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第十章 セクター・デルタ
第十章 セクター・デルタ(1)宇宙要塞バル=ベリト
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政府機能ステーション・ビシュバリクが消滅してから、ぼくたちはリリウム・ツーの艦内で何日も過ごすことになった。
統合宇宙軍はその主力部隊が失われてしまった。それに、高級将校をほとんど喪失してしまったのが痛い。統合宇宙軍側の戦力はまだ各星系に残されていたけれど、それらを統一的に指揮する戦略機関がないために、有効利用からはほど遠い。
不幸中の幸いに、特務機関シータには幹部クラスが全員残っていた。ゴールデン司令もランナ博士も無事だ。レクトリヴ能力者部隊もほぼ無事。研究者は相当数を失ったけれども。
ビシュバリクもろとも大統領官邸が消失し、艦内時間で丸一日が経過して、いよいよ大統領である父の生存可能性が絶望的になったとき、スズランは泣いた。ただし、ほんの少しの間だけ。
スズランは涙を流した。けれども、泣き言は言わなかった。事実に反して無闇に希望的観測を述べることもしなかったし、ギデス大煌王国にたいして父を殺した事実を以て憎しみをぶつけるようなこともしなかった。
ただ、肉親を失ったという事実の重さを吐き出すように、無言で泣いたのだった。
彼女が部屋で泣いている間、ぼくは何も言えずに、そばに座っていることしかできなかった。
◇◇◇
『われわれ統合宇宙軍はギデスをこのままにしてはおけない。ギデスの残存艦隊は各方面から跳躍を繰り返し、惑星マルスへと向かっていることが判った。われわれはセクター・デルタにて彼奴ばらを叩く』
統合宇宙軍の軍事用回線では、そんな内容の放送が行われていた。それを、ぼくたちはリリウム・ツーの艦内放送を通じて聞いた。
統合宇宙軍の残存勢力は、ギデス大煌王国バトラ大将軍の旗艦・宇宙要塞バル=ベリトを落とすために、続々とセクター・デルタへ向かっていた。
セクター・デルタとは、惑星マルスの衛星・ダイモスの周辺の宙域を指す。何千年も前にこの場所にデルタ要塞という軍事要塞があったと言われていて、歴史的経緯からこの宙域をセクター・デルタと呼ぶようになったという。
「リリウム・ツーも惑星マルス――セクター・デルタへ向かう」
ブリッジで、スズランは言った。これには、特務機関シータの仲間たちも異存はない。
「けれども、特務機関シータは統合宇宙軍とは独立に動くものとする。いまの統合宇宙軍は指揮系統が混乱しており、多数の部隊がわれわれに矛盾する指令を下すだろう。それらを、全部無視する」
これは、もうほとんど、特務機関シータという独立の機関の創設を宣言しているに等しかった。
ブリッジに集まった仲間たちに、ピリッとした空気が流れたのがわかる。
肩書き上、一番責任の重いゴールデン司令が、スズランの宣言に同意しながら質問する。
「これから独立行動を行うという点については問題はないが、この場合、セクター・デルタの戦いの作戦目標はどのように置くつもりじゃ?」
「もちろん、宇宙要塞バル=ベリトの沈黙が作戦目標だ。だけど、リリウム・ツー、エージー、ビーエフの三艦で正面から殴り合えるわけもない。だから、原則として、他の艦隊を盾にしながら進む」
「まさか……」口を開いたのはぼくだ。「いつものあれをやるっていいうんじゃあ……」
「その通りさ。防御網をかいくぐって、バル=ベリトに直接乗り付けて、内側から破壊する」
これまでのどの戦いでもそうだったけれど、スズランはこういう戦い方を好む。つまり、直接対決を避け、敵の懐に入り込んで敵将を討ち取る。
うなずきながら、ランナ博士が作戦目標を分解する。今回の場合、何をすれば、バル=ベリトを“内側から破壊”したことになるのかというと……。
「バル=ベリトに乗り込んで、『漆黒の法』の発生機関を無力化し、バトラ大将を撃破する……ということになるわね」
「そういうこと。バトラ大将軍の撃破まで行けたら、戦局もいくらかマシにはなるんだと思う」
「あまり焦りすぎないほうがいいわね。スズラン艦長、突入時のメンバーは?」
「出し惜しみの必要はないと思う。ユウキを出す。あたしはユウキの護衛。それから、リッジバック、ネージュ、カイ隊とジロン隊だね」
ジロンというのはビーエフに乗艦しているレクトリヴ能力者隊の隊長だ。ちなみに、カイはエージーのレクトリヴ能力者隊の隊長をしている。
「じゃあ、スズラン艦長たちが出払っている間は、わたしが操舵を受け持つわね」
「よろしくお願い」
スズランとランナの間では、そうして作戦に同意が持たれたけれども、ひとり、ゴールデン司令だけは何か言いたげだった。
「バル=ベリトへの突入にも反対はせん。しかし、ユキ――いや、ネージュ中尉まで連れて行く必要はないんじゃないかのう」
ゴールデン司令の孫であることが判明したネージュは、本名はユキというのだけれども、本人にとってあまり馴染みがないために、今でもネージュと呼ばれていた。
「ネージュをリリウム・ツーに残すのももったいない話です。現場に出てもらわなければ」
「じゃ、じゃが、人手は足りとるんじゃないか?」
「司令」今度反論したのはネージュ本人だった。「私はスズラン艦長に賛成です。バル=ベリトに乗り込めば私にはできることがある」
「本人がそう言うならのう……」
ゴールデン司令の声は後半、消え入りそうだった。そして、ぼそりと「司令じゃなくてお爺ちゃんと呼んでほしい」などと呟いていた。
これで方針は定まった。
とはいえ、ぼくにはまだよくわからないことがある。なぜ、宇宙要塞バル=ベリトをはじめとしたギデス大煌王国の主要艦隊が惑星マルスを目指しているのか。そこに何があるというのだろう?
「やつらは――ギデスは何を目標に動いているんだろう? 惑星マルスに何かあるのかな?」
この質問に答えてくれたのはゴールデン司令だ。
「前にも言ったじゃろう。惑星マルスにはこの宇宙を司るマルス・レコードがあると。そして、レクトリヴ能力者はマルス・レコードへのアクセスを持つ人間であると」
そんな話を、たしかに前に聞いた気がする。
「となると、惑星マルスへの侵攻は、レクトリヴ能力者がらみの話ということになるんですか?」
「……明確な目的はわからん。だが、やつらはマルス・レコードを押さえて、天幻部隊を強化するのかもしれん」
なるほど、という感じだ。ギデス大煌王国だって、先の戦いで少なくない損失を被っているはずだ。もし、マルス・レコードを利用して天幻部隊――レクトリヴ能力者を強化することができるのならば、軍事力強化のための安い投資ということになるのかもしれない。
◇◇◇
特務機関シータの艦艇、リリウム・ツー、エージー、ビーエフがセクター・デルタに侵入したとき、すでに戦闘は始まっていた。
宇宙要塞バル=ベリトとギデス大煌王国艦隊を中心にしながら、統合宇宙軍艦隊がこれらを囲んで攻撃していた。
しかしながら、大方の予想通り、統合宇宙軍艦隊はほとんど統率が取れていなかった。
あたかもひとつの生き物のように有機的に動くギデス軍艦隊に、統合宇宙軍艦隊は一方的に屠られていた。宇宙要塞バル=ベリト周縁の防衛ラインを、統合宇宙軍艦隊はほんの少しも越えられない。
統合宇宙政体に加盟する星系政府のどれもが、「前進しろ、バル=ベリトを撃沈せよ」としか命令していないのではと疑うばかりだ。いずれの艦隊も、連携を取れずにギデス軍艦隊に潰されていく。
さらに、『漆黒の法』だ。統合宇宙軍は続々と新たな艦隊を投入していたが、それらが交戦エリアに入る前に、バル=ベリトは漆黒の法で消し去った。この兵器は艦隊をまるごと消滅させることができる。強力すぎる。
壊滅しながら敗走する艦船が相次ぐなか、リリウム・ツーは残りの二艦を伴って戦場を駆け抜ける。
宇宙要塞バル=ベリトまで、あと少しだ。
◇◇◇
統合宇宙軍はその主力部隊が失われてしまった。それに、高級将校をほとんど喪失してしまったのが痛い。統合宇宙軍側の戦力はまだ各星系に残されていたけれど、それらを統一的に指揮する戦略機関がないために、有効利用からはほど遠い。
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スズランは涙を流した。けれども、泣き言は言わなかった。事実に反して無闇に希望的観測を述べることもしなかったし、ギデス大煌王国にたいして父を殺した事実を以て憎しみをぶつけるようなこともしなかった。
ただ、肉親を失ったという事実の重さを吐き出すように、無言で泣いたのだった。
彼女が部屋で泣いている間、ぼくは何も言えずに、そばに座っていることしかできなかった。
◇◇◇
『われわれ統合宇宙軍はギデスをこのままにしてはおけない。ギデスの残存艦隊は各方面から跳躍を繰り返し、惑星マルスへと向かっていることが判った。われわれはセクター・デルタにて彼奴ばらを叩く』
統合宇宙軍の軍事用回線では、そんな内容の放送が行われていた。それを、ぼくたちはリリウム・ツーの艦内放送を通じて聞いた。
統合宇宙軍の残存勢力は、ギデス大煌王国バトラ大将軍の旗艦・宇宙要塞バル=ベリトを落とすために、続々とセクター・デルタへ向かっていた。
セクター・デルタとは、惑星マルスの衛星・ダイモスの周辺の宙域を指す。何千年も前にこの場所にデルタ要塞という軍事要塞があったと言われていて、歴史的経緯からこの宙域をセクター・デルタと呼ぶようになったという。
「リリウム・ツーも惑星マルス――セクター・デルタへ向かう」
ブリッジで、スズランは言った。これには、特務機関シータの仲間たちも異存はない。
「けれども、特務機関シータは統合宇宙軍とは独立に動くものとする。いまの統合宇宙軍は指揮系統が混乱しており、多数の部隊がわれわれに矛盾する指令を下すだろう。それらを、全部無視する」
これは、もうほとんど、特務機関シータという独立の機関の創設を宣言しているに等しかった。
ブリッジに集まった仲間たちに、ピリッとした空気が流れたのがわかる。
肩書き上、一番責任の重いゴールデン司令が、スズランの宣言に同意しながら質問する。
「これから独立行動を行うという点については問題はないが、この場合、セクター・デルタの戦いの作戦目標はどのように置くつもりじゃ?」
「もちろん、宇宙要塞バル=ベリトの沈黙が作戦目標だ。だけど、リリウム・ツー、エージー、ビーエフの三艦で正面から殴り合えるわけもない。だから、原則として、他の艦隊を盾にしながら進む」
「まさか……」口を開いたのはぼくだ。「いつものあれをやるっていいうんじゃあ……」
「その通りさ。防御網をかいくぐって、バル=ベリトに直接乗り付けて、内側から破壊する」
これまでのどの戦いでもそうだったけれど、スズランはこういう戦い方を好む。つまり、直接対決を避け、敵の懐に入り込んで敵将を討ち取る。
うなずきながら、ランナ博士が作戦目標を分解する。今回の場合、何をすれば、バル=ベリトを“内側から破壊”したことになるのかというと……。
「バル=ベリトに乗り込んで、『漆黒の法』の発生機関を無力化し、バトラ大将を撃破する……ということになるわね」
「そういうこと。バトラ大将軍の撃破まで行けたら、戦局もいくらかマシにはなるんだと思う」
「あまり焦りすぎないほうがいいわね。スズラン艦長、突入時のメンバーは?」
「出し惜しみの必要はないと思う。ユウキを出す。あたしはユウキの護衛。それから、リッジバック、ネージュ、カイ隊とジロン隊だね」
ジロンというのはビーエフに乗艦しているレクトリヴ能力者隊の隊長だ。ちなみに、カイはエージーのレクトリヴ能力者隊の隊長をしている。
「じゃあ、スズラン艦長たちが出払っている間は、わたしが操舵を受け持つわね」
「よろしくお願い」
スズランとランナの間では、そうして作戦に同意が持たれたけれども、ひとり、ゴールデン司令だけは何か言いたげだった。
「バル=ベリトへの突入にも反対はせん。しかし、ユキ――いや、ネージュ中尉まで連れて行く必要はないんじゃないかのう」
ゴールデン司令の孫であることが判明したネージュは、本名はユキというのだけれども、本人にとってあまり馴染みがないために、今でもネージュと呼ばれていた。
「ネージュをリリウム・ツーに残すのももったいない話です。現場に出てもらわなければ」
「じゃ、じゃが、人手は足りとるんじゃないか?」
「司令」今度反論したのはネージュ本人だった。「私はスズラン艦長に賛成です。バル=ベリトに乗り込めば私にはできることがある」
「本人がそう言うならのう……」
ゴールデン司令の声は後半、消え入りそうだった。そして、ぼそりと「司令じゃなくてお爺ちゃんと呼んでほしい」などと呟いていた。
これで方針は定まった。
とはいえ、ぼくにはまだよくわからないことがある。なぜ、宇宙要塞バル=ベリトをはじめとしたギデス大煌王国の主要艦隊が惑星マルスを目指しているのか。そこに何があるというのだろう?
「やつらは――ギデスは何を目標に動いているんだろう? 惑星マルスに何かあるのかな?」
この質問に答えてくれたのはゴールデン司令だ。
「前にも言ったじゃろう。惑星マルスにはこの宇宙を司るマルス・レコードがあると。そして、レクトリヴ能力者はマルス・レコードへのアクセスを持つ人間であると」
そんな話を、たしかに前に聞いた気がする。
「となると、惑星マルスへの侵攻は、レクトリヴ能力者がらみの話ということになるんですか?」
「……明確な目的はわからん。だが、やつらはマルス・レコードを押さえて、天幻部隊を強化するのかもしれん」
なるほど、という感じだ。ギデス大煌王国だって、先の戦いで少なくない損失を被っているはずだ。もし、マルス・レコードを利用して天幻部隊――レクトリヴ能力者を強化することができるのならば、軍事力強化のための安い投資ということになるのかもしれない。
◇◇◇
特務機関シータの艦艇、リリウム・ツー、エージー、ビーエフがセクター・デルタに侵入したとき、すでに戦闘は始まっていた。
宇宙要塞バル=ベリトとギデス大煌王国艦隊を中心にしながら、統合宇宙軍艦隊がこれらを囲んで攻撃していた。
しかしながら、大方の予想通り、統合宇宙軍艦隊はほとんど統率が取れていなかった。
あたかもひとつの生き物のように有機的に動くギデス軍艦隊に、統合宇宙軍艦隊は一方的に屠られていた。宇宙要塞バル=ベリト周縁の防衛ラインを、統合宇宙軍艦隊はほんの少しも越えられない。
統合宇宙政体に加盟する星系政府のどれもが、「前進しろ、バル=ベリトを撃沈せよ」としか命令していないのではと疑うばかりだ。いずれの艦隊も、連携を取れずにギデス軍艦隊に潰されていく。
さらに、『漆黒の法』だ。統合宇宙軍は続々と新たな艦隊を投入していたが、それらが交戦エリアに入る前に、バル=ベリトは漆黒の法で消し去った。この兵器は艦隊をまるごと消滅させることができる。強力すぎる。
壊滅しながら敗走する艦船が相次ぐなか、リリウム・ツーは残りの二艦を伴って戦場を駆け抜ける。
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