美少年幽霊の狂愛〜私は彼に全てを奪われる

べーこ

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本編

冷たい口付け〜ヤンデレ幽霊との魂を賭けた鬼ごっこ

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「じゃあ僕と鬼ごっこしよう」

 そう言って綺麗に笑う男の子。身体は半透明に透けている。そう彼は死者だ。

 私の夢の中で繰り広げられる亡霊との鬼ごっこ。舞台は大きな西洋風の屋敷。

 ゲームの提案者である彼曰く「こっちの方が雰囲気的にもロマンチックでしょう?」とのことだ。

 先程まで追ってきていた彼を無事に撒くことができた。
 何年ぶりに全力で走ったのだろう。壁にもたれかかって、座り込む。

 広い屋敷を無我夢中で走ったから今どこにいるか自分でもあまりわかってない。

 夢の中の出来事のはずなのに全ての感覚は恐ろしいくらいに現実と変わらなかった。

 全力で走ったから息切れを起こしている。
 さらに結構な距離を走ったせいか喉から血の味がする。

 私の事を探している鬼がいないか確認するために周囲を見渡す。視界には誰もいなかった。それに彼から漂う熟れた果実のような重々しくて独特な香りもしなくなっていた。

 安心したのか体の力が抜けていくのを感じる。だけどまだゲームは終わったわけじゃない。見つかる恐怖、追いかけられる恐怖ってこんなに心臓がバクバクするものだというのを初めて知る。

 彼が提案した制限時間10分の鬼ごっこ。

 絶対にこの勝負は負けられない。負けたら魂の半分が奪われる。実質命をかけたゲームだ。だけど勝てば腐った果実のように甘ったるい悪夢の日々から解放される。たかが10分されど10分。このたった10分間で私の命運が決まる。

 大分時間が経った気がして、時計に目をやる。薄暗い部屋だからよく時計の文字盤が見にくくて仕方がない。それでも目を凝らして確認する。残り3分。3分逃げ切ればいいという安心感よりもまだ3分も残っているのかという負の気持ちの方が強かった。

 だけどこの3分間を乗り切れば悪夢から解放される。
 どうしてこうなってしまったんだろう。

***

 私に執着する亡霊の彼はかつては私のクラスメイトだった。
 名前は赤城陽光あかぎようこう

 赤城君はクラスで、いや学校中でも浮いた存在だった。友人らしき友人はおらずいつも1人でいる。だけどそれはいじめにあっているわけでもなく彼に誰も近寄ることができないが故だった。そんな彼は孤高の存在だった。

 彼が浮いた存在だったのは人間離れした美しすぎる容姿のせいだった。

 最初見た時は美少年と言う概念が現実に抜けて出てきたと思ったくらいだった。

 射干玉の髪と新雪を固めたような白く滑らかな肌。思春期だというのにニキビや吹出物ひとつない綺麗な肌。
 華奢でスラリとした体躯は姿勢の良さと相まってモデルのように均整の取れたものだった。

 黒い髪と白い肌のコントラストが印象的で全体的に無彩色という言葉が似合う彼。だけどそのおかげで切れ長のヘーゼルナッツの明るい色の瞳が映えて見える。それはけぶるように生えた長く濃い睫毛に縁取られている。
 薄い唇は青味のある艶やかなローズピンクだった。

 顔立ちはかなり近寄り難い部類だ。整いすぎていて作り物の印象を与えるのだ。その無機質で人間味の感じない冷たい雰囲気の美貌。怜悧な美貌とはこの事を言うのだろう。
 そしてほとんど動かない表情。まるで出来のいいビスクドールを見ているようだった。

 他の同級生よりも落ち着いた物腰も相まって高校生とは思えない凄絶な色気を発していた。
 人間ではなく吸血鬼とかでも納得してしまうような美貌だった。

 彼と並べばお茶の間を賑わせている男性芸能人だって霞んで見えてしまうだろう。

 もちろん当初は私と赤城君はクラスメイトという接点しか無かった。

 接点ができたのは初夏の頃だった。
 私と彼を繋いだのは1冊の本だった。

 その時私はあまり有名ではないけれど知る人ぞ知るミステリー作家の著書に夢中になっていた。

 ミステリー小説の割に事件のトリックはあまり目を引くことはない。けれど登場人物の心理描写と巧みな文章で最後まであっという間に読ませる構成力が評判だった。
 実際に1度読んでみるとページを繰る手が止まらなかった。

 だけどその本を読んでいる人は周りには誰もいない。友達に訊いてもみんな知らないと首を振るのだ。
 その本について語りたいけれど語ることもできなかった。好きなものを一緒に話せる人間がいなかったのだ。

 だけど、ある日私は赤城君が休み時間にその著者の本を読んでいるのを見た。その時彼とお話がしてみたいと思っていた。実際に赤城君はいつも本を読んでいてずっと気になってはいたのだ。

 だけど赤城君の噂を知っていたし、独特の雰囲気のせいで声をかけることができなかった。
 それでも気になったので数日してから周りに人がい
ない時に声をかけた。
 これは人生でも上位に入るくらいに緊張した。

「赤城くん」
「何?」

 赤城君の男子にしては少し高く透明感のある声が聞こえた。そしてこちらを向いた。その仕草ですら絵になるのだから美形はずるい。

 だけど冷たい瞳がこちらを射抜くように見えてちょっと怖い。しかも表情がないせいで何を考えているかわからない。もしかして不快だったのだろうか。だけど声をかけてしまったので、思っていたことを話す。

「えーっと、赤城くんがこないだの昼休みに読んでいた本あるでしょ?実は私もその本の作家さん好きなんだ。でも周りに読んでいる人いなくて、その本読んでる人初めてだからつい声かけちゃった」

 緊張しているせいか声が上擦る。何せ私と赤城くんはまともに喋るのはこれが初めてなのだ。

「信濃さんもこの本好きなの?」
「うん、今すごいはまってる作家の1人なんだ。でも誰も知らないみたいで……」
「僕も好きだよ。周りで読んでいる人は初めてだよ」
「それで図々しいんだけど、その本や作家さんについて感想話せたらなあって思って……」
「いいよ」

 意外とあっさり返事が来た。てっきりバッサリ断られると思ったのだけど。せっかくなのでもう一歩踏み込んでみる。

「せっかくだから連絡先も交換しない?学校で喋れるかどうかわからないし
「わかったよ。今連絡先渡すね」

 赤城君はメモを取り出してシャープペンシルでサラサラと番号を書く。

 渡された連絡先を見て驚いた。とても字が綺麗なのだ。クセのない整った字は私がなりたいと思う理想の字だった。

「赤城君ってすごい字が綺麗なんだね」
「ありがとう」

 赤城君の声は気のせいかちょっとだけ嬉しそうに聞こえた。

 この出来事がきっかけで私と赤城君の距離は縮まった。私と赤城君は気が合うようだった。

 彼と話すようになって気がついたのは私と赤城君は好きなものが結構同じだと言う事だ。

 好みの作家、好きなお弁当のおかず、テレビ番組だったり。そのおかげで話が盛り上がることも多かった。

 同性の友人といる時と違って話しを合わせる必要もなくてかなり気が楽だった。

 そして一緒にいて気がついたけど赤城君は意外と感情表現が豊かだ。
 最初こそ表情が乏しかったし、声も小さく抑揚をつけずに淡々と話すから何を考えているかもどんな感情を抱えているかもわかりにくかった。

 だけど、よく見ると小さいけれどちゃんと感情を表に出している。嬉しい事があればちょっとだけ声が明るくなる。困ったことや嫌なことがあれば眉が少しだけ下がって、声が暗くなる。

 初対面時の無機質で近寄りがたい印象とは大きく変わった。
 
 それからは赤城君と2人で遊びに行くことも増えた。とは言っても大体は図書館で落ち合って時間まで互いに好きな本を読む。

 時間に余裕がある時は近くの喫茶店で読んだ本の感想だったりオススメの本を語り合う。

 赤城君が私に面白いと教えてくれた本は本当に面白いものだった。私のツボを絶妙に抑えつつ読んだことのない本を紹介してくれた。

 その後は現地解散しておしまいだ。
 女友達と行くショッピングや喫茶店でのお喋りとは全く違う時間で心地いい時間だった。

 ただ赤城君といる時は周りの視線がすごかった。みんな赤城君をに見惚れていた。あれだけ綺麗な男の子だからみんな振り返ってしまうのだろう。実際私が知っている中で1番綺麗な男の子は間違いなく赤城君だった。



 距離が近づけば関係が変わる。それは当然の話だ。
 赤城君と仲良くなってから私たちの関係は少しずつ変わった。

 まず一緒に登下校する日がたまにできた。途中まで通学路が一緒らしい。だから会えば一緒に学校まで登校する事もあった。
 さらに登下校のお誘いは意外にも赤城君からくることが多かった。最初は男の子と2人で登校だから緊張した。だけど彼と話すのはとても楽しい。

 友達となかなか話せない本の話や色々な話ができる。
 もっとも帰宅部の赤城君と書道部の私ではあまり時間は合わない。だから2人で帰り道を歩くのはそんなに多くなかった。たまに過ごす時間だからこそなお貴重で幸せなものに感じたのだと思う。

 それだけじゃない。

 文化祭の準備で1度だけだが帰りが遅くなった時は赤城君が家まで送ってくれた事がある。最初はとんでもないとお断りした。そんな事で赤城君の時間を無駄にするわけにはいかない。何よりも男の子に送ってもらうなんて今までにない経験で恥ずかしい。

 けれど意外と押しの強い彼は危ないからダメと言って頑としてきかなかった。

 日も完全に落ちて真っ暗な道の中、彼は丁寧にエスコートしてくれた。口下手なので会話らしい会話がないけれどそれでいい。だってその静かさも含めて赤城君だから。

 夜風が心地よい強さで吹き、空を見上げると星が輝いていた。そんな夜道を男の子と2人で歩くのは初めてだった。

 赤城君が家まで送ってくれると妹のあずさが私を出迎えてくれる。あずさはまだ小学4年生で結構歳の離れた妹だ。

「お姉ちゃん、このお兄ちゃん誰?すごいカッコいい!王子様みたい」

 あずさは赤城君を見た途端に、きゃーと騒ぎ始める。
 彼は確かにあずさ好みの顔をしている。あずさは面食いだ。しかも黒髪が似合う浮世離れした美貌を持つ男の人が大好きだ。彼なんておそらく理想が服を着て歩いているようなものだろう。

「ありがとう。王子様なんて初めて言われたからすごく嬉しいよ」
「もしかしてお姉ちゃんのカレシ?」
「そんなわけないでしょ。赤城君はお姉ちゃんと同じクラスの人。たまたま夜暗くて危ないから送ってくれたの。こんなカッコいい人がお姉ちゃんの彼氏なわけないでしょ」

 あまりにもおかしくて笑い飛ばす。私とこんな綺麗な人が恋人同士なんておとぎ話でもないとあり得ない話だ。月とスッポンもいいところだ。

「へえ。赤城くんって言うんだ。そうだよね。こんなカッコいい人がお姉ちゃんと付き合うわけないっか」
「こらっあずさ!」

 私はその時あずさと戯れあっていたから赤城君の事は視界に入ってなかった。だから彼がどんな顔をしていたかなんて知らない。
 ちょっと世間話をして赤城君は自宅に帰っていった。
 あずさは赤城君が気に入ったらしく、私が帰宅するたびに王子様はいないのと詰め寄ってきた。
 
 気がつけば私と赤城君は友達と言ってもいい関係になっていた。
 赤城君と過ごすうちに彼は本当に字が上手だと言うことに気づかされた。

 授業で先生に当てられた時も黒板に書く文字はすごく綺麗だった。黒板に綺麗に字を書くのって結構難しい。だけど赤城君は先生よりもずっと綺麗な字を書いてみせる。

 達筆と言っても昔の人みたいな上手だけど崩した読み難い字ではない。読みやすく丸みの少ない字だった。

 文字の感覚が絶妙ですごくバランスがいい。現役書道部かつ小学生の時に硬筆を習っていた私よりもずっと字が綺麗だ。

 それにすごく私好みの字だ。こんな字がかけたらいいなと思ってしまう。私の理想そのものだった。

「私、赤城君の字大好きだよ」
「ありがとう。嬉しいよ」

 赤城君は顔を下に向けてしまったせいでその表情はわからない。だけど照れているのだけはわかった。

 月日が経つにつれて私と赤城君はクラスの中でも話すことが増えた。意外にも赤城君から話かけてくる事が多かった。

 話題は何てない事だ。昨日の晩ご飯のおかずだったり、歌手の新曲やテレビ番組などだ。

 一緒に過ごすうちにわかったのは彼は高嶺の花、孤高の存在という周りの評価とは裏腹に実は結構な寂しがり屋さんな男の子であるということ。

 周りが噂するような孤高の少年ではなかった。普通の大人しくて優しい男の子だった。

***
 
 7月のある日の事だった。
 赤城君に誘われて放課後に赤城君と喫茶店でお喋りをしていた。話題は文化祭の話だった。

「赤城君、すごい話題になってたよ。浴衣を着たすごいイケメンがいるって」

 赤城君はうちのクラスの模擬店でサクラとして浴衣を着て客のフリをしていたそうだ。
 下手な芸能人よりもずっと綺麗な赤城君は文化祭の間はずっと注目の的だったらしい。

 私は書道部の活動でクラスの方にはほとんど顔を出せていいなかったので友人から聞いた話しだ。

「その話はやめて。大変だったんだから。知らない女の子にひっきりなしに話しかけられてどうしていいか戸惑ったんだから」

 赤城君はウンザリしたようにため息をつく。出会った当初よりも大分感情を出すようになった。

「お疲れ様、でもそのおかげでうちのクラスの模擬店大盛況だったんだよ。間違いなくMVPは赤城君ってみんな言ってたよ」
「ありがとう。でもあまり嬉しくないな。慣れない事したせいで疲れたし、人見知りの僕にはハードルが高すぎたよ」
「赤城君って意外と普通だよね。最初の印象と大違い」
「最初の印象ってどうだったの?」
「何というか、一匹狼っていうか、高嶺の花というか。とにかくめっちゃ近寄り難かった」
「そんな印象だったの。僕、人見知りだから声かけられないだけだよ。声かけられたり遊びの誘いがあったら普通に嬉しいし。でも文化祭みたいに積極的に来られるとちょっと戸惑うかな」
「そうなんだ」
「うん。実は信濃さんが声かけてくれた時はすごく嬉しかったよ。中学の時もあまり友達いなかったし」

 そう言って笑った赤城君の柔らかい笑顔にドキッとしたのは内緒だ。彼は表情が少し柔らかくなった。こうして笑った顔を見るとやっぱり普通の男の子だ。
 だけどある出来事をきっかけに私は赤城君を避けるようになってしまう。

 その出来事はお盆が過ぎて少し経ってからだった。私たちが住んでいる地域はお盆過ぎてからすぐに夏休みが終わる。だから8月の中頃には既に学校は始まっていた。

 夏休みが明けてすぐに私はクラスの女の子に呼び出された。

 呼び出されたのは裏庭で人通りが通りかかる事は滅多にないところだ。
 待ち構えていた女の子の雰囲気は剣呑なものでいい話でない事だけはすぐに分かった。

「信濃さんさ、赤城君と仲良いけどあまり仲良くしない方が良いかも」
 開口1番そんなこと言われて戸惑わないわけがない。
「え?なんで?」
「赤城君と仲がいいからみんな信濃さんに嫉妬してるんだよ」
「そんなのたまたま気が合っただけで……」

 そんな事で嫉妬されても困る。だって私と赤城君は恋人同士ならまだしもただの趣味が合う友達だ。

「信濃さんからしたらそうかもしれないけれど。とにかく気をつけた方がいいよ。目付けられてるから。仲間ハズレにされるかもしれない。忠告はしたからね」

 そう言ってクラスの子は言いたいことだけ言ってさっさと行ってしまった。
 仲間ハズレ。
 思い出したくない言葉だった。

 それは学校という狭い世界で生きる私たちにとっては非常に大きな問題だ。

 実際に中学生の時に仲間ハズレにされた子を知っている。原因は知らない。だけどあの子の悪口を楽しそうに話したり、こそこそと私物を隠す陰湿な行為は何度も目撃していた。

 それはまるでライオンのメスが集団でよってたかって獲物を甚振るようだった。
 その事を思い出した途端に恐ろしくなった。特に女子はこういうことに敏感だ。授業でもグループ作業が入ることも多い。この時にどこのグループにも属せないのは非常に痛手となる。

 そして中学生時代に仲間ハズレにされたあの子を思い出す。ああはなりたくない!

 思いあたる節もあった。夏休み直前からどこか友人がよそよそしい態度になっていた。そして今日の彼女の言葉で腑に落ちた。赤城君と仲良くしているからだと。
 そして臆病な私は赤城君を切り捨てた。赤城君一人よりも大多数人間との安定と平穏を選んだのだ。

 それからは私からは赤城君に声を掛けなくなった。赤城君が話しかけてきても、やんわりと避けるようになった。
 赤城君は前と違って人に囲まれる事が増えた。最初は怖い雰囲気があるけれど本当の彼は穏やかで温和な人だ。きっと私がいなくても新しく友人ができるだろう。

 大丈夫。だからきっと大丈夫。お互いに出会う前に戻っただけなのだから。

 私と赤城君は同じクラスだったけど関わりはほとんどなくなってしまった。私は友達と常にいたし、赤城君は赤城君で常に女の子に囲まれるようになった。

 登下校の時間も絶対に赤城君と会わないようにずらすようにした。出会う前に戻ったはずなのにどこか寂しいと思ってしまうのは気のせいだ。

 幸いにも彼は人見知りなので同性の友達といる時は絶対に近づいてこなかった。
 私と赤城君が接触しないようクラスの女子たちは積極的に協力してきた。
 あの子が言う通り、私と赤城君が仲良いのが気に入らなかったらしい。

 赤城君との交流を絶ってから、クラスメイトとの関わりが増えた。
 色んな遊びに誘われることも多くなった。
 だけど、その誘いは心が満たされるものではなかった。どれだけ楽しい誘いでも赤城君の事が頭をよぎった。

 彼と一瞬だけ目が合う事がある。
 彼の冷たい無表情の中にもどうしてという抗議が見て取れた。僅かに揺れ動くその瞳に見つめられると罪の意識が出てきて目をそらしてしまう。

 ずっと彼のことが奥底で引っかかって心あらずだった。好きだった本を読んでも集中できないし、1人でいるとずっと彼の事を考えてしまう。だけどクラスの女子全員を敵に回してまで彼に近づく勇気はない。

 赤城君とギクシャクし始めてからそんなに経たない頃に人生初めての告白を受けた。

 相手は隣のクラスの男の子だった。書道部の友人を通してたまにお話しする人だった。

 茶色く染めた髪をワックスで遊ばせていて、大きな瞳が印象的だった。

 性格は内向的な赤城君とは正反対で、ちょっと無神経だけど明るい人だった。

「信濃ちゃんの事好きです!お試しでいいから俺と付き合ってほしい!」

 普段だったらお断りしている。

 だけど赤城君の事を考えたくなくて、気を紛らわせるために付き合う事にした。明るく話題に事欠かない彼といればいやな事を忘れられると思ったのだ。

 ただの現実逃避だ。本当に私は最低だ。いつだって自分の事ばかりだ。

 顔を合わせる度に、何かを言いたげに私を見つめる赤城君の表情は私に影を落とした。だけど私はそれを見ない振りをした。

 わが身可愛さに赤城君を見捨てた。

 それに彼も多くの人に囲まれるようになったから私なんかがいなくても大丈夫と思っていた。


 だけどこの選択を私は後悔することになる。きっと未来を知っていたら絶対にこんな選択は取らなかった。


 私が赤城君と関わらなくなってから、そして新しく恋人ができてから程なくして赤城君は亡くなった。

 交通事故だった。下校の途中に居眠り運転の車にはねられて即死だった。

 あまりにも呆気ない死だった。突然すぎてついこないだまで同じクラスにいた男の子が亡くなったという実感が湧かない。

 だけど学校でクラスでは彼の姿はもうない。そして彼の机も椅子も撤去されてしまった。もう赤城君の姿を見ることがないと思うと胸が痛くなった。
 私は赤城君にもう謝ることはできない。

 幸いにも家族葬でお葬式は済ませるとの事だったのでお葬式に出席はする必要がなかった。
 正直、少し安心した。遺影とはいえ赤城君の顔を見れる心持ちじゃなかった。
 だけど、私と赤城君の縁はここからが始まりだったのだ。

 彼が亡くなって2週間ほど経った頃だろうか。
 ちょうど9月の中頃で過ごしやすい季節になってきた頃だ。

「信濃さん」

 部屋で本を読んでいたら赤城君の声が聞こえた。彼は死んだはずだ。私の聞き間違いだろう。赤城君が死んだショックの影響かもしれない。何事もなかったかのようにページを捲る。だけど文字が頭に全く入ってこない。

「信濃さん、聞こえているんでしょう?」

 先ほどよりもはっきりと聞こえる声。その声は後ろから聞こえた。背中に冷たいものが流れる。手が震える。だけど、気がつかない振りをする。振り向いてはいけないと本能が訴える。

「信濃さん、手が震えてる。聞こえているんでしょう?」

 声がさっきよりも近くで聞こえる。間違いなくすぐ後ろにいる。だけど振り向きたくない。振り向いたらきっと何かが起こってしまう。

「そう、またそうやって無視するんだね。いいよ。実力行使するから」

 彼が言った途端に、身体が何かに押さえつけたような感覚がする。そして首だけが勝手に動き、私の意思に反して後ろを振り返る。

「やーっと見てくれたね。久しぶり、会いたかったよ」

 悲鳴をあげそうになった。だけど、不思議な力で叫ぼうとしても声は出なかった。

 死んだはずの赤城君がそこに立っていた。彼の身体は半透明に透けていてこの世のものではない事がわかる。
 前みたいな優しい笑顔ではない。どこか妖艶で甘ったるい笑顔だった。

「どうして、貴方は死んだはずじゃ……」
「死んだけどね、君への想いが強すぎて霊になったんだ。今やっと伝えられる。信濃ほのかさん、君の事が好きだよ」
「え?」
「やっぱり気がついていなかったね。僕は、君の事好きだったよ。それも初恋なんだ。それなのにあの仕打ち。ねえ、僕の事弄んで楽しかった?信濃さん、僕の心踏みにじって気持ちよかったの?」

 彼は薔薇色の唇で私へ愛の告白をする。だけど甘い愛の言葉と裏腹に表情は氷のように冷たく険しいものだった。
 彼は愛と怨みの言葉と共に霊になって戻ってきた。こんなに饒舌に喋る彼は初めてだった。

「赤城君……」
「そんなに露骨に怖がらないでよ。好きな人にそういった態度とられると悲しいよ」

 そう言って後ろから抱きすくめられる。だけど霊である彼に触れる事はできない。人の体温は当然感じられず、冷たい空気に触れている感じだった。触れられているところから熱が奪われていく感覚に襲われる。

「再び君に会えたのは嬉しいけれど触れられないのは寂しいな。君を抱きしめているはずなのに触れている感触がないや」
「赤城君、本当に貴方なの?」
「そうだよ。正真正銘、本物の赤城陽光だよ。名字じゃなくて名前で呼んで欲しいな。僕たちこれから長い付き合いになるんだから」

 そして彼からは果物のようが熟れたような甘い香りが漂っている。だけど果物と言うには重々しく毒のある雰囲気のある不思議な香り。
 生前の彼は香水をつけるような事は一度もなかったから、きっと霊としての匂いなのだろう。

「長い付き合いってどういう事なの?貴方何考えてるの?」
「言葉のままだよ。僕は君への想いで化けて出てきたんだ。だからずっと、ずーっと君のそばにいるね。太陽が昇る朝から、夕日となって沈む夜も。桜が咲き乱れる春、眩しい日差しと蝉時雨が聞こえる夏、夏の暑さが和らいで楓や紅葉が色づく秋、白い雪に覆われた雪景色と澄んだ夜空に輝く星が綺麗な冬も、季節が何度巡ってもずっとそばにいるよ」

 彼は宣言通りこの日から私に取り憑いた。

 地獄のような日々が始まった。

 陽光君は言った通り私のそばから離れようとしなかった。それこそおはようからおやすみまで、一日中彼は私の側にいた。

 起きている時だけじゃない。

 眠っていても夢の中で毎日のように紡がれる愛と呪いの言葉。彼の艶のある美しい唇から紡がれるそれは確かな重さを持っていてドロドロのジャムのようだ。そして甘く粘っこく私に纏わりついてくる。甘い毒のように私を蝕んでいく。

 眠りの世界ですら彼は私を逃してはくれない。

 そして霊となった彼は恐ろしい霊力の持ち主だった。

 花が綻ぶような微笑みをたたえながらも容赦無く私の周りを祟り、恐怖に陥れた。

 彼はまず私から恋人を奪い取った。
 本人曰く枕元にたって常に呪いの言葉を囁いただけらしい。だけど彼の言葉は恐ろしいほどの情念と不思議な響きを持ち、強力な言霊と化している。

 禍々しい呪いをのせた言葉を囁かれた彼はあっという間に廃人となってしまった。

 こないだまで太陽のように明るい彼はもういない。陽光君からの呪いの言葉に怯え、発狂する狂人になってしまった。

 今ではただ生きるだけの屍となって精神病院に入院しているそうだ。
 彼の近況を知った陽光君はざまあみろと冷たく吐き捨てた。

 次に彼の餌食となったのは陽光君にあまり近づかない方がいいと忠告をくれたあの子だった。
 彼女の死に様は目も当てられないようなものだった。遺体は四肢と首が全て胴体から離れていた。

 最も恐ろしいのは遺体の胴体には傷一つないのに心臓だけが握り潰されたようにグチャグチャだったらしい。
 人間には到底できない殺し方だった。

 もちろん犯人は彼なのだろう。だけど彼を問い詰める事は出来なかった。きっと恐ろしい返事が返ってくるから。彼は笑ってそうだよと私に答えるのだろう。

 そして彼がそんな残虐な行為に手を染めたと認めたくなかった。

 それからも不可思議な現象は起き続けた。私の事を悪くいうものは謎の死を遂げたり、時には再起不能の怪我をした。

 とにかく私に深く関わろうとする人間には不幸が起きた。間違いなく彼の仕業だった。私は彼にどうしてこんな事をするのか尋ねた。

「あはは。君を傷つけていいのは僕だけなんだもの。あいつらなんかに君を傷つけさせないし、あいつらなんかに君の関心を取られてたまるものか。僕が君だけを見ているように君は僕だけを見ていればいいんだよ」

 恐ろしい独占欲を剥き出しにして笑った彼の虹彩は生前のヘーゼルナッツのような明るい茶色ではなく、曼珠沙華のよう鮮やかな赤だった。
 その赤い鮮やかな瞳は人間にはあり得ない色だ。

 だけれど彼にはすごく似合っている。まるで彼のために誂えたような色だった。

 その赤い瞳に見つめられると心まで覗かれているようで怖い。

 いつの間にか私の周囲から人が消えていた。陽光君の祟りのせいで、私に近付くと不幸が起こると言われるようになったからだ。

 孤立するのが嫌で彼を見捨てたのに、彼を見捨てたせいで私は孤立してしまった。本末転倒もいいところだ。そして今隣にいるのは陽光君だけだ。

「寂しい?君は学校で独りぼっちになっちゃったね。大丈夫だよ。僕がずーっとそばにいてあげる。君が大人になっても、おばさんになっても、おばあちゃんになっても、死んで肉体が腐り落ちて骨しか残らなくてもそばにいてあげる」

 私の頬を撫でる仕草をして陽光君は妖艶に嘲笑を浮かべる。その美しい笑みは甘い甘い毒のようだった。

 生前では絶対に見せなかった笑い方だった。
 悪霊になってから振りまく禍々しくも妖艶な雰囲気は彼の本来持っていた美しさを一層際立たせた。今の彼は破滅的で妖魔のように魅力を身の内に秘めていた。そしてそんな邪悪な彼はとても美しかった。

 だけどこれと言った出来事がなければ生前と変わらない普通の優しい男の子だった。

 宿題をしていてわからないところがあれば丁寧に教えてくれる。教え方は下手な先生よりもずっと上手だった。

 また私が図書館に行くと一緒についてきておすすめの本を教えてくれる。

 生前を思い起こさせる優しさを見せられると一瞬だけ胸が締め付けられる思いがする。

 そしてその優しさが辛かった。彼が間違いなく私の友達だった赤城陽光君であると実感してしまうから。

 もし残虐な悪魔のような姿しか見せなかったら私は彼を赤城陽光君とは認めなかっただろう。陽光君の姿を借りた悪魔と思い込んだはずだ。

 だけどそうはさせてくれない。彼は間違いなく赤城陽光だと私に突きつける。
 愛を免罪符に悍しく残虐な行為をする彼はとても恐ろしい。

 彼は自分の「敵」だと認識した相手には容赦しない。自分の障害になると思えば眉一つ動かさず他人を破滅させていく。

 彼に目をつけられたら、それこそ破滅への片道切符だ。

***

 彼が恐ろしくて私はこっそりと有名な霊能者に除霊を依頼した。
 私の住む街は古く歴史のあるところでお寺も多い。

 地元には知る人ぞ知る有名な霊能者がいた。
 彼に相談し除霊をしてもらうと怪奇現象がピタリと止むそうだ。

 普段だったらそばに陽光君がいるからそんな行動はできない。

 けれど極々稀にだが側にいない時がある。
 彼がいない時は、大体彼にとっての「邪魔者」を監視する時や排除する時だ。

 そして今日は例外中の例外で朝から姿を見せていなかった。

 彼がいなくなる僅かな時間を利用して霊能者と電話でコンタクトを取った。
 私の切羽詰まった様子を電話越しに読み取った霊能者の人は都合の良い時いつでも来てくださいと言ってくれた。

 彼がいつ帰ってくるかわからないけど行動を起こすチャンスは限られていた。

 陽光君の愛の檻から脱出する数少ない機会だ。
 
 霊能者の家にあげてもらい霊視をしてもらう。

「結論から申しますと私には貴女に取り憑いた霊を祓う事は不可能です。貴女に憑いているのはとても強力な霊です。彼は嵐のような凄まじい念を持って貴女に取り憑いています。私にはどうすることもできません。お力になれず申し訳ございません」

 彼の顔は真っ青だった。実力のある霊能者であり、人格者としても有名だと名高いこの人を真っ青にさせるほど陽光君は強力な霊らしい。

 そう述べた霊能者と別れ私は帰路に着いた。
 彼がそれほどまでに強大な霊だとは思わなかった。

 憂鬱な気分で道を歩く。
 ちょうど時間は夕暮れ時で、雲一つない空は茜色に染まっていた。
 いつもよりも空は赤々と染まっており綺麗と言うよりも少し怖かった。

 既に師走の季節だから街並みは雪化粧で白くなっている。冬だから日が落ちるのも早い。

 家に着く頃には日がすっかり落ちて、地平線だけがオレンジ色で上空へ向かっていくにつれて紺色のグラデーションを描いていた。

 いつも帰る家のはずなのにどこか寒々しく重苦しい雰囲気が漂っている。
 鍵を取り出して、玄関を開ける。

「何、この匂いは……」

 玄関を開けた途端にむせ返るような甘い香りが漂う。この重々しい香りは間違いなく陽光君からだ。

「おかえり。お疲れのところ悪いけど訊きたいことがあるんだ。どこ行ってたの?すっごーく嫌な匂い漂わせてるね」

 冷たい響きを持った声が聞こえる。
 いつのまにか陽光君が目の前にいて仁王立ちしていた。間違いなく怒っている。

 私自身が嘘つくのが苦手だし、何よりもこういう時の陽光君には嘘が通じない。下手な事言えば彼の逆鱗に触れてしまうのは間違いない。彼を怒らせてしまえば恐ろしい仕打ちが待っている。

 どういえば少しでも彼を怒らせないかと考えていると、陽光君が焦れたように口を開く。

「まただんまり?じゃあ君が喋りたくなるようにしてあげる」

 陽光君は、ふわりと浮き上がって二階へ向かっていく。彼は恐ろしいくらいに実行力のある人だ。やると言ったらやる人だ。慌てて彼の後を追いかける。

 2階に上がるとあずさが自分の部屋から出てくるところだった。
 陽光君はあずさの前に立って微笑みかけた。

「王子様のお兄ちゃんだ~」

 あずさが目をキラキラと輝かせる。あずさには彼が見えているの?違う。今まであずさは彼に気がつかなかった。陽光君がワザと姿を現しているんだ。

「あずさ……」
「ありがとう。ねえお兄ちゃんと楽しいところに行こうか」

 いつもよりも優しい声色であずさに呼びかける。
「うん。あずさ、お兄ちゃんと楽しいところに行きたい」

 陽光君の声を聞いた途端にあずさの目から光が失われて、声も感情のこもってない空虚なものになった。

「いい子だね。じゃあ行こうか」

 陽光君はあずさの前をゆっくりと歩き始める。そして、私の部屋へと向かっていった。

 彼は肉体を持たないのでそのまま壁を抜けて行ってしまう。
 あずさはそんな不可思議な現象を見ても何の疑問に思わず扉を開ける。

 扉を開けると冷たい風が吹き込んでくる。
 窓に目をやると閉めていたはずの窓は開いていた。
 その向こうでは陽光君が宙に浮いていた。下はコンクリートだ。陽光君の意図に気がついた。
 あずさを止めようとするけど金縛りで身体が動かない。

「あずさちゃん、僕の所においで」

 宙に浮いた陽光君があずさに手を差し伸べる。微笑んで手を差し伸べる姿はあずさがいう通りに王子様そのものだ。

 だけど、実質その手は死神の手だ。だってその手を取ろうとすればあずさはコンクリートの地面に真っ逆さまだ。

 あずさはふらりふらりと覚束ない足取りで窓へ向かって歩いていく。
 陽光君は口元を歪め私の方を見て笑っている。彼が望んでいる言葉を口にしない限りあずさの命はないだろう。

「ごめんなさい!霊能者の元に行ってました!全部話すし、謝るから、お願い!あずさは傷つけないで!お願いします!」

 人生で1番大きな声を上げたんじゃないだろうか。急に大きな声を出したせいでむせこんでしまう。

 陽光君は私を一瞥してパチンと指を鳴らす仕草をする。
 するとさっきまでふらふらしていたあずさの動きが止まった。

「あれ、あずさ、なんでお姉ちゃんの部屋にいるんだろう?王子様のお兄ちゃんは?」
「お兄ちゃんはね、用事あるから帰っちゃったんだ、ごめんねってあずさに言ってたよ」

 口から出まかせもいいところだ。

「え~。お兄ちゃんまた遊びに来てくれないかな?」
「ど、どうだろうね」

 あずさは部屋から出て行く。

「さあ。あずさちゃんもいなくなったし僕とゆっくりお話ししようか」

 いつの間にかすぐ後ろには陽光君がいた。ひやりとした冷たいものが肩に乗っている感覚に襲われる。肩の上に手でも置かれているのだろうか。

 彼には隠し事が出来ないのだ。何よりも怖いのは彼は日に日にできる事が増えてきているのだ。

 霊能者の人が言うように強い霊なのは本当なのだろう。

 あずさにかけた催眠術のようなものだってつい最近までは使っていなかった。今日みたいに特定の人物だけに自分の姿を見せるという器用な芸当も初めて見た。

 できる事が増えている。わずか数ヶ月でここまで強くなったらこれからはどうなるのだろう。

「じゃあもう一度訊くね。今日はどこに行ってたの?」
「有名な霊能者のところ……」
「それはどうして?」

 答えたくないけどあずさがどうなるかわからない。彼の不興を買えばあずさに何をされるかわからない。
 
 今の陽光君にとって人に危害を加える事なんてあまりにも簡単な事だ。

「……貴方を祓ってもらうため。ごめんなさい。私、貴方が怖いの」
「そう。嘘をついている顔じゃないね。嘘をつかなかった事だけは褒めてあげる。いい子だね。ところで霊能者さんとはどういったお話になったの?聞かせてほしいな」
「陽光君が強すぎてどうにもできませんって言われて断られた。どうして貴方はそんな強力な力を持ってるの?」

 ずっと訊きたかった事だ。普通の男の子だった彼がどうしてこんな悪魔のような力を持つようになってしまったのか。

「そう。残念だったね。僕にもわからないよ。あえて言うなら幽霊の才能でもあったのかな?」
「才能って……わけわからない」

 陽光君はふふと笑う。彼が何を考えているかわからない。
 私は顔を覆う。彼の愛が怖くて怖くて仕方がない。どうして陽光君は私にここまで執着するんだろう。

「それよりもいくらなんでも酷いんじゃない?そんなに僕の事が嫌いなの?僕を祓うことは僕を殺すと同じ事だよ」
「そんなつもりじゃないの。だけど……」
「だけど?」
「陽光君の事、嫌いじゃないの。だけど怖い。私に囁く愛の言葉も、じっと見つめてくる彼岸花みたいに真っ赤で綺麗な瞳、そして、貴方が周りに危害を加えていくこと、何よりも愛という名の鎖で私を雁字搦めに縛り付けるのが怖い」
「だってそうしないと君は何も言わずに逃げるでしょ。あと、僕は死んでから鏡やガラスに映らなくなったから今知ったけど目の色まで変わってるんだね。それにしても彼岸花か……今の僕にはぴったりだ」
「どういうこと?」
「彼岸花の花言葉は、想うは貴方1人って意味なんだ。まさに今の僕そのものじゃないか」
「陽光君……」

 彼はくだらない冗談をいう人間ではない。彼がそう言うと言うことは私への想いも本物なのだろう。

「ごめんね。話し逸れたね。君が僕の事を殺したいくらいに怖くて逃げたいなら1度だけチャンスをあげる」
「チャンス?」
「言葉の通りだよ」
「どうしたら良いの?!」
「僕と夢の中で鬼ごっこをしよう。10分間君が僕から逃げ切ったら君を解放してあげる。君が勝てば金輪際君には近づかないし、周りに危害も加えない。だけど、僕に捕まったら君にもそれ相応のものを差し出してもらうよ」
「私が捕まったらどうなるの?」
「君の魂を半分貰う」
「そんな無茶苦茶だよ!魂の半分?!私に死ねって言ってるの?」
「ううん違うよ。魂を半分取られても君は寿命までは生きる事ができるよ。だけど死んでからは僕に魂を握られているから成仏はできない。死ですら僕たちを分つ事はできなくなる。未来永劫一緒だよ」

 さらりと恐ろしい事を言い放つ。つまり私が死んでも彼から離れることはできない。つまり負けたら……これからの永遠の時間を要求されている。

「そんなの私の未来を、人生をよこせと言ってるのと一緒じゃない!」
「そのつもりで言ってるんだけど。前にも言ったよね。僕がここにいるのは君への想いだって。僕が負けたら君との関わりを断つ。という事は命を賭けているも同然なんだ。僕が負けた時に差し出すのは命と同じようなものだ。君も同等の価値があるものを差し出さないと不公平でしょう?」
「そんなっ……」
「君が怖いならやめようか。僕は別にこのままでもいいしね」

 陽光君は小馬鹿にしたように笑う。きっとここで怖気ついてしまえば彼は2度とチャンスはくれないだろう。

 勝てば彼が私の周りを害することもない。
 それに彼の砂糖と蜂蜜、そして甘い毒を全部混ぜて、煮詰めたような重たい愛からも解放される。千載一遇のチャンスだ。

「やる。私が逃げ切ればいいんだよね」
「そうだよ。10分間僕に捕まらなければそれでいいんだよ。だけどね僕も本気でいくよ」

 そう言った陽光君の深紅の瞳は爛々と燃え盛るように輝いている。

「その鬼ごっこはいつやるの?」
「今週の土曜日の夜はどう?次の日は学校がないし、日曜日は家族との予定もないでしょう?」

 今週の土曜日の夜という事は明後日だ。

「わかった」
「ルールは夢の中で鬼ごっこやる時に説明するね」

***

 目が覚めると、見慣れない部屋にいた。着ている洋服は学校指定のセーラー服だ。いつの間にか運動靴もちゃんと履いていた。

 さらに寝るときはおろしていたはずの髪の毛がいつのまにかいつものようにポニーテールに結われている。

 絵本に出てくるような立派な廊下だった。西洋のお屋敷にありそうな雰囲気だ。目の前には扉がある。
 おそらくこの扉の先に彼が待っているのだろう。
 扉を開くと立派な部屋が目に飛び込んできた。

 温かみのあるオレンジ色のお洒落な照明が部屋を照らしている。アイボリーの壁は上品な雰囲気を作り出している。

 部屋の真ん中にはこれまた高そうな茶色いテーブルが置かれている。

 テーブルの上には白いクロスが敷かれていてその上にはティーカップに注がれた飲み物が2人分あった。注がれている液体の色からしてカップの中身はおそらく紅茶だろう。紅茶は湯気をたてているからきっと淹れたてなのだろう。実際に紅茶のいい香りが部屋を満たしている。

 テーブルを挟むようにして立派な椅子が向かい合わせで2脚置かれている。
 床にはよくわからないけれど複雑な模様の絨毯が敷かれている。

 部屋には大きな窓が3か所付いており、日当たりは良さそうだ。ただ今は全ての窓にカーテンがかかっているから外の様子は窺う事はできない。

 部屋に置かれている調度品も上品な装飾が施されたものだ。
 部屋の雰囲気からして来客室だろう。

 いつのまにか陽光君がいた。白い半袖のカッターシャツに学校指定の黒いスラックスとシンプルな格好をしている。靴は黒いローファーを履いている。

 身体だっていつもみたいに透けていないし、どこからどう見ても普通の男の子だ。
 ただ普通と違うのは彼が極上の美貌の持ち主であるということ。あと死者であるということだけ。いつものように男の子らしくない独特の甘ったるい香りを漂わせている。

「この部屋気に入ってくれた?立っていないで座ったら」

 そう言って陽光君はゆっくりとした足取りで椅子を滑らせて、腰掛ける。

 いつもだったら物に触れることのできないはずだ。夢の世界だけで彼は肉体を得るのだろうか?
 私も陽光君に促されて空いている椅子に座る。

「気に入ったって貴方が用意したの?」
「そうだよ。せっかく君と鬼ごっこするんだ。殺風景な風景よりもこういうロマンチックな雰囲気で楽しみたいでしょう」

 陽光君はふふっと小さく笑う。人の夢に干渉するだけでなく自由に自分の思いのままの空間を創るなんて一体彼はどれだけの力を秘めているのだろう。

「それでルールは?」
「そんなに急かさないでよ。これからちゃんと説明するよ。飲み物も用意したし、飲みながら話すね。ほら、飲んだら?アールグレイの紅茶好きだったよね?」

 よく覚えている人だ。彼にアールグレイが好きと言ったのはたった1度だけだ。

 陽光君はティーカップを手に取り、口をつける。飲み物を飲む仕草も優雅で本当に絵になる人だった。

 彼に紅茶を飲んだらと促されるが本当に飲んでもいい物なのだろうか。

 黄泉竈食ひというやつでここにある物に口をつけたら一生その世界に束縛されるというものではないのだろうか。
 もしかしてこの夢に永遠に縛りつけられてしまうのではないか。その可能性を考慮すると出される物に下手に口をつけない方がいいだろう。

「喉渇いてないから大丈夫」
「そう。飲みたくなったらいつでも飲んでいいからね。じゃあ早速ルールを説明するね」

 ルールは簡単に言うとこうだ。
 まず現実でも言われたように私が逃げて、陽光君が鬼役。
 制限時間は10分間。
 陽光君が2分間経ったら追いかけてくる。それから10分間私が陽光君から逃げ切れば私の勝ち。

 その間に捕まってしまえば陽光君の勝ちだ。
 屋敷の中と中庭だけが逃げていい範囲。玄関はあるけれど外には出れないようにしてあると陽光君が言っていた。

 ざっとまとめるとこう言う感じだ。おそらくこのルールだと鬼ごっこといってはいるけど隠れるのもありなのだろう。

 というか多分出来る限り彼から隠れて10分間やり過ごすのが最適解な気がする。

 だって屋敷みたいに狭いところだと走りにくいし、相手を撒くことは難しい気がする。

 それに私と陽光君は性別という大きな差がある。彼は運動が得意な方ではないけれど、女である私と比べたら間違いなくフィジカルの面では有利だ。

 つまり彼の言葉通り鬼ごっこをすると間違いなく私は負けてしまうだろう。

 捕まらなければ大丈夫という考え方は鬼ごっこの考え方だと思うから彼はこのゲームを鬼ごっこと喩えたのだろう。
 時間がわかるようにと陽光君が腕時計を貸してあげると提案した。

 何かの罠ではと思って断ろうと思った。だけど彼の言葉と目力に逆らうことができず結局借りることになった。

 この腕時計は陽光君が生前つけていたものだ。彼曰く高校の入学祝いお父さんから貰ったもので結構いいものらしい。
 茶色い革ベルトのアナログ式の腕時計だ。シンプルでなおかつレトロなデザインが陽光君らしいなと思う。腕時計のベルトの穴の位置が私よりも1つ緩いところが使いこまれている。すごく華奢に見えた彼だけど彼も男の子だったのだ。

「そしたら始めようか。2分したら迎えに行くからね。頑張って逃げてね」

 彼の言葉で鬼ごっこが始まった。
 とにかく最初にいた部屋からできるだけ離れなくてはいけない。

 あとこの2分間の間に屋敷の構造を大体把握する必要がある。夢の世界で屋敷を作り上げた彼は構造をおそらく把握しているけど私は全くわかっていない。どん詰まりのところで捕まってしまえば目も当てられない。

 ここは結構大きな建物らしい。
 建物は3階建て。当然1番広いのは1階だ。廊下と部屋が複雑に入り組んでいる上に中庭に繋がる扉もある。

 中庭から建物の外観を見ることができた。見たら西洋のお屋敷のようなデザインの建物だった。それこそ絵本やファンタジーものの映画で出てくるような立派な建物だ。

 中庭には入り口が2つある上に結構広くて逃げるのにはもってこいの場所だ。
 拠点にするならここだろう。

 先程私と陽光君がいた来客室みたいな部屋は2階にある。つまり彼は2階の部屋から私を追いかけにくると言うことだ。

 彼はおそらく1階か3階から潰しにかかるだろう。2階なんて近いところに隠れるわけがないと考えるだろう。陽光君の裏をかいて2階に潜伏することも考えたけれど、見つかったときなリスクがあまりにも大きい。

 この建物は古い雰囲気がしていて、全体的に薄暗い。そのせいで不気味な雰囲気を感じる。
 廊下は基本的に狭く人が1人か2人しか通れない。つまり廊下で見つかってしまえば逃げるしかない。どん詰まりだったり、下手に部屋に入ってそれこそ逃げ道がなくなったら終わりだ。

 あと窓は開かない事がわかった。窓は鍵を外しても不思議な力で固定されていてピクリとも動かなかった。1階にある玄関も同じで外へと繋がる扉は固く閉ざされていた。

 屋敷内の各部屋も見ておきたかったのだが、そんな事をしていると時間が足りないので1階の部屋をざっと見ることしかできなかった。

 時計を見ると既に2分経過していた。陽光君が動き始めただろう。夢の中だと彼も肉体を持つので普段のように壁を抜けるなどという芸当はしてこないだろう。それに部屋に入ってきた時に足音がしたという事は接近してきたら彼のことがわかる。さらに彼は甘い香りがする。という事は彼の足取りは結構わかりやすいはずだ。勝ち目がないわけじゃない。

 とにかく1階で見つからないようにやり過ごして、制限時間が近くなれば見つかってもあとは彼を撒けばいいのだ。屋敷はとても広い。移動だけで結構な時間を食うはずだ。

 陽光君の足音と香りを頼りに場所を次々と変える作戦に方針を決めた。

 まずは1階の洋室にいる事にした。ここは中庭と繋がっているから仮に彼と遭遇しても全力で走れば撒くことができる。カーテンを少しだけ開けて中庭の様子を窺う。

 静かにして、耳と鼻の感覚を研ぎ澄ます。今のところは音も聞こえない。だけど甘い香りだけがほのかに漂っている。
 いつ彼が来るか分からないから、恐怖で心臓がドキドキする。

 こんなに腕時計に目をやるなんて人生初めてだ。なかなか進まない秒針と分針にもどかしい思いをするのも初めてだった。
 私が隠れてから少し経った頃だろうか。カーテンの隙間から見える中庭に陽光君の姿を見た。

 それと同時に甘い香りが強くなった。
 間違いなく陽光君が近くにいる。逃げ出さなくてはと思い体勢を整える。
 その時、陽光君と目があった。
 彼はにこりと笑い、こちらへ駆け寄ってくる。ヤバイ逃げなくては。
 私は飛び出すように部屋を出て、廊下を駆け抜ける。

 後ろからドアが開閉する音が聞こえる。間違いなく陽光君が追いかけてきている。待ってよという声が後ろから聞こえて来る。

 このまま普通に逃げてもおそらく捕まってしまう。なんとかして陽光君の目を逸らさなくては。後ろをチラッと見るとまだ彼は視界に入ってきていない。

 私は制服のタイををほどき、2階の廊下へと投げる。私はそして階段をそのまま駆け上がり3階へと向かった。彼がこのタイを見て2階に留まってくれるのを祈るしかなかった。

 何年ぶりに全力で走ったのだろう。3階への階段を登りきって、近くの部屋に飛び込む。

 全力で走ったから足が痛い。
 壁にもたれかかって、座り込む。
 広い屋敷を無我夢中で走ったから今どこにいるか自分でもあまりわかってない。わかるのは3階の階段の1番近くの部屋ということだけだ。
 夢の中の出来事のはずなのに全ての感覚は恐ろしいくらいに現実と変わらなかった。

 全力で走ったから息切れを起こしている。さらに結構な長距離を走ったせいか喉から血の味がする。
 こんな感覚は体育のマラソンを走り切った時以来だった。

 私の事を探している鬼がいないか確認するために周囲を見渡し、耳を済ませる。
 視界には誰もいなかった。
 それにこちらへくるような足音も聞こえない。
 彼から漂う熟れた果実のような重々しくて独特な香りも弱くなっていた。

 安心したのか体の力が抜けていくのを感じる。だけどまだゲームは終わったわけじゃない。見つかる恐怖、追いかけられる恐怖ってこんなに心臓がバクバクするものだというのを初めて知る。

 残り時間が気になり時計に目をやる。薄暗い部屋だからよく時計の文字盤が見にくくて仕方がない。

 それでも目を凝らして確認する。
 残り3分。3分逃げ切ればいいという安心感よりもまだ3分も残っているのかという負の気持ちの方が強かった。

 彼が2階の探索を終えてしまえばおそらく3階へとやって来る。2階もそれなりに広いし部屋数は多い。けれど落としセーラータイがミスリードだと気が付いてしまえば2階の捜索を切り上げてこちらへとやって来るはず。とにかくここから離れなくては。

 廊下を歩き、1番奥の部屋を目指す。
 残り時間は2分を切っている。大丈夫。なんとかなる。あとは時間が経つのを待てば大丈夫だろう。

 部屋の扉が見えて来る。ドアノブに触れて回す。

 ドアを開けると暗いからわかりにくいけれど、誰かの私室だった。だけどこの部屋だけ雰囲気は大きく違った。

 今まで見てきた部屋の内装は昔の西洋のお城だったり屋敷に似合うような古めかしく豪奢な雰囲気だった。

 だけどこの部屋だけは現代日本の住宅を彷彿とさせる比較的モダンなつくりだった。それは明かりをつけなくてもわかる。居場所がばれてしまうので明かりはつけない。

 さらにこの部屋だけは今まで見てきた部屋と比べて少し狭い。そして非常に物が少ない部屋だった。

 部屋を観察する。
 まず目に入ったのは部屋の端にはシンプルなデザインのシングルサイズのベッドが置かれている。

 次に目がついたのは学習机だ。机の上は1通の手紙が置いてあるのが見えるだけで整理整頓された綺麗な机だった。

 机のすぐ近くには本棚があり、本がぎっしりとしまわれているのが見えた。本棚にしまってあったのは私の高校で使われている教科書や資料集。別の段には私や陽光君が好きだった作家の小説、あと美術書が整然と並んでいる。

 高さが1段のカラーボックスの上にカセットレコーダーが置いてある。下がラックになっていてカセットテープがしまわれている。近づいて見てみると最近の歌手のカセットテープだった。この歌手も陽光君が昔好きだと言っていたやつだ。

 間違いない!
 この部屋は生前の陽光君の私室だ。

 それに気がついた私は机に近づき手紙の宛先を見る。
 手紙の宛先は私の名前だ。流麗な字で綴られている。この綺麗な字は間違いなく彼の字だ。

 恐る恐る手紙に触れる。手紙に触れた途端に部屋の明かりがつき始める。

 そしていつのまにか壁一面には血のように赤い文字で歪んだ愛の言葉が書かれていた。

「愛してる」「憎い、だけど好き」「君がいないと生きていけない」「君をずっと見ていたい」「怖がってもいいから僕だけを見つめていて欲しい」「君が欲しい」「僕を愛して」

 恐ろしく綺麗な文字で刻まれた禍々しく狂おしい愛の言葉。これも間違いなく陽光君の筆跡だ。

 あり得ない超常現象と私に向けられた潰されそうなほどに重たい愛に恐怖して悲鳴を上げてしまう。

 さらにあまりの恐怖に腰が抜けてしまう。
 ここから逃げなくてはいけないのに、あまりの恐怖で動けない。立とうと思っても膝が笑って動けない。
 その時耳元で声が聞こえた。

「捕まえた」

 恐る恐る後ろを振り向くといつの間にか彼がいた。私は負けてしまったのだ。あと30秒だったのにねと嘲笑うように彼は言った。
 彼の甘い香りが息苦しかった。

***

 私と彼は1番最初にいた来客室にいた。
 最初のようにお互いに椅子に腰掛け向かい合うようにしている。

「君の負けだね。約束通りに魂の半分はもらうね。だけどねその前に受け取って欲しいものがあるんだ。僕が生きている時に認めた恋文。生きていた時には渡せなかったから」

 そう言って彼は先程の手紙を渡す。封筒を開けると白いシンプルな便箋には彼の恋心が認められていた。

 今のような毒を含んだ愛ではない。
 優しかったあの時の彼の文章だ。万年筆で書かれたであろう達筆な文字で綴られていたのは純粋な愛の言葉だった。彼の真摯な想いが伝わって来る。
 今さらながら自分可愛さに彼を見捨てた事に罪の意識が迫り上がって来る。

 彼はこんなに私のことを真剣に思ってくれたのに、私は自分のことしか考えていなかった。
 本当に私は最低な臆病者だ。どうしてこんな女のことを彼は好きなのだろうか。今まで彼にしてきた仕打ちを思い出すと涙が止まらない。

「陽光君、ごめんなさい。私、あなたの事すごく傷つけてた」
「うん。あのときはすごく辛かったよ。だけど大丈夫。これからはずっと一緒だよ。約束通り魂はもらうよ」

 そう言って陽光君が立ち上がって、私に近づいて来る。
 私はもう抵抗する気はない。負けてしまったし、彼には敵わないと気がついてしまったから。

 陽光君の身体に白く淡い光が帯び始める。
 そして彼は白く発光した身体で私を抱きしめた。彼に触れられた瞬間に身体からから何か大切なものが抜け出ていくのがわかった。
 同時に目の前が暗くなった。

 目が覚めるとそこは私の寝室だった。だけど昨日の夢の中の出来事が濃厚すぎて眠った感覚が全くない。

「おはよう」
「おはよう、陽光君。あれ?透けてない?」

 いつの間にか目の前に彼がいた。今までと違って彼の姿は透けていなかった。傍目から見たら陽光君が幽霊だなんてきっとわからない。
 彼が神出鬼没なのはいつものことなので今ではあまり驚かなくなってしまった。

 彼はゆっくりと近づいて私を抱きしめる。いつもだったら透けて触れないはずなのに今日はしっかりと抱きしめられている感覚があった。でも死んでいるからか彼の体は氷でできているかのように冷たい。

「ずっとこうしたかった。夢の中じゃなくて現実の世界で君に触れたかった」
「どうして貴方は私に触れられるの?今まではそんな事なかったじゃない?」
「ほのかの魂をもらったから。僕がほのかの魂を手に入れたおかげで君限定だけど触れる事ができるようになったんだ。だからこういう事もできるんだ」

 いつの間にか名前呼びになっている。何でと訊くのは野暮な気がした。
 陽光君は大好きだよと言って、私の頬に触れる。彼の恐ろしく整った顔が近づいてきた。そして私の唇に冷たいけれど柔らかい何かがくっついた。

 彼の唇だ。触れるだけのキスだった。

 初めてのキスは真冬の水のように冷たかった。だけど嫌じゃない。狂おしいほど私を求める悪霊に同情してしまったのかどうかはわからない。私たちの関係は歪なものできっと正しいものではない。
 ただ1つわかることは私はこの美しい霊と永い時を過ごすのだろう。
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