11 / 64
王宮編
10話 再会劇①
しおりを挟む
マルティネス公爵家主催の舞踏会の日。
レティシアはアンドレアスから贈られたドレスに身を包み、彼とともに会場である公爵邸宅へと向かう。
公爵邸はまるで王城かと思うほど立派なものであり、レティシアは驚嘆する。
会場内ではお呼ばれしている貴族達がすでに和気藹々と歓談をしていた。
二人の元に一人の女性が歩み寄ってくる。
「殿下、お久しぶりですね。足を運んでいただいてありがとうございます」
艶々の金髪の、少しふくよかな女性である。マルティネス公爵夫人ーーシャーロット女王の妹で、アンドレアスの叔母だ。
「公爵夫人、ご招待ありがとうございます」
アンドレアスが挨拶する。
公爵夫人が、アンドレアスの後ろに立つレティシアに視線を注ぐ。
「夫人、こちらが連れて参りましたレティシアです。……レティシア、こちらマルティネス公爵夫人だ」
「はじめまして、レティシアと申します。公爵夫人、本日はご招待、感謝いたします」
そうレティシアがカーテシーをする。
すると、二人が沈黙したので、レティシアは慌てた。
(……え、何か間違えた? 先生に教えてもらった通りに挨拶したつもりだけど)
授業ではレティシアのカーテシーは褒められていたのだが。レティシアが心の中であたふたしていると、公爵夫人が口を開いた。
「……まあまあまあ! 貴女がレティシアさんね。来て下さってありがとう。ずっとお会いしてみたかったの」
ニコリと夫人が微笑むので、レティシアは安堵した。
「……素敵な子ね。まるで本物の貴族のお嬢さんだわ。……お姉様のあのお話、是非進めましょう」
夫人が何かアンドレアスに囁いたが、レティシアにはよく聞こえなかった。
「レティシアさん、今日は楽しんで。また後ほど、お話ししましょう。では、殿下もまた後で」
そう言って、夫人は他の来賓の元へと向かうためその場を離れた。
舞踏会が始まり、一曲目がスタートする。
「レティシア嬢、私と踊ってくれますか?」
隣に居たアンドレアスに微笑みながら手を差し出され、レティシアは鼓動が早くなるのを感じながら頷きその手を取った。
ダンス講師との特訓の甲斐あり、レティシアはアンドレアスのダンスに付いていく事が出来た。
(ち、近い……)
しかし、すぐ目の前にある端正な顔や、自分の腰を抱く大きい手をやけに意識してしまい、レティシアは頭が沸騰しそうになった。
そして、やけに周囲からの視線も感じる。
なんとか一曲踊り切ることができたが、レティシアは疲れきってしまった。
「レティシア、大丈夫か?」
「は、はい……」
一曲で体力を消耗してしまったレティシアを、アンドレアスは会場の角の方に連れていき、その体調を気遣った。
(なんだか最近私おかしいわ……アンディ様といると動悸が……)
まさか不整脈? この歳で? などとレティシアが考えていると。
貴族男性とその娘と思われる二人が寄ってきた。男性はジーニー侯爵家の当主を名乗り、娘に挨拶をさせる。綺麗な令嬢である。
「どうか殿下、次は娘と踊ってあげてください」
「……勿論です。……レティシア、そこで休んでいろ。……それと、これ」
「?」
レティシアが返事をする間もなく、アンドレアスはリリアと名乗った侯爵令嬢をダンスに誘い、その手を取った。
アンドレアスに手渡されたのは、王家の紋章である鳥がモチーフのデザインが施されたブローチだった。戸惑っていると、アンドレアスがレティシアに視線を向け、自分の胸をトントンと叩く真似をした。
(付けろってこと……?)
レティシアは、おとなしくそのブローチをドレスの胸元に付けた。
二曲目が始まり、レティシアは会場の角から、踊る二人を見た。アンドレアスは勿論、リリアもダンスが上手く、とてもお似合いだ。
周囲の貴族達も、ホウ……と見惚れている。
二人を見ていると、今度はまた違った胸の痛みが襲ったので、レティシアはますます自分の体がおかしくなったのかと不安になった。
「ずるい」「次は私も」とアンドレアスと踊りたそうにしている令嬢達が周囲にいるのに気付き、胸の痛みが治らないレティシアはもうアンドレアス達を視界に入れないことに決めた。
レティシアは場所を移動し軽食が乗っているテーブルに近付くと、飲み物と、食べ物を選び皿に盛った。
この会場で、レティシアのことは、アンドレアスが連れてきた、アンドレアスの呪いを止めている魔法使い……と言うことは、貴族達皆知っている。
そんな存在にうかつに声を掛ける者は中々いないが、今日のレティシアは元々の美貌を侍女達によって念入りに磨かれていて、どの貴族令嬢よりも目立っていた。
先程から周囲の男性陣から視線を浴びているレティシアを、よく思わない令嬢もいる。
「キャッ……!」
レティシアの方へ急接近してきた令嬢が、レティシアの持っていた皿にぶつかり、ドレスの胸部分にパスタが飛び散る。よりによって、イカ墨パスタだ。
「あっ、すみません……!」
「……ひ、酷いわ……私のドレスが……」
その令嬢はドレスを確認すると、わあっと泣いた。無論、ぶつかったのもパスタを被ったのもわざとである。
レティシアも故意だと言うことには気付いたが、再度頭を下げ、謝った。
その令嬢の友人二人が囲み、「ちゃんと前を向いて歩きなさいよ!」「これだから教育を受けてない人は」と悪し様にレティシアを詰った。
「う、ひっく……私のドレス、どうしてくれるの。……貴女、無駄に着飾っているけど、所詮殿下の施しでしょう。魔法使いだか何だか知らないけど、貴族でも何でもない貴女にクリーニング代が払えるの?」
令嬢の喚く声が大きいので、周囲の貴族達がザワザワとし出す。
「……申し訳ありません。これでお許しください」
レティシアはそう言って、令嬢の汚れた胸元に手を近付ける。パッと光が放たれ、あっという間にパスタの痕跡を消し去った。
「えっ、……あ!」
綺麗になった胸元を見て、令嬢は目を丸くする。
初めて見る魔法に、令嬢三人は言葉を失っている。
「一体何があった」
「! ……グレン様」
騒ぎに気付いたのか、グレンが現れ声をかけてきた。
「グレン様……大したことでは……レティシア様が私にぶつかり、パスタがドレスにかかってしまいましたので、少し注意をしていただけですのよ」
「パスタ? どこにパスタが?」
「いや、それは今レティシア様が魔法で……」
しどろもどろに言い訳する令嬢達にグレンが溜め息を付く。
ふいにレティシアのドレスの胸辺りを見て、グレンは別の意味で溜め息を吐きたくなった。
「君達。レティシア嬢は殿下の大切な客人だ。それに……見たまえ、レティシア嬢の付けているブローチを」
「え……? あ!」
ブローチ?
レティシアが首を傾げていると、令嬢達はコホンと咳をすると「な、何でもないですのよ」「オ、オホホ……」そう罰が悪そうな顔をして、そそくさとレティシアから離れていく。
「グレン様、ありがとうございます。助かりました」
「レティシア嬢、殿下と一緒では……? ああ、他のご令嬢とダンスをされているのか。それで君は一人なのだな」
会場の中央で令嬢と踊るアンドレアスを横目で見て、グレンは皮肉な笑みを浮かべる。
「……グレン様こそ。ダンスパートナーを探さないで良いのですか? こういう場は結婚相手を探すには丁度良いと聞きますが……」
レティシアはわざと心配するような表情を作り、グレンを見た。嫌味へのほんの意趣返しだ。
「……心配無用だ。私には既に婚約者がいる」
「あ、そうなのですか」
グレンは今年で二十一歳らしい。確かに、貴族令息なら婚約者が居るのは不思議ではないだろう。
「噂をすれば……クレア! こっちだ」
たった今会場に着いたらしい、会場の扉付近でキョロキョロと辺りを見回しているハニーブラウンの髪の女性を、グレンが呼ぶ。女性はグレンを視界に入れると、笑顔を向けてこちらに歩み寄ってきた。
レティシアはまず『クレア』と言う名に眉を上げ、続いてその女性の顔を見て心臓が跳ね上がった。こちらに向かってくる女性の動きが、まるでスローモーションのように感じられる。
女性はグレンの側に来ると「遅れてごめんなさい、仕事が長引いちゃって」と申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だ。……レティシア嬢、こちら私の婚約者のクレア•フローレス侯爵令嬢だ。……クレア、前からレティシア嬢に会ってみたいと言ってただろう」
「はじめまして。クレア•フローレスです。王子殿下を救った聖女様にお目通しが出来るなんて……」
クレアとレティシアの視線がかち合う。心臓が壊れそうなほどバクバクと鳴り、レティシアは思わず踵を返し、その場を駆け出した。
「え?!」
「レティシア嬢……!?」
レティシアはふたりから逃げるように会場内を人を掻き分けて走る。出口だと思って飛び出した場所はバルコニーだった。
何としてもここから逃げ出したくて、バルコニーの手摺りから下を覗く。ドレスを着ていることも構わず、手摺りに足を掛け飛び降りようとしたその時。
後ろから強い力で抱き締められ、引き連られた。
「レティシア?! 何してる!」
レティシアの体を強く抱きしめていたのはアンドレアスであった。
ダンスの休憩タイム中、元の場所に居ないレティシアを探していたアンドレアスはバルコニーに飛び出し、あまつさえそこから下に飛び降りようとするレティシアを発見し、必死に取り押さえたのだ。
「あ、アンディ様……?」
アンドレアスは、背後から抱きしめていたレティシアの体をひっくり返すと、また正面からぎゅっと抱きしめた。ドクンドクンと、アンドレアスの胸から鼓動が聞こえる。
「ここは三階だぞ……死にたいのか」
「……」
耳元で切羽詰まった声で囁かれ、レティシアは何も言えなくなってしまった。
「……貴女、レティシア……?」
追いかけてきたクレアがバルコニーに出てきて、レティシアに声をかけた。
「だからそう紹介しただろう。……レティシア嬢、何故いきなり逃げ出したのだ?」
クレアの後ろに付いてきたグレンが眉を寄せてレティシアを見る。
何も言わないレティシアを訝しみ、アンドレアスは心配そうにレティシアの顔を覗き込んだ。
「どうした? レティシア」
「……あ、その……」
クレアがまた一歩レティシアに近付いた。
「……貴女、レティシアよね? わ、私の、妹の……」
唇を震わすクレアの顔を見て、レティシアの心臓もまた震えた。
先ほどは思わず逃げ出してしまったが、レティシアはクレアのことを慕っていたのは確かだ。
――姉は気付いてくれた。
父と違い、髪色や瞳色が違っても。
レティシアは覚悟を決め、アンドレアスの腕から離れると、深々と礼をして言った。
「お久しぶりです。クレアお姉様」
「……っ! そうよ! 私、クレアよ!! レティシア。ああ、会いたかった!!」
クレアは瞳に涙を浮かべ、レティシアを抱きしめた。
「……これは一体どういうことだ?」
「殿下……。いや、私も何がなんだか……」
展開に付いていけないグレンは汗をかいている。
クレアはレティシアを抱きしめていた手を解くと、アンドレアスに向き直った。
「お……おそれながら、アンドレアス殿下。レティシアは……七年前に行方不明となっていた私の妹です。聖女様がレティシアという名前だということは知っていましたが……ま、まさか妹本人とは……」
嗚咽を漏らしながらのクレアの告白に、アンドレアスは勿論、騒ぎに駆けつけた貴族達も目を見開き驚愕する。
「……七年前のフローレス家次女の行方不明事件……。その少女がレティシアだと言うのか?」
アンドレアスの問いにクレアが頷くと、何処からともなくワッ……と歓声が上がった。
王子を救った美しい少女レティシア。実はその正体が行方知らずの侯爵令嬢だとは。この奇跡のような偶然に貴族達は衝撃を受けた。
先程、レティシアに難癖をつけた令嬢達も呆然としている。
クレアが再度レティシアを抱きしめた。その光景は周囲の胸を打ち、会場の貴族達を感動の渦に巻き込んだのだった。
レティシアはアンドレアスから贈られたドレスに身を包み、彼とともに会場である公爵邸宅へと向かう。
公爵邸はまるで王城かと思うほど立派なものであり、レティシアは驚嘆する。
会場内ではお呼ばれしている貴族達がすでに和気藹々と歓談をしていた。
二人の元に一人の女性が歩み寄ってくる。
「殿下、お久しぶりですね。足を運んでいただいてありがとうございます」
艶々の金髪の、少しふくよかな女性である。マルティネス公爵夫人ーーシャーロット女王の妹で、アンドレアスの叔母だ。
「公爵夫人、ご招待ありがとうございます」
アンドレアスが挨拶する。
公爵夫人が、アンドレアスの後ろに立つレティシアに視線を注ぐ。
「夫人、こちらが連れて参りましたレティシアです。……レティシア、こちらマルティネス公爵夫人だ」
「はじめまして、レティシアと申します。公爵夫人、本日はご招待、感謝いたします」
そうレティシアがカーテシーをする。
すると、二人が沈黙したので、レティシアは慌てた。
(……え、何か間違えた? 先生に教えてもらった通りに挨拶したつもりだけど)
授業ではレティシアのカーテシーは褒められていたのだが。レティシアが心の中であたふたしていると、公爵夫人が口を開いた。
「……まあまあまあ! 貴女がレティシアさんね。来て下さってありがとう。ずっとお会いしてみたかったの」
ニコリと夫人が微笑むので、レティシアは安堵した。
「……素敵な子ね。まるで本物の貴族のお嬢さんだわ。……お姉様のあのお話、是非進めましょう」
夫人が何かアンドレアスに囁いたが、レティシアにはよく聞こえなかった。
「レティシアさん、今日は楽しんで。また後ほど、お話ししましょう。では、殿下もまた後で」
そう言って、夫人は他の来賓の元へと向かうためその場を離れた。
舞踏会が始まり、一曲目がスタートする。
「レティシア嬢、私と踊ってくれますか?」
隣に居たアンドレアスに微笑みながら手を差し出され、レティシアは鼓動が早くなるのを感じながら頷きその手を取った。
ダンス講師との特訓の甲斐あり、レティシアはアンドレアスのダンスに付いていく事が出来た。
(ち、近い……)
しかし、すぐ目の前にある端正な顔や、自分の腰を抱く大きい手をやけに意識してしまい、レティシアは頭が沸騰しそうになった。
そして、やけに周囲からの視線も感じる。
なんとか一曲踊り切ることができたが、レティシアは疲れきってしまった。
「レティシア、大丈夫か?」
「は、はい……」
一曲で体力を消耗してしまったレティシアを、アンドレアスは会場の角の方に連れていき、その体調を気遣った。
(なんだか最近私おかしいわ……アンディ様といると動悸が……)
まさか不整脈? この歳で? などとレティシアが考えていると。
貴族男性とその娘と思われる二人が寄ってきた。男性はジーニー侯爵家の当主を名乗り、娘に挨拶をさせる。綺麗な令嬢である。
「どうか殿下、次は娘と踊ってあげてください」
「……勿論です。……レティシア、そこで休んでいろ。……それと、これ」
「?」
レティシアが返事をする間もなく、アンドレアスはリリアと名乗った侯爵令嬢をダンスに誘い、その手を取った。
アンドレアスに手渡されたのは、王家の紋章である鳥がモチーフのデザインが施されたブローチだった。戸惑っていると、アンドレアスがレティシアに視線を向け、自分の胸をトントンと叩く真似をした。
(付けろってこと……?)
レティシアは、おとなしくそのブローチをドレスの胸元に付けた。
二曲目が始まり、レティシアは会場の角から、踊る二人を見た。アンドレアスは勿論、リリアもダンスが上手く、とてもお似合いだ。
周囲の貴族達も、ホウ……と見惚れている。
二人を見ていると、今度はまた違った胸の痛みが襲ったので、レティシアはますます自分の体がおかしくなったのかと不安になった。
「ずるい」「次は私も」とアンドレアスと踊りたそうにしている令嬢達が周囲にいるのに気付き、胸の痛みが治らないレティシアはもうアンドレアス達を視界に入れないことに決めた。
レティシアは場所を移動し軽食が乗っているテーブルに近付くと、飲み物と、食べ物を選び皿に盛った。
この会場で、レティシアのことは、アンドレアスが連れてきた、アンドレアスの呪いを止めている魔法使い……と言うことは、貴族達皆知っている。
そんな存在にうかつに声を掛ける者は中々いないが、今日のレティシアは元々の美貌を侍女達によって念入りに磨かれていて、どの貴族令嬢よりも目立っていた。
先程から周囲の男性陣から視線を浴びているレティシアを、よく思わない令嬢もいる。
「キャッ……!」
レティシアの方へ急接近してきた令嬢が、レティシアの持っていた皿にぶつかり、ドレスの胸部分にパスタが飛び散る。よりによって、イカ墨パスタだ。
「あっ、すみません……!」
「……ひ、酷いわ……私のドレスが……」
その令嬢はドレスを確認すると、わあっと泣いた。無論、ぶつかったのもパスタを被ったのもわざとである。
レティシアも故意だと言うことには気付いたが、再度頭を下げ、謝った。
その令嬢の友人二人が囲み、「ちゃんと前を向いて歩きなさいよ!」「これだから教育を受けてない人は」と悪し様にレティシアを詰った。
「う、ひっく……私のドレス、どうしてくれるの。……貴女、無駄に着飾っているけど、所詮殿下の施しでしょう。魔法使いだか何だか知らないけど、貴族でも何でもない貴女にクリーニング代が払えるの?」
令嬢の喚く声が大きいので、周囲の貴族達がザワザワとし出す。
「……申し訳ありません。これでお許しください」
レティシアはそう言って、令嬢の汚れた胸元に手を近付ける。パッと光が放たれ、あっという間にパスタの痕跡を消し去った。
「えっ、……あ!」
綺麗になった胸元を見て、令嬢は目を丸くする。
初めて見る魔法に、令嬢三人は言葉を失っている。
「一体何があった」
「! ……グレン様」
騒ぎに気付いたのか、グレンが現れ声をかけてきた。
「グレン様……大したことでは……レティシア様が私にぶつかり、パスタがドレスにかかってしまいましたので、少し注意をしていただけですのよ」
「パスタ? どこにパスタが?」
「いや、それは今レティシア様が魔法で……」
しどろもどろに言い訳する令嬢達にグレンが溜め息を付く。
ふいにレティシアのドレスの胸辺りを見て、グレンは別の意味で溜め息を吐きたくなった。
「君達。レティシア嬢は殿下の大切な客人だ。それに……見たまえ、レティシア嬢の付けているブローチを」
「え……? あ!」
ブローチ?
レティシアが首を傾げていると、令嬢達はコホンと咳をすると「な、何でもないですのよ」「オ、オホホ……」そう罰が悪そうな顔をして、そそくさとレティシアから離れていく。
「グレン様、ありがとうございます。助かりました」
「レティシア嬢、殿下と一緒では……? ああ、他のご令嬢とダンスをされているのか。それで君は一人なのだな」
会場の中央で令嬢と踊るアンドレアスを横目で見て、グレンは皮肉な笑みを浮かべる。
「……グレン様こそ。ダンスパートナーを探さないで良いのですか? こういう場は結婚相手を探すには丁度良いと聞きますが……」
レティシアはわざと心配するような表情を作り、グレンを見た。嫌味へのほんの意趣返しだ。
「……心配無用だ。私には既に婚約者がいる」
「あ、そうなのですか」
グレンは今年で二十一歳らしい。確かに、貴族令息なら婚約者が居るのは不思議ではないだろう。
「噂をすれば……クレア! こっちだ」
たった今会場に着いたらしい、会場の扉付近でキョロキョロと辺りを見回しているハニーブラウンの髪の女性を、グレンが呼ぶ。女性はグレンを視界に入れると、笑顔を向けてこちらに歩み寄ってきた。
レティシアはまず『クレア』と言う名に眉を上げ、続いてその女性の顔を見て心臓が跳ね上がった。こちらに向かってくる女性の動きが、まるでスローモーションのように感じられる。
女性はグレンの側に来ると「遅れてごめんなさい、仕事が長引いちゃって」と申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だ。……レティシア嬢、こちら私の婚約者のクレア•フローレス侯爵令嬢だ。……クレア、前からレティシア嬢に会ってみたいと言ってただろう」
「はじめまして。クレア•フローレスです。王子殿下を救った聖女様にお目通しが出来るなんて……」
クレアとレティシアの視線がかち合う。心臓が壊れそうなほどバクバクと鳴り、レティシアは思わず踵を返し、その場を駆け出した。
「え?!」
「レティシア嬢……!?」
レティシアはふたりから逃げるように会場内を人を掻き分けて走る。出口だと思って飛び出した場所はバルコニーだった。
何としてもここから逃げ出したくて、バルコニーの手摺りから下を覗く。ドレスを着ていることも構わず、手摺りに足を掛け飛び降りようとしたその時。
後ろから強い力で抱き締められ、引き連られた。
「レティシア?! 何してる!」
レティシアの体を強く抱きしめていたのはアンドレアスであった。
ダンスの休憩タイム中、元の場所に居ないレティシアを探していたアンドレアスはバルコニーに飛び出し、あまつさえそこから下に飛び降りようとするレティシアを発見し、必死に取り押さえたのだ。
「あ、アンディ様……?」
アンドレアスは、背後から抱きしめていたレティシアの体をひっくり返すと、また正面からぎゅっと抱きしめた。ドクンドクンと、アンドレアスの胸から鼓動が聞こえる。
「ここは三階だぞ……死にたいのか」
「……」
耳元で切羽詰まった声で囁かれ、レティシアは何も言えなくなってしまった。
「……貴女、レティシア……?」
追いかけてきたクレアがバルコニーに出てきて、レティシアに声をかけた。
「だからそう紹介しただろう。……レティシア嬢、何故いきなり逃げ出したのだ?」
クレアの後ろに付いてきたグレンが眉を寄せてレティシアを見る。
何も言わないレティシアを訝しみ、アンドレアスは心配そうにレティシアの顔を覗き込んだ。
「どうした? レティシア」
「……あ、その……」
クレアがまた一歩レティシアに近付いた。
「……貴女、レティシアよね? わ、私の、妹の……」
唇を震わすクレアの顔を見て、レティシアの心臓もまた震えた。
先ほどは思わず逃げ出してしまったが、レティシアはクレアのことを慕っていたのは確かだ。
――姉は気付いてくれた。
父と違い、髪色や瞳色が違っても。
レティシアは覚悟を決め、アンドレアスの腕から離れると、深々と礼をして言った。
「お久しぶりです。クレアお姉様」
「……っ! そうよ! 私、クレアよ!! レティシア。ああ、会いたかった!!」
クレアは瞳に涙を浮かべ、レティシアを抱きしめた。
「……これは一体どういうことだ?」
「殿下……。いや、私も何がなんだか……」
展開に付いていけないグレンは汗をかいている。
クレアはレティシアを抱きしめていた手を解くと、アンドレアスに向き直った。
「お……おそれながら、アンドレアス殿下。レティシアは……七年前に行方不明となっていた私の妹です。聖女様がレティシアという名前だということは知っていましたが……ま、まさか妹本人とは……」
嗚咽を漏らしながらのクレアの告白に、アンドレアスは勿論、騒ぎに駆けつけた貴族達も目を見開き驚愕する。
「……七年前のフローレス家次女の行方不明事件……。その少女がレティシアだと言うのか?」
アンドレアスの問いにクレアが頷くと、何処からともなくワッ……と歓声が上がった。
王子を救った美しい少女レティシア。実はその正体が行方知らずの侯爵令嬢だとは。この奇跡のような偶然に貴族達は衝撃を受けた。
先程、レティシアに難癖をつけた令嬢達も呆然としている。
クレアが再度レティシアを抱きしめた。その光景は周囲の胸を打ち、会場の貴族達を感動の渦に巻き込んだのだった。
49
お気に入りに追加
336
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ
悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。
残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。
そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。
だがーー
月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。
やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。
それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる