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全ては神の導きのままに

第10話

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「我々の暮らしの事は我々自身に決める権利がある!」
「そうだ!そうだ!」
「王家は平民議員を採用すべきだ!」
「そうだ!そうだ!」
 
 あの襲撃以来王侯貴族や教会を信用しなくなった平民達は、自分達も政治に参加すべきだという意識が芽生え始めた。それと同時に盛んに道端で平民議員の採用を主張する演説者が現れ出し、人々は彼等の演説に聞き入り、時にはそうだと声を挙げて同調する。
 演説者は弁護士などの教養人や貴族に代わって地方行政権を預けられていた所謂ジェントリと呼ばれる人達が中心となっており、彼等は後に市民運動のリーダー的存在となっていく。
 演説の集団を影から眺めていた女は顔をそむけると周囲を警戒しながら王城へと足を向ける。最近はすっかり物騒な世の中になったと心の中で独り言ちながら裏口を警備する兵士に外出許可証を見せる。軽く会釈をした兵士が開けた扉に身体を滑り込ませると慣れた様子で廊下を歩き主人が待つ部屋へと入った。
 
「どうだった……?」

 女の主人であるアイラの顔色はあれ以来優れない。女は侍女として安心させるべく軽く笑みを浮かべた。

「ええ、アイラ様を悪く言うような声などございませんでしたよ」
「本当よね?嘘じゃないわよね?」

 何度も確認するアイラに侍女は辛抱強く本当だと答える。襲撃は思った以上に彼女の心に深い傷を付けたらしく、侍女は毎日城下に降りて人々の噂話からアイラを悪し様に話す者が居ないか聞き込みをお願いされていた。

「茶会に出席したアイラ様は影武者だとか、本当のアイラ様は実は病などで亡くなっているのではという説は今だに飛び交っていますが、貴女様の事を悪く言うものはおりませんでした」
「……分かった。私の悪い噂を聞いたら正直に言ってね、お願いよ?」

 取り敢えず落ち着いた主人に聞こえぬよう安堵の息を吐く。医者はノイローゼだと診断していたが主人が何故こんなにも恐れてるのかさっぱり分からない。
 そう、アイラはレオナルドよりも傍に居る時間が長い侍女にでさえ抱えている不安を吐き出せられていなかった。吐き出せていたとしても彼女達からの答えは分かりきっている。自分がそのような大それた事に加担出来ない性格だと分かっているのは自分の人となりを知っているからだ。きっと彼女達は「そのような恐ろしい事を考える筈が無い」と言い切ってくれるだろう。
 しかし自分が求めているのは市民達からはどういう風に見られているかだ。もしレオナルドの新しい婚約者の座を狙って共犯になったというデマが生まれてしまったら、恐らくあっという間に広がって彼等の中でそれは真実になってしまうだろう。だって彼等は私の事を何も知らないのだから。どんな性格で何が好きなのか嫌いなのか、普段何をして過ごしているのか、周囲へどんな発言をしていたのか、一般家庭で生まれ育ってて謀略など無縁の世界で生きてきた事など何つ知らないのだから。
 
「大丈夫です。何があろうと私達は貴女様のお傍におりますから……」

 全く笑顔を見せなくなった主人の心を和ませようとハーブティーを淹れる為に侍女は一旦部屋を後にする。本来淹れるのはメイドの役目だが人間不信が強く出ている主人相手には自分が淹れた方が良いだろうと気遣っての事である。
 その途中で侍女はレオナルドの侍従と話をしている同僚と出くわした。どうやらアイラの体調不良を理由にレオナルドの面会を断っているようだ。

「あらローラ、帰って来てたのね」
「ええ、ちょっとお茶を淹れて差し上げようと思って」

 以前は5人居た聖女付き侍女も退職や解雇などで今や2人に減ってしまった。事情が事情だがすっかり情緒不安定になってしまった主人を支えるのは大変だが、1番気が合う同僚が残ってくれたので何とかやってこれている部分もある。

「それで?どうだったの?」
「収まるどころか益々熱が高まっているわ。逮捕は逆効果だったのかもしれないわね」
 
 この状況を放っておくような貴族や教会ではない。平民の政治参加など権力者にとって都合が悪い考えは早々危険思想だと見なされ、演説者は善良な国民に危険思想を植え付ける犯罪者だとして兵士に集会は見つけ次第妨害並びに主催者の逮捕の命令が下された。
 既に何人かは逮捕され監獄に送られたが平民の議会への参加欲は冷めるどころか上がる一方だ。ローラは平民の間で日に日に高まる熱に溜息を零す。
 タラスティナは国王と議会が協力して政治を行っているが、議員になれるのは貴族と神官に限られており平民にその資格は無い。今までは平民もそれを疑問に思う事無く自分達は生産し運び加工する者、政治は貴族に任せるという姿勢だったのだが、王家や教会への不信が高まった影響で自分達平民も政治に参加すべきだという声が次々と挙がったのだ。
 最初に提唱したのは教養人やジェントリで、前者はこの国の人口の大半を占める平民の暮らしを左右する重要な案件が、平民の知らぬ所で決まっている危うさにいち早く気が付いていた。そして後者は長年貴族がやるべき仕事を安い報酬で受けざるを得なかった現状から抜け出すチャンスだと奮起した。今なら平民は一丸となれると彼等は手を組んだのだ。

「思い上がりも甚だしいわよねぇ、政治のせの字も知らない人間が出来る訳ないのに……」
「そうよね、平民なんかに任せたらそれこそ本当に終わりよ」

 呆れ返っている彼女達だが、自分達の主人が歴史的に政治的支配権が王から民へと移った国が存在する世界から来た事を知っていればそのような台詞は出なかったであろう。



 危うい状態でも流血沙汰は免れていた王都だが、綱渡りが崩れたのはその1週間後である。きっかけは牢獄に入れられている演説者の解放を求めて市民がデモを起こした事から始まる。
 その数は最終的には6万人に膨れ上がり、王城前の広場で王家を相手に監獄に入れられている同胞を解放するよう訴えたのだ。これだけならばデモの1つとして済んだのだが事態は悪い方へと舵を切ってしまった。
 デモ隊の予想以上の規模に危機感を覚えた警備隊長が部下に銃撃を命じたのだ。しかも隊員達が撃つのを躊躇うと痺れを切らした隊長が隊員の1人の銃を奪い発砲。これによってデモ隊と警備兵の衝突にまで発展し双方に死傷者が出た。
 その衝突の最中に市民が撃たれた事により動揺した複数の警備兵が件の隊長を射殺、彼の隊長が率いていた隊はその日のうちに市民側に寝返る事となる。事態はそれだけに収まらず波及して他の連隊も次々と寝返り、アイラが危惧した通り市民への抑止力と期待されていた諸連隊の約半数は敵へと回ったのである。
 貴族達は戦力を補充しようと傭兵を雇う方針を出していたのだが、傭兵団との交渉中に市民と寝返った兵士達が協力して監獄を襲撃、捉えられていた演説者を解放した。元々物量で勝っていたところに更に銃火器の扱い方を熟知している兵士も合流した今の市民軍相手に国王軍が成す術は無かった。
 最早平民達を武力や権力で押さえつける事は不可能。革命の波を悟った一部の貴族達は王家や教会を見捨てて夜逃げ同然に安住の地を求めて他国へと亡命しだした。亡命貴族の中にはレオナルドの親戚も混じっていた。
 ファティア公爵夫妻も例外ではなく、仮にも娘である筈のアイラを城に残し金目の物をありったけ積んで馬車を走らせていた。港町に着いたら金に物を言わせて船を確保する算段なのである。
 一晩中走ったお陰で無事に港町までたどり着き、さぁ丁度良い船を見繕おうとしたところで大変なアクシデントが発生してしまった。

「おい、あの小箱は何処に仕舞ったんだ?」
「えっ?あなたが持って来たのではないのですか?」

 2人の間に奇妙な沈黙が流れる。互いの言葉を理解したのはほぼ同時だった。夫妻はサッと顔を蒼褪めさせ「何故持って来なかったんだ!」「あなたこそもっと早く確認してくださいよ!」と口論を始める。
 口論の理由となっている赤色の小箱はそれ自体には対した価値は無いが、中に収められている指輪が重要なのである。
 指輪はリーチェ家では「叡智の指輪」と呼ばれている代物で、天才魔術師と謳われた3代目当主が作成して以降代々の当主に受け継がれて来た、家宝と呼んでも差し支えない指輪である。
 何故叡智と名付けられたのかは指輪の能力に由来し、指に嵌めると正気と引き換えにありとあらゆる知識が頭に流れ込む常識では考えられないような並外れた能力を持つが故である。
 ただし流れ込む知識については有用なものもあれば、知ってしまえば狂気に陥る危険なものまで及び、更には使用者は流れ込む知識の餞別が出来ない。
 その為安易に嵌めてはならない危険な指輪だと恐れられているが、材質が金やダイヤなどの高価な物を惜しみなく使っているのもあって、魔術的要素を除いても非常に価値は高い。
 屋敷が襲撃されて王城に逃れる際にも真っ先に持ち出した大切な指輪なのだが、ここにきて2人共お互いが指輪を保管した箱を持って来たと思い込んでしまったようだ。
 このまま口論をし続けていても仕方がないと思い直した夫妻はどうするか思案する。あの指輪は何処の馬の骨とも知れない輩に奪われてはならない大切な代物だ。ましてや王家に見つかったら未申告の魔術的装身具を所持していた罪を問われる可能性が非常に高い。それは絶対避けねばならない。
 ならば誰かに頼んで取って来てもらうという手もあるが、そのまま盗まれない保証は無い。やはり自分達が取って来るしかないと決断した夫妻は困惑する御者や従僕を無視して王都に戻るよう命じた。
 
 だがこの判断を夫妻は後に後悔する事になる。時を同じくして新たな政治体制を目指す同士が集まる酒場に、護衛を1人だけ連れた気品溢れる男が現れた。
 男が纏う貴族らしき威厳に酒場の主人は警戒を強める。此処がどういう場所か理解しているだろうに特に咎めようとせず、取引がしたいと告げた男の顔は宰相のものだった。
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