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王宮編
13話 招かれぬ客
しおりを挟むクレアには、どうにも引っかかることがあった。
父、ジェイクの手伝いを始めて以来、家令に任せている書類をクレアも頻繁に目にするようになった。しかし、そのことに対して家令の表情があまり良くないことが、クレアには不思議だった。
ある日、数年前からフローレス侯爵家が展開している運送貨物業の帳簿を眺めていると、下請けの取引先として記載されている産廃業者の名前を目にし、思わず眉をひそめた。
(この会社……闇組織のフロント企業だという噂を耳にしたことがあるわ……)
ユハディーア王国では、治安維持のために闇組織の取り締まりに力を入れているものの、貴族との癒着が根強いのが現実だった。先日の議会では、いくつかの闇組織が経営する企業との取引が問題視され、参加していた議員たちが厳しい追及を受けていたのだ。
昔からジェイクは厳格でありながら、正義感の強い人だった。彼は間違ったことを嫌い、今時の貴族には珍しく、清廉潔白な人物として知られている。そんな彼が率いるフローレス家は、民衆や他の貴族たちからも一目置かれていた。しかし、そんな名家がこのような会社と関わりを持つとは、クレアには信じがたいことだった。ジェイクは気付かぬうちに、取引をしてしまっている可能性が高い。
いや、そもそもこの産廃業者が闇組織のフロント企業であるというのも、ただの根拠のない噂に過ぎないのかもしれない……。クレアは思索を巡らせ、ジェイクに内緒でツテを使い、産廃業者に対して探りを入れることにした。
結果報告を確認すると、その産廃業者が確かにならず者たちで構成されていることが分かった。
そして、驚くべきことに、六年前の会社設立の際には、フローレス家も資金を出資しているとのことだった。帳簿を確認すると、確かにその時期に不審な出金が見受けられた。
クレアの胸には、疑念と不安が交錯する。
(どういうこと……? なぜこんな事が……?)
クレアは頭を抱えた。耐えきれずジェイクに尋ねると、彼は「昔からの知り合いから援助を頼まれた」と淡々と語った。
「そんな……どのような知り合いか分かりませんが、あの業者は闇組織が経営しています。そんなところと取引していることが世間にバレれば、フローレス家の威信に関わりますよ!」
クレアの声には焦りが滲んでいた。
「……分かった。この業者とは手を切る。だから、クレア。そう騒ぐな」
ジェイクは眉間にしわを寄せながら、落ち着いた声で言った。
彼の言葉に、クレアは不安が少しばかり残ったが、ひとまずほっと息をついた。
♢♢♢♢♢
レティシアと奇跡の再会を果たしてから数週間が経った。
今日はレティシアが午後からフローレス侯爵家に顔を出すことになっていた。クレアはそのことを楽しみにしながら、ルンルンとした気分で自分の仕事に取り組んでいた。そんな時、フローレス家に訪問者がやって来た。
中年の男と、若い男が二人。若い男たちはゴロツキのような格好をしていて、中年の男も華やかな服装ではあったが、その顔には卑しさが滲み出ており、三人ともカタギには見えなかった。
「こんな者たちが何故侯爵家に?」とクレアは驚きを隠せなかったが、どうやらジェイクの客らしい。
父は三人を邸内に招き入れると、自分の書斎へと通し、「誰も近づくな」と人払いをした。
クレアは気になって仕方がなく、仕事を中断して廊下から書斎の扉に耳を傾けた。中から聞こえたのは、低い声でのやり取りだった。
「侯爵、どういうことですか? うちと手を切るなんて……。いきなり、困りますよぉ」
中年の男の下卑た声が耳に入ってきて、クレアの心の中に不安が広がった。何が起こっているのか、そしてこの男たちが父に何を迫っているのか、気になって仕方がなかった。彼女は思わず息を飲む。
「……文句を言いたいのは此方のほうだ。七年前、娘がこの家に戻ってきた時も言ったが……仕事に失敗しといていつまで強請るつもりだ。お前たちも知っていると思うが、レティシアは生き延びて今王宮にいるんだぞ。長女も不審がっている。……そろそろ潮時だ」
中年の男の言葉に、クレアは耳を疑った。
「だとして……困りますよね。貴方が私たちの組織に依頼し、娘を売り払ったことが世間にバレれば……」
(……っ!? 何を言ってるの……?)
クレアはその言葉の重みを受け止められず、衝撃のあまり体勢を崩してしまった。ガタリと扉が鳴り響く。
「誰だ!?」
ジェイクが声をあげる。クレアは無言のまま扉を開けた。
「クレア……? まさか、聞いていたのか」ジェイクの顔が青ざめていくのを見て、クレアは心の中に冷たい恐怖が広がるのを感じた。
「お父様、どういうことか説明してください」
クレアは鋭い視線でジェイクを睨みつけた。
「ああ、御息女のクレア嬢か……。クレア嬢、君のお父上はね。君の妹が目障りで、私たちの組織に二束三文で押し付けたんだよ。煮るのも焼くのも好きにしろ、ってね」
中年の男はニヤニヤと笑みを浮かべながら、まるで悪趣味な話を楽しむかのように言った。その口調に、クレアは背筋が凍る思いがした。
「でもさ、君の妹は中々逞しくてね。私の部下たちを撒いて逃げてしまったんだ。予定では、どっかの悪趣味な金持ちに売るか、闇オークションにでもかけるつもりだったのにね。とんだ大損だよ。それでさ、聞くところによると、一回妹はこの侯爵家に戻ってきたって言うじゃないか。なのに侯爵は気が動転したのか、妹を追い払ったんだってね。捕まえててくれれば、私たちがちゃんと処理したのにさぁ」
信じられない発言の連発に、クレアの脳は処理しきれなかった。言葉が耳に入ってくるたびに、彼女の心の中で混乱が渦巻く。
「こんな大損をさせられちゃったんじゃ、私たちも割に合わない。だからね、こうして七年間ずっとお付き合いを続けてきたわけなんだけど……急にもう私たちと手を切るというじゃないか。そんなことはこちらとしては納得いかないから、こうして訪ねてきたわけだ」
中年の男は、クレアに顔をグイッと近づけて言った。
「クレア嬢からもお父上を説得してあげて?」
クレアは思わず黙り込んでしまった。言葉が出ない。心臓が、早鐘を打つ。
「良いから、今日はもう帰ってくれ!」とジェイクが怒鳴った。その声に一瞬驚いた中年の男たちは、笑いながら「怖いなあ」と言い、最後に「じゃあ父娘でしっかり話し合ってください。……頼みますよ」と言って、帰っていった。
書斎は重苦しい沈黙に包まれ、二人の息遣いだけが部屋に響いていた。どれだけの時間が経ったのか、クレアには全く分からない。
ようやく、クレアは耐えきれずに口を開いた。
「……あの者たちの言っていたことは本当なのですか?」
「……」
「私、レティシアが行方不明だと聞いたときは、本当に心臓が止まる思いでした。……この七年間、落ち込む私を気遣う振りをして、ずっと心の中では笑っていたということですか?」
ジェイクはその問いに対して何も答えず、ただ苦々しい表情を浮かべた。
「……あいつらめ。レティシアを逃したくせに、口止め料として私を強請るだけ強請り、王家が人身売買組織の取り締まりを強化したときには、隠れ蓑の会社の設立も手伝ってやったというのに、あの態度だ。足元を見やがって……」
クレアの頭は混乱し、思考がまとまらなかった。
「なあ、クレア。これから先もずっとあの組織と付き合い続けたくはない。どうしたら良いと思う?」
ジェイクはクレアの両肩を掴み、まるで彼女を味方に引き込もうとするように微笑んで尋ねる。
クレアはしばらくの間、黙り込んだ。
そして、意を決して口を開く。
「一つだけ方法があります」
「な、なんだ? どんな方法が……?」
「自首し、爵位を返上してください。」
クレアはその言葉をきっぱりと口にした。
「何だと……?!」
「自分の娘を人身売買の組織に売り、あまつさえ組織の援助をする等……貴方のせいで辛い目に遭っている民が沢山います。貴方に貴族の資格はありません」
ジェイクの表情が驚きに満ちる。
「……爵位を返上してどうする。私だけでなく、お前も路頭に迷うぞ」
「構いません。七年も何も気づけなかった私にも落ち度があります」
「……私たちだけじゃない。使用人たちも全員、職を失うのだ」
「そうですね。次の転職先の世話をするまでが私たちの務めです」
「……」
ジェイクが黙り込む。クレアは心の中で決意を固めていた。
「自首しないのなら良いです。私から告発しますので」
彼女は踵を返し、書斎を出ようとしたその瞬間、ジェイクが怒鳴った。
「馬鹿にするなッ!!」
その声に驚いたクレアが振り返ると、父がテーブルの上にあった煙草の灰皿を振りかぶっていた。
クレアは咄嗟に悲鳴を上げたが、次の瞬間、灰皿が彼女の頭に振り下ろされ、その衝撃で床に倒れ込んだ。
悲鳴と物音に驚いたレティシアが、階段を駆け上がってやってきた。
「お、お姉さま……? しっかりしてください!」
レティシアはクレアを抱きかかえ、身体を起こそうとした。
「レティシア、今まで気付かなくてごめんね……」
「え……?」
「まさか、お父様が貴女を誘拐犯に売るなんて……そこまでしているって知らなかったの」
クレアは、ジェイクがレティシアが幼い頃から彼女のことをよく思っていないのは勿論知っていたし、度々レティシアへの扱いには抗議していた。しかし、自分が学園の寮に入ってから、長期休みで帰省しているときは、そこまでジェイクがレティシアにひどい扱いをしているのを見た訳ではなかったため、どこか問題を軽く見ている節があったのだと、今になって思う。
そうだ、七年前、レティシアが行方不明になったときも、ジェイクはちっとも周囲にそのことを言わなかった。仮にも貴族令嬢が居なくなったのだから、王家に報告して、国を挙げて大々的に探すべきなのに。焦ったクレアは、その時学園で仲の良かったグレンに「妹が行方不明になった」と相談した。グレンからアンドレアスへ、アンドレアスからはシャーロット女王に報告が行った。シャーロットはジェイクを呼び出して事情を聞き、レティシアの捜索が始まった。
王都近隣だけでなく、全国的に捜索したらしいが、レティシアらしき少女は見つからなかった。それもそのはず、ジェイクはレティシアの特徴である髪と瞳の色を、クレアと同じハニーブラウンと報告していたのだ。
そのことを、グレンから教えられて知ったクレアは、何も言えず、家に帰ってからジェイクを問い詰めた。
『当たり前だろう。正直に伝えて、王家が素直に探してくれると思うか? 紫魔女……魔女マチルダの被害を受けたのは他ならぬ王家だぞ』
『そんな……きちんと髪色や瞳色を伝えなければ、見つかるものも見つからないじゃないですか』
『……大体、何故お前はオーシャン伯爵の息子に軽率にレティシアが居なくなったことを伝えた? 内々で探して見つければ大事にならずに済んだのに』
『……』
思い出せば思い出すほど、そんなジェイクの「反省している」という言葉を信じてしまった自分が愚かで、クレアはレティシアに抱えられながら後悔の念に苛まれた。
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