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全ては神の導きのままに

第8話

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 話は少し遡り辺境伯が奮闘していた頃、王都では民衆による貴族邸や大きな商家への襲撃が頻発していた。
 前代未聞の不作による痛手は農村地帯だけに留まらず、食料品を運ぶ運送業者、並びに人々が食料の確保を優先した事で服飾品などの需要が減り、それに携わっていた多くの者達の収入が激減したのだ。今や儲かっているのは元から資金力のある大商家ばかりで、中小の商家は未曽有の経営難に喘いでいた。
 加えて貴族や大商家が食料の買い占めや売り惜しみをしだした影響で小麦を始めとした食糧の値段が高騰し、苦しい生活を強いられた民衆の怒りがとうとう爆発。金持ちの家を襲撃し、家具や食料の強奪を始めたのである。
 被害者の中には当然リーチェ家も入っている。ファティア公爵夫妻が王家からの支援金で遊び周っている噂はこの頃には既に民衆にも知れ渡っており、特に反感を買っていたのだ。
 社交界の世情に疎い平民にこの噂を積極的に流したのはファティア公爵家を嫉む他家の貴族なのだが、まさか自分達まで暴動の被害に遭うとは予想だにしていなかった事だろう。お陰で皆怖がって外へと出なくなり、没落貴族が急増した中でも細々と続けていた社交もそれどころではなくなってしまっていた。
 レオナルドはこの事態に兵士を派遣するなどの対応を行っていたが、先のリストラで数が減らされた兵士達では鎮圧しきれず、反ってヒートアップさせるだけの結果になってしまった。
 
 同時に平民が起こした襲撃は貴族達のある意識を変えるきっかけともなった。
 貴族は魔術を扱える事が平民との大きな違いである。彼等は今まで魔術師である自分達は力があり、非魔術師である平民は力無き存在だと信じて憚らなかった。
 ところが鎌や斧などの何の変哲もない鉄の武器を持った民衆達に彼等は圧倒されてしまった。屋敷を壊す大きな音と踏み倒され抑え込まれる警護人の姿。すっかり動揺してしまった貴族達は呪文を詠唱する事すら頭から抜け、ひたすら見つからないよう奥まった部屋に逃げて震えるしかなかった。
 また辛うじて呪文を使えても多勢に無勢。あっという間に縛り上げられ猿轡を嚙まされてしまい、その後は彼らが引き上げるまで目の前で破壊行為を見せつけられたのだ。
 この襲撃事件で大きな怪我を受けた者は居なかったが、貴族達は圧倒的な数の暴力による恐怖を植え付けられ、まだ襲撃を受けていない者達は明日は我が身と震え上がった。
 この騒動は事態を重く見た経済担当の大臣が、食料の売値を一定以上吊り上げない措置を取るようレオナルドに進言した事で漸く静まった。

 しかし民衆は覚えてしまった、自分達には力がある事を。一丸となれば支配者とも渡り合える事を。
 力を自覚した市民達が行う事は決まっている。
 そもそも自分達がこんな苦しい生活を送っている原因は何だ。聖女が一時的に力を失ったからだ。しかしそれは本当に一時的なのか、本当は力はもう戻らないのに王家や教会は嘘を吐いているのではないか。
 今までずっと疑問に思いながらも権力の前には無意味だと行動に移せなかった。だが今なら問いただす事が出来る。
 自分達の暮らしを守る為、血気盛んな若者達が早朝に王宮へと行進し始めた。


 
「王家と教会は説明を!」
「我々には知る権利がある!」

 高らかに声を張り上げ街を行進する市民の数は最初はたったの数十人だった。真っ先に彼等と同じ年頃の若者達が、次に少し年上の大人が、更に働き盛りの者達が家や職場から飛び出して行進の列へと加わる。男女関係無く入り交じった行進は二千人を優に超え、参加出来ない者も激励したり見守ったりと咎めない者が誰も居ない時点で市民の総意は反映されていた。
 参加者達は昼過ぎには王城前の広場に陣取りアイラの力の所在について説明を求めていた。無視出来ない程その声は王城中に響き、側近達は国民の前に顔を出すべきだと主張する側と危ないから出るべきではないと主張する側に分かれて論争をしていた。

「殿下!市民の前に出てはなりません!奴等は野蛮です。外に出れば何をされるか分かりませんぞ!」

 後者の筆頭のファティア公爵はレオナルドにどうにか表に出ないよう必死で引き留める。いっとう平民から恨みを持たれた彼等は徹底的に屋敷を破壊されてしまい、レオナルドに泣きついて現在はお気に入りの使用人と共に王宮の一室を借りて生活しているのだ。経済的にも精神的にも甚大な被害を与えた平民は彼にとってすっかり恐怖と私怨の対象となっていた。

「ファティア公爵、私の民に野蛮な者など居ない。外に出て説明しなければ」

 反対派を押し切りレオナルドはバルコニーの窓を開けるよう使用人に命じる。大きく開け放たれた窓からレオナルドが姿を現すと広場から割れんばかりの歓声が挙がった。市民の顔に負の感情は一切見られない。近頃政は揺らいでいるが、それでも国民にとって王家は敬意の対象なのだ。

「民の皆よ!そなた達の気持ちは分かる。いつになったらこの苦しみは終わるのか、いつになったら元の暮らしを取り戻せるのか、不安に思っているのであろう?」

 レオナルドが演説を始めると自然と歓声は静まり、広場の人々は一言も聞き逃すまいと固唾を飲んで見守り始める。
 
「それは私も同じ気持ちだからだ!建国以来聖女が途中で力を失ったなど前代未聞!前例の無い事態にこちらも手探りの対応に追われている。……だが私は彼女を遣わした神を、そして彼女自身を信じている!」

 事実彼はアイラを信じている。紛れもない本心からの言葉だからこそ民衆は驚愕し感銘を受けた。自分達が揺らいでいる中でも彼は一途に信じ続けている。その姿は民衆の目にも眩しく映った。

「今そなた達の生活が苦しいのは聖女の責任ではなく私の采配不足によるものだ!力が及ばなくてすまない」

 目を伏せて謝罪すると市民達は一斉に息を飲む。平民にとって王家とは雲の上のような存在。そんな人が謝罪するとは誰も思わなかったのだ。
 王太子に頭を下げさせてしまった罪悪感から広場のあちこちから悲鳴のような「殿下の所為じゃありません!」「殿下の御心が分かっただけで充分です!」などの声が挙がる。
 王太子は自分達の事もちゃんと考えてくれている、それが分かっただけで充分だった。またレオナルドの方も己の愛する国民が恨み言1つ言わず、むしろ暖かな労りの声に感極まりそうになるのをグッと堪える。両者の想いが確かに通じ合った瞬間であった。
 
「ありがとう、私の愛する民達よ……。勝手な願いだがどうか少し、あと少しだけ私と一緒に耐えてほしい。この国の民はそれだけの力があると、私は信じている」

 広場に居る人々の顔を1人1人確かめるように見回しながら最後を締め括ると、万雷の拍手と共に民衆は口々にレオナルドを讃える。王太子は我々を信じてくれているというのに、一瞬でも疑ってしまった自分達が恥ずかしい。彼等はそんな気持ちでいっぱいだった。
 王太子は腐った金持ちや貴族なんかとは違う。自分達と同じように苦しみ、それでも希望はあると信じて抗っているのだ。一国の王子が戦っているというのに自分達だけ戦わずにただ救いを求めるような、そんな真似なんて出来る訳がない。是非とも帰ったら家族にも言い聞かせなかければ。
 満足した面持ちの民衆が広場から散って行くと見守っていた貴族達も胸を撫で下ろし、真の迫った彼の演説を大いに讃えた。
 誉めそやす貴族とそれに鷹揚に頷くレオナルド。その光景を遠目に眺めるアイラの顔は何処か浮かない。まるで2人の間で大きな隔たりがあるようだ。

「なによ……。結局私の力頼りって事じゃない……」

 アイラの言葉は誰の耳にも入る事無く霧散する。彼の信じるという言葉に安心出来た時期はとうに過ぎてしまい、今となってはプレッシャーにしかならない。
 彼女は度々このまま自分の力が戻らなかった場合を考えた方が良いとレオナルドに忠告してきた。そうしてくれた方が重圧から解放されるという打算もあったが、大変な思いをしているこの国の人の為にもなると考えての事である。
 しかしレオナルドはそのたびに「弱気な事を言うな」と彼女を励ましていた。弱気も何も一向に力が戻る気配が無いのは事実なのだが、下手に言い返して口論に発展すればまた使用人達の間で何か囁かれるのかもしれない。そう考えると引き下がるしかなかったのだが、先程の演説で彼が今だに自分の浄化の力を当てにしているのだと良く分かってしまった。
 思い詰めたような顔をしていたのだろうか、宰相が気遣わし気な顔で部屋に戻ろうとアイラを促す。

「宰相様、もし……。もし、私の力がこのまま戻らなかったら……。レオナルド様はその為の準備を何か少しでもしているのですか……?」
 
 あの演説は広場に集まった人を安心させる為、本当はもしもの場合に備えてちゃんと考えてくれている。一抹の望みに賭けていたのだが、宰相はハッとするような顔をしたきり目線を下げて押し黙ってしまった。それこそが答えだった。

 
 一方、教会の執務室でレオナルドの演説の報告を受けたアダムは満足そうに頷いた。ここ最近身の程を弁えず増長していた平民だが王家や教会の権威の前には平伏したようだ。
 これまでの教育が上手くいったとご満悦な彼は教育係として幼いレオナルドに教会の絶対性を説いてきたのである。所謂国王の傀儡化なのだが、行われるようになったきっかけは金と権威を求めるようになった教会ときな臭い動きに気付いた国王の争いに起因する。
 結果は教会側が勝利し、強制的に退位させた国王の代わりに当時幼かった王子を国王に据えてから傀儡化教育は始まった。子どものうちから神や聖女と深い繋がりのある教会は尊いのだという思想を植え付けていき、教会に盲目的な人間を作り上げるのだ。
 それ以来教会はずっとこの方法でタラスティナを裏から操ってきた。当然レオナルドもアダムの傀儡であり、彼の行う政治にはアダムの意向が多分に含まれている。お陰で上層部は下手な貴族より経済的に恵まれており、権力も王家でさえ迂闊に手が出せない程の強大さを手中にしている。
 今回の騒動は教会も関わっていた為に些か肝を冷やしたが、レオナルドは良い仕事をしてくれたし、たかが平民が教会の絶対性を崩せるとは思えない。
 教養人の動向については警戒を続ける必要があるが、まだまだ我らの地位は安泰だとアダムは付き人にワインを持って来るよう命じる。その様はとても教会が生まれた当初の真摯に神を恐れ敬う姿勢は見られない。完全に己の欲望を満たす為に神や聖女を利用する堕落者の姿だった。
 
 それぞれの思惑はどうあれ、今回の出来事で王家と民衆の結束は強まった。……かに思えたが、息せき切って新聞社に飛び込んで来た男達によって事態はまた大きく動き出す。
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