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聖女登場編
28話 光臨
しおりを挟む「カトレア森……? あの……?」
周囲の貴族たちはハッとしたように顔を見合わせた。
「おい、カトレア森の紫魔女とは何だ……?」事情を知らない若い貴族の一人が隣の貴族に問いかける。「知らないのか?」と聞かれた貴族が答えた。
ジーニー侯爵領の外れにあるカトレア森、そこは近年、魔導士オースティンの住処があると言われていた。
三年ほど前、オースティンに魔法を依頼しにジーニー侯爵の長男とその従者の二人が森に入った。しかし、そこで二人は消息を断ち、二日後に捜索隊が傷を負って倒れている従者一人を発見したが、侯爵令息の姿は見つからなかった。
助け出された従者は震えながら証言した。「紫の髪と紫の瞳を持つ女にやられた――」と。
まさかマチルダの生まれ変わりが現れたのか!? 恐れ慄いた侯爵は、すぐに討伐隊をカトレア森へと派遣した。従者の証言通り、紫魔女は討伐隊の前に姿を現したが、すぐにどこかへと消えてしまった。
討伐隊は紫魔女を見つけるべく、オースティンに協力を仰ぎに彼の家を訪ねようとしたが、その時にはオースティンが住んでいたとされる家も消えていた。
――その後、捜索隊の手により、森の深くで侯爵令息の無惨な遺体が見つかったのだ。
「そうだ。合点が言った。其方が私の息子を殺害し、オースティンと共に逃げたのだな」
ジーニー侯爵の目に憎しみの炎が宿っている。レティシアはとにかく、早く治癒薬を取りに行きたかった。
「っ、分かりましたから、そこをどいてください侯爵様。殿下のお命が……」
「分かった、と言ったな! 罪を認めるのか?!」
レティシアは魔法で強引に突破しようと考えたが、すぐに魔力が尽きていたことを思い出し、地団駄を踏みそうになる。
「おい! お前達、この魔女を捕まえろ!」とジーニー侯爵が叫ぶ。その声で侯爵一派の貴族たち数人が勢いよく飛び掛かり、レティシアを拘束した。
「っ、離してください!」
レティシアは抵抗するが、男たちの力に叶うはずもない。
「ジーニー侯爵、やめろ! こんなことをしている場合か!」
シャーロット女王が声を上げる。
「……女王陛下。そもそもおかしいではありませんか。ここに魔獣が現れたということは、魔獣巌の封印が解かれたということです。あの岩はオースティンの強力な魔法がかかっているはずです。あれを解ける魔法使いはこの世に二人といません」
「……何が言いたいのだ?」
「つまり、封印を解いたのはオースティンの可能性が高いということです」
(?! 何を言っているの……?)
レティシアは動揺する。あまりにも無茶苦茶だ。何故、オースティンが封印を解くというのか。
「馬鹿なことを言うな侯爵。オースティンは自分でかけた封印を自分で解いたというのか? 何の為に?」
同じ気持ちだったらしいシャーロットが呆れたような表情を浮かべた。しかし、ジーニー侯爵は辺りを見回すと、まるで演説するかのように高らかに言う。
「私の近侍の一人に、曾祖父が遥か昔、王宮で仕えていた者がいます。その近侍が曾祖父から聞いたところによると、魔導士オースティンは百年前、王宮を襲い、カミーラ王妃を殺そうとしたというのです。このことは王宮内で隠蔽されており、私たち王家を守る貴族たちにも一切知らされていないようですが……。勿論、陛下はご存知ですよね?」
「……!」
会場が驚きの声でざわめく。オースティンは国民たちの畏敬の対象である。その彼が、まさか王宮を襲い、カミーラ王妃を殺害しようとしたとは……?
「オースティンは王家、いやユハディーア国に対して恨みを抱いており、この紫魔女、レティシアと手を組んだのではないでしょうか? 殿下を助けるためにレティシアが王宮に来たのも、全て策略の一環だったと……」
「……あまり馬鹿なことを言うな……」
シャーロットは額に手をあて、深い溜息を吐いた。そもそも、アンドレアスからオースティンの住処を訪ねたのだ。最初から辻褄が合わない話である。
「女王陛下。少なくともレティシアが王家に対し不敬の思いを抱いているのは事実です。なんでも彼女の歴史授業を担当している講師は、レティシアはマチルダが王家を呪ったことを肯定的にとらえていた……と証言しています」
「……っ!」
レティシアは、過去の自らの発言を思い出す。
――現在この国では女性の社会進出が進み、女性の貴族当主や経営者なども特に珍しいものではなくなっています。その理由として、マチルダが辺境伯当主になったことと、彼女が王家に呪いをかけたことによる女王の誕生が背景にあるといえるのでしょうか?――
マチルダの罪を肯定したかったことによる発言では断じてない。しかし、うかつだったと改めて後悔する。少なくとも、王宮でするべき発言ではなかった。
……同時に、もうそれで良いからさっさと治癒薬を取りに行かせてほしい、と唇を噛み締める。
周りの貴族たちにとって、初めて知らされるオースティンが王宮を襲ったという過去。そしてその弟子であるカトレア森の紫魔女の疑いがかけられたレティシア。この惨劇は果たして二人の謀なのか。ジーニー侯爵が語る話には、妙な説得力があった。
「レティシア……? どうしたの!?」
その時、会場の外へと避難していたクレアが中の様子を見に戻ってきた。クレアは男たちに拘束されている妹を見ると、慌てて駆け寄ってきた。
「クレア・フローレス! お前は妹が紫魔女だと知っていたのだろう! 何故隠していた!」
ジーニー侯爵がクレアを睨みつける。クレアは突然のことに目を丸くした後、静かに口を開いた。
「……。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、我がフローレス家にはマチルダの血が流れています。勿論、私もその一人です。レティシアがたまたま髪色と瞳色を継いでも不思議ではありません。そして、世間では色濃く差別があるのが現状です。……それを恐れ、レティシアは外見を隠しているのですから、私がわざわざ吹聴するべきではないでしょう」
「開き直るのか。偽の姿のまま王宮に入るとは不敬であるぞ! ……それに、差別などではない。紫の瞳と髪を持つ人間がこの国に災いをもたらす、不吉な存在であることは歴史が証明している!」
「そうだ!」と、レティシアを拘束している貴族たちが声を上げ、呼応する。
ジーニー侯爵はレティシアに近づき、心底軽蔑したような声色で言った。
「……レティシア嬢、私はお父上とは対立関係にあったが……フローレス侯爵の気持ちが分かるぞ。私も、君のような不気味な容姿の、魔力ばかりが高い娘が生まれたら、捨てたくなるだろう」
その瞬間、会場内に強い突風が吹き荒れた。
「……っ、うわあ!」
「キャアアア!」
貴族たちは驚いて蹲り、悲鳴を上げる。
突風が収まると、何やら拘束されていたレティシアの姿が消えていた。
「レティシアッ……どこだ?!」
ジーニー侯爵は動揺し、キョロキョロと辺りを見回す。周囲の人々も混乱していたが、「あっ……」と一人が会場の中央を見て声を上げると、周囲の者たちがその方向に視線を向けた。瞬間、会場内の空気がガラリと変わった。
「っ! オースティンだ!!」
「オースティン様!」
一部の貴族たちが、興奮の声を上げる。
――皆の視線の先には、レティシアを横抱きにして立つ人物がいた。長身で筋肉質、陶器のように傷一つない褐色の肌、シルバーの短髪。恐ろしいまでに美形でありながら、中性的ではなく、男らしさを強く放っている。
その姿はまさに、あの魔導士オースティンである。
会場はざわめき、過去に彼と対面したことがある者たちも、そうでない者たちも、興奮と恐怖の入り混じった表情を浮かべている。
「あれが、オースティン……?」
初めてその姿を目にしたジーニー侯爵も、完璧にその空気に呑まれ、息を呑んでいた。
「……レティ、これは何が起こっている?」
オースティンは胸の中にいるレティシアに、低い声で問いかける。
「し、師匠……っ」
レティシアは涙が溢れそうになるのを必死に堪え、オースティンの肩をグッと掴むと、言った。
「アンディ様を助けてください!」
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