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お茶会
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お茶会の当日、アマリアは朝からその支度に追われていた。
起床後、さっと湯浴みをし、全身に香油を塗り込まれ、ガウンを羽織り、侍女たちから髪の手入れをされているところだった。
ふと漏れる吐息は公爵邸に来た頃とは考えられないほど妖艶になっていた。
アマリアは日中は様々な予定があり忙しく過ごし、夜はよく休めるようにと工夫を凝らされたあれこれのせいでヘンドリックとは寄り添って眠るだけになるため、朝に触れ合いが始まることが多い。
そのことを思い出すだけで、アマリアの頬は薄く色づいてしまう。
すっかり裸で触れ合うことに慣らされてしまったが、自分の胸や不浄の場所と思っていた場所が気持ちのよい不思議な感覚につながることがいまだに信じられなかった。そして、ヘンドリックに触れられると、自分から勝手に漏れる甘い声や液体にはいつまでも慣れることができなかった。
まるで、自分ではないようなことになるんだもの…
アマリアがふーっとため息をつく背後では、侍女たちがその様子を観察しながら、何も言わずにてきぱきと仕事をしていた。
数日前からヘンドリックには、お茶会のドレスから見えるところに印を残さないようにと通達が行っており、それが正しく実行されたことに心の中で拳を握っていた。
今日のドレスは胸元はダークブルーで始まり、足元に下がるにつれて段々と色味が濃くなり黒になるという落ち着いた色合いのグラデーションだった。
髪を下ろさずに結い上げることで、細く美しい首筋があらわになり、そこに昨日ヘンドリックから贈られたブルーダイヤモンドとオニキスのネックレスをつけると、更に艶やかになる。
数日前からの贈り物は、ブレスレットに始まり、イヤリング、ネックレスと続き、それらは全て婚約指輪とデザインを同じくしたものだった。
お茶会当日の朝、ヘンドリックがベッドで手渡したものは、二通の手紙と馴染みのある香水の瓶だった。
「まぁ!お父様とお母様からだわ!」
領地で収穫したフリージアからできる香水をアマリアは愛用しているのだが、少量しか生産できないので、自分が優先して買うことを控えていたのだが、両親がそれを贈ってくれたようだった。
手紙の中で、公爵家で大切にされているようで安心したこと、侯爵家も変わらなく過ごしていること。既に様々なところで公爵家の援助が入り、とても助かっていること。
そして、アマリアは自慢の女だから、きっとお茶会もうまくいく、安心するように、と変わらぬ優しさを伝えてくれた。
両親と離れて2週間以上になり、時折り寂しさも抱えていたアマリアには思いもよらない贈り物だった。
両親とのやりとりをしてしまうと、公爵家で学ぶ心に甘えが出てしまうと思い、公爵家で丁重にお迎えしていただいている内容の手紙は書いたが、返信はいらないと言っていたからだ。
アマリアは目を潤ませながら、ヘンドリックを見つめ、何度もお礼を言った。
ヘンドリックは静かにアマリアを抱き寄せ、しばらくそっと抱きしめたままでいた。
「アマリア、今日はきっと素晴らしい日になる。自分のしてきた努力を信じてごらん」
優しく、それでいて確固たる響きを持った言葉にアマリアは何度も頷いた。
支度を終えたアマリアは、姿見の前でふーっと息を吐き、しっかりと目を見据え、すっと姿勢を正して、クリスティの待つ庭園へと向かった。
既に会場の準備は万端で、夫人らの来訪を待つばかりだった。
クリスティも深緑の落ち着いた色のドレスを身にまとい、優雅に車椅子に座って微笑んでいた。
「とてもよく似合っているわ、アマリア。素敵なお茶会にしましょうね」
「はい、クリスティ様」
「ふふっ。緊張しなくて大丈夫よ。まずは、ここで一人一人に挨拶をしましょう。私が一緒にいるから、安心して」
「ありがとうございます。皆様にお会いできるのが楽しみですわ」
二人が顔を微笑み合っていると、にぎやかな声が響いてきた。夫人らが続々と到着したようだった。
アマリアもクリスティも姿勢をすっと正し、来客を迎えるためににこやかな笑顔を浮かべた。
「ノーランド伯爵夫人、ようこそいらっしゃいました」
「クリスティ様、アマリア様、お茶会へのご招待ありがとうございます。アマリア様、公爵様とのご婚約おめでとうございます。心よりお喜び申し上げますわ」
「ありがとうございます、まだまだ至らないことばかりですが、どうぞよろしくお願い致します」
「私のかわいい義妹をよろしくね、アビー」
「もちろんですわ、クリスティ様。誠心誠意、家臣としての務めを致します」
にこやかに伯爵夫人は微笑んで礼をすると、使用人が案内する席へと移動していった。こうして、一人一人に挨拶をしては短く言葉を交わし、30人ほどの来客との挨拶をし終わると、アマリア達も席についた。
主催のクリスティが挨拶をして、にこやかな雰囲気でお茶会が始まった。
アマリアはクリスティの隣に座り、爵位の高い夫人らとテーブルを囲んでいた。
「今日は本当に完璧な日和ですわね。お天気も良いのに心地よい風まで届いてきますわ」
「本当に。アマリア様とこうしてご一緒できることを心待ちにしておりましたので、とても嬉しいことですわ」
「皆様、ありがとうございます」
「アマリア様が紅茶がお好きとお伺いして、私の領地で生産している紅茶を持って参りましたの。ぜひ、お召し上がりくださいませ」
「まぁ、それはお気遣いありがとうございます。侯爵夫人の領地では紅茶や小麦の生産が豊富であると伺いました。凶作の時には備蓄しているものをご自身の領民だけでなく、他のところにまで支援をなさっているとか。それを伺いましたときには感銘を受けました」
「そんな、当然のことをしたまでですわ。私どもは、助け合うことを至極当然のこととして受け入れているのです。こうしてクリスティ様のお茶会で集まっては情報交換をしまして、不足があるところにはお互いに手を差し伸べ合って、どこの領民も困らないように尽力しておりますわ。夫たちは政治には長けておりますけれど、結局裏で細かく調整をしたり、波風を立てないように立ち回るためには私たちがこうして正しい関係性を保っていることが一番なのです」
テーブルに同席している夫人らが強く頷く。
「クリスティ様、先日マダム・イベットが皇太子妃様へのドレスのお仕立てで、私どもの最高級タフタをお気に召したようですわ」
「そう、やはりタフタでしたわね。では、最高級は王室を最優先に、皇太子妃様の装いを真似する貴族が続くでしょうから、予定通りその下のランクのものを貴族には主流に、裕福な平民には扱いやすいよう別の素材も加えたうえであくまで高級感を失わないようにね」
「はい、ご指示頂いた通り、手筈を整えてございます」
「あなた達の商会はとても優秀だわ。これでもうこれまでの負債もなくなったのではなくて?」
「全てクリスティ様のご助言があってこそでございます。積み荷ごと船が難破したのが続いたときには、もう爵位の返上まで考えました…」
伯爵夫人が白いハンカチで目元をおさえると、クリスティは優しく微笑みかけた。
「いいえ、決して諦めずに手を尽くしたあなたの力よ。そして、みなさん、領民が飢えることなく数年を過ごせたこと、あなた方の協力なくしては成り立ちませんでした。私が代わりにお礼を申し上げます」
その場にいる者全員に響くように、はっきりとそして、悠然を見渡しながら力を込めて言うと頭を下げた。
「そして、これは私からの少しばかりのお礼の品です。どうぞ受け取ってください」
クリスティが指示をすると、使用人たちが小さなベルベットの箱を席についている夫人たちに一つずつ差し出す。
「ま、まぁ、なんて素敵なブローチ」
「公爵家の証であるオニキスと…これはブラックダイヤモンドではないでしょうか…それにこれは夫と私の瞳に色だわ…!」
「本当だわ、夫と私の瞳の色だわ」
箱を開けると、感動の声が広がり、会場は更に華やかになる。それぞれがブローチを大切そうに手にとっては胸に抱きしめていた。
「あなた方が家門を支えてくれるからこそ、公爵家は正しくあなた方を導け、共に歩むことができます。そして、これからはアマリアもその中に入り、共に参ります。どうぞ、これからも苦楽を共にありましょう」
にっこりと微笑むクリスティに涙ぐむ夫人さえいた。アマリアはその圧倒的な存在感と所作にすっかり魅了されてしまっていた。
しばらくして、アマリアは席を移動し、別の夫人らとテーブルを共にしていた。ここには、アマリアよりは何歳か年上だが、まだ比較的に婚姻を結んでから年月が浅く、公爵家の家門に加わって新しい夫人ばかりが集まっていた。
「私は、少々夫と歳が離れておりまして、最初はどうなることかと思うこともありましたが、クリスティ様が何度も何度もお手紙を書いてくださって…どれほど心の支えになったことか…お手紙からクリスティ様の香水が香って、本当に懐かしい気持ちでおりましたの」
「私も2年前に出産するときにはたくさんの贈り物を頂戴しました。嫡男でしたので、またお祝いに皆様もわざわざ足を運んでくださって…産後の体調が思わしくなく、お茶会の参加も叶わず、今日はこうして伺えましたこと本当に光栄に思っております」
「本当に、皆様、助け合っていらっしゃるのね…私にもそんな風にできるのかしら…」
アマリアが不安そうにつぶやくと、夫人たちは優しく微笑む。
「アマリア様、ご心配には及びません。私たちがお守りいたします。公爵夫人になられるアマリア様はどうぞ心安らかにいらっしゃってください。これから大事なお役目もございますから」
「はい…」
その意味がわかると、頬が赤くなってしまう。その様子を席を囲んだ夫人らは微笑ましく見つめていた。
「そうですわ、私がパトロンをしております作家が新しく本を出しましたの。ぜひ、皆様にご一読いただきたくて持って参りましたわ。ぜひお持ち帰りくださいませ」
アマリアは夫人の使用人から差し出された一冊の本を受け取った。その装丁には美しい薔薇が描かれていた。
『強き獅子と赤い薔薇』という本だった。作者は、マルヴィナ・バロー。貴族から平民まで幅広く愛読される恋愛小説の作家だった。
すると、本を受け取った夫人達が次々に歓声を上げる。
「これは、マルヴィナ・バローの新作ですの?ずっと楽しみにしておりましたの。ありがとうございます!」
「まぁ、もう新作ができましたの?前作の『黒薔薇と王子』も読みましたわ。この薔薇をモチーフに描かれた作品が大好きですの」
「よかったですわ。今回は、辺境伯がモデルですのよ。マルヴィナが流行り歌からイメージが沸いたようですわ」
「それで、強き獅子なのですね。読むのが楽しみですわ」
アマリアは辺境伯と聞き、未だに辺境付近の小さな村々の住民との小競り合いが続いていたり、盗賊が多く出没する地域であると思い出していた。隣国のバルク国に行くにはその砦を通るのが一番早く、輸入と輸出のためにもそこは要所であり、その安全を保つために辺境伯は歴代かなりの戦に長けた者となる。
いざこざが続くせいで、王宮でのパーティなどにもほとんど参加することができず、数年に一度、陛下に謁見できればいいほうという、特殊な存在でもあった。
バルク国といえば、ケイシーは元気にしているかしら。落ち着いたら手紙を書かなくては…とアマリアはふと姉のように慕っていたケイシーを思い出していた。
お茶会は終始、和やかな雰囲気の中で進み、アマリアも始まるまでの緊張はすっかりなくなり、多くの夫人らと会話をして、全員から温かい言葉をかけられていた。
今日はまだ非公式のお披露目ということで大々的な贈答品のやりとりは行わず、それぞれの夫と参加するお披露目パーティでの再会を約束して、この日のお茶会は終了した。
アマリアはクリスティに何度もお礼を言って、自室に戻った。楽しく過ごせたものの、やはり緊張していたのか体がギシギシと音を立てそうなほどであったし、脚もすっかりむくんでしまっていた。
その疲れをとるためには、侍女らによる入浴とマッサージを受けることが一番なのだが、もう一歩も動くことができないでいた。
はしたないとはわかっているけれど…とソファに横になった。そして、持っていた『強き獅子と赤い薔薇』の本のページをめくり始める。
「こんな本を読むのも久しぶりだわ…ずっとお勉強の本しか読んでいなかったもの…」
息抜きに読み始めたはずなのに、1ページ1ページと進むにつれてどんどんその世界に入り込んでしまい、エルザが湯あみの声をかけても上の空だったため、本を読むアマリアごとひょいと抱えて浴室へと歩き出した。抱えあげられて、部屋を出ようとしたところでアマリアは慌てて自分の状況に気づき、わたわたとエルザに下ろしてもらい、自分で歩いて湯あみへと向かった。
その頬とうなじがうっすらと赤く色づいていたので、恋愛小説のそういう場面に目を通していたのだろうと静かに観察しながら、これまで誰よりも頑張ってきたアマリアに完璧なお手入れをするためにその行程を確認していた。
起床後、さっと湯浴みをし、全身に香油を塗り込まれ、ガウンを羽織り、侍女たちから髪の手入れをされているところだった。
ふと漏れる吐息は公爵邸に来た頃とは考えられないほど妖艶になっていた。
アマリアは日中は様々な予定があり忙しく過ごし、夜はよく休めるようにと工夫を凝らされたあれこれのせいでヘンドリックとは寄り添って眠るだけになるため、朝に触れ合いが始まることが多い。
そのことを思い出すだけで、アマリアの頬は薄く色づいてしまう。
すっかり裸で触れ合うことに慣らされてしまったが、自分の胸や不浄の場所と思っていた場所が気持ちのよい不思議な感覚につながることがいまだに信じられなかった。そして、ヘンドリックに触れられると、自分から勝手に漏れる甘い声や液体にはいつまでも慣れることができなかった。
まるで、自分ではないようなことになるんだもの…
アマリアがふーっとため息をつく背後では、侍女たちがその様子を観察しながら、何も言わずにてきぱきと仕事をしていた。
数日前からヘンドリックには、お茶会のドレスから見えるところに印を残さないようにと通達が行っており、それが正しく実行されたことに心の中で拳を握っていた。
今日のドレスは胸元はダークブルーで始まり、足元に下がるにつれて段々と色味が濃くなり黒になるという落ち着いた色合いのグラデーションだった。
髪を下ろさずに結い上げることで、細く美しい首筋があらわになり、そこに昨日ヘンドリックから贈られたブルーダイヤモンドとオニキスのネックレスをつけると、更に艶やかになる。
数日前からの贈り物は、ブレスレットに始まり、イヤリング、ネックレスと続き、それらは全て婚約指輪とデザインを同じくしたものだった。
お茶会当日の朝、ヘンドリックがベッドで手渡したものは、二通の手紙と馴染みのある香水の瓶だった。
「まぁ!お父様とお母様からだわ!」
領地で収穫したフリージアからできる香水をアマリアは愛用しているのだが、少量しか生産できないので、自分が優先して買うことを控えていたのだが、両親がそれを贈ってくれたようだった。
手紙の中で、公爵家で大切にされているようで安心したこと、侯爵家も変わらなく過ごしていること。既に様々なところで公爵家の援助が入り、とても助かっていること。
そして、アマリアは自慢の女だから、きっとお茶会もうまくいく、安心するように、と変わらぬ優しさを伝えてくれた。
両親と離れて2週間以上になり、時折り寂しさも抱えていたアマリアには思いもよらない贈り物だった。
両親とのやりとりをしてしまうと、公爵家で学ぶ心に甘えが出てしまうと思い、公爵家で丁重にお迎えしていただいている内容の手紙は書いたが、返信はいらないと言っていたからだ。
アマリアは目を潤ませながら、ヘンドリックを見つめ、何度もお礼を言った。
ヘンドリックは静かにアマリアを抱き寄せ、しばらくそっと抱きしめたままでいた。
「アマリア、今日はきっと素晴らしい日になる。自分のしてきた努力を信じてごらん」
優しく、それでいて確固たる響きを持った言葉にアマリアは何度も頷いた。
支度を終えたアマリアは、姿見の前でふーっと息を吐き、しっかりと目を見据え、すっと姿勢を正して、クリスティの待つ庭園へと向かった。
既に会場の準備は万端で、夫人らの来訪を待つばかりだった。
クリスティも深緑の落ち着いた色のドレスを身にまとい、優雅に車椅子に座って微笑んでいた。
「とてもよく似合っているわ、アマリア。素敵なお茶会にしましょうね」
「はい、クリスティ様」
「ふふっ。緊張しなくて大丈夫よ。まずは、ここで一人一人に挨拶をしましょう。私が一緒にいるから、安心して」
「ありがとうございます。皆様にお会いできるのが楽しみですわ」
二人が顔を微笑み合っていると、にぎやかな声が響いてきた。夫人らが続々と到着したようだった。
アマリアもクリスティも姿勢をすっと正し、来客を迎えるためににこやかな笑顔を浮かべた。
「ノーランド伯爵夫人、ようこそいらっしゃいました」
「クリスティ様、アマリア様、お茶会へのご招待ありがとうございます。アマリア様、公爵様とのご婚約おめでとうございます。心よりお喜び申し上げますわ」
「ありがとうございます、まだまだ至らないことばかりですが、どうぞよろしくお願い致します」
「私のかわいい義妹をよろしくね、アビー」
「もちろんですわ、クリスティ様。誠心誠意、家臣としての務めを致します」
にこやかに伯爵夫人は微笑んで礼をすると、使用人が案内する席へと移動していった。こうして、一人一人に挨拶をしては短く言葉を交わし、30人ほどの来客との挨拶をし終わると、アマリア達も席についた。
主催のクリスティが挨拶をして、にこやかな雰囲気でお茶会が始まった。
アマリアはクリスティの隣に座り、爵位の高い夫人らとテーブルを囲んでいた。
「今日は本当に完璧な日和ですわね。お天気も良いのに心地よい風まで届いてきますわ」
「本当に。アマリア様とこうしてご一緒できることを心待ちにしておりましたので、とても嬉しいことですわ」
「皆様、ありがとうございます」
「アマリア様が紅茶がお好きとお伺いして、私の領地で生産している紅茶を持って参りましたの。ぜひ、お召し上がりくださいませ」
「まぁ、それはお気遣いありがとうございます。侯爵夫人の領地では紅茶や小麦の生産が豊富であると伺いました。凶作の時には備蓄しているものをご自身の領民だけでなく、他のところにまで支援をなさっているとか。それを伺いましたときには感銘を受けました」
「そんな、当然のことをしたまでですわ。私どもは、助け合うことを至極当然のこととして受け入れているのです。こうしてクリスティ様のお茶会で集まっては情報交換をしまして、不足があるところにはお互いに手を差し伸べ合って、どこの領民も困らないように尽力しておりますわ。夫たちは政治には長けておりますけれど、結局裏で細かく調整をしたり、波風を立てないように立ち回るためには私たちがこうして正しい関係性を保っていることが一番なのです」
テーブルに同席している夫人らが強く頷く。
「クリスティ様、先日マダム・イベットが皇太子妃様へのドレスのお仕立てで、私どもの最高級タフタをお気に召したようですわ」
「そう、やはりタフタでしたわね。では、最高級は王室を最優先に、皇太子妃様の装いを真似する貴族が続くでしょうから、予定通りその下のランクのものを貴族には主流に、裕福な平民には扱いやすいよう別の素材も加えたうえであくまで高級感を失わないようにね」
「はい、ご指示頂いた通り、手筈を整えてございます」
「あなた達の商会はとても優秀だわ。これでもうこれまでの負債もなくなったのではなくて?」
「全てクリスティ様のご助言があってこそでございます。積み荷ごと船が難破したのが続いたときには、もう爵位の返上まで考えました…」
伯爵夫人が白いハンカチで目元をおさえると、クリスティは優しく微笑みかけた。
「いいえ、決して諦めずに手を尽くしたあなたの力よ。そして、みなさん、領民が飢えることなく数年を過ごせたこと、あなた方の協力なくしては成り立ちませんでした。私が代わりにお礼を申し上げます」
その場にいる者全員に響くように、はっきりとそして、悠然を見渡しながら力を込めて言うと頭を下げた。
「そして、これは私からの少しばかりのお礼の品です。どうぞ受け取ってください」
クリスティが指示をすると、使用人たちが小さなベルベットの箱を席についている夫人たちに一つずつ差し出す。
「ま、まぁ、なんて素敵なブローチ」
「公爵家の証であるオニキスと…これはブラックダイヤモンドではないでしょうか…それにこれは夫と私の瞳に色だわ…!」
「本当だわ、夫と私の瞳の色だわ」
箱を開けると、感動の声が広がり、会場は更に華やかになる。それぞれがブローチを大切そうに手にとっては胸に抱きしめていた。
「あなた方が家門を支えてくれるからこそ、公爵家は正しくあなた方を導け、共に歩むことができます。そして、これからはアマリアもその中に入り、共に参ります。どうぞ、これからも苦楽を共にありましょう」
にっこりと微笑むクリスティに涙ぐむ夫人さえいた。アマリアはその圧倒的な存在感と所作にすっかり魅了されてしまっていた。
しばらくして、アマリアは席を移動し、別の夫人らとテーブルを共にしていた。ここには、アマリアよりは何歳か年上だが、まだ比較的に婚姻を結んでから年月が浅く、公爵家の家門に加わって新しい夫人ばかりが集まっていた。
「私は、少々夫と歳が離れておりまして、最初はどうなることかと思うこともありましたが、クリスティ様が何度も何度もお手紙を書いてくださって…どれほど心の支えになったことか…お手紙からクリスティ様の香水が香って、本当に懐かしい気持ちでおりましたの」
「私も2年前に出産するときにはたくさんの贈り物を頂戴しました。嫡男でしたので、またお祝いに皆様もわざわざ足を運んでくださって…産後の体調が思わしくなく、お茶会の参加も叶わず、今日はこうして伺えましたこと本当に光栄に思っております」
「本当に、皆様、助け合っていらっしゃるのね…私にもそんな風にできるのかしら…」
アマリアが不安そうにつぶやくと、夫人たちは優しく微笑む。
「アマリア様、ご心配には及びません。私たちがお守りいたします。公爵夫人になられるアマリア様はどうぞ心安らかにいらっしゃってください。これから大事なお役目もございますから」
「はい…」
その意味がわかると、頬が赤くなってしまう。その様子を席を囲んだ夫人らは微笑ましく見つめていた。
「そうですわ、私がパトロンをしております作家が新しく本を出しましたの。ぜひ、皆様にご一読いただきたくて持って参りましたわ。ぜひお持ち帰りくださいませ」
アマリアは夫人の使用人から差し出された一冊の本を受け取った。その装丁には美しい薔薇が描かれていた。
『強き獅子と赤い薔薇』という本だった。作者は、マルヴィナ・バロー。貴族から平民まで幅広く愛読される恋愛小説の作家だった。
すると、本を受け取った夫人達が次々に歓声を上げる。
「これは、マルヴィナ・バローの新作ですの?ずっと楽しみにしておりましたの。ありがとうございます!」
「まぁ、もう新作ができましたの?前作の『黒薔薇と王子』も読みましたわ。この薔薇をモチーフに描かれた作品が大好きですの」
「よかったですわ。今回は、辺境伯がモデルですのよ。マルヴィナが流行り歌からイメージが沸いたようですわ」
「それで、強き獅子なのですね。読むのが楽しみですわ」
アマリアは辺境伯と聞き、未だに辺境付近の小さな村々の住民との小競り合いが続いていたり、盗賊が多く出没する地域であると思い出していた。隣国のバルク国に行くにはその砦を通るのが一番早く、輸入と輸出のためにもそこは要所であり、その安全を保つために辺境伯は歴代かなりの戦に長けた者となる。
いざこざが続くせいで、王宮でのパーティなどにもほとんど参加することができず、数年に一度、陛下に謁見できればいいほうという、特殊な存在でもあった。
バルク国といえば、ケイシーは元気にしているかしら。落ち着いたら手紙を書かなくては…とアマリアはふと姉のように慕っていたケイシーを思い出していた。
お茶会は終始、和やかな雰囲気の中で進み、アマリアも始まるまでの緊張はすっかりなくなり、多くの夫人らと会話をして、全員から温かい言葉をかけられていた。
今日はまだ非公式のお披露目ということで大々的な贈答品のやりとりは行わず、それぞれの夫と参加するお披露目パーティでの再会を約束して、この日のお茶会は終了した。
アマリアはクリスティに何度もお礼を言って、自室に戻った。楽しく過ごせたものの、やはり緊張していたのか体がギシギシと音を立てそうなほどであったし、脚もすっかりむくんでしまっていた。
その疲れをとるためには、侍女らによる入浴とマッサージを受けることが一番なのだが、もう一歩も動くことができないでいた。
はしたないとはわかっているけれど…とソファに横になった。そして、持っていた『強き獅子と赤い薔薇』の本のページをめくり始める。
「こんな本を読むのも久しぶりだわ…ずっとお勉強の本しか読んでいなかったもの…」
息抜きに読み始めたはずなのに、1ページ1ページと進むにつれてどんどんその世界に入り込んでしまい、エルザが湯あみの声をかけても上の空だったため、本を読むアマリアごとひょいと抱えて浴室へと歩き出した。抱えあげられて、部屋を出ようとしたところでアマリアは慌てて自分の状況に気づき、わたわたとエルザに下ろしてもらい、自分で歩いて湯あみへと向かった。
その頬とうなじがうっすらと赤く色づいていたので、恋愛小説のそういう場面に目を通していたのだろうと静かに観察しながら、これまで誰よりも頑張ってきたアマリアに完璧なお手入れをするためにその行程を確認していた。
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