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全ては神の導きのままに

第9話

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 その日王都は驚愕と混乱に陥った。
 人々が食い入るように見つめているのは今朝発行されたばかりのとある新聞である。他のゴシップを主に扱う新聞とは違い、社会問題を主軸に取り上げる部分が人々から支持を得ているのだが、このたびとんでもないスクープを報じたのだ。
 公爵令嬢アレクサンドラ・リーチェが聖女を害そうとカップに毒を盛った事件、通称「茶会事件」で国を追放されていたアレクサンドラが実は以前から聖女の力に頼らない浄化法の研究を行っていたという記事だ。研究内容も一部だが掲載され、素人目に見てもかなり本格的で理にかなった内容だと知れた。
 更に彼女は追放前に自身の侍女にこう語っていたという。『今のやり方は聖女やその家族に多大な犠牲を強いている。自分達の国の問題は自分達で解決する。それが本来のあり方である』と。
 
 この記事を書いた記者が彼女の研究を知ったのは全くの偶然である。彼は王都での食糧事情が振るわなくなってすぐ、毎月の仕送りを条件に瘴気が少ない農村に住む親戚へと老いた両親を預けていたのだが、顔を見せに来ていた時に両親から資料の存在を知らされたのだ。
 偉い貴族のご令嬢が研究していた聖女を介さず瘴気を祓う方法。とても魅力的ではあるのだが、手紙に書かれた完全な資料が手に入る条件の移民の受け入れが難しく結局断ったらしい。
 それを聞いた男は興奮し掴みかからん勢いで両親からその手紙と資料の在り処を聞き出すと嵐のように家を飛び出し勢いのままに村長の家のドアを叩いた。何度か顔を合わせた事のある村長は男の勢いに面食らいながらも手紙と研究資料の写しを見せてくれた。
 男は夢中で持っていたメモ帳にびっしりと内容を余す事無く書き写すと「これは大変な事になるぞ!」と鼻息荒く馬にまたがり嵐のように村を後にした。
 このような経緯でアレクサンドラの研究とそのきっかけは王都の人間の目にも触れられたのである。
 
 記事を読んだ人々は想像した。少女達はもし自分がある日突然家族や友人と引き離され、もう二度と会えない状況になったとしたら。男達や母親はもし姉妹や恋人、あるいは娘がある日突然居なくなったとしたら。それは身も裂けるような思いであろう。
 また記者の見解として茶会事件は多くの疑問が残るとも綴られていた。アレクサンドラが本当に聖女を害したのであれば彼女の身内も重い罰を受けている筈である。しかし彼女の両親は処罰どころか大司教から直々に聖女の養親という誉ある立場を頂いている。
 当時の教会はファティア公爵夫妻の親としての情より王家や教会への忠義を選んだ行為をいたく評価していた。その為罪を犯したアレクサンドラは本来なら死刑のところ国外追放に減刑されたのだが、事件自体に何やら裏がありそうだと人々は勘付き騒めいた。
 聖女を守る立場にある教会がわざわざ害した人間の身内を養親にした理由は何だ。それに体面を何よりも気にする貴族が身内の罪をあっさり認めた事についても疑問が残る。まるで娘を教会に売ったみたいだ。
 
 よくよく考えてみれば教会の存在意義はナイアトの教えを人々に説く事と聖女の保護である。アレクサンドラの研究が現実のものとなり聖女の召喚が不要となれば教会は存在意義の1つを失う事となる。教会がそれを恐れてアレクサンドラの失脚を狙っていてもおかしくはない。
 加えてファティア公爵夫妻とアレクサンドラの折り合いの悪さは社交界でも有名だったそうだ。国外追放という憂き目にあったアレクサンドラとは対照的に聖女の養親となって周囲が無視できない程の影響力を手に入れた公爵夫妻。どう考えても可笑し過ぎる。
 教会と彼女を除いた公爵家との間で密約が交わされたと見てほぼ間違いない。新聞の情報はそう結論付けるに余りあるものだった。
 平民の間でもファティア公爵の娘、アレクサンドラの名は良い意味で知られていた。容姿や所作は勿論、知性にも優れており王妃となれば内政から外交まで力を発揮してくれるだろうと将来を期待されていたのだ。
 当然彼女が追放されたのは彼等にとっても衝撃的であった。だが他ならない婚約者である王太子が裁判も経由せずに処分を下したのならば、言い逃れ出来ない程の明らかな証言や証拠があったのだろうと皆納得はしていたのだ。
 誰もが残念だけど仕方ないと肩を落としていたというのに、これだけ疑惑があるのなら話は別だ。もし裁判さえすれば犯行は本当にアレクサンドラによるものなのか必ず疑問点が浮かび上がった筈である。
 アレクサンドラの犯行に見せかけ、尚且つ内々に処理するよう王太子に進言できる立場にある者は極限られてくる。そして王太子がその進言を素直に聞き入れる人物についても。

 「茶会事件はやっぱり教会が起こしたんだよ。でないと説明がつかないよ」
 「でも教会が聖女様に毒を盛るなんて、そんな恐ろしい事……」

 教会が目を光らせているかもしれない手前大っぴらには言えないが、人々は事件の不審点について各々自論を展開し合っていた。正直仕事なんて手につかない、いや仕事しようにもこの不景気で開店休業中なので誰も咎める者なんて居ない。さざめきのように疑惑と不審が王都中に広がるのにそう時間はかからなかった。
 新聞については勿論レオナルドの耳にも入っていた。だが彼は腹芸の苦手な素直な性格だ。呼びつけられたアダムの側近は涙ながらに無実を主張した。ファティア公爵夫妻とアイラの養子縁組は、親子の情より教会への忠義を優先した事に真実胸を打たれた結果である事。聖女を守る義務がある教会が聖女を害する筈が無いと。
 議会に残っている貴族は教会と癒着しているものが殆どだ。彼等の口車もあってレオナルドは簡単に丸め込まれてしまった。
 無礼な新聞社を逮捕してくれと願い出る事も可能だが、それをしてしまえば市民達が過熱するかもしれない。そう判断した教会は敢えて下らぬゴシップにいちいち目くじら立てる必要も無いと寛容な姿勢を見せる事にした。どうせ証拠など見つかりっこないのだ。此方が下手に騒ぎ立てさえしなければ時間と共に忘れ去られていくだろう。
 この時点では余裕の態度を崩さなかった教会だが、新聞社は教会の思惑を見抜いていた。翌日発行された新聞には今度は労役場や救貧院の悍ましい実態、並びにそこに派遣された神官達の非情さが生々しく綴られていたのだ。
 
 何故これらの記事が世に出たのか、話はこれより数カ月前に遡る。
 目上の人間の目は上手く誤魔化していた彼等だが、市井の人間についてはいくらでも権力で握りつぶせると思っていたのだろう。労役場や救貧院の周辺の住民の前では横暴な態度や収容者への虐待を隠さなかったのだ。
 その所為で毎日彼等は昼夜問わず職員らしき人間の罵声や、子ども達の尋常じゃない泣き声に晒されていた。大人達でも気が滅入るものを子どもが聞けば心の傷は推し量れよう。すっかり元気を無くし罵声に怯えて震える子どもを目にした親達はこのままではいけないと思い立ったのだ。
 しかし相手は国営の施設、ましてや神官に出て来られればしがない一般人でしかない住民には成す術が無い。憲兵に訴えようにも恐らく取り合ってはもらえない。
 そこで彼等は考えた末に新聞社のドアの隙間から匿名の手紙を差し込んだ。所謂リークである。更に複数人からの訴えだと暗に示す為に文字を書ける者が持ち回りで手紙を書き、それが実を結んで記者が動き出したのである。
 調査に名乗りを上げたのは2人の記者。ジャックは労役場、ブラッドは救貧院を担当し、まずは施設の周辺を張って手紙の内容が本当か検証を始めた。
 確かに朝から晩まで罵声と泣き声は毎日のように続いていた。虐待を行っている可能性は非常に高い。しかしこれだけでは全容は明らかにならないと2人は大胆にも職員に成りすまして潜入取材を始めたのだ。
 取材は2人の精神に常に多大な負担がかかっていた。労働者や孤児達が使う部屋は不潔でノミだらけ。彼等は痩せた身体で長時間労働を強いられ休む暇さえ与えられていなかった。
 作業が少しでも遅かったりちょっとしたミスでもしようものなら直ぐに罵声とムチが飛んでくる。その為彼等の顔には表情が無く身体はアザだらけ、しかも虐待には神官が積極的に加わっていたのである。彼等に手を上げている時の顔は今でも忘れられない程醜悪に歪み、とても清廉とは言えない雰囲気だった。
 また施設の上層部は一般の職員に対してもぞんざいな扱いだった。上層部は仕事らしい仕事を殆どせず、1日の大半を下の人間をいびったり賄賂などの不正行為に勤しんでいた。上から仕事を押し付けられ、いびられる一般職員は鬱憤を晴らそうとして労働者や孤児達への虐待に手を出すのである。
 完全な負の連鎖が出来上がっていた閉鎖空間での取材は気を強く持たねば気が狂いそうであった。毎日の罵声は自分に向けられているものではないと分かっていても2人の精神と気力を確実に削り、暴力が蔓延する環境下では手を上げない自分こそが異端なのだと何度も洗脳させられそうになった。皆が寝静まっている夜中に施設をこっそり抜け出して出版社の仲間に辛い気持ちを吐き出していなければ、きっと取材が終わる頃にはあちらの思想に染まり切っていただろう。
 そんな体験をした彼等が綴る施設の実態は生々しく、真に迫った描写になるのは自然であった。読んで行くうちに吐き気を催す者まで居たのだから、いかに施設内が酷かったか分かるであろう。
 また施設の周辺住民の声も後押しになった。新聞記事を読んだ者達は彼等に話を聞こうとし、「今だから言える事だけれど……」といった具合で内容がどんどん広がり、世論に押されて施設関連の担当の司教は責任を取って破門となった。それすら上層部にとっては蜥蜴の尻尾切りなのだが、それで終わる域はもう越えてしまっていた。
 とうとう長い間積もった王家や教会への不信が最高潮に達したのである。先日レオナルドの演説が反響があっただけに「騙された」「王太子は教会の傀儡だ」などと人々は口々に不満をぶつけ、行動にも表れた。
 その日から教会へ足を運ぶ人の数が減り、寄付金もあからさまに減少した。道行く神官へ向けていた尊敬の眼差しは冷ややかなものになり、特に人と接する機会の多い下役の神官は肩身の狭い思いをするようになってしまった。
 
 

 この惨状を目の当たりにしたアイラはついに恐れていた事態が起きてしまったのだと感じた。懸命に市民を抑え込もうとする兵士に対し、圧倒的な数で我が物顔で破壊の限りを尽くす市民達。とうとう実力行使に出た民衆が王城を襲い、破壊行為と食料の略奪を開始したのである。
 隠し通路を使ってレオナルドの部屋に避難出来たお陰で鉢合わせは避けられたが、耳を塞いでも聞こえて来る人々の怒号と戦闘の音は平和な国で生きて来た彼女の精神を抉るには充分であった。
 窓の外からは「教会の傀儡め!」などの怒りに満ちた声と、誰かの悲鳴、壁や家具が壊される大きな音が引っ切り無しに響いて怖くて怖くて堪らない。いつまでこの状態が続くのか分からず、此処まで踏み込まれて引きずり出されたらと思うと泣きそうな気持ちになった。

「大丈夫だよ。僕がついているからね」
「もう嫌よ!早く何とかして頂戴!」

 震える自分を優しく抱き締めるレオナルドが鬱陶しい。甲高く喚き散らす義母の声が苛立ちが募る。彼は慰めたり励ましたりはしてくれてもそれ以上の事はしてくれない、義母はこんな時でも自分勝手で心配の1つすら向けてくれない。
 そしてそんな彼等に縋るしかない自分が何より1番憎らしかった。この国で聖女以外に生きる術を持たない自分は彼等に見捨てられたら最後、死ぬしか道は無いのだから。

 その後食料や調度品など持てるだけ略奪した市民が引き上げたのは襲撃から約3時間以上経過してからであった。教会も被害を負ったらしくこれ以上の被害を防ぐ為にタラスティナ全土から兵を王都に集めて王城や教会の警備に当たらせる事が決定した。
 別の城への引っ越しも検討されたが幸い破損個所は食料庫とその周辺に集中しており、移動中に襲われるかもしれない事を懸念して破損個所の簡単な修復と警備兵をそちらに多く配置、このまま王城に留まる事が決定した。
 兵さえ集まれば武力ではこちらの方が上回ると楽観視する貴族にアイラはまたもや不安に駆られる。その頼みの綱の兵士が市民側に就く可能性はないだろうか。しかし思いついても口には出せない。自分は確かに聖女だが聖女以外の役割は誰にも求められていない。つまり彼等に最悪の可能性を提示したところで誰もまともに受け取ろうとはしないのだ。実際レオナルドがそうだったから。
 だからこそ彼女は抱えている不安を吐き出せない。彼女にとっての最悪のパターンは自分もアレクサンドラの追放に一役買っていたと疑われだした場合だ。その時こそ彼等の怒りは自分にも向けられる。無実を証明できる物的証拠なんて何も無い。誰も信じてくれなかったら今度こそ自分は殺されるかもしれないのだ。

(イヤ……!死にたくない……。死ぬのはイヤ……!)

 ガタガタと震え出すアイラに侍女達が何度も声をかけるが、半ばパニックに陥った彼女には最早耳には入らなかった。
 襲撃の恐怖をまだ引きずっているのだと判断した侍女が手配した医者によって鎮静作用のある薬湯を飲まされた彼女が眠りに落ちる寸前、死にたくないと呟かれた願いは誰の耳にも聞き取られる事なく零れ落ちた。
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