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第七章 丘の上の屋敷
第七章 丘の上の屋敷(7)屋根の上の秘密
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その夜、ぼくは迎賓館の一室を与えられ、そこに泊まることになった。ネージュと同じ部屋だが、女同士ということになっているのだから、仕方がない。いまさら別室にしてくださいと言うわけにもいかない。
ネージュは迎賓館保有のきちんとした医療装置で折れた右足を治療してもらい、もう杖なしで歩けるようになっていた。
部屋からバルコニーへ出ると、夜空の向こうから生暖かい風が吹く。星を見るには絶好の天気だ。
「なれ合いは今夜までだ、ユウキ。明日の朝、お前がここを出たら、私たちは敵同士だ」
「わかってるよ」
ネージュもバルコニーへ出てきて、欄干にもたれかかる。
ここは丘の上の屋敷だから、見晴らしが非常に良い。青々とした丘の向こうに、ザイアスの街が見える。ここより高いところは、向こうに見えるザイアス要塞の山くらいだ。
「私は、今回のことで色々なものを見た。スラムの治安は最悪だ。そして……、彼らはこんなにも素晴らしいギデスの思想を理解していない」
ネージュは溜息をついた。
短い間に、二度も「ギデス軍の軍人だから」という理由で襲撃されたのが、よほどショックだったのだろう。
「“ギデスによる宇宙平和”だよね」
ぼくの言ったキーワードに、ネージュはうなずく。
「ああ。それがまだ成就していないことは理解している。だから、それさえ達成されれば……、人はスラムに住む必要がなくなる。だから……」
「あんな連中は、いずれいなくなる、と?」
「そうだ。だが……、これは途中経過として正しいのか? あのスラムをつくったのはギデスだ。これは、私が求めていた世界の姿だったんだろうか?」
ネージュは苦悩している。ぼくには、ギデス大煌王国が正しいのか、統合宇宙政体が正しいのか、あるはどちらも正しくないのか、答えを持ち合わせていなかった。
歌声が聞こえる。きれいなワンピースに着替えたミューが、屋根の上で歌っている。髪も整えられたおかげで、夜風に緩くたなびいている。
透き通るような、いつまでも聞いていたいような、歌声だった。
「そうだ、ユウキ、屋根の上に出よう」
「え? でも」
「ほら、早く」
ネージュはさっと欄干を超えて屋根の上に立つと、そこからぼくに向かって手を伸ばしてきた。
ぼくはその手を取る。
欄干を乗り越え、屋根の上に飛び降りたとき、ネージュはぼくの身体を受け止めた。そうしなくても落ちなかったとは思うけれど。
「なんだか、王子様みたいだな、ネージュ」
「私はこれでも、隊の一部からは『吹雪の貴公子』と呼ばれてるんだよ、お姫様」
確かに、ネージュの言動は、上品で、同時に気高く、貴公子という表現がぴったりだ。
ぼくたちは屋根の上で、並んで腰掛ける。ミューがいるのはもっと高い場所だ。ぼくたちに構わず、気ままに歌っている。
思ったことが、ぼくの口をついて出た。
「ネージュはすごい。すごいよ」
「すごい? なにが?」
ぼくとネージュは、境遇が同じだ。過去の記憶を失い、目覚めたら天幻知覚レクトリヴの能力者になった。
そして彼女は、ギデス大煌王国の思想に共鳴し、その力を理想的な世界の実現のために振るっている。
対するぼくは、力があれば、肩書きがあれば、人から評価されて、幸せになれるんだということばかり考えていた。
でも実際はどうなんだ? ネージュは力を手に入れて、肩書きを手に入れて、人から評価されている。そして、苦悩している。
自分が何者なのかと考えていたし、自分の共鳴する思想は正しいのかと悩んでいる。
彼女が悩んでいるのは、ギデスという圧倒的な力をもってしても、かならずしも人を幸福にはしえないということだ。それは、自分のための力ではなく、人々のための力の話だ。
正直言って、ぼくは恥ずかしい。ネージュはぼくが長い間いる場所にはいない。ずっとずっと、先を行っている。
「ぼくは戦いで強ければ、階級があれば、それでいいんだと思ってた。でも、なんていうのか、本当の強さをきみに見た気がするんだ」
「実際に戦った決着はまだついていないじゃないか、ユウキ。正直、お前は強敵だと思うよ」
「それでも……、違うんだ、これは。ぼくは、とてもみっともない人間なんだ。だから、きみのことを見習いたいと――」
不思議なことに、ネージュは夢見るような視線で、ぼくのほうを見ていた。
不意に、ネージュの手がぼくの耳の下に伸びると、重なっ、た――。
――くちびる、が。
はた、と、我に返ったような顔をしたネージュは、視線を逸らすと、両膝を抱え込んだ。
「こ、今夜は女同士なんだから、ノーカンだろ、お姫様」
「どういう理屈だ……」
そう言いながらも、ぼくの心の中は、ネージュで満たされてしまった。なんてことだ。ネージュはギデスの軍人。敵だ。敵なのに……。
尊敬と、好意と、それから――。
この感情は。
気持ちの良い夜風の中、穏やかな歌声の中、自分の心臓が暴れ回っているのを感じた。
「おい、ユウキ」
「いまはこっち見るな!」
暗いからわからないかもしれない。でも、いま見られたら、顔が真っ赤になっていることがばれてしまうかもしれない。
「はは、なんだそれ」
ネージュは笑った。それから、からかうように言う。
「お前さ、本当は、本当に女の子なんじゃないの?」
「ち、違うよ」
「ほら、お姫様」
「違うって!」
いろんな意味で、惑星ザイアスでの滞在は、ぼくにとって大きな変化をもたらした。
たとえば、ぼくはこれから、何を目指していくのか。何を基準に選び取っていくのか――。
そして初めて、ギデスの軍人とは――いや、ネージュとは――もう戦いたくないと思ったのだった。
ネージュは迎賓館保有のきちんとした医療装置で折れた右足を治療してもらい、もう杖なしで歩けるようになっていた。
部屋からバルコニーへ出ると、夜空の向こうから生暖かい風が吹く。星を見るには絶好の天気だ。
「なれ合いは今夜までだ、ユウキ。明日の朝、お前がここを出たら、私たちは敵同士だ」
「わかってるよ」
ネージュもバルコニーへ出てきて、欄干にもたれかかる。
ここは丘の上の屋敷だから、見晴らしが非常に良い。青々とした丘の向こうに、ザイアスの街が見える。ここより高いところは、向こうに見えるザイアス要塞の山くらいだ。
「私は、今回のことで色々なものを見た。スラムの治安は最悪だ。そして……、彼らはこんなにも素晴らしいギデスの思想を理解していない」
ネージュは溜息をついた。
短い間に、二度も「ギデス軍の軍人だから」という理由で襲撃されたのが、よほどショックだったのだろう。
「“ギデスによる宇宙平和”だよね」
ぼくの言ったキーワードに、ネージュはうなずく。
「ああ。それがまだ成就していないことは理解している。だから、それさえ達成されれば……、人はスラムに住む必要がなくなる。だから……」
「あんな連中は、いずれいなくなる、と?」
「そうだ。だが……、これは途中経過として正しいのか? あのスラムをつくったのはギデスだ。これは、私が求めていた世界の姿だったんだろうか?」
ネージュは苦悩している。ぼくには、ギデス大煌王国が正しいのか、統合宇宙政体が正しいのか、あるはどちらも正しくないのか、答えを持ち合わせていなかった。
歌声が聞こえる。きれいなワンピースに着替えたミューが、屋根の上で歌っている。髪も整えられたおかげで、夜風に緩くたなびいている。
透き通るような、いつまでも聞いていたいような、歌声だった。
「そうだ、ユウキ、屋根の上に出よう」
「え? でも」
「ほら、早く」
ネージュはさっと欄干を超えて屋根の上に立つと、そこからぼくに向かって手を伸ばしてきた。
ぼくはその手を取る。
欄干を乗り越え、屋根の上に飛び降りたとき、ネージュはぼくの身体を受け止めた。そうしなくても落ちなかったとは思うけれど。
「なんだか、王子様みたいだな、ネージュ」
「私はこれでも、隊の一部からは『吹雪の貴公子』と呼ばれてるんだよ、お姫様」
確かに、ネージュの言動は、上品で、同時に気高く、貴公子という表現がぴったりだ。
ぼくたちは屋根の上で、並んで腰掛ける。ミューがいるのはもっと高い場所だ。ぼくたちに構わず、気ままに歌っている。
思ったことが、ぼくの口をついて出た。
「ネージュはすごい。すごいよ」
「すごい? なにが?」
ぼくとネージュは、境遇が同じだ。過去の記憶を失い、目覚めたら天幻知覚レクトリヴの能力者になった。
そして彼女は、ギデス大煌王国の思想に共鳴し、その力を理想的な世界の実現のために振るっている。
対するぼくは、力があれば、肩書きがあれば、人から評価されて、幸せになれるんだということばかり考えていた。
でも実際はどうなんだ? ネージュは力を手に入れて、肩書きを手に入れて、人から評価されている。そして、苦悩している。
自分が何者なのかと考えていたし、自分の共鳴する思想は正しいのかと悩んでいる。
彼女が悩んでいるのは、ギデスという圧倒的な力をもってしても、かならずしも人を幸福にはしえないということだ。それは、自分のための力ではなく、人々のための力の話だ。
正直言って、ぼくは恥ずかしい。ネージュはぼくが長い間いる場所にはいない。ずっとずっと、先を行っている。
「ぼくは戦いで強ければ、階級があれば、それでいいんだと思ってた。でも、なんていうのか、本当の強さをきみに見た気がするんだ」
「実際に戦った決着はまだついていないじゃないか、ユウキ。正直、お前は強敵だと思うよ」
「それでも……、違うんだ、これは。ぼくは、とてもみっともない人間なんだ。だから、きみのことを見習いたいと――」
不思議なことに、ネージュは夢見るような視線で、ぼくのほうを見ていた。
不意に、ネージュの手がぼくの耳の下に伸びると、重なっ、た――。
――くちびる、が。
はた、と、我に返ったような顔をしたネージュは、視線を逸らすと、両膝を抱え込んだ。
「こ、今夜は女同士なんだから、ノーカンだろ、お姫様」
「どういう理屈だ……」
そう言いながらも、ぼくの心の中は、ネージュで満たされてしまった。なんてことだ。ネージュはギデスの軍人。敵だ。敵なのに……。
尊敬と、好意と、それから――。
この感情は。
気持ちの良い夜風の中、穏やかな歌声の中、自分の心臓が暴れ回っているのを感じた。
「おい、ユウキ」
「いまはこっち見るな!」
暗いからわからないかもしれない。でも、いま見られたら、顔が真っ赤になっていることがばれてしまうかもしれない。
「はは、なんだそれ」
ネージュは笑った。それから、からかうように言う。
「お前さ、本当は、本当に女の子なんじゃないの?」
「ち、違うよ」
「ほら、お姫様」
「違うって!」
いろんな意味で、惑星ザイアスでの滞在は、ぼくにとって大きな変化をもたらした。
たとえば、ぼくはこれから、何を目指していくのか。何を基準に選び取っていくのか――。
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