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第三章 ビシュバリク
第三章 ビシュバリク(1)大統領の娘と特務機関
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深い闇の底から戻ってくると、ぼくはまたベッドの上に横たわっていた。
白い天井。
前回と違って、ここにはスズランはいない。部屋にはぼくひとりだ。
ここはどこだろう。
ぼくは全身に大やけどを負っていたはずだけど、それは跡形もなく治療されていた。両腕を見ても皮膚は綺麗なものだし、髪を触ってみても艶のある肩までの髪が無傷で揃っている。
リッジバックの能力で焼かれ、そのまま連れて行かれそうになったとき、ぼくを守ってくれたのはスズランだった。お礼を言いたい。彼女はどこにいるんだろう。
ぼくはベッドから立ち上がり、ひんやりする床の上に裸足で立った。また、病院着を着ていることに気がついた。これも適当なところで着替えてしまいたい。
「ここは、シータ研究所じゃない……?」
部屋から廊下に出ると、ぼくは様子が違うことに気がついた。
ぼくは前回のように、シータ研究所の医務室で治療を受けたものとばかり思っていた。しかし、どうも違う感じがする。
ここはどこだろう。
戸惑っていると、廊下の向こうから制服を着た男の人が歩いてくる。小脇に情報端末を抱えて、どこか会議にでも向かっている風情だ。
「あの、すみません?」
ぼくは、この人に尋ねてみた。
「何? お嬢ちゃん」
お嬢ちゃんじゃないんだけどな。
「えっと、ここってどこなんでしょう?」
「ここ? 第十六ブロックだけど」
「いえ、そういうことではなくて、なんていう施設なんでしょうか?」
「施設……? ああ。その格好からすると、きみは知らない間に搬入されたのか。ここは、連邦政府機能ステーション・ビシュバリクだ」
「れんぽうせいふきのうすてーしょん……?」
「じゃあ、急いでるからこれで」
制服の人はそのまま去って行ってしまった。
どうやらここは、連邦政府機能ステーションで、ステーションの名前はビシュバリクというらしい。ついでにいうと、第十六ブロックという区画に相当するという。……全然わからない。
すくなくとも、ここがどうやら統合宇宙政体の公的な施設らしいことはわかった。ギデス大煌王国に連れ去られたわけではなさそうだ。
◇◇◇
ぼくはそのまま、あてどなく廊下を進み、エレベーターに乗って、展望デッキに上がった。
一番外側の壁がガラスになっていて(たぶん、アクリルガラスなんかよりも遙かに丈夫な材質なんだろうけど)、その外には一面の宇宙が広がっていた。
ぼくがいるのは、宇宙ステーションだった。
目に見える範囲にも無数の艦船が出入りしていて、その中でも相当数の軍用艦が停泊していた。これが話に聞いた、統合宇宙軍の艦だろうか。
「ユウキ君」
不意に、ぼくに声を掛ける者がいた。振り返ったところには、ゴールデン所長とランナがいた。ふたりとも、シータ研究所に属しているはずだが、なぜこんなところにいるのだろう。
「所長、ランナさん」
「もういいのかい?」
「あ、はい。おかげさまで……でいいんですよね? ぼくを治療してくださったのは……」
「うむ。今回も、シータ研究所で対応をした。ギデス大煌王国の天幻強化兵と交戦するとは……。まったく、無事でよかった」
「はい、すみません」
「いや、襲ってきたのは向こうじゃろう。よく生き延びたものじゃ」
「本当よ」ランナが口を挟む。「しかも相手は幹部級だっていうじゃない。無事だったのは奇跡よ、もう」
いや……違う。
「生き延びられたのは、スズランのおかげなんです。……ところで、スズランはどこに?」
「いまは特務機関のほうにいるはずじゃな。……というか、ユウキ君、きみも制服に着替えておいた方がいいぞ。もうじきお呼びが掛かるはずじゃから」
「お呼びってなんです? 制服って?」
「いや実は、シータ研究所は改組されて、統合宇宙軍の特務機関シータに格上げされたんじゃ。わしは研究所長から特務機関司令に肩書きが代わった。きみはそこの所属員になった」
「特務機関シータ……? 何のための組織ですか?」
「統合宇宙軍内に天幻知覚レクトリヴの専門部隊を組成するための機関じゃよ。もちろん、そこでのレクトリヴ使いの中心は、きみということになるが」
「ほ、ほんとですか」
「無論。更衣室の場所は、ランナ、案内してやってくれんか」
「わかりました」
ゴールデン司令は偉い人だからきっと忙しいのだろうが、更衣室まで案内するのに女の人を寄越すのはいったいどうだろう。いや、更衣室の中まで入ってくるわけじゃないけれど。ときどき、ぼくのことを女子だと勘違いしているんじゃないだろうか。
◇◇◇
特務機関シータの制服に着替えたあとは、ぼくは大統領官邸まで呼び出しを受けた。ぼくが今いる第十六ブロックからは距離があるそうで、手配された車に乗って官邸ブロックまで移動した。
ところで、特務機関シータの制服のデザインは統合宇宙軍の制服とほとんど同じだ。深い紺色をベースにしたズボンとジャケット、それにブーツ。襟の端に施されている縁取りの色が、正規軍だと赤で、ぼくたちは青という違いがあるらしい。左胸に付いている星とストライプの数で階級を見分けるらしい。
大統領官邸に入ると、大統領執務室の前に、軍服を着たスズランが立っていた。ここでぼくを待っていたらしい。紺の制服にベレー帽といういでたちで緑色の髪は、ちぐはぐな感じがする。
「おっ、ユウキ。すっかり治ったみたいだな」
「うん、おかげさまで。それに、あのときぼくを守ってくれてありがとう」
「よせやい」スズランははにかんだ。「お前のためなら何でもするって言ったろ」
むずがゆい。そうまっすぐに言われては、こちらは照れてしまう。
「……で、大統領って、スズランのお父さん?」
スズランは顔を顰める。
「憶えてたのか」
「リッジバックがそう言ってたからね」
スズランは溜息をつく。
「その通りだよ。現職の統合宇宙政体大統領はあたしの父だ。でも、特段どうということもないよ。あたしはそのことを誇りに思ったことはないし、向こうもあたしみたいな子を持って幸せだったことなんてない」
「……?」
ぼくにはわかりかねた。どうにも複雑そうな家庭環境のようだ。不用意に踏み込むのはやめておこう。
ぼくらが会話をしていると、タイヤの付いたロボットがやって来て、「お入り下さい」と言った。ぼくたちは扉を開き、大統領執務室へと入った。
◇◇◇
大統領は執務机に座ったまま、ぼくたちふたりを迎えた。歓迎しているといった様子はない。というか、感情の揺れをまったく見せない人だった。
机の前まで来ると、スズランは両手を後ろに組み、直立姿勢をとった。ぼくも慌ててそれに倣う。
大統領は口を開いた。
「きみたちふたりには、統合宇宙軍・特務機関シータへの配属を命じる。また、スズランには准尉の階級を、ユウキには一等曹長の階級を与える。以上」
あまりにも短い任命式だ。このためだけにここにまで呼びつけられたのか、とあっけにとられる。
一等曹長。ぼくの本来の階級よりはやや高い。やはり、天幻知覚レクトリヴを使えるということが効いているのだろう。それにしても、スズランのほうが階級が高いのは、どうあれ大統領の娘であるということが影響していそうだ。
だが、スズランは階級が与えられたことで満足するどころか、大統領に食ってかかる。
「では、任務についてお聞かせ下さい。准尉ほどの階級を頂いたのですから、どんな重責も果たしてみせます」
「任務はない。待機せよ」
「待機? 待機ですか。ゴールデン司令から追って任務が下されるのでしょうか?」
「それもない。待機せよ」
「父上!」
「何が不服か。お前の希望通り、特務機関シータに名目上配属してやったのだ。これ以上、なにが欲しいというのだ」
どうやら、いち民間人に過ぎないはずだったスズランが特務機関シータの一員となっているのは、彼女が大統領である父というコネを利用したことが原因らしい。
「あたしはユウキのために働きたい。だから、ユウキと一緒の特務機関に配属してくれたことは感謝します。でも、露骨に何もしなくていいお飾りの将校になんてなりたくありません」
「子供のくせに偉そうな口をきくな。不服があるなら、その階級も剥奪してやっても構わんのだぞ」
スズランは押し黙った。これ以上の交渉は無意味だ。
ぼくは、この状況では引き下がるしかないと思った。スズランも同じ考えのようだった。けれども、彼女の腹の中には、ぼくが及びも付かないような大胆な計画があった。
それをぼくが知るのはもう少しだけ先の話だった。
◇◇◇
白い天井。
前回と違って、ここにはスズランはいない。部屋にはぼくひとりだ。
ここはどこだろう。
ぼくは全身に大やけどを負っていたはずだけど、それは跡形もなく治療されていた。両腕を見ても皮膚は綺麗なものだし、髪を触ってみても艶のある肩までの髪が無傷で揃っている。
リッジバックの能力で焼かれ、そのまま連れて行かれそうになったとき、ぼくを守ってくれたのはスズランだった。お礼を言いたい。彼女はどこにいるんだろう。
ぼくはベッドから立ち上がり、ひんやりする床の上に裸足で立った。また、病院着を着ていることに気がついた。これも適当なところで着替えてしまいたい。
「ここは、シータ研究所じゃない……?」
部屋から廊下に出ると、ぼくは様子が違うことに気がついた。
ぼくは前回のように、シータ研究所の医務室で治療を受けたものとばかり思っていた。しかし、どうも違う感じがする。
ここはどこだろう。
戸惑っていると、廊下の向こうから制服を着た男の人が歩いてくる。小脇に情報端末を抱えて、どこか会議にでも向かっている風情だ。
「あの、すみません?」
ぼくは、この人に尋ねてみた。
「何? お嬢ちゃん」
お嬢ちゃんじゃないんだけどな。
「えっと、ここってどこなんでしょう?」
「ここ? 第十六ブロックだけど」
「いえ、そういうことではなくて、なんていう施設なんでしょうか?」
「施設……? ああ。その格好からすると、きみは知らない間に搬入されたのか。ここは、連邦政府機能ステーション・ビシュバリクだ」
「れんぽうせいふきのうすてーしょん……?」
「じゃあ、急いでるからこれで」
制服の人はそのまま去って行ってしまった。
どうやらここは、連邦政府機能ステーションで、ステーションの名前はビシュバリクというらしい。ついでにいうと、第十六ブロックという区画に相当するという。……全然わからない。
すくなくとも、ここがどうやら統合宇宙政体の公的な施設らしいことはわかった。ギデス大煌王国に連れ去られたわけではなさそうだ。
◇◇◇
ぼくはそのまま、あてどなく廊下を進み、エレベーターに乗って、展望デッキに上がった。
一番外側の壁がガラスになっていて(たぶん、アクリルガラスなんかよりも遙かに丈夫な材質なんだろうけど)、その外には一面の宇宙が広がっていた。
ぼくがいるのは、宇宙ステーションだった。
目に見える範囲にも無数の艦船が出入りしていて、その中でも相当数の軍用艦が停泊していた。これが話に聞いた、統合宇宙軍の艦だろうか。
「ユウキ君」
不意に、ぼくに声を掛ける者がいた。振り返ったところには、ゴールデン所長とランナがいた。ふたりとも、シータ研究所に属しているはずだが、なぜこんなところにいるのだろう。
「所長、ランナさん」
「もういいのかい?」
「あ、はい。おかげさまで……でいいんですよね? ぼくを治療してくださったのは……」
「うむ。今回も、シータ研究所で対応をした。ギデス大煌王国の天幻強化兵と交戦するとは……。まったく、無事でよかった」
「はい、すみません」
「いや、襲ってきたのは向こうじゃろう。よく生き延びたものじゃ」
「本当よ」ランナが口を挟む。「しかも相手は幹部級だっていうじゃない。無事だったのは奇跡よ、もう」
いや……違う。
「生き延びられたのは、スズランのおかげなんです。……ところで、スズランはどこに?」
「いまは特務機関のほうにいるはずじゃな。……というか、ユウキ君、きみも制服に着替えておいた方がいいぞ。もうじきお呼びが掛かるはずじゃから」
「お呼びってなんです? 制服って?」
「いや実は、シータ研究所は改組されて、統合宇宙軍の特務機関シータに格上げされたんじゃ。わしは研究所長から特務機関司令に肩書きが代わった。きみはそこの所属員になった」
「特務機関シータ……? 何のための組織ですか?」
「統合宇宙軍内に天幻知覚レクトリヴの専門部隊を組成するための機関じゃよ。もちろん、そこでのレクトリヴ使いの中心は、きみということになるが」
「ほ、ほんとですか」
「無論。更衣室の場所は、ランナ、案内してやってくれんか」
「わかりました」
ゴールデン司令は偉い人だからきっと忙しいのだろうが、更衣室まで案内するのに女の人を寄越すのはいったいどうだろう。いや、更衣室の中まで入ってくるわけじゃないけれど。ときどき、ぼくのことを女子だと勘違いしているんじゃないだろうか。
◇◇◇
特務機関シータの制服に着替えたあとは、ぼくは大統領官邸まで呼び出しを受けた。ぼくが今いる第十六ブロックからは距離があるそうで、手配された車に乗って官邸ブロックまで移動した。
ところで、特務機関シータの制服のデザインは統合宇宙軍の制服とほとんど同じだ。深い紺色をベースにしたズボンとジャケット、それにブーツ。襟の端に施されている縁取りの色が、正規軍だと赤で、ぼくたちは青という違いがあるらしい。左胸に付いている星とストライプの数で階級を見分けるらしい。
大統領官邸に入ると、大統領執務室の前に、軍服を着たスズランが立っていた。ここでぼくを待っていたらしい。紺の制服にベレー帽といういでたちで緑色の髪は、ちぐはぐな感じがする。
「おっ、ユウキ。すっかり治ったみたいだな」
「うん、おかげさまで。それに、あのときぼくを守ってくれてありがとう」
「よせやい」スズランははにかんだ。「お前のためなら何でもするって言ったろ」
むずがゆい。そうまっすぐに言われては、こちらは照れてしまう。
「……で、大統領って、スズランのお父さん?」
スズランは顔を顰める。
「憶えてたのか」
「リッジバックがそう言ってたからね」
スズランは溜息をつく。
「その通りだよ。現職の統合宇宙政体大統領はあたしの父だ。でも、特段どうということもないよ。あたしはそのことを誇りに思ったことはないし、向こうもあたしみたいな子を持って幸せだったことなんてない」
「……?」
ぼくにはわかりかねた。どうにも複雑そうな家庭環境のようだ。不用意に踏み込むのはやめておこう。
ぼくらが会話をしていると、タイヤの付いたロボットがやって来て、「お入り下さい」と言った。ぼくたちは扉を開き、大統領執務室へと入った。
◇◇◇
大統領は執務机に座ったまま、ぼくたちふたりを迎えた。歓迎しているといった様子はない。というか、感情の揺れをまったく見せない人だった。
机の前まで来ると、スズランは両手を後ろに組み、直立姿勢をとった。ぼくも慌ててそれに倣う。
大統領は口を開いた。
「きみたちふたりには、統合宇宙軍・特務機関シータへの配属を命じる。また、スズランには准尉の階級を、ユウキには一等曹長の階級を与える。以上」
あまりにも短い任命式だ。このためだけにここにまで呼びつけられたのか、とあっけにとられる。
一等曹長。ぼくの本来の階級よりはやや高い。やはり、天幻知覚レクトリヴを使えるということが効いているのだろう。それにしても、スズランのほうが階級が高いのは、どうあれ大統領の娘であるということが影響していそうだ。
だが、スズランは階級が与えられたことで満足するどころか、大統領に食ってかかる。
「では、任務についてお聞かせ下さい。准尉ほどの階級を頂いたのですから、どんな重責も果たしてみせます」
「任務はない。待機せよ」
「待機? 待機ですか。ゴールデン司令から追って任務が下されるのでしょうか?」
「それもない。待機せよ」
「父上!」
「何が不服か。お前の希望通り、特務機関シータに名目上配属してやったのだ。これ以上、なにが欲しいというのだ」
どうやら、いち民間人に過ぎないはずだったスズランが特務機関シータの一員となっているのは、彼女が大統領である父というコネを利用したことが原因らしい。
「あたしはユウキのために働きたい。だから、ユウキと一緒の特務機関に配属してくれたことは感謝します。でも、露骨に何もしなくていいお飾りの将校になんてなりたくありません」
「子供のくせに偉そうな口をきくな。不服があるなら、その階級も剥奪してやっても構わんのだぞ」
スズランは押し黙った。これ以上の交渉は無意味だ。
ぼくは、この状況では引き下がるしかないと思った。スズランも同じ考えのようだった。けれども、彼女の腹の中には、ぼくが及びも付かないような大胆な計画があった。
それをぼくが知るのはもう少しだけ先の話だった。
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