着し、アマリアの様子を確認し終え、難しい表情をしているところに、息を切らし、額から汗を流したヘンドリックが到着した。

ふらふらとアマリアの眠るベッドに歩み寄り、ベッドに腰かけた。



「アマリア…帰ったよ…目を開けてくれ…」



投げ出されている手を握り、頬に手を添える。



「私に、もう一度、微笑んでくれないか、アマリア」



かすれた声が震える。



「アマリア…頼む…頼むから…」



部屋にいた誰もが涙をこらえていた。体を静かに震わせながら、奇跡が起きることだけを願っていた。



「ヘン…ドリック…」



その声に、はっとして、アマリアの顔を見ると、アマリアの視線がヘンドリックの顔をとらえていた。



「泣いて…いるの…?」



ヘンドリックは、その時、アマリアの瞳に命の光が宿っていることを感じ取った。アマリアの手に唇を押し付けた。こぼれた涙がその手を濡らしていく。



「嬉しくてね…アマリアが…私の名を呼んでくれたことが…」



そう言ってアマリアに笑いかけると、アマリアの口の端がすっと上がり、かつての微笑みを浮かべていた。



「大丈夫よ…ヘンドリック…泣かないで」



「ああ、わかっている。わかっているとも。でも、今だけは許してくれ」



強く握りしめる手を握り返す微かな力を感じて、ヘンドリックは更に涙を零した。



そこへロビンが遅れて到着し、部屋のそこかしこで抱き合って泣く使用人達を見て、ふーっと息を吐いた。

ベッドの傍に座るクリスティを目を見合わせ、強く頷いた。





アマリアが目を覚ましたこの日、多くの者が涙を流し、喜びに沸き、感謝の祈りを捧げた。

その一方で、更なる闇に引き込もうとする重い足音が着実に忍び寄っていた。

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