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番外編
師匠は感慨に耽る
しおりを挟む「レティ、最近困っていることはあるか?」
オースティンが尋ねた。彼がレティシアを拾ってから約一年が経った頃のことだった。レティシアは小さな顔をオースティンに向け、首を傾げた。
「困っていること……?」
最近はレティシアの夜泣きも収まり、精神的に彼女は落ち着いているように見えた。オースティンも特にレティシアが何かに困っているとは思っていなかった。しかし、先日マチルダ(龍)に会ったとき、彼女にこう言われたのだ。
『レティシアとはうまくやっているの?』
「あ? ……まあな」
『女の子のことが、あんたに分かるの?』
マチルダの指摘に、オースティンは眉をひそめた。
「なんだよ」
『もうレティシアも思春期でしょう。身体の変化とか色々出てくる年頃じゃない。そういうこと気にしてあげてるの?』
「……」
『あんた、もてるくせに……。まったく、ちゃんと性教育しておくべきだったね。私の落ち度よ』
こんなやり取りをマチルダとし、もっとレティシアに気を配るよう忠告されたのだ。
「……レティ、今日街に行くぞ」
「何か買うのですか?」
「お前、そろそろ胸が出てきたんじゃないか。下着屋で採寸してもらって、新しい下着を買い揃えろ」
「!」
「あと月のものはもう始まっているのか? どっちにしろ、街の医者にケア方法や過ごし方について相談しろ」
「……はい、分かりました……」
オースティンはその言葉通り、レティシアを街に連れて行き、色々世話をした。
翌日、そのことをマチルダに報告すると、彼女はこう言った。
『あんたって、デリカシーがないわね……』
「うるせえな……お前が気にしろって言ったんだろうが」
『あのね。女の子っていうのは、そういうことを面と向かって男に言われるのが一番恥ずかしいのよ。多分、もうあんた嫌われたわね』
「……知るか」
オースティンは少し気にした。
その日、家に帰ると、レティシアの態度がなんだかよそよそしい気がした。オースティンの顔色を伺っているというか、怯えているというか……。
頭の中でマチルダの『もうあんた嫌われたわね』という言葉が反響する。
「…………レティ。どうかしたか?」
「いえ……なんでもありません……」
そう言って、レティシアはお風呂に行ってしまった。そして、いつもは長風呂派の彼女が、いやに短時間で出てきた。
その日の晩、オースティンはベッドに横になりながらも、なかなか眠れなかった。
すると、コンコンとノックの音が聞こえ、レティシアが遠慮がちにドアを開けてきた。
「……師匠、起きてますか?」
「レティ。どうした?」
オースティンはベッドから起き上がり、レティシアを見つめた。
「実は……昨日街で私、本を購入したじゃないですか……。今日読んだのですが、それがホラー物だったんです……」
「ホラー物?」
「はい。幽霊が人を祟る話です」
「それがどうした?」
「……今日、師匠のベッドに一緒に寝てもいいですか?」
「……はあ?」
レティシアによると、面白そうと買ったその小説は、予想以上の本格ホラーだったらしい。やけに想像力が豊かなレティシアは、怖いシーンを具体的にイメージしてしまい、今日ずっと恐怖で震えていたらしい。お風呂も怖くて、本当はオースティンと入りたかったが、言い出せずに超特急で終わらせたというのだ。
このカトレア森の奥には本物の女の怨霊がいるというのに、作り話にそこまで怯えるなんてと思うと同時に、オースティンの心には安堵が広がった。
「しょうがねえなあ……」と掛け布団を捲り上げ、レティシアを中に入れようとしたが、「いや、やっぱり同じベッドは駄目だ」とすぐに思いとどまった。
「ええ? 何でですか!?」
「お前、嫁入り前の娘が他人の男と寝てどうする? 嫁にいけなくなるぞ」
オースティンにも一応常識というものがあった。
「嫁になんていきません! ずっと師匠といます!!」
レティシアはほぼ半べそで言ったが、オースティンは断固譲らず、ベッドの横に布団を敷いて寝るよう指示したのだった。
♢♢♢♢♢
「……って言ってたのになあ」
とオースティンはぼやいた。
あれから九年が経った。
明日は、二十歳になったレティシアと、この国の王太子アンドレアスの結婚式がある。両名に招待されたオースティンは、前日から王宮にあがっていた。
「なんですか? 師匠」レティシアが問いかける。
今はレティシアとアンドレアスと共に、王宮の一室で酒を飲み交わしていた。あんなに小さかったレティシアがもう酒を飲めるような歳になっていることに、オースティンは感慨に耽る。
「いや、お前言ってたよな。嫁になんかいかないで、ずっと俺といるって」
オースティンは思ったことをそのまま言った。言った後に、あ、失言だったか……と思う。どうやら自分は少し酔っぱらっているらしい。弟子の結婚、というものは百年以上生きていて初めてだった。多少感傷的になっても仕方ないだろう。
「え……? レティシア……?」青ざめた顔で、アンドレアスがレティシアを見る。
「ち、違います! それはずっと小さい頃の話で……師匠なんで今更そんなこと思い出してるんですか!!」
レティシアが赤い顔をしながらぷんすかと怒ってくる。
「……アンドレアス。俺はな、昔レティとロブ村のガキがデートに行ったときも、後をつけ、レティに無体なことをしないよう見張った」
オースティンは酔いのためか、目が据わっていた。
「……師匠、何言ってるんですか? ……お酒、得意じゃないんだからもう飲まないでください」
レティシアが立ち上がり、オースティンの持っているグラスを取り上げようとするのをアンドレアスが制止する。
「……オースティン殿。詳しく聞かせてください」アンドレアスの目もまた、据わっていた。
数年前、まだロブ村の山奥にオースティンとレティシアが住んでいた頃のことだ。レティシアはオースティンとは違い、よくロブ村に降りて村人たちと交流しており、老若男女問わず慕われていた。特に、同じ年頃の少年たちからは大層人気があった。
そんなある日、レティシアはロブ村のジョニーという少年に「好きな子のためにプレゼントを買いたいから、一緒に選んでほしい」と頼まれ、一緒に街へ行くことになった。それを聞いたオースティンは、表向きはレティシアに何も言わなかったが、こっそりと二人をつけることにした。
ジョニーはレティシアをあちこち連れ回している。はたから見れば、ただの若いカップルのデートに見えるだろう。
夕方になり、二人は街の公園に辿り着いた。この公園は少し高い位置にあり、ここからは街の景色が一望できるため、カップルに人気の場所だった。そして、ジョニーは彼女に今日一緒に選んだアクセサリーを渡した。戸惑っているレティシアに対し、ジョニーは「俺、レティシアが好きだ!」と告白した。
「え……?」レティシアは一瞬呆けたが、すぐに「ごめんなさい!」と断った。しかし、ジョニーは往生際が悪かった。「そうか……」と落ち込んだものの、「じゃあ、最後にキスしてもいいか?」とあり得ないことを言い出した。
「はあ……?」レティシアは目を丸くする。
そして、あろうことかジョニーはレティシアの両肩を押さえ、顔を近づけて強引に唇を合わせようとしたのだ。
その瞬間、オースティンは二人の間に割って入った。無言でジョニーを数発殴り(魔法は使っていない)、彼を睨みつけて「二度とレティに近付くな」と警告し、レティシアの手を引いてその場を後にした。
その日、オースティンは家に帰るとレティシアに言った。
「レティ、お前もう男と二人でどこか行くな」
「え?」
「今日みたいなことになったら、また困るぞ」
「……分かりました」
友人だと思っていた男に迫られたことがショックだったのか、レティシアは少し落ち込んでいた。オースティンとの約束を守り、それからレティシアは男と二人でどこか出掛けることはしなかった。
とはいえ、オースティンの不在時に依頼を受けて男を家の中に入れることはあるだろう。オースティンは今まで以上に攻撃魔法を重点的にレティシアに教えた。彼女自身もその才能に気づいていたようで、めきめきと成長していった。
もうその辺の男で彼女に敵う相手はいないだろう。
オースティンは安心していた。
「そう思っていたのに、アンドレアス。お前が現れた」
「……師匠」
レティシアは顔を赤くしている。過去の失態をアンドレアスに話され、気まずいのだろう。
「まあいい。レティが惚れたんだからな。お前は紳士ではある。もしこれがあのガキのように、レティの意思も確認せず、強引に唇を奪おうとするような最低野郎だったら、俺は断固として認めなかった」
「……ありがとうございます」
そう、アンドレアスは返事した。
彼は話を聞いている最中は、そのジョニーというやつに対して怒りで震えていたが、今のオースティンの最後の台詞により、少し青ざめた。
――初めてレティシアとキスしたとき。彼女は特に抵抗しなかったけれど……レティシアの意思は確認していないし、強引ではあった気がする。
少なくとも、絶対に紳士ではなかった。
「……俺がレティをお前と出会うまで守ってやってたんだから、感謝しろよ、アンドレアス」
そう言ってオースティンはどこか寂し気に笑った。
番外編 師匠は感慨に耽る おわり
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