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番外編
名前のない関係(ヒロイン高2)
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6月も半分以上が過ぎた。この季節は梅雨で毎日が灰色の雲に覆われてしとしとと雨が降っている。今日も同様の天気だった。
そんな天気が続くから家でできる趣味で時間を潰している。
幸い字を書くのも絵を描くのも私は好きなので梅雨の過ごし方にあまり困らない。
自室の机に向かって絵を描いていると後ろから声をかけられた。
「ねえ、お願いがあるんだ」
振り返ると恐ろしいほどに整った容貌の少年がいた。
この少年は去年の8月の末に亡くなったクラスメイトだ。
だけど私への想いを捨てきれずに幽霊となってずっとそばにいる。そして紆余曲折を経て魂を結びつけられて文字通り一蓮托生となってしまったのだ。
「何?」
「僕をモデルにして絵を描いて欲しいんだ」
「どうして?」
「僕ね、もうすぐ誕生日なんだ。だからほのかからのプレゼントが欲しいなって思ったんだ」
「え?そうなの?誕生日はいつ?」
「7月7日、七夕だよ」
意外だ。彼の放つ冷たい雰囲気からてっきり冬生まれだと思っていたがそうではないらしい。
七夕が誕生日なら後2週間前後だ。
「本当にもうすぐだね。でもなんで絵なの?」
「それはね……幽霊になった僕は鏡にもカメラにも姿が映らなくなったでしょう?」
彼は見てと言って部屋に置いてある姿見の前に立つ。だけれども鏡の中に彼の姿はない。幽霊となった彼はどんなものにも映らなくなった。
霊が映る代表的なものとして写真がある。けれど彼はその写真に姿を現す事はない。
「だから段々自分の顔がわからなくなっていくんだ。今の段階でも朧げにしか覚えていない。自分がどんな顔をしていたのか知りたいんだ」
「陽光君の気持ちはわかったよ。でも私決して絵は上手じゃない。陽光君の事ちゃんと描ける自信がない」
私の絵ははっきり言ってお遊びレベルだ。平均的な画力で面白くも何もない。それどころか陽光君の方がずっと上手に絵を描く。
「そんなことは気にしなくていいよ。僕の事が見えるのは君だけだ。何よりも君に描いてもらいたい。君の瞳にはどう僕が映っているかが知りたいんだ。ねえいいでしょう」
切ない声で懇願されるととても断りにくい。
あとこの綺麗な顔でお願いされると私はついつい流されてしまう。
本人には決して言わないが陽光君の顔は私のタイプど真ん中だ。というか信濃家全員が好む顔立ちだ。
「わかった。でも出来が悪くても文句言わないでね」
「僕が言うわけないじゃない」
こうして私が初めて人に頼まれて絵を描くことになった。だけどこんなに綺麗な男の子がモデルなのは緊張する。
私にこの美しさが表現できるのだろうか。
「椅子に座って。久しぶりに絵を描くから時間かかるかも。退屈だったら言ってね」
「わかったよ」
絵の制作を始めてから数日が経った。
陽光君は絵を描いている私から目を逸らすことなくずっと微笑んでいた。
背筋がピンと伸びていて姿勢がとてもいい。座っているだけで絵になる。
「ねえ何が楽しいの?」
「君の真剣な顔も素敵だなって思って見てたんだ」
彼は息をする様にこう言った甘い言葉を投げかける。
生前の大人しくて口数が少なかった頃とは別人のようだ。
表情だって出会った頃は氷のように冷たくて無機質だったけど今は大分表情も豊かになった。
「えっ?」
「君が僕に向ける真剣に眼差しがとても愛おしいんだ。こういう風に君が僕の事をじっと見つめてくれる機会なんてそうそうないからね」
「恥ずかしい事言わないでよ」
「だって本当の事だもの。今この瞬間、君の視線や意識は全て僕に向いている。そう考えただけで嬉しくて嬉しくて仕方がないんだ」
「そんなことで嬉しいの?」
「もちろんだよ。好きな人にずっと意識を向けてもらいたいって言うのはおかしい?」
「おかしくはないけど……」
「君の言いたい事はわかるよ。だってぜーんぶ顔にでてる。本当にわかりやすいね」
「陽光君って結構性格悪いよね。だって私の反応を見てとても楽しそうに笑っているんだもの」
「僕の性格が悪い?そんなの今更でしょう」
絵を描いていて改めて気がついた。彼は本当に隙がないほどに綺麗な顔立ちをしている。
彼とは毎日ずっと一緒にいる。だけどこうして陽光君の顔を集中してじっと見るのは初めてだ。
暗い部屋だと僅かに光って見える不純物など一切ない真っ白い肌。その白い肌は凹凸が一切感じられなくて雪でできているようだ。
サラサラとした真っ黒い髪の毛は上等な黒檀のようだ。
男性にしては少し細めの整った形の良い眉に、切れ長で涼しげな瞳。瞳の色は彼岸花みたいな鮮やかな赤色だ。
その目を縁取る長く濃い睫毛、通った鼻筋に淡く色づく薔薇色の唇。
形の良いパーツが小さな顔にバランスよく配置されている。
しかも霊になってからは彼が放つ独特の色気のある妖美な雰囲気が美貌を強調していた。
綺麗すぎる顔は人間のものだとは思えない。私が知る限り完璧な造形美を誇っている。
まるで精巧な美術品を見ているようだ。あるいは人を惑わすために生まれた妖のようにも見えた。
今の彼の姿はあまりにも見目麗しい。彼の美貌に魅了されて全てを捧げる人間が現れてもおかしくない。生まれる時代が違えば男版かぐや姫にだってなれただろう。
本当に私で良かったのだろうか。それでも鉛筆を紙に滑らせ絵を描き進めていく。
トントンとドアをノックする音が聞こえる。
「おねーちゃーん。今部屋入ってもいい?」
あずさの声がドア越しに聞こえる。
時計に目をやる。まだ夕食の時間には早い。おそらく漫画とかを借りに来たのだろう。
あずさとは気軽に部屋を出入りする仲だ。
いいよと返事をしようとする。だけど声が出ないし体が動かない。
「だーめ。今は僕だけを見ていて」
その言葉とともに不思議な力で部屋の扉を閉ざしてしまう。
彼は赤い目を細めて私に微笑む。
そしてすぐに扉の向こうを鋭い目で見据える。
彼はあずさにすら嫉妬している。あずさは妹だ。しかも私より歳下で今は11歳、まだ小学校5年生の女の子だ。
陽光君とは決してライバル関係にはなり得ない。それどころかあずさは陽光君のことを「王子様のお兄ちゃん」と大層気に入っていた。
あずさが私をライバル視する方がずっと現実味がある。
「あれ? ドアが開かない?お姉ちゃん、部屋に鍵でもつけたのかな? しかも返事もない。寝てるのかな? じゃあ後でいいや」
あずさがノックをしてからドアノブをまわす。しかし陽光君の不思議な力のせいでドアは開かない。
あずさが諦めてその場を離れていくのが足音でわかった。あずさが去っていくと同時に体の自由が戻ってくる。
「陽光君、相手はあずさよ。いくらなんでも大人気ないわ」
「知ってるよ。ごめんね。だけど今この瞬間は僕が君を独り占めしたいんだ。あずさちゃんにだって邪魔はさせない。ねえ僕を見てよ、僕に意識を向けて」
「陽光君……」
いつのまにか目の前にいた彼は私の顎に白く細い指を這わせて持ち上げる。その仕草も上品ながら色気があってどこか婀娜っぽい。
氷のように冷たい手は触れたところから熱を奪っていく。その感覚は体温どころか生気すら奪われている気がした。彼のこういった所が未だに怖い。冷たい炎のように独占欲が静かに燃えている。
顔があげられる事で彼の赤い瞳を見ざるを得ない。流れたばかりの真っ赤な血のような瞳には不思議な魔力がある。目を逸らしたいのにそれができない。
赤い虹彩と黒い瞳孔のコントラストにのまれそうになる。
彼との付き合いも1年近くになる。だから彼の異常な独占欲に慣れたつもりでいた。
実際に陽光君は嫉妬の炎で私の周りの人間を遠ざけていった。
それだけじゃない。愛という言葉を盾にして怖い目にたくさん遭わされた。そして多くのものを奪われた。
それでも陽光君の想いが本物だって知ってしまった。だから受け入れた。受け入れたはず。
だけど今でも彼に言葉を、気持ちを向けられると体に冷たいものが流れて肌が粟立つ時がある。
彼の手に心臓を鷲掴みにされている感覚に陥る。そして愛の奈落に引きずり込まれそうになる。
ううん、もう既に落ちてしまっているかもしれない。
「陽光君、顎から手を離して。絵の続きが描けないから」
「うん。ごめんね、怖かった?」
また顔に出ていたみたいだ。陽光君の冷たい手が顔から離れていく。
そして私は再び鉛筆を手に取って絵を描きあげていく。
***
7月7日の夕方の事だった。
やっと絵が出来上がった。下書きを終え、着色も無事に終えた。
納得いかない事も多かったから進捗はかなり悪かった。それでも1つの作品として完成することはできた。
私の狭い部屋でお披露目会が始まる。
「絵ができたよ」
「ありがとう。楽しみにしていたんだ」
「お誕生日おめでとう」
スケッチブックを開いて見せる。
決して上手ではない色鉛筆画だ。だけど今まで1番真剣に書いたし出来栄えも最高のものだと思う。
「君にとって僕はこう見えたの?」
「これが私を見ている時の貴方の顔だったの」
私がスケッチブックに描きあげたのは椅子に座って赤い目を細めて穏やかに微笑む少年だった。
霊となってからの彼は表情はたしかに豊かにはなった。だけど見せる表情は怒りや悲しみ、そして私以外の他人を嘲笑する冷たい笑みばかりだった。
私が絵を描いている時は生前のようにずっと穏やかに微笑んでいたのだ。それこそおかしくなる前の穏やかで優しい陽光君に戻ったのではと錯覚するほど柔らかい表情だった。
「そっか。僕こんな顔してたんだ。自分の顔なんて死んでからほとんど見ていないから忘れそうになってた。……嬉しい。ありがとう。大事にするよ」
「よかった。上手ではないけど喜んでもらえて私も嬉しい」
「上手じゃないなんて言わないで。この絵は間違いなく君の心がこもっている。大事なのは想いだよ。君がどれだけ本気で僕を描いてくれていたかはモデルをやっていて間近で見ていた僕が1番知っている」
「そこまで褒められると照れくさいな」
「本当の事だよ。それに僕ってこんな風にも笑えるんだ。表情が硬くていつも人形みたい鉄仮面とか言われていたから少し驚いた」
確かに陽光君は表情が硬い。生前は特にそうだった。仲良くなるまでは私も同様の事を思っていた。
「そうだったの?それよりも陽光君がくるくる飛び回ってるのなんて初めて見た」
「それぐらい嬉しかったんだよ。それに君からもらう初めてのプレゼントだからね。今の僕は世界で1番幸せだよ」
陽光君は嬉しそうに宙に浮いてくるくると回る。普段ならば決して見せない行動だ。つい笑ってしまう。
いつもは年齢以上に落ちつきのある振舞いだから尚更その温度差が激しい。
ここまで喜んでくれると頑張って描いた甲斐がある。
「陽光君、貴方が良ければ……また絵を描いてもいい?」
あそこまで嬉しそうにされたらまた描きたくなってしまう。
彼はくるくる飛び回っていたがピタリと止まる。そしてふわりと私に近づいてくる。
「本当?!また描いてくれるの?嬉しいな。本当だよね?」
「もちろんよ」
「嬉しい。ほのか、約束だよ。……破ったら許さないからね」
声が僅かに低くなる。
彼の許さないは笑い話にならない。陽光君は他人の命を奪うことに躊躇がない。自分の邪魔になると思えば子供が石を退かすのと同じような感覚で他人を排除していく。
そんな彼が怒るとそれは目も当てられない事になる。
それでも私はもう逃げられないのだ。彼の執着と愛を一身に浴びて生きていくのだ。これだけの想いをぶつけてくる人が逃してくれる筈がない。
友人というには重たすぎる。だけど恋人という名の関係はどこかしっくりこないし、付き合おうと言ったわけでもない。
私と陽光君の関係にはきっと名前をつけられない。
分かっているのはこの名前のない奇妙な関係は陽光君が飽きるまで続くと言うこと。
そして彼が飽きる日なんて一生こないと言うことだ。
そんな天気が続くから家でできる趣味で時間を潰している。
幸い字を書くのも絵を描くのも私は好きなので梅雨の過ごし方にあまり困らない。
自室の机に向かって絵を描いていると後ろから声をかけられた。
「ねえ、お願いがあるんだ」
振り返ると恐ろしいほどに整った容貌の少年がいた。
この少年は去年の8月の末に亡くなったクラスメイトだ。
だけど私への想いを捨てきれずに幽霊となってずっとそばにいる。そして紆余曲折を経て魂を結びつけられて文字通り一蓮托生となってしまったのだ。
「何?」
「僕をモデルにして絵を描いて欲しいんだ」
「どうして?」
「僕ね、もうすぐ誕生日なんだ。だからほのかからのプレゼントが欲しいなって思ったんだ」
「え?そうなの?誕生日はいつ?」
「7月7日、七夕だよ」
意外だ。彼の放つ冷たい雰囲気からてっきり冬生まれだと思っていたがそうではないらしい。
七夕が誕生日なら後2週間前後だ。
「本当にもうすぐだね。でもなんで絵なの?」
「それはね……幽霊になった僕は鏡にもカメラにも姿が映らなくなったでしょう?」
彼は見てと言って部屋に置いてある姿見の前に立つ。だけれども鏡の中に彼の姿はない。幽霊となった彼はどんなものにも映らなくなった。
霊が映る代表的なものとして写真がある。けれど彼はその写真に姿を現す事はない。
「だから段々自分の顔がわからなくなっていくんだ。今の段階でも朧げにしか覚えていない。自分がどんな顔をしていたのか知りたいんだ」
「陽光君の気持ちはわかったよ。でも私決して絵は上手じゃない。陽光君の事ちゃんと描ける自信がない」
私の絵ははっきり言ってお遊びレベルだ。平均的な画力で面白くも何もない。それどころか陽光君の方がずっと上手に絵を描く。
「そんなことは気にしなくていいよ。僕の事が見えるのは君だけだ。何よりも君に描いてもらいたい。君の瞳にはどう僕が映っているかが知りたいんだ。ねえいいでしょう」
切ない声で懇願されるととても断りにくい。
あとこの綺麗な顔でお願いされると私はついつい流されてしまう。
本人には決して言わないが陽光君の顔は私のタイプど真ん中だ。というか信濃家全員が好む顔立ちだ。
「わかった。でも出来が悪くても文句言わないでね」
「僕が言うわけないじゃない」
こうして私が初めて人に頼まれて絵を描くことになった。だけどこんなに綺麗な男の子がモデルなのは緊張する。
私にこの美しさが表現できるのだろうか。
「椅子に座って。久しぶりに絵を描くから時間かかるかも。退屈だったら言ってね」
「わかったよ」
絵の制作を始めてから数日が経った。
陽光君は絵を描いている私から目を逸らすことなくずっと微笑んでいた。
背筋がピンと伸びていて姿勢がとてもいい。座っているだけで絵になる。
「ねえ何が楽しいの?」
「君の真剣な顔も素敵だなって思って見てたんだ」
彼は息をする様にこう言った甘い言葉を投げかける。
生前の大人しくて口数が少なかった頃とは別人のようだ。
表情だって出会った頃は氷のように冷たくて無機質だったけど今は大分表情も豊かになった。
「えっ?」
「君が僕に向ける真剣に眼差しがとても愛おしいんだ。こういう風に君が僕の事をじっと見つめてくれる機会なんてそうそうないからね」
「恥ずかしい事言わないでよ」
「だって本当の事だもの。今この瞬間、君の視線や意識は全て僕に向いている。そう考えただけで嬉しくて嬉しくて仕方がないんだ」
「そんなことで嬉しいの?」
「もちろんだよ。好きな人にずっと意識を向けてもらいたいって言うのはおかしい?」
「おかしくはないけど……」
「君の言いたい事はわかるよ。だってぜーんぶ顔にでてる。本当にわかりやすいね」
「陽光君って結構性格悪いよね。だって私の反応を見てとても楽しそうに笑っているんだもの」
「僕の性格が悪い?そんなの今更でしょう」
絵を描いていて改めて気がついた。彼は本当に隙がないほどに綺麗な顔立ちをしている。
彼とは毎日ずっと一緒にいる。だけどこうして陽光君の顔を集中してじっと見るのは初めてだ。
暗い部屋だと僅かに光って見える不純物など一切ない真っ白い肌。その白い肌は凹凸が一切感じられなくて雪でできているようだ。
サラサラとした真っ黒い髪の毛は上等な黒檀のようだ。
男性にしては少し細めの整った形の良い眉に、切れ長で涼しげな瞳。瞳の色は彼岸花みたいな鮮やかな赤色だ。
その目を縁取る長く濃い睫毛、通った鼻筋に淡く色づく薔薇色の唇。
形の良いパーツが小さな顔にバランスよく配置されている。
しかも霊になってからは彼が放つ独特の色気のある妖美な雰囲気が美貌を強調していた。
綺麗すぎる顔は人間のものだとは思えない。私が知る限り完璧な造形美を誇っている。
まるで精巧な美術品を見ているようだ。あるいは人を惑わすために生まれた妖のようにも見えた。
今の彼の姿はあまりにも見目麗しい。彼の美貌に魅了されて全てを捧げる人間が現れてもおかしくない。生まれる時代が違えば男版かぐや姫にだってなれただろう。
本当に私で良かったのだろうか。それでも鉛筆を紙に滑らせ絵を描き進めていく。
トントンとドアをノックする音が聞こえる。
「おねーちゃーん。今部屋入ってもいい?」
あずさの声がドア越しに聞こえる。
時計に目をやる。まだ夕食の時間には早い。おそらく漫画とかを借りに来たのだろう。
あずさとは気軽に部屋を出入りする仲だ。
いいよと返事をしようとする。だけど声が出ないし体が動かない。
「だーめ。今は僕だけを見ていて」
その言葉とともに不思議な力で部屋の扉を閉ざしてしまう。
彼は赤い目を細めて私に微笑む。
そしてすぐに扉の向こうを鋭い目で見据える。
彼はあずさにすら嫉妬している。あずさは妹だ。しかも私より歳下で今は11歳、まだ小学校5年生の女の子だ。
陽光君とは決してライバル関係にはなり得ない。それどころかあずさは陽光君のことを「王子様のお兄ちゃん」と大層気に入っていた。
あずさが私をライバル視する方がずっと現実味がある。
「あれ? ドアが開かない?お姉ちゃん、部屋に鍵でもつけたのかな? しかも返事もない。寝てるのかな? じゃあ後でいいや」
あずさがノックをしてからドアノブをまわす。しかし陽光君の不思議な力のせいでドアは開かない。
あずさが諦めてその場を離れていくのが足音でわかった。あずさが去っていくと同時に体の自由が戻ってくる。
「陽光君、相手はあずさよ。いくらなんでも大人気ないわ」
「知ってるよ。ごめんね。だけど今この瞬間は僕が君を独り占めしたいんだ。あずさちゃんにだって邪魔はさせない。ねえ僕を見てよ、僕に意識を向けて」
「陽光君……」
いつのまにか目の前にいた彼は私の顎に白く細い指を這わせて持ち上げる。その仕草も上品ながら色気があってどこか婀娜っぽい。
氷のように冷たい手は触れたところから熱を奪っていく。その感覚は体温どころか生気すら奪われている気がした。彼のこういった所が未だに怖い。冷たい炎のように独占欲が静かに燃えている。
顔があげられる事で彼の赤い瞳を見ざるを得ない。流れたばかりの真っ赤な血のような瞳には不思議な魔力がある。目を逸らしたいのにそれができない。
赤い虹彩と黒い瞳孔のコントラストにのまれそうになる。
彼との付き合いも1年近くになる。だから彼の異常な独占欲に慣れたつもりでいた。
実際に陽光君は嫉妬の炎で私の周りの人間を遠ざけていった。
それだけじゃない。愛という言葉を盾にして怖い目にたくさん遭わされた。そして多くのものを奪われた。
それでも陽光君の想いが本物だって知ってしまった。だから受け入れた。受け入れたはず。
だけど今でも彼に言葉を、気持ちを向けられると体に冷たいものが流れて肌が粟立つ時がある。
彼の手に心臓を鷲掴みにされている感覚に陥る。そして愛の奈落に引きずり込まれそうになる。
ううん、もう既に落ちてしまっているかもしれない。
「陽光君、顎から手を離して。絵の続きが描けないから」
「うん。ごめんね、怖かった?」
また顔に出ていたみたいだ。陽光君の冷たい手が顔から離れていく。
そして私は再び鉛筆を手に取って絵を描きあげていく。
***
7月7日の夕方の事だった。
やっと絵が出来上がった。下書きを終え、着色も無事に終えた。
納得いかない事も多かったから進捗はかなり悪かった。それでも1つの作品として完成することはできた。
私の狭い部屋でお披露目会が始まる。
「絵ができたよ」
「ありがとう。楽しみにしていたんだ」
「お誕生日おめでとう」
スケッチブックを開いて見せる。
決して上手ではない色鉛筆画だ。だけど今まで1番真剣に書いたし出来栄えも最高のものだと思う。
「君にとって僕はこう見えたの?」
「これが私を見ている時の貴方の顔だったの」
私がスケッチブックに描きあげたのは椅子に座って赤い目を細めて穏やかに微笑む少年だった。
霊となってからの彼は表情はたしかに豊かにはなった。だけど見せる表情は怒りや悲しみ、そして私以外の他人を嘲笑する冷たい笑みばかりだった。
私が絵を描いている時は生前のようにずっと穏やかに微笑んでいたのだ。それこそおかしくなる前の穏やかで優しい陽光君に戻ったのではと錯覚するほど柔らかい表情だった。
「そっか。僕こんな顔してたんだ。自分の顔なんて死んでからほとんど見ていないから忘れそうになってた。……嬉しい。ありがとう。大事にするよ」
「よかった。上手ではないけど喜んでもらえて私も嬉しい」
「上手じゃないなんて言わないで。この絵は間違いなく君の心がこもっている。大事なのは想いだよ。君がどれだけ本気で僕を描いてくれていたかはモデルをやっていて間近で見ていた僕が1番知っている」
「そこまで褒められると照れくさいな」
「本当の事だよ。それに僕ってこんな風にも笑えるんだ。表情が硬くていつも人形みたい鉄仮面とか言われていたから少し驚いた」
確かに陽光君は表情が硬い。生前は特にそうだった。仲良くなるまでは私も同様の事を思っていた。
「そうだったの?それよりも陽光君がくるくる飛び回ってるのなんて初めて見た」
「それぐらい嬉しかったんだよ。それに君からもらう初めてのプレゼントだからね。今の僕は世界で1番幸せだよ」
陽光君は嬉しそうに宙に浮いてくるくると回る。普段ならば決して見せない行動だ。つい笑ってしまう。
いつもは年齢以上に落ちつきのある振舞いだから尚更その温度差が激しい。
ここまで喜んでくれると頑張って描いた甲斐がある。
「陽光君、貴方が良ければ……また絵を描いてもいい?」
あそこまで嬉しそうにされたらまた描きたくなってしまう。
彼はくるくる飛び回っていたがピタリと止まる。そしてふわりと私に近づいてくる。
「本当?!また描いてくれるの?嬉しいな。本当だよね?」
「もちろんよ」
「嬉しい。ほのか、約束だよ。……破ったら許さないからね」
声が僅かに低くなる。
彼の許さないは笑い話にならない。陽光君は他人の命を奪うことに躊躇がない。自分の邪魔になると思えば子供が石を退かすのと同じような感覚で他人を排除していく。
そんな彼が怒るとそれは目も当てられない事になる。
それでも私はもう逃げられないのだ。彼の執着と愛を一身に浴びて生きていくのだ。これだけの想いをぶつけてくる人が逃してくれる筈がない。
友人というには重たすぎる。だけど恋人という名の関係はどこかしっくりこないし、付き合おうと言ったわけでもない。
私と陽光君の関係にはきっと名前をつけられない。
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