テンセイシャの舞台裏 ─幽霊令嬢と死霊使い─

葉月猫斗

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第4話

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「それにしても向こうの思考が流れ込んでくるなんて初めて聞いた。肉体の元の持ち主だからかな?」

 手紙を書き終わったヘスターが興味深げに視線を斜め上へと向ける。テンセイシャの思考を逐一書き留められるようにと、物を持つ訓練をしているアマーリエはそれに返事をする余裕が無い。
 少しでも集中が途切れるとすぐに落ちてしまうのだ。

 「それを考えるとアンタって幸運の持ち主かもしれないね」
 
 思わず心外だと恨みがましい目で見ると、その拍子にペンがテーブルへと音を立てながら落ちる。現在進行形で憂き目に遭っているというのに、何が幸運なのか。
 しかし続けられた言葉に彼女はこの考えを撤回する。
 
「テンセイシャが憑依した際に向こうの魂と元の魂がどうなるかは予測がつかないの。研究者の間でも私達さえでもね」

 ヘスターは指を折り曲げながら実例を述べる。元の人格とテンセイシャの人格が地続きのようになったパターン、統合して全く新しい人格が生まれたパターン、一つの身体に二つの人格が宿ったパターン。
 更に三つ目の場合はそれぞれの人格が自由に表に出られる場合もあれば、テンセイシャが眠っている時など何かしらの条件が満たされないと元の人格が表に出られない場合もある。

「もし同居している状態でアンタの魂が表に出てこれなかったら。あるいは追い出された時に私に見つかっていなかったら。アンタは誰にも気付いてもらえないまま、テンセイシャのやりたい放題されてたかもしれないってことだよ?」

 最悪なパターンを、明日の天気を言うかのようにサラリと言われ、アマーリエは無い筈の肝を冷やした。



 その後王家や学校との報告や連絡を終えた当主が戻って来て、深夜にアマーリエの魂を元に戻す試みをすることが決まった。急な話だがテンセイシャが関わっているとはいえ、王家もそれだけスキャンダルに敏感なのだろう。
 もしこれで上手くいかなかったら、先程当主が言った通りに最善のタイミングを計るしかない。当主はそうなったとしてもアマーリエの所為ではないとだけ言ってくれて少しだけ気は楽になった。

<そんなに難しいんですか?>

 自分も出来ればなるべく早く元の身体に戻りたい。あのリンブルク家なら簡単にできると思えるのだが、実際はそう上手くはいかないようだ。

「マイナスのテンセイシャを放置しておいて良かった試しは無いんだけどね。既に向こうが動き出している以上難しいと考えた方が良いよ」
<そうなんですか……>
「期待に添えられずにすまないね」
 
 気落ちして俯くアマーリエに当主は申し訳なさそうに謝罪する。アマーリエは慌ててこうしてマイナスのテンセイシャの対処をしてもらうだけでもありがたいことだと首を横に振って恐縮した。
 
 この国ではテンセイシャは三つの種類に分けられる。一つ目は国に偉大な功績や発明を齎したり、性根の悪い人物が善人になった「プラスのテンセイシャ」。二つ目は毒にも薬にもならない「中庸のテンセイシャ」。そして三つ目がアマーリエの身体を乗っ取っている存在のような、界隈を震撼させる大事件を起こしたり善良だった人間が悪人となる「マイナスのテンセイシャ」である。

 元の人物の性格をよく知っている人間が身近に居たならばテンセイシャに乗っ取られたと早く気付いてくれるが、アマーリエの場合はタイミングが悪く、乗っ取られた日が領地から離れた王都の学校の入学日当日である。
 同郷の友人も王都には居らず、ヘスターに発見されなかったら今頃泣いていたかもしれない。だからこうして事情を理解して動いてくれる人が居るだけでも心強いのだ。

 そうして緊張しながら儀式の場である学校の寮へと着くと、寮の通用口から責任者が顔を出して中へと促す。アマーリエの部屋には既に王家からの遣いが待機していた。
 
 本来は彼女が生活する筈だった部屋には、問題のテンセイシャがベッドで気持ちよさそうに眠っていた。自分の顔なのに見ていると段々憎らしい気持ちが沸き上がって来て、アマーリエは視線を逸らす。
 儀式の途中で目覚められては面倒なので、事前に寮のメイドには持たせた睡眠薬で部屋の飲み物に盛るよう言い含めておいている。今頃は夢も見ずに深く眠っていることだろう。

 当主が聞いたこともない呪文を唱え始めると、ベッドの周りに複雑な模様の魔法陣が浮かび、部屋を妖しくも神秘的に照らす。この部屋だけが真昼のような明るさとなり、アマーリエは眩しさで目を細めた。
 それとほぼ同時にアマーリエ自身にも変化が訪れた。自分が肉体に引っ張られるような感覚がするのだ。
 
 きっと元の身体に戻ろうとしているのだろう。このまま上手くいってくれるかもと思いきや、そう都合の良い展開とはならず、バチンと何かが弾ける音と共に魔法陣が消滅する。
 アマーリエの脳裏には肉体と自分を繋ぐ糸のような物が切られたイメージが浮かび、それきり引っ張られるような感覚もなくなってしまった。

「何が起こったんですか!?」

 再び部屋が薄暗くなり、使者が慌てたように当主へと詰め寄る。
 
「……駄目ですね。弾かれました。やはりこのタイミングで儀式を成功させるのは無理でしょう」
<私もあの瞬間に身体へと引っ張られる感覚が切られました。まるで何かの存在が繋いでいる線を切ったように……>

 アマーリエを視認できない王家の使者の為に当主が彼女の言葉も伝える。アマーリエの何者かの介入を示唆する言葉は、単なる失敗などではないと確証を得るには充分であった。
 使者は非常に残念そうに沈んだ声で「陛下達にお伝えいたします……」とだけ返す。
 
 大事な王子が悪女の毒牙にかかるのを指を咥えて見ているだけなんて王家は悔しいに決まっている。ヒロイン系のテンセイシャが関わっている場合は、向こうが使う魅了が余りにも強力である為に温情が与えられるが、それでも全てが解決するまで醜態を晒されるのは大変な屈辱なのだ。

 まだ何も起きていないうちに無かったことにできたら最善なのだが、現時点では不可能である。後でこの報告を受ける陛下も王妃も意気消沈するに違いないだろう。
 馬車に乗り込む使者の背中はアマーリエには先程よりも随分と小さく見えた。

 帰りの馬車の中でアマーリエは溜息を吐く。自分の身体が取り戻せるかどうかはもう疑ってはいないが、今後元の身体に戻ったとして上手く学校生活を送れるかが不安で憂鬱になっていた。
 この分だと元の身体に戻れる日が来るのはずっと先だろう。その時に授業についていけるか心配だし、既に出来上がっている友人グループの輪に入れるかもどうかも分からない。

 もちろん学校に行く目的は勉強をして良い仕事に就く為だと理解はしている。授業はともかくとして友人は絶対に必要だとは言わないが、それでも勉強だけじゃなくて新しくできた友人と楽しくお喋りなどもしてみたかったのだ。

「浮かない顔をしているね?」
<い、いえ。きっと沢山のことが起きて気疲れしているだけだと思います>

 うっかり不安が顔に出てしまっていたらしい。自分の身体を取り戻す為に尽力してくれているのに、これ以上迷惑をかける訳にはいかない。咄嗟にもっともらしい言い訳をしたが、社交界で沢山の嘘を見聞きしてきた当主には、世間慣れしていないアマーリエのそれは効かなかった。

「子どもが遠慮するものじゃない。これは勘だが君が考えていることは迷惑ではなく頼るというものだ」

 本当に迷惑ではないのだろうか。戸惑いつつも不安だったことをポツリポツリと話し始める。授業のこと、学校生活のことを。
 話し終えると当主は腕を組んで考え込むような仕草をした。
  
(やっぱりこんなこと聞かされても困るよね……)

 これは自分の問題だ。だから大丈夫だと言おうとすると、その前に当主が「よし」と手の平を拳で叩いた。

「確かうちに魔法を使える人間が居たから彼女に協力を願おう」
「え?」

 ポカンとするアマーリエに当主はこう説明する。幽霊は他人の生身の身体に乗り移ってその身体を操ることができる。歳が近く魔法を扱える人間の身体を借りてこの家の親戚として学校に通えば勉強できると。
 
「ほ、本当に良いんですか……?」
 
 アマーリエにとっては願ってもないことだ。確かにこの方法なら少なくとも勉強の面は心配無くなる。でも本当にここまでお世話になって良いのだろうか。今日……もう昨日になってしまったが、昨日会ったばかりの人間にここまで親切にする必要なんて無いのに。

「言っただろう?子どもが遠慮するものじゃないって。今日はもう遅いから休んでからにしようか」

 屋敷のドアを開けると奥からこちらへと灯りと共に近づいて来る影があった。顔が分かるようになると、人影の正体は老年の使用人とヘスターであった。
 
「起きていたのか。明日も早いんだぞ?」
「拾った手前見届けないとダメだと思って」

 捨て犬や捨て猫を拾ったみたいな言い方だが、元の身体に戻れたのか気になって待っていたようだ。怒られると分かっているので父である当主はあえてそれを指摘しなかった。

「戻れなかったんでしょ?念の為部屋の用意しておいたから」

 当主は客室がある方向へと先導する娘と慌てて追いかけるアマーリエの姿を微笑ましそうに見守りながら自分の部屋へと戻る。就寝の準備をしていた執事が「おかえりなさいませ」と恭しくお辞儀した。

「明日アイリーンに彼女の代わりをしてもらえるよう頼んでおいてくれ。勉強の遅れを解消したいらしい」
「かしこまりました。……フフフ、それにしても随分と彼女に執心なさいますね」

 えびす顔な執事に当主は少し窘めるような視線を向けた。
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