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人の口には戸が立てられないから、耳栓しときます

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騒動が起きたのは、俺が職場の寮から引っ越した日だった。

俺の部屋から次々と運び出される荷物に、引っ越しを知らなかった同僚や先輩・後輩で、寮にいたやつらが代わる代わる見に来ては声をかけてきた。

「どこに引っ越すんだ?」「変な時期だな」「何かまだ使えるけど捨てるやつってないですか?」なんて感じで。
その時、部屋には玲奈さん…ではなく、玲奈さんのお義兄さんの婚約者である光さんがいた。
玲奈さんは引っ越し先の部屋で待機していて、休みを取ってくれていた光さんがわざわざ車で来てくれていた。
俺の荷物は俺と光さんの車で十分運び出すのに事足りたから、とてもありがたかった。

そのうち、部屋の奥にいた光さんの存在に気づいた同僚達がにやにやしながら「あ~そういえば結婚するとかなんとか言ってたな」「よかったな~」って言いだした。
光さんは挨拶に来ようかと俺と目が合ったけれど、めんどくさいことになるのは目に見えていたから、俺は表情で来ないでほしいと伝えた。
光さんは小さく頷いて、奥の部屋へと下がっていってくれた。

「まじ、おまえにぴったりの相手じゃん」

「よかったな~、おまえみたいのでもちゃんと相手にしてくれる人がいてよ~」

薄ら笑いってのは、どうしてこうも人の気持ちをどす黒く変色させていくんだろうか。
悪意を受け取ってはいけない。横に流すだけでいいんだと思ってはいても、大切な人を悪く言われて感情を揺さぶられない人はいるんだろうか。

「忙しいので、失礼します」

俺の淡白な反応が期待外れだったのか、それ以上言及はされずにすんだ。
ドアを閉めて、ため息をつくと、光さんが段ボールを抱えて奥の部屋から出てきた。

「ほっときな、あんなの。玲奈と一緒にいると覚悟決めたんなら。何言われても笑っとくことだよ」

「はい、ありがとうございます」

「私も散々言われたし、今でも言われる。それでも私じゃなきゃ嫌だって全身で伝えてくれる存在がいるんだからさ、幸せなことだよ。結局、自分の人生で一番長く一緒に過ごすのは、悪口を言うやつらじゃなくて、自分が選んだパートナーなんだから」

「…ほんとにそうですよね」

玲奈さんと自分が釣り合う釣り合わない以前に、光さんのことを侮蔑的に言われたことが無性に腹が立って、今からでも反論に行きたい気持ちがふつふつと湧いてきた。
それを見透かしたように光さんが笑いながら言った。

「そんなことしてくれなくていいよ。私からしたら二度と会うかもわかんないような奴らに何言われようとどうってことないから」

「…はい…」

俺が肩を落として返事をすると、光さんが声を上げて笑った。

「ほんっとに、熊野君は玲奈にも蓮人にもよく似てるわ。あの二人もさ、私が何か言われると殺気を隠すことなく『なんだてめー』みたいになっちゃうからね。ほんとあの顔に似合わない漢っぷりよ」

「確かに、玲奈さんは時折とてもたくましく思えるときがあります」

「そうだね~。不思議な魅力のある子だよ、ほんと。脆いところもあるから心配してたけど、熊野君いてくれてうちらはほんとに安心させてもらってる」

「いえ、俺なんてたいしたことできてないですよ」

そんなやり取りをしているうちに、運び出す荷物は玄関に次々と積まれ、俺が車にどんどん乗せて、光さんは部屋の掃除をしてくれていた。
全部が終わったのはもう夕方で、休憩は入れていたものの腹が減って仕方なかった。

「光さんもお腹すきましたよね。このまま家に戻っても大丈夫ですか?どこかで軽く食べるか、買うかしますか?」

「熊野君、甘いよ。もうこの時間帯なら蓮人もあっちの家でスタンバイしてるはずだから、あの二人を置いて私達だけどこかで食べるとかなったら、お仕置きひどいと思うよ」

「え?」

「たぶん…熊野君に一番堪えるのは『おあずけ』だろうから、そういうお仕置きが待ってると思うけどね」

ありえる。玲奈さんのことだから、悶々とする俺の様子さえふふって優雅に笑って、収まりのつかないものを指先で撫でるくせに平気な顔で「お仕置きだから仕方ないよね」とか言いそうだ。
いつになく具体的に想像できる事態にぶるぶると首を振った。

「あはは。それにきっと蓮人がおいしいもの持って帰ってきてるか、あそこで作ってると思うよ。ちょっと我慢すればいいなら、もうそれで私はいいし。動いてる間って案外お腹すいてるの忘れるもんだしね」

「よかったです。それなら、俺も家に帰ってからでいいです」

車の鍵をそれぞれ持って、駐車場へ移動した。

「じゃあ、また後で」

光さんは颯爽と自分の車に乗り込んで、俺の荷物の半分と共に出発した。
頭を下げた後、その車を見送ってから、俺も自分の車に乗り込んだ。
ふと、玲奈さんとお義兄さんが似ているという話と、お仕置きの話が浮かんだけれど、なんだかあの二人のことを想像するのは下世話な気がして、それ以上考えるのはやめにした。

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