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王宮編
12話 君が良い
しおりを挟むレティシアが行方不明の侯爵令嬢であったというニュースは、瞬く間に世間に広まり、王宮の者たちは彼女を今まで以上に尊敬の対象として仰ぎ見るようになった。
「なんてドラマチックなの……!」と、マデリーンは目を潤ませ、涙を流していた。
レティシアの存在は、この王宮で一層神聖視されていく。しかし、そんな賑やかな反応とは裏腹に、レティシアの心には暗い影が差し込んでいた。
「レティシア」
ふと、耳に届いたその声に、彼女は顔を上げた。
「……アンディ様」
授業の合間、庭園の木陰にあるベンチに腰を下ろしていた彼女の目の前に、アンドレアスが現れた。彼の姿は、柔らかな陽光に照らされて、一層魅力的に映る。
「休憩ですか?」
「うん」
アンドレアスは、穏やかに微笑みながらレティシアの隣に腰を下ろした。
「レティシア、最近どうだ?」
アンドレアスの問いかけに、レティシアは一瞬戸惑った。
「どう……とは?」
「ここ最近、あまり元気がないように見えるが」
その言葉にレティシアは、思わずアンドレアスを見つめ返す。彼の視線には心配が滲んでいた。
「……いえ、そんなことは……」
「この前、フローレス家に行ってからだ。何かあったか?」
「……え」
アンドレアスの鋭い指摘に、レティシアの心は一瞬ギクリとした。確かにあの日以来、彼女の心には重い雲が立ち込めていた。
――ジェイクにこてんぱんに嫌われていたという現実。とっくに分かっていたことではあるが、改めて突き付けられたような気持ちだった。
「……フローレス侯爵のことだが」
アンドレアスは静かに口を開く。
「彼はこの前王宮で君との再会にえらく感激していたが……私には何だか侯爵の態度が演技がかって見えた。君から事前に仲が良くなかった、と聞いていたからかもしれないが。姉のクレア嬢にはそのようなものは感じなかった」
「……」
アンドレアスは鋭い。
もしかして、父は過去の所業を後悔しているのではないかと、わずかでも期待を抱いていた自分が恥ずかしくなった。
「……父とはあまり仲が良くなかったのは事実ですが、この前フローレス家で話し合い、わだかまりは無事に払拭できたと思っています。……なので、ご心配は無用です」
レティシアは嘘を吐いた。
「……本当に? なら、良いのだが……」
アンドレアスは腕を組み、納得いかなそうな表情でレティシアを見つめる。
その視線に、彼女は思わず心を乱された。
ふと、先日の父の浅ましい発言が脳裏に浮かぶ。
――お前を王子妃にできれば、フローレス家はますます王家と密接な関係を築ける。
「……あ、あの」
思わず口を開いたレティシアの声は、わずかに震えていた。
「ん?」
「もし父が私のことを恩にきせて、王家におかしなことを要求してきても、無視してくれていいですからね……」
「おかしなこと……?」
アンドレアスが首を傾げる。レティシアは狼狽し、羞恥心から顔が熱くなった。彼の目を見ることができず、俯いてしまう。
「わ、私をアンディ様の妃に、とか……」
消え入りそうな声で、レティシアは言った。その瞬間、静寂がふたりの周囲を包み込む。風が止み、時間が止まったように感じられる。
「……レティシアは嫌か?」
「え?」
レティシアは驚いて顔を上げた。アンドレアスの真剣な瞳が、彼女を真っ直ぐに見つめている。
「……畏れ多いです」
「何故?」
「な、何故って」
どうしてアンドレアスはそんなことを聞くのだろう。レティシアの心は焦りに包まれた。まさか、もう父から、レティシアとの婚約の打診がアンドレアスの耳に入っているのだろうか。
……もしそうだとしたら、アンドレアスは自分のことをどう思っているのだろう。
無性に怖くなった。
レティシアが真っ赤な顔で口をパクパクさせていると、アンドレアスが静かに言葉を続けた。
「……いや、すまない。私のほうから言うべきだな。……レティシア、私との結婚を考えてくれないだろうか?」
「……え?」
突然の言葉に、レティシアは目を見開いた。
「……え? あの、私ですか……?」
「そうだ、君が良いんだ」
「ええ……?」
心臓が苦しくて、レティシアは思わず左胸を押さえた。彼女の顔は沸騰しそうなほど熱くなり、言葉を失ってしまった。アンドレアスの言葉が頭の中をぐるぐると回り、ただ彼を見つめるしかなかった。
混乱する思考の中、『君が良い』と言われたことに対してレティシアは王宮に来た初日にシャーロット女王に言われたことを思い出した。
「……し、師匠なら多分、アンディ様の呪いを解けるかと思いますよ……?」
「は?」
(え、違うの?)
シャーロットは言った。『オースティンでも解呪出来なければ、レティシアがずっといればいい』と。王家はオースティンが解呪に失敗するだろうと考え、時間魔法を使えるレティシアを傍に置きたいのだと、そう思ったのだが。
アンドレアスは少しムッとしたような表情を浮かべていた。
「……。前から聞こうと思っていたが、君はオースティン殿のことをどう思っている?」
「え? ……師匠ですか?」
突然の話の方向転換に、レティシアはポカンとした。
「彼に対して特別な思いがあるのなら、教えてほしい」
「? 特別、というか……師匠がいなければ、今の私は存在していませんから、尊敬していますし、慕っております」
あの時、オースティンに拾われなければ、レティシアはとっくに命を落としていた。仮に生き延びたとしても、今のように魔法を使えることはなかっただろう。
「……慕っているとは、師弟愛か? それとも……」
アンドレアスは言い難そうに唇を噛んだ。
レティシアはその言葉を聞いて、先日マデリーンに邪推されたことを思い出した。アンドレアスも彼女と同じように、レティシアのオースティンへの気持ちを誤解しているのではないかと考え、彼女はとてつもなく焦った。
――オースティンに拾われた時、レティシアはまだ十歳だった。それから七年が経過したとはいえ、百年以上生きているオースティンにとって、レティシアなどまだまだ赤子のような存在であろう。
レティシアは、変な汗をかきながら必死に弁明をした。確かにロブ村には、レティシアのことをオースティンが連れてきた嫁候補だとか噂する者も一部いたが、何故だかアンドレアスにはそんな疑いを持ってほしくなかった。
「……ずっと二人きりで同じ家に住んで、間違いが起きることはないのか?」
「ええ……?」
とんでもない方向に話を飛躍させるアンドレアスに、レティシアは何故か少し泣きそうになった。
消え入りそうな声で「有り得ません……」となんとか答える。
自分の勘ぐりがレティシアを困らせていると気づいたアンドレアスは、小さな声で「……悪かった。女性にする質問ではなかった」と呟いた。
「……とにかく、結婚の件、考えておいてくれ」
そう言ってアンドレアスは、次の予定があるとかでその場を離れた。レティシアは、この事態をどうすれば良いのか分からず、ただ項垂れるしかなかった。
♢♢♢♢♢
レティシアは次の日の午後、馬車でフローレス家へと向かっていた。姉のクレアに会うためである。元々、この日は会いに行く約束をしていたが、父との確執もあり、あまり気乗りはしていなかった。しかし、今のレティシアは違った。クレアにアンドレアスのことを相談したくてしょうがなかったのだ。クレアはレティシアより五つも年上で、婚約者もいる。何かしらのアドバイスをもらいたかった。
約束の時刻より少し前にフローレス家に着いたレティシアは、ちょうど入れ違いで侯爵家の敷地から馬車が出ていくのを目にした。客人が来ていたのかもしれないと思いつつ、使用人たちに迎え入れられ、邸宅の中に足を踏み入れた。顔なじみの使用人たちと少し雑談を交わしながら、姉が自室から降りてくるだろう約束の時間まで一階の応接間で待つことにした。
すると突然、上階から女性の叫び声と、ガシャーンという何かが割れる音が聞こえた。
(お姉様の声……?!)
レティシアは慌てて大階段を駆け上がり、音のした部屋へと向かった。その部屋はジェイクの書斎だった。
書斎のドアを開け、中に入ると、床に倒れ込んでいるクレアの姿が目に飛び込んできた。彼女は頭から血を流している。
「お、お姉様……? しっかりしてください!!」
レティシアはクレアの身体を起こそうと必死になった。
「レティシア、今まで気付かなくてごめんね……」
「え……?」
「まさか、お父様が貴女を誘拐犯に売るなんて……そこまでしてるなんて知らなかったの」
クレアは涙を浮かべ、唇を震わせながらそう言った。
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