不吉だと捨てられた令嬢が拾ったのは、呪われた王子殿下でした ~正体を隠し王宮に上がります~

長井よる

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真相編

48話 百年前③ 召喚

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 その晩、エレノアはアシュフォード伯爵家にナイフを持って忍び込んだ。寝室で眠るリーシャを目指し、静かに近づいていく。彼女の腹を目掛けてナイフを突き刺そうとした瞬間、隣で寝ていたアシュフォード伯爵が気付き、それを防いだ。

「ふざけるな、貴様!!」

 エレノアは激昂した伯爵に殴られ、ほとんど半殺しに近い酷い暴行を受けた。伯爵が衛兵を呼んでいる間に、彼女は隙を見て這いずるように窓から逃げ出した。

 全身ボロボロで血だらけになりながら、その日に借りていた宿に戻る。宿の主人が「ど、どうしたんですか?」と声をかけたが、彼女は構わず自分の部屋へと急いだ。

 室内に入ると、部屋の隅であの悪魔辞典が不気味に存在感を放っていた。エレノアはゆっくりとその本に近づき、手に取り、開いた。彼女の血がページに付く。すると、突如として本がパァっと光り輝いた。

「……!?」

 光が収まると、まるで読めなかった文字がしっかりと読めるようになっていた。

(まさか、本に血を吸わせると読めるようになるってこと……?)

 そのページには、左に悪魔の絵が描かれ、右にはその悪魔の召喚方法が記されていた。
 召喚方法……『血で魔法陣を書き、その中央に召喚者の髪の一部と両手の全ての爪を捧げ、呪文を唱える』

 エレノアはそのページに載っている魔法陣を見よう見まねで、自身の滴る血で床に描いた。上手く行くかは分からないが、もう藁にもすがる思いで必死だった。

 魔法陣を完成させ、髪を切り、自分の口で爪を剥ぎ取り、記載されている呪文を読み上げる。途端に、魔法陣が大きく光り、凄まじい轟音が響き渡った。

『何百年振りだ……? 我が名はスコルプレー。人間、願いを叶えよう』

 目の前に現れたのは、長身の二足歩行の黒牛のような姿をした悪魔だった。その体躯は威圧感を放ち、特徴的な両耳には大きなフープピアスが輝いている。周囲の空気が一瞬にして変わり、彼の出現によって世界が歪んだかのように感じられた。
 エレノアはがちがちと歯を震わす。恐ろしいものを召喚してしまったというのは、エレノア自身も分かっていた。
 しかし、意を決して彼女は口を開いた。

「……ス、スコルプレー様。わ、私はエレノアと申します。……私は、今の夫に嫁いだ後、女の子を二人産みました。しかし、男の子が欲しかった夫は、他の女を妊娠させ、そして私は追い出されました。その女はどうやら男の子を授かっているようです……。こんな仕打ち、許せません。私は命懸けで子供を産んだのに……!」

 喋りながら、エレノアの脳裏には、学生時代の婚約破棄の失敗や、フローレス家に子どもを奪われたことも過ぎった。
 これまでの人生を思い返す。いつもいつも、エレノアは裏切られ、奪われてばかりだった。
 涙がぼろぼろと頬を伝った。
 心の奥深くに蓄積された憎しみが四方八方から湧き上がってくる。

「この国の王妃カミーラも、男子を何人も産み、今もまた男子を身籠っています。そのことを、男子を産めない私にまるで自慢するかのように教えてきました」

 今のエレノアは、完全に被害者意識の塊となっていた。

「分かった、可哀想なエレノア。お前の望みは復讐だな? お前を傷付けた奴らへの……」

 そうなのだろうか。エレノアは、自分が何を望んでいるのか分からなくなっていた。頭の中にはもやがかかり、思考が混乱している。しかし、混濁した意識の中で彼女は、「そうです」と答えた。



 エレノアが目を覚ますと、そこはアシュフォード伯爵家のベッドだった。

「エレノア、おはよう」

 横に寝ていた伯爵が、柔らかな声で挨拶をした。

「……旦那様?」

 エレノアは自分の体を見下ろした。あれだけの怪我を負ったはずなのに、傷跡ひとつ見当たらない。信じられない光景に、彼女は困惑した。

「……あの女、リーシャは……どうしたのですか?」

「……すまなかった!! エレノア!!」

 伯爵は突然、勢いよく土下座をした。エレノアは驚きのあまり目を丸くした。

「エレノア、もうあの女とは手を切った。だから許してくれ……」

「…………」

 エレノアは状況を理解できず、頭の中には「?」が浮かんでいた。
 混乱を抱えたまま、彼女はベッドから出た。

 すると、従者の中に見慣れない顔があった。長身で、美男でもなければ醜男でもない特徴のない顔立ちの男。しかし、その耳には大きなフープピアスが光っているのを見て、エレノアは直感した。「あの悪魔だ」と。

 伯爵がその従者へ「スコル」と声をかけるのを聞いて、その直感は確信に変わった。
 「スコル」は昔からこの伯爵家に仕えていたことになっており、伯爵や他の使用人たちも皆、当たり前のように彼に話しかけていた――



 ♢♢♢♢♢


 リーシャや、リーシャが身籠っていた子がどうなったか、夫に何度聞いても濁すばかりだ。

 エレノアはスコルにこっそりと近付き、何をしたのか聞いたが、「貴方の望みを叶えたままです」と従者らしい口調でうっすらと微笑んだだけだった。

 エレノアは人を使い、リーシャという女性がどうしているか調べさせた。
 結果は、あの日の夜、リーシャは街で変死体で発見された、というものだった。お腹の子も助からなかったらしい……。


 伯爵から邪険にされなくなり、子供のことも言われなくなったのでエレノアの心は少しずつ安定を取り戻した。スコルはあれからずっとエレノアのそばにいるが、あのリーシャのこと以外、真面目に使用人として仕事をしている。あまりにも平和だ。

(スコルを呼び出したときは、とんでもない事態になるかもと思ったけど……そうでもなかったみたい)

 ――あの悪魔辞典は、スコルを召喚した後、手元に置いておくのが怖くなり、すぐに何食わぬ顔でザリバン家を訪れ、返そうとした。日にちを空けずに訪ねてきたエレノアに、マチルダは驚いていたが、悪魔辞典が無くなっていたことには気付いていない様子だった。

 その日の晩、彼女は再びこっそりと地下室に忍び込み、本を元の場所に戻した。しかし、地下室の階段を登り、一階に着いた瞬間、オースティンが立っていた。

 後ろにある窓からの月明かりが、彼を神秘的に照らしている。

『どうして地下室に?』

『……え、いえ、なんでもないわ』

 彼のまるで精巧に作られた人形のように美しく整った顔が、じっとこちらを見つめてくる。その視線に耐えきれず、エレノアは何とかその場を振り切り、逃げるように自分の部屋に戻った。
 オースティンが何かマチルダに告げ口するかもと心配したが、あれ以降、姉からは何の音沙汰もなく、エレノアは安堵していた。


 ♢♢♢♢♢



「呪い……?」

 カミーラが第三王子を無事に出産してから一か月ほど経った頃。久しぶりにマチルダに呼び出され、エレノアはザリバン家を訪れた。
 オースティンは最近独立し、時折顔を見せるのだそうで、今は不在だった。独立して早々、彼は国内のどこかの村を災害から救ったという噂が広まり、その名は国民の間で知られるようになっていた。

「うん……この度カミーラが産んだ王子に変な痣が出来ててね」

「あざ?」

「どうやら何者かに呪われたんじゃないかって……。で、不思議なことに第一王子と第二王子にも突然同じ呪痕が体に現れたのよ。何故か王女にだけはできてなかったんだけど」

 エレノアは何だか胸騒ぎがした。

「その呪痕があると……どうなるの?」

「透視魔法で見てみたけど、夜中になると体内に根を這ってそこから管みたいなものが伸びて心臓付近を動き回っているの」

「何それ、気持ち悪い……」

「成長により、動きも活発になるみたい。赤ん坊の第三王子はまだ根も小さいけど、第一王子と第二王子のほうの症状のほうがひどいわ」

 この時第一王子は十五歳、第二王子は十二歳であった。

「……ねえ、エレノア。この前話したオースティンが持ってきた悪魔辞典のことなんだけど……」

「え?」

 そう言って、悪魔辞典をマチルダはテーブルの上に置いた。
 この本を返しに行った晩の出来事が脳裏に浮かぶ。

(やっぱり……オースティンが何かお姉様に言ったのかしら)

「……ちょっと不思議なことがあってね」

「不思議なこと?」

「ほら。このページ」

 マチルダがパラパラと悪魔辞典をめくる。すると、スコルが載っているページを開く。その瞬間、エレノアは思わず息を呑んだ。そこには、彼女の茶色く変色した血痕がはっきりと残っていた。汗が額に浮かび、彼女は冷や汗をかく。

「これなんだけど……」

「え? このス、スコルプレーっていう悪魔? がどうしたの?」

 エレノアはすぐに自分の言葉にハッとし、マチルダの顔を見つめる。マチルダは不審そうな表情を浮かべ、「……この文字が読めるの?」と尋ねてきた。

「やっぱりこの跡は貴女の血? まさかこの悪魔を呼び出したの?」

 マチルダの問いに、エレノアは言葉を詰まらせた。

「……それは、」

「スコルプレーって聞いたことあるわ。高位悪魔よ。……エレノア、スコルプレーに何を願ったの?」

 その時、突然この家の家令が部屋に飛び込んできた。

「マチルダ様……! 今王宮よりすぐ来るようにと遣いがきました!」

 エレノアとマチルダのやり取りは中断され、マチルダは急いで王宮へと向かった。彼女の表情には緊張が漂い、何か重大なことが起こったのだと察することができた。

 ――リックとカミーラの長男、第一王子が死んだ。

 その死因は呪いによるショック死であり、さらに第二王子と第三王子も何者かに呪われている……と、マチルダが診断し、それが世間に公表された。


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